「決して屈してはならない」
1934(昭和6)年4月20日金曜日午後3時、東京市四谷区内藤町にある新宿御苑。
今日は、年に一度、お上の主催で開かれる観桜会の日だ。政府高官や国会議員、各国から派遣された大使、華族やその妻たちが招かれる。内大臣をしていたころも、そして内大臣を退いた現在も、私は毎年、栽仁殿下の妃として観桜会に参加していた。
(だけど、こんな風に澄ました顔をして歩かないといけないっていうのは、やっぱり慣れないわねぇ)
海兵中佐の紺色の通常礼装をまとう夫に右手を取られ、満開の桜の木の間を通り抜ける遊歩道を歩きながら、薄緑色の通常礼装を着た私はこっそりため息をついた。私たちの前後には、他の皇族や宮内省の職員たちが綺麗な列を作っている。列の先頭にいるのはお上と、おとといイギリスから来日したアラステア・オブ・コンノート・アンド・ストラサーン殿下だ。きらびやかな服に身を包み、営業スマイルで他人と接する……”やれ”と言われればもちろんやるけれど、私はどうも、こういった場に身を置くのが苦手だ。白衣で医療現場にいるか、制服で兄とお上の政務を手伝う方がまだ気楽だ。おまけに、今日は満開の桜の上に、どんよりした雲が広がっている。私の気持ちは滅入っていく一方だった。
「花曇……って言うには、ちょっと雲が厚過ぎるかな」
空をチラリと見上げた栽仁殿下が呟く。そう言えば、そんな季語もあるような気もするけれど、文芸方面に疎い私は、夫の言葉を右から左へと聞き流した。
しばらく歩いていると、観桜会に招かれた人々が待つエリアへと入っていく。その中には、伊藤さんや原さんなどの梨花会の面々の他に、アラステア殿下に随行して来日したイギリスの高官や軍人も含まれる。そして、私が招待客たちの間を会釈しながら通り抜け、御苑内の休息所に入ろうとした時、
『浮かぬ顔をなさっておいでですな、前内府殿下』
後ろから、誰かが英語で話しかけてきた。振り返ると、アラステア殿下とともに日本にやって来たイギリスの大蔵大臣、ウィンストン・チャーチルさんが私をジッと見つめながら立っていた。
『それは、閣下も同じではないですか?』
目の下にくまを作ったチャーチルさんに私は言い返した。『随分と疲れておいでのように見えますわ。観桜会に参加しないで、ホテルで休養を取られる方がよろしかったのではないですか?』
『英国の紳士たる者、一度受けたご招待を欠席するわけにはいかないのですよ』
ニヤッと笑って妙な理屈をこねたチャーチルさんは、真顔に戻ると、
『昨夜は陸奥男爵に散々にやられましてね。……あの魔王め、もう90歳近いのに、弁舌が衰える気配が全くないではないか!』
と毒づく。そして、私と栽仁殿下が呆気に取られたように自分を見ているのに気が付くと、咳払いをして、
『おっと、口が滑りました。今のはご内密にお願いします』
バツが悪そうにこう言った。
『はぁ……』
私は内心、チャーチルさんに同情しながら頷いた。”チャーチルを思う存分、いたぶってやりましょう”と、陸奥さんは先日の梨花会で発言していた。どうやら陸奥さんは、その言葉通り、チャーチルさんを弁舌で叩きのめしたのだろう。
『前内府殿下も大変ですな。陸奥男爵だけではない。原総理大臣に伊藤伯爵に西園寺侯爵、そして忘れてはならない、大山将軍もおそばに侍っている。更には、もう天に召されてしまいましたが、黒田伯爵に山縣伯爵、井上伯爵、大隈伯爵、西郷伯爵、松方伯爵、山田伯爵……前内府殿下はあのような化け物たちに、幼いころから囲まれてお育ちになった。だからこそ、女性でありながら、上皇陛下を内大臣として輔弼するという、世界でまれに見る美しい青いバラのような方になられたのでしょうが……』
『亡くなった方を”化け物”と呼ぶのは、余りよろしくないのではないですかね』
チャーチルさんに夫が苦言を呈する横で、
(勝先生と三条さんと渋沢さんが抜けてるなぁ……)
私は心の中でチャーチルさんにツッコミを入れていた。彼らだけではない。ベルツ先生や森先生、北里先生、三浦先生、弥生先生と言った医学者たち、兄にお父様、お母様、栽仁殿下、母、義父などの今生での家族……それらの人々との出会い、そして彼らから受けた教えが、今の私を形作る基礎になっている。
と、
『しかし、美しいお顔をそのように歪めておいでなのは、化け物……失礼、あのお歴々にこってりと絞られたからではないでしょう、前内府殿下?』
チャーチルさんは私にこう尋ねた。
『閣下、私はもう51歳ですよ。そんな人間を捕まえて”美しい”だなんて、お世辞の使い方を間違えていらっしゃるのではないですか?』
「梨花さん」
