第2話 家一軒分の財産
午前8時11分。
ダイニングテーブルに大学ノートが一冊置かれた。
表紙には琴葉の字で、大きくこう書かれている。
『物資』
「全部書くよ!」
琴葉が宣言する。
「食料も水も、電池一本まで」
蓮が椅子にもたれた。
「そこまで?」
「そこまで!」
「めんど……」
悠真が笑った。
「俺も手伝うから。みんなでやればすぐに終わるさ」
「兄ちゃんが行くならいいけど」
「何から調べる?」
美月が尋ねる。
「まずは食べ物かな」
「「大賛成!」」
美月と蓮の声がハモった。
「では私は総監督を執り行おう」
オウムの教授が言った。
蓮が即座に返す。
「何もしない役じゃん」
「監督という仕事を軽視してはいけません」
ノアはテーブルに飛び乗った。
「私は何をすればいいの?」
「ノアは……」
悠真が考える。
「狭いところ担当?」
「ふふ、重要任務ね」
ノアは満足そうだった。
ハクには家の周囲の音と匂いを警戒してもらう。
こうして、この家で最初の棚卸しが始まった。
最初はキッチン。
冷蔵庫の中には卵が18個、牛乳約1.5L、豆乳0.6L、麦茶(手作り)3.7L、ビール4缶、コーラ1.6L、
納豆8パック、小分けヨーグルト12個、ハム4枚×4パック、チーズ8P、スライスチーズ12枚、豆腐300g×4、シュークリーム(美月の)2つ、野菜、果物。それに前日の夕食の残りがある。
もともと家族6人用の大きな冷蔵庫だ。そこに加え、幸いなことにちょうど昨日買い出しに出かけたばかりだったこともあり、かなりの量の食品が残っていた。
次に冷凍庫。我が家はこれまた幸いして冷蔵庫と冷凍庫は別である。こちらも予想以上に充実していた。
冷凍ご飯、食パン、うどん、鶏肉、豚肉、ひき肉、魚、野菜、餃子などの冷凍食品やアイス多数。
「ママ、冷凍しすぎじゃない?そう言えば冷凍しとけばとりあえず大丈夫がママの口癖だったね。」
美月がクスリと笑って言う。
琴葉は真顔だった。
「ママの冷凍癖に今日ほど感謝した日はないわ」
問題は停電していることだった。
このままなら冷蔵品から傷んでいく。
琴葉はノートに大きく、
《冷蔵・冷凍品を優先消費!》
と書いた。
「ベランダとかに出しとけばクリアじゃね」
「でもシロクマを引き付けてちゃわない?」
「ダメか…」
「それも後で考えよう」
パントリーはさらに希望があった。
米、約10kg×2、パスタ500g×4、シリアル500g×2
餅24個入り1袋、レトルト食品多数、
缶詰41個(複数種類)、
インスタント麺32食、インスタントコーヒー120g×6瓶、
インスタントスープ36食×2、
小麦粉1kg×2、海苔、乾燥わかめ、カレーやシチューのルー多数、調味料一式、菓子類多数。
コーラ2L×4本、豆乳1L×6本、緑茶2L×6本、
ビール1ダース、ウイスキー300ml×2本
じゃがいも23個、玉ねぎ7個
「コスタコユーザーのママまじリスペクト」
「海外行く前にもたくさんストックしてくれてたもんね」
そして最後に母親がまとめ買いしていた二リットルの水が、六本入り4箱。
「48L!!」
美月が嬉しそうに笑った。
それとは裏腹に、琴葉の表情は少し暗めだ。
「水は予想以上にあって有難いけど、7人分だと思ったら全然多くないね」
「教授そんな飲まないよ?」
「私を人間換算しないでいただきたい」
「でもハクは飲むよね」
「いっぱい飲みます」
「トントンだな」蓮が言った。
一同が黙る。
水。
食料より先に、問題になるかもしれない。
ただ、家にはまだ給湯器や配管の中に残っている水がある可能性もある。トイレのタンクにも水が残っている。
「飲める水と、それ以外の水を分けよう」
悠真が提案した。
「飲み水をトイレに使ったらもったいないし」
琴葉がノートへ追記する。
次は衛生用品。
未使用品は、
歯ブラシ6本、歯磨き粉6本、
固形石鹸6個、シャンプー・リンス900㎖を各2袋、
ボディーソープ5kg×2、ハンドソープ5kg×1、
洗濯用洗剤4kg×2、
バスタオル20枚、ハーフタオル30枚、
トイレットペーパー12ロール×8袋、
ティッシュ22箱、キッチンペーパー6ロール×2袋、
