Eve of the Showdown
「本当ですか?」
さすがのロイヤーも動揺する。
「この前来たことがある……だから……間違いないよ……」
「そんな……あの人は歴史に名を刻む人だ!それだけ多くの人を"魔法で救ってきた人"ですよ!」
「き、君が間違いないって言ったんじゃないか!」
緊張から拍動が強まる。
胸が締め付けられるような痛みを覚え、息が浅くなっていく。
思考がまとまらず、平衡異常のように世界が右回転していくような感覚に陥る──気がつけばリチャードは研究所を後にしようとしていた。
「リチャードくん……どこへ向かうんですか?」
「ごめんね、ロイヤーくん。今日はちょっと……立ち向かう気になれないや……」
「そう……ですね……」
とてもではないが二人とも研究所の扉を開ける気になれなかった。
二人は撤退を選択した。
「それで、リチャードくん……その子は、どうするんです?」
ロイヤーの視線は男の子に向けられていた。
「……一旦こっちで預かっとくよ。プロにも話を聞いてみる」
「分かりました、くれぐれも気をつけてくださいね」
「ありがとう」
リチャードは普段ならほうきでひとっ飛びの帰り道も、少しほうきを飛ばしたり、かと思えば地上に降りて少し歩いてみたりした。
ロンドンの空には魔法使いとカラス、そしてしばしばドラゴンがいるとよく言われる。
それでも、空を飛ぶ魔法使いは地上にいる人間からすれば目立つ存在だ。
人に紛れて人目のつかないところで飛んでみたりしているのはそのような理由があった。
「お兄さん、これからどこに行くの?」
「僕の家。心配しないで、あのお医者さんみたいには絶対にしない。それに、友達もいるかもしれないよ」
「ほんと?」
「ああ」
心配させてはいけない。
プロの保護者としての振る舞いが板に付いてきたので、リチャードのそのあたりの感性というかは成熟を見せていた。
よく言えば面倒見がよく、悪く言えば少し過保護。
それでもいいとリチャードは再びほうきを降りた。
ほうきの乗り降りを繰り返してリチャードと男の子はようやく家に辿り着いた。
「リチャード!おかえりー!……誰?」
リチャードを出迎えるや否やプロは飽きもせずキョトンとした顔で新顔を指さす。
「プロ、いきなりでごめん。この子はプロと同じ種類のドラゴンだか、分かる?」
「……同じ?……種類?」
「プロの仲間かどうかってこと」
「プロ、みんな友達!」
「……そういうことじゃない」
話が噛み合わず、リチャードは項垂れた。
「アル……君なら分かったりする?」
リチャードは続いて、アルに相談する。
「凄い……ドラゴンの匂いが強いですが人の匂いもほんの少しだけ……プロさんとも違う。百二十点の擬態って感じです」
「じゃあ──」
「多分、ドラゴン。そのくらいドラゴンの雰囲気を感じます」
「やっぱり……そうなんだ……」
リチャードの心が曇った。
その様子を見て男の子は不安が加速する。
それはリチャードも同じなようで、足元で怯える男の子に目をやると、より心が苦しくなって溜息が喉につっかえそうになった。
「本当にドラゴンなのかぇ?」
「見た姿は人にしか見えませんわ」
机の上の拳銃と指輪──シャトとベルもこの男の子に手をくだされてしまうのを嫌がった。
みんなが男の子の悲運を悟っていた。
リチャードが悔しさを滲ませて握り拳を作る。
「お兄……さん……」
「どうしたの?」
「僕、やっぱり病院に戻るよ」
「え?」
「お兄さん、あのお医者さんが怖いんでしょ?お医者さん、僕が欲しいだけだから……」
「何言ってるんだよ。君一人をあんな場所に放っておける訳ないだろ!」
「お兄さんが僕のことで疲れるの、見たくない。僕頑張るから──」
「違う!」
リチャードの声はいつも以上に大きく、覇気を含んでいた。
その声に比べてしまえば、ドラゴンの叫びの一つくらい静かに聞こえるし、日常の会話や雑音などは静寂に等しかった。
男の子もつい黙る。黙る他なかった。次の瞬間には、リチャードが男の子を抱きしめていた。
「君はいっぱい迷惑をかけていいんだよ!どんな思いで君を連れ出したと思ってるんだ……俺はあの病院がどんな事をしてるのかを暴かなきゃいけないけど、それ以上に……君をあんな酷い目に遭わせるあの病院が許せない!だから、そんなこと言わないでくれ!」
叫びには一切の怒りが無かった。
この子を助けたいというたった一つの純粋な気持ちが、リチャードにこれだけの言葉を吐かせていた。
男の子はその思いに応えるように感情が込み上げ、リチャードの腕の中で、年相応に泣いた。
ようやく優しさにあてられた嬉し涙を流せた。
リチャードの大きな声のように、彼の泣き声に比べたら全てが雑音にすらならない静寂だ。
だが、誰も泣きやませようとはしなかった。
ただひたすらに、泣き止むのを見守っていた。
涙が止むと、泣き腫らした目を閉じて、男の子はリチャードの腕の中で眠りにつく。
気がつけばプロも床で眠っていた。
リチャードはそんな二人をベッドに移してあげる。
男の子の寝顔を見ていると、リチャードがポツリと秘めていた想いをこぼす。
「俺……最低だ……」
「そうなのか?立派な大人に見えたぞ」
話しかけてきたのはダレンだった。
「俺、あの子に名前を聞けなかったんです。情が移らないように。もしドラゴンなら、殺さないといけないかもって……あんな小さな子を……」
「それでも、君は彼の人らしさを認めて抱き抱えたではないか」
