気取り屋の彼女と飾らない彼 前編
「ヴァージルさん!」
リチャードが負傷したヴァージルに駆け寄った。
血で汚れた服が内側からの出血でより赤く汚れる。
当たりこそしたが、致命傷を負うほどの攻撃ではないはずだった。
少なくともこの一撃のみでヴァージルをここまで衰弱させるのは不可能だと断言出来る。
「大したこたねえよ。かすり傷だ」
ヴァージルは強がりを見せた。
明確に強がりだった。確かにかすり傷なのだが、そのかすり傷はヴァージルの心身を支えていた一踏ん張り、根性を打ち砕いていた。
ヴァージル自身も死にはしないが、残った体力に余裕が無いことくらいは分かっていたのだ。
「大丈夫ですか!?」
少ししてからラファエルもビーチに到着し、二人の元へ駆け寄ってくる。
起き上がれないヴァージルを見て、ラファエルもなにか察しが着いたのか、咄嗟に傷口を確認する。
「……体力、ですか?」
同じ見解だった。
傷は浅い。だが、限界を超えていて体力がない。
久々に救急車の出番と行きたいところだが、一つの障壁が立ち塞がる。
それがこの衣服だ。不衛生極まりなく、雑菌の侵入に対して無防備。
その上川の水もすっかり元通りだ。
患部を冷やしたい。出来れば殺菌も。
「あの、その矢で患部を冷やしたりは……」
「無理です。この矢では身体全てが凍ってしまう」
「じゃあドラゴンの死体で……」
「それも厳しいでしょう。暴れ回って砂だらけですから……」
「なにか……なにかいいアイデアは……!」
その時、リチャードの手元がほんのりと赤みを帯びた青に光る。
あの洪水のドラゴンの魔法石が存在感を放っていた。
最早これに縋る他ない。
必然的に意識が手の内に集中した。
「あらまあ。薄汚い存在が心にまで踏み入るとは、私も堕ちましたわ」
落ち着いていて艶っぽいが、どこか気品を感じる女性の声が聞こえた。
そのほんの少し吐息が混じる声質さえも聞き心地がよく、心が安らぐ気がした。
リチャードが声の方を見てみると、そこに佇む美の暴力と言わんばかりの存在に息を飲む。
振り積もったばかりの雪原のように白くシミやほくろの一つもない肌、そんな雪原の中に佇む稜線のように通った鼻筋。
シルエットもスラリしてしていて、腰まで伸びた銀髪が彼女の僅かな動きに応じて輝きながらなびく。
控えめなデザインながらそれが上品に感じる純白のブラウスと生前を思わせる瑠璃紺のロングスカートも、彼女の美しさを強く引き立てる。
そしてまさに宝石と言うべきか、ルビー色の瞳がこちらを理解に苦しむかのように見つめていた。
彼女の見てくれを構成する全ての要素がそれただ一つだけでも美しく、それを兼ね備えるとなれば、まさに世界最高峰の名画が生きているような程の気品が漂う。
リチャードは言葉を失った。
言葉を発することすら許されないほどに、瞳は完成された究極の美を前に釘付けにされていた。
「……土足で私の心に踏み入ったからには、ただではすみませんわ。もっとも、命乞い程度なら聞いてあげても宜しくてよ」
その毒舌がリチャードをようやく正気に戻す。
「あなたはテムズ川の水を増水させました。あのまま増えていたら洪水が起きていたかもしれません」
「そうですか。それは大変でございましたね」
リチャードの言葉には怒りや焦りなどが渦巻き、それを顔に出さないようにしていて余裕が無い。
一方の気品のある受け答えだが少し乾いたその反応は、どこか他人事のようだった。
「……その洪水を起こしかけたのは、他でもない"あなた"だ。なんであのようなことをしたのか、教えてください」
「なんで……それは……あの川が哀れでしたので、私が麗しい姿を取り戻させたにすぎませんわ」
「哀れ?」
「ええ、川は本来蒼々と透き通ることこそがもっとも美しい。美しくあってこそ川も幸せ。しかし、あなた方も目の当たりにいたしたでしょう?あんな汚らしい、美麗とは対になるような悪濁とした色味。川が泣いておりますわ」