ゴミ袋40L×60、生理用品、常備薬複数、消毒液1本、
絆創膏72枚、体温計1本、爪切り、簡単な救急セット。
「こんなにあったのか」
「ティッシュとかはパパがふるさと納税で毎年頼んでたからね」
「ママみたいにイクラとかカニとか頼んで欲しかったけど、今となっては超絶有難いわ」
「あと薬箱はもっとちゃんと調べた方がいいね。使用期限も見ないと」
次に玄関横の収納を漁る。
「兄ちゃん!」
「ん?」
「カイロ!」
蓮が箱を持ち上げる。
未開封の使い捨てカイロ、30個入り。
「これは大当たりだ!」
他は軍手、レインコート、折り畳み傘、懐中電灯2本、
単三電池36本、単四電池24本、
父の釣り用具、ゴルフ用具。
「電池は貴重そう」
「無駄遣い禁止だな」
やがて4人の視線は、庭に面した物置へ向かった。
大きめの物置きで使えそうな物資があることが見込まれるが、問題は外へ出なければならないことだった。
物置までは玄関から10mもない。
しかし、さっきそこには陸上の最強生物と謳われることもあるシロクマがいた。
「俺一人で行ってくる」
悠真が言った瞬間、琴葉が首を横に振った。
「ダメ」
「すぐそこだよ」
「だからって一人はダメ」
「……じゃあ今日はやめとく?」
蓮が意外そうな顔をした。
「兄ちゃん、行かないの?」
悠真は窓から外を確認する。
「必要な物はまだ家の中にあるからね。危険を冒してまで今日すぐに行く理由はないよ」
教授が深く頷いた。
「非常に合理的」
悠真は英雄になりたいわけではなかった。
弟妹を守りたいからこそ、無茶をしない。
「その代わり、家の中はできるだけ調べ尽くそう」
そう言って一同は二階へ向かった。
男子部屋。
女子部屋。
両親の寝室。
男子部屋からは蓮のモバイルバッテリーが3つ出てきた。
「偉い!」
美月が褒める。
「1個充電してないけど」
「偉さ半減」
「そこは1/3だろ」
「モバイルバッテリーは俺のもひとつあるよ」
女子部屋からは琴葉の裁縫箱、栄養ドリンク1ダース、
モバイルバッテリー1つ、美月の小型LEDライト、モバイルバッテリー2個、非常食(お菓子)多数。
「…シュークリームといい食い意地が」
「蓮?」
「素晴らしい千里眼です」
その他は文具や衣類など、似たようなものだった。
そして両親の寝室。
まずクローゼットを開ける。
「パパのダウンある」
「母さんのも」
厚手のコート、毛布、
予備の布団、旅行用バッグ、
スーツケース。
悠真がクローゼット上段にある大きめなリュックを降ろした。
「これ何だろ」
中を開けてみる。
中には非常用のアルミブランケットが6枚、
携帯ラジオ、単三・単四電池各12個、
簡易トイレ、防災用の給水バッグ、
そして
ポータブル電源にソーラーモバイルバッテリー
「……パパママ大好き」
琴葉が呟いた。
「ちゃんと防災用品用意してたんだ」
美月も覗き込む。
「なんで私たち知らなかったんだろ」
悠真が笑った。
「こういうのって、使うまでは気にしないからね」
そのときだった。
「待って」
ノアがベッドの下へ潜り込んだ。
「何かある」
「何?」
「箱よ」
悠真屈んで覗く。
確かに奥に大きな収納ケースがある。
引っ張り出して蓋を開けた。
中に入っていたのはキャンプ用品だった。
小型のガスバーナー、クッカー、
LEDランタン、寝袋2つ、
折り畳み式のウォータータンク、チャッカマン1本、
そして――
「カセットボンベ!」
蓮が数える。
「1、2……6本!」
歓声が上がった。
「ノア!」
美月が猫を抱き上げる。
「天才!」
「もっと褒めて」
「世界一かわいい!」
「それは知ってるわ」
教授が鳥かごから冷静に言った。
「探索能力と容姿は別評価にすべきかと」
「教授うるさいわよ」
「でもキャンプ用品があるなら、テントもないとおかしくね?」
「テントは大きいし、物置にあるのかもね」
そうこうしているうちに、時刻は昼前になっていた。
ダイニングテーブルには、最初の棚卸し結果が並んでいる。
食料は節約すれば、かなり持つだろう。
飲料水もいく日分かはあるが、食料より先に不足しそうである。
防寒具はある。
火を使う手段もある。
照明も最低限確保できる。
