2話
失敗した。
大学生活二日目の朝、俺はスマホの画面を見て項垂れる。
昨日の夜は、催眠ASMRなるものを初めて聞いてみたのだが、どうやら俺は催眠に掛かりやすい性質らしく、力が入らなくなると言われれば体はピクリとも動かせなくなるし、眠りに着けと言われればもうそこからの記憶はない。きっかり9時間は熟睡し、目覚めの良い朝になるはずだったのだが、すぐに気分は落ち込んだ。
千代田さんから、今日の夜に除霊の手伝いに来てね、との連絡が映っている。
「はぁ~」
今になって、不安がより大きくなっている。
幽霊を見た記憶を思い起こすだけで、体が身震いする。除霊の仕事なんて俺に務まるとは到底考えられない。これからでも辞退の連絡を送ろうか、と千代田さんの顔を思い浮かべる。
麗しい顔、慈愛を含んだ笑み、そしてなにより声が好きだ。昨日の記憶を呼び覚ますとどうだろう、いつの間にか『行かせていただきます』と返信を送っている俺がいる。
これが除霊師の能力なのか。
「……そろそろ準備するか」
洗顔と歯磨きに着替えを終え、身だしなみを整えて玄関を開ける。
ようやく一人暮らしにも慣れてきた。同じアパートに住んでいる柳生の部屋のチャイムを押して、少し待つとドアが開いた。
「おお、悪い悪い、ちょいと寝坊しちまってな。……てか、陽一」
柳生は俺を見るなり、驚いた表情をして顔を近づけ、わざとらしく「クンクン」と発声して鼻を鳴らす。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「陽一、香水付けてるんか? 髪型も昨日と違うて小綺麗で、なんや光沢もあるし」
「元々俺はこんな体臭だろ? 髪はあれかな、さっき軽くシャワー浴びたのが乾いてないのかな」
「それが自然の体臭やったらもう病気やろ。あ、もしかして今日あの千代田さんと会うんか? せやから……」
「登校二日目でジャージに寝癖付けてる奴から、とやかく言われる筋合いはないね。さっさと行こうぜ」
大学までは自転車で20分ちょい。それまで、柳生と駄弁りながらペダルを漕いでいく。
「それでな、同じ学科の新入生に、同人サークルで一緒の奴がおるねん。まだネットでしか喋っとらんけど、面白いやっちゃやで。後で陽一にも紹介するわ」
「へぇ、それは男か?」
「まぁな。てか、うちの学科8割以上が男らしいで。工学科やからしゃあないけどな」
「大学は勉強するところであって、男女比とかそういう数字に振り回されるのはよくないな。やっぱりよくないよ」
「らしくないこと言うやん。大体、男かどうか聞いてきたのは陽一やろ。千代田さんがおるのに、二兎追う者はなんとやらやで~」
がはは、と笑う柳生と共に大学内の駐輪場に自転車を止め、指定の教室へと向かう。ドアを開くと、確かに男ばっかりだった。加えて、チェック柄のシャツを着ている割合が大きい。同じ匂いというか……。落ち着きはするな、この空間は。
そして、柳生の紹介でチェック柄の構成員の一人、小太りで眼鏡をかけた橋本という男と仲良くなり、昼休みも大学の食堂で色々な話をしたのだが、大したことではないので割愛しよう。柳生がとあるVtuberにはまっていると熱弁していたくらいの記憶しかない。
大事なのは夕方、17時半。……そう、今だ。時は満ちた。
大学の最寄り駅の前で、ガラスに映る自分を見ながら、ちょいちょいと髪を整える。
「ふぅ~」
緊張する。デートではないのだが、デートの待ち合わせとはこういうものなのだろうか。
そう思うと心が躍るが、霊と対面する可能性を考えると一気に気分が落ち込む。感情のジェットコースターみたいだ。
「あら陽一くん、早いわね。待たせちゃったかしら?」
茜色に染まる空を仰ぎながら心を落ち着かせていると、群衆の中でも一目で分かるほどに美しさが際立っている、千代田さんがこちらに向けて手を振っていた。
「お、お久しぶりです……」
「やだなぁ、昨日ぶりじゃない。そんなに緊張しなくてもいいのに」
千代田さんは、俺が幽霊を恐れているからぎこちない言動をしていると勘違いしているのか、励ますように背中を叩いてくれる。
確かに、幽霊が非常に怖いのはそうなんだけど……。
「そういえば、今日は千代田さん巫女服じゃないんですね」
今日は昨日と違い、シックなえんじ色のスカートに、白いシャツの上に黒いジャケットと、無地ではあるがスタイルに合った私服を身に着けている。派手な見た目ではないが、大人な女性であると感じさせられる。
……自分の格好が急に子供っぽく思えてきた。受験の合格が決まってから柳生と遠出して、英語の筆記体で店名が書かれているオシャレなところで買った服なのに。
俺は浪人してるので同い年なはずなのだが、これが人生経験の差なのだろうか。……いや、そんなことはない、浪人生活だってきっと素晴らしい糧になっているはずだ。たぶん。
「衣装はビルの中に置いてあるのよ。陽一くんの分もあるから安心して」
千代田さんは早速行きましょう、と客が賑わっている商業ビルの中に入っていく。
「えっ、そうなんですか? だけどこんなビルの中って、私物とか置けるんですか?」
「お金はかかるけれど、そこまでは高くないわよ。十分利益は出ているもの」
……利益?
「もしかして、除霊ってお金を取ってやられてるんですか」
「あれ、言ってなかったっけ? 場所代もあるし、除霊も結構大変だからね。責任感を持つためにも、商売としてやっているわ。もちろん、陽一くんにもバイト代は支給するわよ。変動はあるけど、週に3日×4時間で5万円くらいね」
「はぁ」
5万円なら、仕送りと合わせれば何とか生活できそうだ。ピンチの時は派遣でもすればいいだろう。ただバイトを探す必要がなくなったのは良いが、余計に逃げ出すことは出来なくなった気がする。
そして案内されるがままに、エレベータに乗り店を構えている上階を目指す。降りるとそこはイベントスペースのようなところで、占い師や英会話を営んでいる所もある。その一角の準備中と札が下がっているブースに千代田さんが入っていく。
「18時から開店だから、ちゃちゃっと準備を済ませちゃうわね」
パーテーションで区切っただけの3畳ほどの広さのスペースに、慣れた手際で設営を進めていき、専用のロッカーから衣装や小道具を取り出した。
「じゃあ着替えるから、ちょっと席を外してね」
シャッ、と取り付けたカーテンを閉めて、俺は外へ出る。
覗くつもりなど毛頭ないが、覗いたら警察呼ばれるのかな、と変な想像をしながら待っていると、千代田さんが昨日と同じ巫女服の格好をして現れる。
「じゃあ陽一君もこれ羽織って」
そう手渡されたのは黒いマントのようなものだった。
なんか、黒魔術の儀式をするような服装だ。
「これは何ですか?」
「六芒星のペンダントね」
「あとこれは?」
「十字架のネックレスね」
「……これは?」
「数珠ね」
なんか凄いバラバラだな。テーブルの上に置いてある物を見ると、他にも古今東西の信仰アイテムが並べられている。
「大事なのは、やっている感よ」
「……?」
やっている感、とは何なのかよく分からないが、取り合えず今日は見ているだけで良いということで、千代田さんの後ろに立って来客を待つ。
簡易ボードに掛かれているスケジュール表には、18時からと、19時からで予約が入っている。そして定刻通りに現れたのは、スールを着たサラリーマン風の40代くらいの男性だった。