「そうですけど……」
「誇れ。強さとは優しさだ。誰かに優しくあるために、強くなれることもある」
「……そう思ってもらえるなら、少しだけ自分の考えに自信が持てます」
リチャードの表情が少し上向いたのが、灯りの消えた暗がりの中でも分かった。
それと同時に、リチャードも内心決心が着いた。
「明日、あの研究所に行きます」
「……そうか」
「あの子みたいな子が他にもいるかもしれないですし、一刻も早くこの事件を終わらせたい」
「備えよう」
「はい、おやすみなさい」
リチャードもまた、明日に備えて眠りにつく。
リチャード達が寝静まる決戦前夜。
テムズ川沿いの病院で、一人の患者が病室を抜け出し廊下を歩いていた。
廊下を進むと、そこにあったのは病院にしては不自然な焼け跡の刻まれた場所。
清掃中という立て看板が置かれているが、こんな夜遅くに清掃員が残っているはずもなければ、これほどの焼け跡が清掃で落ちるとは思えない。
そもそも火災報知器がなった記憶はないので、火事でもないのにこれほどの焼け跡がつくというのも不思議な話であった。
患者は咄嗟に"この焼け跡が魔法によってつけられたものなのだろうな"と勘づく。
その時、暗闇の中の脱走患者──ヴァージル・A・キースに懐中電灯の光が当たる。
暗闇からのギャップ。光があまりにも眩しい。
ようやく目が明るい空間に対応し始めてくる。
次の瞬間──突然殴られる。
しかもただ殴られたのではない、一瞬で体の力が抜けるような、的確に人体の急所を突かれている。
不思議と膝が折れて、ヴァージルの視界は天井に向けられる。
そして、そんな天井を見つめる視界さえも暗転した。
冷えた朝、玄関前でプロがみんなを見送っていた。
リチャードに加えて魔法石全員、男の子までもが決戦の地へと向かう。
「プロ、今日は一人だけど、ちゃんと家で待てるよな?」
「うん」
「お留守番ちゃんとできたら、なにかほしいものあげようか」
「リチャード、プロ、サンドイッチ、食べたい」
「帰ってきたら買ってくるよ」
「お仕事、話、いっぱい聞きたい」
「うん、沢山話してあげるよ」
「だから……帰ってきて……くれる?」
「今まで帰ってこなかった日はなかっただろ?」
プロは不安になった。
このまま送り出してしまったら、リチャードが帰ってこないんじゃないかと。
「それじゃあ、もう行くね。ロイヤーくんも待ってると思うから」
「リチャード……約束!」
「約束?」
「帰ってきてね!」
「……ああ、約束だ」
リチャードは気を引き締めて、人生で最も堂々と出勤した。
会社に着くと、やけに早く出社している人物が一人いた。
ロイヤーだった。
なぜだか知らないが、ロイヤーは不安になると早く出社する。予想は的中していた。
顔色は優れない。とにかく早く会社に来ているようだ。
だが、リチャードに迷いはなかった。
「今日、行くよ」
たった一言二言。それが鉛の球のように重い。
聞き馴染みのある声にはどこか気迫とも違う、ある種のふてぶてしさ、重厚な存在感があった。
「そう……ですね……僕らの知らないところで、困っている人が大勢いる……」
口ではそう言ってみせるが、腰を上げて足を踏み出すとなった途端に身体の防衛本能が働く。
「あれ……おかしいな……」
声が震える。足も手先も、身体全部が怯えるように震えていた。
今この瞬間だけ目を閉じて、何も見ないまま事件が解決していたらどれだけよかっただろう。
かく言うリチャードもロイヤーがどれだけ研究所を訪れるのが怖いかを知っていた。
自分には多くの魔法石がいる。だが魔法石の声を聞けないロイヤーは常に孤独だ。
リチャードが思うより先に声が出ていた。
「やっぱり、行きたくないよね」
「えっ!?」
先程まで上手く動かないロイヤーの身体が心の動揺を表したようにビクッと動いた。
リチャードの目を見ても、無念さを押し殺したような控えめな優しさが感じ取れる。
その瞳が失望を意味しているのではないかと、ロイヤーは自然に感じ取るだろう。
ただ一つ胸にじわじわと、布に少しずつ水を垂らしたように後悔が広がり始める──
「でも来て」
恐怖が雲散霧消するような一言だった。
その短い一言がとてつもなくロイヤーの心に響く。
これほど強くリチャードが自分に要求してきたことはなかった。
失望の眼差しでなかった。むしろ、自分を必要としてくれていることを直に教えてくれた。
そう思うとロイヤーは自信が取り戻っていく。
知りたくないではない。
誰が敵であろうと、魔法使いは人を救うことが使命だ。
その使命を再確認させられたロイヤーは復活した。
「……ハハッ、いいでしょう」
足もいつも通りに力が入る。あれだけ重かった腰がすんなり持ち上がる。
「僕も加勢します」
二人は腹を括った。
ロイヤーが出発の準備を整え始める。
リチャードはその間に、机に隠している赤い宝石──ゼノとフィラに話しかける。
「ねえ、君たちは知りたい?」
「なにをです?」
「僕たちは今から、君たちを一つにした人に会うかもしれない」
「……そうですか──」
「フィラ会いたい!だってゼノと一緒にしてくれたんだもん!絶対いい人だよ!」
反応を見る限り、フィラは純真無垢に会いたいと言っていたが、ゼノにはどこか後ろめたさがあった。
「……フィラがそこまで言うなら、行こうか」
「やったー!」
「じゃあ……君たちも連れていくね」
リチャードはポケットに赤い魔法石をしまう。