しかし電気は、ソーラーモバイルバッテリーは見つかったものの、この寒さの中では壊れてしまう可能性が高く、当分は使えない。
暖房も動かない。
そして庭の物置は未確認。
美月がノートを閉じる。
「今日すぐ死ぬような状況ではなさそう」
「すごくシンプルに言ったな」
蓮が答えた。
「それが分かっただけでも大きいわよ」
琴葉が言って、悠真も頷く。
蓮がテレビを見る。
29:19:37:44
まだ29日以上残っている。
美月が窓を見る。
「でも水はどうする?」
その問いには、誰もすぐ答えられなかった。
外には雪が大量にある。
溶かせば水になる。
理屈では簡単だ。
問題は、その雪を取りに行くためには家から出なければならないことだった。
「今日は出ない」
悠真が決めた。
「ある水を大切に使いながら、外に出る方法を考えよう。物置も明るいうちに窓から確認する。それで安全そうなら、明日以降に行く」
「慎重だね、お兄ちゃん」
美月が言う。
「怖いからね」
悠真はあっさり認めた。
蓮が少し驚いた顔をする。
「兄ちゃんも怖いんだ」
「そりゃ当たり前だよ。シロクマに雪原だぞ」
「まあ確かに」
悠真は笑った。
「でも俺が怖くないふりして無茶したら、みんなまで危なくなるでしょ」
琴葉が小さく笑う。
「それがお兄ちゃんっぽいわね」
悠真は照れくさそうに頭を掻いた。
その足元ではハクが横になり、ノアは暖かそうな場所を探して丸くなっている。教授は人間たちの会議を聞きながら、ちゃっかり自分が食べられる物がどれだけあるのか、棚卸し表を確認していた。
まだ笑っていられる。
まだ家族全員ここにいる。
だからきっと大丈夫だと、そのときは思えた。
午後12時17分。
ハクが突然立ち上がった。
「悠真」
声色が違う。
「どうした?」
ハクは玄関ではなく、家の裏側へ顔を向けていた。
「朝から気になってた匂いがある」
「熊?」
「違う」
「さっき言ってた、たくさんいる方?」
「それとも違う」
ハクはゆっくり窓へ近づいた。
「すごく大きい匂い」
教授が首を傾げる。
「大きさは匂いで分かるのですか?」
「だいたい」
ノアも起き上がった。
耳を立てる。
「……私にも聞こえるわ」
今度は人間たちも黙った。
しばらくすると、遠くから低い音が響いた。
――ズン。
窓ガラスが、ごくわずかに震える。
数秒後。
――ズン。
蓮が悠真を見る。
「何の音?」
「分からない」
悠真はそう答えながら、弟を自然に自分の後ろへ下げた。
――ズン。
今度は少し近い。
地面そのものを踏みしめているような、重い音。
ハクが唸る。
ノアはソファの下へ入った。
教授まで羽を身体へ密着させ、黙っている。
悠真はカーテンの隙間から、慎重に外を覗いた。
雪原。
何もいない。
少なくとも、すぐ近くには。
「見えない」
「じゃあ遠くなの?」
琴葉が尋ねる。
「たぶん」
悠真が目を凝らす。
風に雪が舞っている。
白。
白。
その向こうに黒い岩が点々と――。
悠真の視線が止まった。
朝にはなかったものがある。
地平線近く、白い大地の上に、黒いものがゆっくり動いていた。
遠すぎて形は分からない。
熊より遥かに遠くにいるはずなのに、それでも肉眼で見える。
――ズン。
黒い影が動く。
悠真はカーテンから手を離した。
「……今日は」
声が少しだけ掠れた。
それでも弟妹の方を向いたときには、いつもの穏やかな表情へ戻っていた。
「やっぱり外に出るの、なしだな」
「文句なしね」
琴葉が即答する。
ハクも頷いた。
「僕も」
ソファの下からノアの声がする。
「私も」
教授が最後に付け加えた。
「無論ですな」
7人の意見が完全に一致した。
しかし一物置は外にあり、水の補充となりそうな雪も外にある。
そして飲料水は、今ある分だけでは30日もたない。
悠真は棚卸しノートを開き、最後のページに一行だけ書いた。
《最優先:安全に外へ出る方法を作る》
それが、この家に施される最初の改造の始まりになることを、まだ誰も知らなかった。
そして彼らはもっと知らない。
遠くの雪原を歩いていた巨大な影が、夕方になって進路を変えることを。
その進路の先に、彼らの家があることを。




