He are
もう半ば行き慣れたケンジントン・ガーデンズの森。
あそこは一見ただの森の中の一箇所だった。
それでも昨日の恐怖体験のせいか、忘れたくとも忘れられないほど、その景色は鮮明に記憶に焼き付いている。
「ここだ……」
草木を掻き分けて彼らは昨日訪れた左足の痕跡にたどり着いた。
リチャードが左足の痕跡を確認する。
そして、驚いた表情も見せた。
「これ……新しい足跡だ!」
ロイヤーもその場を覗き見る。
そこにあったのは、昨日までの靴跡を踏み潰すように力強く刻まれた大きな足跡だった。
リチャードが自分の足元を見てみると、尚更その異常な足の大きさに実感が湧く。
それに足跡の形もかなり不思議だ。
中指と小指が大きく発達していて、五本指ではあるものの、まるで鳥類の足のような三又に見えなくもない。
それに、一同は疑問が頭に浮かぶ。
「リチャードくん……」
「うん、ロイヤーくん。君の言いたいことは分かるよ」
「こんな足では、到底あのスニーカーを履けませんね」
「もしかして、別のドラゴン──」
「エティフスィーク……」
突如として声が聞こえた。何かを喋っているように聞こえるが、それが何を言っていて、何を意味する言葉なのかははっきりと聞き取れなかった。
だが、今度の言葉の出処は確かに背後からだった。
「ロ……ロイヤーくん……」
「リチャードくん、ここは二人で一緒に振り返りましょう……」
「『せーの!』で振り返りますよ!」
ロイヤーはまだ心の準備が整っていなかったのか、掛け声の手筈を説明していた。
だが、リチャードはその手筈を本番と勘違いして振り返り、そしてその正体を見てしまう。
「あっ……」
「リチャードくん?……あぁ……」
二人の目の前にいたドラゴンは、魔法使い一年目が目撃するにはあまりにショッキングな姿をしていた。
哺乳類と鳥類、爬虫類をごちゃ混ぜにして、とりあえずくっつけておきましたと言わんばかりの見た目。
目は無く、それと反比例するように大きな口が顔の大部分を占めていた。
翼は五枚。対ではない、片側に三枚、もう片側に二枚。片側の三枚目の翼は体の中心に向かって生えている。
肌は蛇を思わせる鱗質。なのに前肢や足は人に似つかずとも遠からずで、指先はさっき見た三又擬きの形に近い。
しかもよく見ると、一対の足は左足だけがあの三又、右足にはあのスニーカーの左足を履いている。
人のような足。
「エティフスィーク……エティフスィーク!」
異形がさらに声をあげる。
「ア……アル……あれは……ドラゴン……?」
「あれは、ドラゴン……のはずです……」
「はず?はずってなんだよ?」
「分からない。ドラゴンの匂いはするのですが……これは人の匂いもします……」
「は?」
最早この生命のツギハギはドラゴンと呼べるのか、それに対して分からないという返答が帰ってくるほど、それはとても悪趣味な見た目と雰囲気をしていた。
怯えるリチャードを横目に、ロイヤーが杖を構える。
杖先についた魔法石を起点に小さな竜巻が発生し、瞬く間にそれは風の刀身として振舞った。
「リチャードくんは下がっていてください。僕が一旦引き受けます」
「う、うん……」
リチャードが数歩後ろに引く。
それを確認すると、ロイヤーは異形に斬りかかった。
「エティフスィーク!」
ロイヤーがこちらに向かってくることを理解した異形もまた、声を上げてロイヤーに立ち向かってきた。
だが、異形は身体の動かし方が下手なのか、動きは緩慢。
ましてや相手が討伐会社のエース級となれば、先手を取るなど不可能に近い。
刹那、異形の右の後ろ半身に大きな切り傷が生み出される。
「ああああああああ!!!」
異形は叫び声を挙げるが、ロイヤーは容赦しない。
「あまり暴れないでくださいね。すぐに楽にしてあげます」
俊敏な動きで、ロイヤーは次々と斬撃を繰り返す。
緩慢な動きの異形は、そんなロイヤーの攻撃に対応することすらままならない。
そんなことではいたずらに彼の身体は切り刻まれていき、ついに異形は動けなくなってしまう。
「エティ……エティフスィー……ク……」
それがこの異形が異形として発した最後の言葉だった。
「やってみれば、見掛け倒しですね」