私の言い方が気に入らなかったのか、栽仁殿下が私を小さな声で呼んで制止しようとする。そんな私たちに、
『お世辞ではありません。真実ですよ』
チャーチルさんは大袈裟な身振りとともに言った。
『何かを成し遂げようと努力する人の姿は美しいものです』
チャーチルさんの言葉が、私の心にチクリと刺さる。先々週の梨花会で、”絶望するのはまだ早い”と大見得を切った私は、その数日後、駐日ドイツ大使と面会した。ドイツが予備交渉の終了直前に、軍縮会議の離脱をほのめかしたので、それを断念するよう、ドイツ皇帝・ヴィルヘルム2世に要請したのだけれど、ドイツから返答は未だにない。いつもなら、私が皇帝にメッセージを送った翌々日には、皇帝から私にあてて、何らかの答えがあるのだけれど……。
(これは……もうダメってことかしらね)
ここ数日、私は軍縮会議の結末を予測してはため息をついていた。皇帝を動かすという切り札は不発、しかも予備交渉の日程は終わってしまっている。国際連盟事務次長の吉田茂さん、そして幣原外務大臣と堀さんが、引き続き各国に働きかけを続けているけれど、予備交渉がまとまらなかったこの現状を考えると、来月からの本交渉が上手く行くとは思えない。でも……。
『ほう』
私の顔を覗き込んだチャーチルさんが、口の端に微笑を閃かせた。
『どうやら、諦めておいでではないようだ。大変結構なことです。前内府殿下の諦めの悪さが、世界を、そして我が国の財政を救うことになりましょう』
私が黙っていると、
『これ以上は止めておきましょう。このような華やかな場には似合わない話だ』
チャーチルさんはこう言う。そして、
『……今晩、ご自宅に伺いますよ。そこで余人を交えずに、お2人とゆっくりお話を』
と私と栽仁殿下に告げた。
私と夫は顔を見合わせる。一応、チャーチルさんとは、明日の午後に顔を合わせることにはなっている。しかし、今こう言ってきたということは、明日会う前に話しておきたいことがあるのだろう。”どうする?”と言いたげに私を見つめる栽仁殿下に向かって軽く頷くと、
『かしこまりました、閣下。では、帰ったら準備をしておきますわ』
私はチャーチルさんに営業スマイルを振りまきながら返答した。
『結構!では、楽しみにしております』
チャーチルさんは嬉しそうに言うと、私たちに一礼して去っていく。その後ろ姿を見やりながら、
「随分と急な話だね」
栽仁殿下が小さな声で言った。
「まぁ、仕方ないのかもね。明日は、色々と突っ込んだ話をするのは無理でしょ」
私も夫に囁くようにして応じる。明日もチャーチルさんに会う予定だけれど、一対一で顔を合わせるわけではない。明日の午後、アラステア殿下が盛岡町邸を訪問することになっている。チャーチルさんはその訪問に随行して盛岡町邸にやって来るのだ。アラステア殿下の他に、彼のお付きの人々や、イギリス政府の外交官や軍人たちもいる場だから、内密な話……特に、軍縮会議についての話はできない。
「お上と原さんには、私たちが今晩チャーチルと会うこと、知らせておきましょ」
私が夫に耳打ちすると、
「そうだね。あと、金子閣下に、盛岡町邸の警備を厳重にするように頼んでおこう」
そう言った夫は私に微笑んだ。
1934(昭和6)年4月20日金曜日午後8時20分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
『初めて有栖川宮殿下と前内府殿下にお目にかかった時は、こちらの誘いを断られてしまいましたが、今回は素直に受けていただいてありがたいですよ』
我が家の応接間に入り、ソファに腰を下ろすと、チャーチルさんは葉巻に火をつけながら言った。
『あの時と今とは訳が違います』
相手の皮肉混じりの言葉に、私は冷静に返した。
『初めて閣下とお会いしたのは、私と夫が、弟に付き添って洋行した時ですから、私たちは本国の外務省と宮内省の判断の下に動かなければなりませんでした。けれど、今は自分たちの判断で動くことができます。あの時と対応が異なるのは当然ですわ』
『誤解しないでいただきたい。何も、お2人を責めているのではないのです』
私に非難されていると感じたのだろうか。チャーチルさんは私にこう言った。
『あれはあれで、得難い経験でした。それに、あれがきっかけで、私は米内という素晴らしい友人を得ることができたのです』
チャーチルさんが言った”米内”……米内光政海兵中将は、軍縮会議の予備交渉を終え、日本への帰国の途上にある。現在ヨーロッパに滞在している幣原外務大臣が米内さんの仕事を引き継ぎ、来月頭からの本交渉に臨むことになっていた。
と、
『その素晴らしい友人が苦しんでいるのを見ると、私としても何とかしたいと思うのです。良き同盟国の人間である彼を助けることは、我が国の利益にもなりますしね』
チャーチルさんはそう吐き出し、葉巻に口をつけた。
『こちらに来る前、ジュネーブに行って、米内と、国際連盟のブルドッグ君に会いましたが、2人とも、相当疲弊していました。フランスの革命じみた騒ぎに振り回されていましてね』
『彼らはよくやっていると思います』
襲い掛かる葉巻の煙に耐えながら私は応じた。
『もし、彼らがいなかったら、軍縮会議はとっくに崩壊していたでしょう。米内さんと吉田さんが、黒鷲機関の陰謀に踊らされているフランスを説得できていなければ、フランスは今ごろ軍縮会議の枠組みから離脱していたでしょうし』
『今は米内の代わりに、幣原と堀がジュネーブにいる。2人とも、貴国の最高意思決定会議のメンバーでしたね。やり手が2人もおりますし、中央情報院の活躍でフランスの地方政府も潰れつつありますから、フランスが軍縮の枠組みから離脱することはないでしょう。主力艦は余り減らすことはできないだろうが』
チャーチルさんは私に言うと、
『問題はドイツです』
やや重々しい口調で付け加えた。
『ご存知の通り、ドイツは予備交渉の終了直前になり、自国で国粋主義者たちが軍縮に反対する暴動を起こしていることを理由に、軍縮会議にドイツがこれ以上参加することは難しいのではないか、と言ってきました』
『ええ。それで妻は、駐日ドイツ大使を通じて、軍縮の枠組みから離脱しないよう、皇帝に呼び掛けましたが……』
私の横から栽仁殿下がチャーチルさんに応じると、
『しかし、皇帝からの反応はないというところでしょうな』
私が言葉を続けるより先に、チャーチルさんが結論を言ってしまう。私が黙って頷くと、
『それは当然ですな。最近の皇帝には、内閣を御する力はない。むしろ、首相に操られております』
チャーチルさんは私たちに告げた。
『……なるほど。まぁ、そうでなければ、ドイツはとっくに滅亡しているでしょうけれど……。今のドイツの首相は、グスタフ・シュトレーゼマンさんでしたっけ』
『ええ。彼が皇帝を巧みに操っています。シュトレーゼマンはドイツを対外的に拡張させようとしておりますが、それに反することを皇帝が口にすると、逆に言いくるめてしまい、自分の言説に従わせてしまうとか。皇帝ももう少し若ければ、シュトレーゼマンに対抗できるのかもしれませんが、彼ももう75歳です。寄る年波には勝てないのでしょう』
『それ、伊藤さんや陸奥さんの前で言ったら、命がいくつあっても足りないですよ……』
私はチャーチルさんをたしなめながら、私の要請に皇帝が反応しなかった事情を理解した。ヨーロッパの政治中枢の裏面に関しては、中央情報院よりもMI6の方が通じているケースがある。チャーチルさんの語ったドイツ事情は、私の知らない情報だった。
『つまり、シュトレーゼマンが黒鷲を使って、フランスで騒ぎを起こしたのですね。目的は、フランスを混乱に陥れ、フランスを軍縮会議から離脱させて、私の妻の主導で設立された軍縮会議そのものをなくすため。ひょっとしたら、フランスが混乱している隙に、フランス領を奪おうという思いもあったかもしれない。しかし、吉田閣下や米内閣下の働きもあり、フランスはなかなか軍縮会議から離脱しない。そこでシュトレーゼマンは、ドイツ国内でも軍縮に反対する暴動を起こさせ、それを理由にドイツも軍縮会議から離脱することで、軍縮会議を破壊しようとしている……。こういう筋書きでしょうか?』
栽仁殿下がまとめると、
『おそらくは』
チャーチルさんは夫の言葉に反論せず、再び葉巻を吸った。
『今まで、ドイツでは内閣より皇帝が強かったから、私がドイツに影響を与えることもできました。けれど、内閣が皇帝を操れるようになったということは、私はもう、ドイツを操ることはできないということですね……』
私はうつむいて英語で呟いたけれど、顔を上げて、
『……でも、諦めてはいけませんね』
とチャーチルさんに向かって言った。
『その通りですよ』
チャーチルさんは、自分の前に置いてあったウイスキーの入ったグラスを手に取った。
『決して屈してはならないのです。決して、決して、決して、決して。ドイツも我が国と同様、度重なる軍艦建造によって財政が苦しいのです。軍縮会議を崩壊させないよう、日本と我が大英帝国とで、力を尽くそうではありませんか』
チャーチルさんの言葉を、どこかで聞いたことがある気がする。ひょっとしたら、前世でだろうか。しかし、それを追究するより、日本とイギリスとで協力して軍縮を少しでも進めることの方がはるかに重要だ。私はチャーチルさんをしっかり見つめて、首を縦に振ってみせた。