「ほ……本当に、これで終わり?」
そこにいる全員が、あまりに早い幕切れに少し拍子抜けとなる。
「まあ、倒せたならそれまでです。リチャードくん、魔法石を摘出してください」
「えっ……でも、倒したのはロイヤーくんだよ?」
「魔法石の声が聞こえる君がまずは触れるべきです」
「そう……そういうことなら、分かったよ」
リチャードは魔法石を取り出すためのサバイバルナイフを取り出すと、切り刻まれたドラゴンの体を解体し始める。
「……え?ここには肋骨?でもこっちには翼の骨があるし……え?また骨?」
どうにも身体の作りが見慣れないので、リチャードは解体にも手間取ってしまう。
そして、ようやく骨の奥まで刃を進めることができた。
そして、リチャードが腹を開くと、この妙な既視感に襲われる。
「ん?なんか見たことある気がするけど……なんだろう……思い出せない……」
「リチャードくん、早くしてください。報告書も待っているので」
「ああ、ごめんロイヤーくん」
リチャードは再び解体する手を動かし、魔法石の摘出を始める。
すると、胸元の方で異質な煌めきを見つけることができる。
魔法石だ。
「あっ、見つけた見つけた」
リチャードはそれを手探りでくり抜くと、奥から赤い宝石が摘出される。
取り出して光を当ててみれば、魔法石はその光を赤く染めながら透過させる。
「ロイヤーくん、取れたよ」
「声を聞いてみてください。こんなドラゴンがどんな素性なのかも知ってみたい」
「うん」
そうしたらリチャードは、魔法石に意識を集中させる。
そうすればすぐにでも精神世界へと誘われる。
「驚いた。君も、魔法石に干渉できるんだね」
一人の青年が、リチャードにそう話しかけてくる。
小麦色の肌に田舎っぽい服装、垢抜けないそばかすと訛りっぽいのに明るい喋り方。
彼を構成する要素から、どこか純朴な好青年を思わせる出で立ちだ。
だが、リチャードはそんな好青年に対して反応を返せない。
彼の目の前に映し出されている光景のせいだろう。
「私もびっくり!まさかここに私とゼノ以外が来るなんて……」
先程の好青年の横には少女がいた。
まだ幼く、例えるならばそれこそプロと同年代に見える。
いや、そんなことよりだ──
「なんで……二人いるの?」
リチャードにはそれが不思議でしょうがなく、恐怖を覚える。
もし異形がドラゴンであるならば──いや違う、魔法石を有していた以上はドラゴンである訳だからこそ、精神が二つあるなんて事がありうるのだろうか。
「ん、ああ、そっか。普通精神世界にはドラゴン一人しか居ないもんね。懐かしいなぁ」
「なっ、なぁ……君たちは一体……何者なんだ?」
リチャードは明らかに動揺していた。
触れてはいけない核心に触れているような感覚が、彼の恐怖心を掻き立てる。
「俺?俺はゼノ。ゼノ・パッパス。で、こっちはフィラ」
「そういうことじゃない!君たちは、なんで二人でここにいるんだ?」
「そう怖がらないで。簡単なことさ」
「そう!私、ゼノと一つ!」
「……一つ?」
「もー……またフィラは俺の言いたいこと先に言う。ああ、彼女の言った通りだ。俺はフィラの魔法石を移植した」
「魔法石を……移植?」
「そう、心臓に魔法石を移植すれば、フィラと俺は一心同体だ。魔法石が心臓を動かすようになる。だから、魔法石が死ねば人間も死ぬ。一緒に死ねるし、死ぬまで一緒だ」
にこやかにゼノは説明する。
その表情はまるで、自身の考え方やあり方がこの世界で最も崇高なものに思えているような雰囲気すらあった。
だが、リチャードにはそれが凡そ理解できなかった。
いや、してはいけないと本能が言っていた。
「それは……幸せ……なのか?」
「そりゃ当然──幸せだよ。俺の生きたどの瞬間よりもね」
ゼノは断言した。
「また来たくなったら、いつでもおいで」
リチャードは精神世界から逃げ出すように意識を現実世界に戻す。
「ハァ……ハァ……ハァ……ハァ……」
「お疲れ様です……どうしたんですか?顔色が悪いですよ?」
ロイヤーがリチャードに声をかける。
リチャードは奥の彼らの亡骸に目をやった。
解体している時はなんとも思わなかったあの既視感の正体が、今になってようやく分かった。
分かってしまった。
胸元にあった魔法石、あの腹の中の既視感、ドラゴンの身体構造では有り得ないので反射的に候補から除外していた
あの臓器の配列は──人間の──
想像するだけで精神に一段と負荷がかかり、リチャードはその場で戻してしまう。
「リチャードくん!?本当に大丈夫ですか?」
「ハァ……ハァ……だっ、大丈夫……」
「そうは見えませんよ。一体何があったって言うんですか」
「言えない」
「なんでです?」
「知っちゃいけない」
「なんですかそれ。自分だけ知っておいて不公平だ」
「ロイヤーくん!……分かってほしい」
「僕たちは"バディ"でしょ?隠し事は無しですよね」
「"バディ"だから……君には知らないままでいてほしい……」
ロイヤーは強い好奇心ゆえに真実を知りたかった。
だが、リチャードの普段見せない強い抵抗。
それが一時だけでもロイヤーを真実から遠ざけさせた。
「わ、分かりました。君がそこまで言うなら、一旦追求はしません。でもいつかまた聞きます。君と僕が覚悟できた時、きっと……」
その後二人は会社に戻る。
リチャードはさっきのものを思い出すと体調が優れず、結局その身を案じたロイヤーが事務作業を代わってくれた。
リチャードは早めに家に帰れることになった。
「リチャードさん……本当に大丈夫ですか?話していただけるなら、何があったか話してもらえると嬉しいです」
アルがリチャードに声をかける。
「……ごめんね、心配させちゃって。ここじゃ都合が悪いから、向こうで話すよ」
そうすると、リチャードはアルに意識を集中させて、精神世界に入り込んだ。
「リチャードさん、話したくないなら……いいんですよ?」
「いや、大丈夫。話すよ」
リチャードの顔色は決して良くはなかったが、それでも説明責任を果たそうと、なんとか事の顛末を伝えた。
「人に……魔法石を移植……にわかには信じられないですね」
「うん、悪い夢ならいいのに……」
「でも……そんな危険なことをどうやってやったのでしょう……心臓にあれだけ影響力のある異物を移植して、命を絶やさないというのは相当な医療技術がないと厳しいですよね?」
「確かに……ね……」
アルはリチャードの歯切れの悪さを訝しんだ。
「リチャードさん、まだなにか……思うところがあったりしますか?」
気がつけば質問していた。
「うん……あの二人……とても似てると思ったんだ。その……俺とプロに……」
「プロさんと、リチャードさんに?」
「二人とも仲が良さそうで……一緒にいることがなによりも幸せそうだった。それがとても……怖かったんだ……俺たちも、なにか間違えば……あんな風になってしまいそうで……」
「リチャードさん……でも、プロさんはまだ生きている。なら二人は違う。自分たちの意思で一緒にいれているじゃないですか」
「そうだね」
「ですから、リチャードさんとプロさんが、そんな風になることは有り得ませんよ」
精神世界の中で、実態のあるあるの瞳が、真っ直ぐとリチャードの目を見つめた。
それが彼が心の底からリチャードとプロであれば問題ないと信じている確固たる証拠であり、それを示す態度だった。
「……ありがとう、アル。気持ちが楽になったよ」
「お役に立てて光栄です」
「明日、ロイヤーくんに話してみようか……」
「それがいいと思います」
「久々に早く家に戻れるなら、プロに、サンドイッチでも買っていってあげよう」
「そういえばプロさん、大きなベーコンの入ったサンドイッチを気に入ってましたよ」
「そうなんだ。じゃあベーコンのサンドイッチを買ってってあげようか」
精神世界から意識を戻した二人は帰路に着く。
「ただいま。プロ、お土産ある……よ……」
普段なら玄関の扉を開けた瞬間には、奥からドタドタと足音がする。
しかし、この日ばかりはその限りではなかった。
リチャードは不思議がった。まだ寝ているのか?
「プロ?」
呼んでみても、プロは出てこない。
不審に思って奥に向かう。
すると、誰も居ない部屋の窓が空いたままで、カーテンがたなびいていた。
リチャードはそこで初めて、プロが家から脱走したことに気がついた。