「川のためにロンドンが混乱したとしても?」
「川は時折流路を外れ、地上を洗う。その時はそれが来たに過ぎませんことよ?」
「それで、人が死んだらどうするんですか?」
「汚れた場所に長居するのがいけませんわ」
「そんなのあなたの勝手だ!」
リチャードはつい声を荒らげてしまう。
その直後の静寂に、人の良さが出たのか「あっ、違っ……」と否定するものの、ドラゴンは少し表情を萎れさせる。
「そう……ですね。私の勝手なのかもしれません」
ドラゴンは悲しげに話し始める。
先程までのお高くとまったような威勢が無くなり、その雰囲気は懺悔に近い。
「私は、この世に産み落とされてから、美しく生き、美しきを守れと命じられておりました」
「それは……だれから?」
「分かりません。少なくとも、私の魂の……業とでも言うべきでしょうか」
「……」
「本当は分かっていました。これは命令などではなく、全て自分の選んだ道なのだと。ですが、それを認めてしまえば……私は今まで突き詰めた自分を……失ってしまいます」
ドラゴンは美しくも泣き崩れた。ついに彼女は自分のアイデンティティを否定しなければならない。
そうなれば今までの行いは全て無駄で、残るのはいくつかの災害を起こした罪のみ。
自分の生まれから死までの全てが空虚だったことを思い知るのだ。
「私は……一体どう生きれば良かったのでしょうか」
ドラゴンはリチャードに尋ねた。
感情の昂りは収まっている。なので質問のトーンも落ち着いている。
だが、さっきの他人事のような態度と比べると、人間味に溢れた言葉の重みを感じ取ることができる。
本能的にリチャードは、この問いにどう答えてどう説得するかが大事だと感じるだろう。
「俺には……どう生きるべきかなんて分かりません。美しく生きることだって間違いじゃないはずです」
「でも、私は間違えましたわ……美しく……生きたつもりだったのに……」
「川が綺麗なだけが、美しい訳ではないんじゃないですか」
「そんなことは分かっております。でも、私はそれ以外の美しさなど知り得ないのですわ!」
ドラゴンが声を荒らげる。
彼女なりの苦労や罪悪感が露出した。
「美しくありたかった……でも、私には……多くを殺めた私は、私には……川しか残って……ないのです……。もし、川の外を知れたなら……」
彼女は絶望の中で、川の外を思い浮かべた。
旅路の果て、美しい川の外側に広がる岩の集まりとそこに人が暮らす不思議であり、そこにどこか美しさを覚える光景。
あんなものがこの先どれだけ多くあるのだろう。
赴いて、知りたかった。
だが叶わない。罪を抱え死んだ自分に、その夢を叶える力も資格もないのだ。
「だったら……俺たちと探しに行きましょう」
「……!」
「レンガで出来た展望台や大昔のお城が見える湖、白い崖の海岸とか、この世界にはきっと、あなたの知らないような美しいが溢れています!」
ドラゴンは目を丸くする。
「そんなものが、この世界にはあるのですか?」
「きっと気に入りますよ。息を飲むほど綺麗なんです」
「……でも、私に……そんな美しいものを見る資格が……ありますの?」
「確かに罪は消えません。だからって、美しいものを見る権利まで奪われることはないでしょう?」
いつの間にか、ドラゴンは顔を上げ、雨上がりの後の晴れ間のような微笑みに顔が変わっていく。
「そんな美しいものがあるのなら……是非、見てみたいものですね……」
「そのために、力を貸していただけませんか?一大事なんです」
「……力?」
「はい。傷を負った魔法使いを救いたいんです!」
ドラゴンは思い出す。
そういえば最後に、足掻いて一撃食らわせた瀕死の魔法使いがいた。
もしやあの男かもしれない。尋ねてみる。
「それは……汚れた服の魔法使いですの?」
「……そうです」
「……分かりましたわ。もうこれ以上、自分のせいでお亡くなりになる方を、増やしたくありませんもの」
リチャードが精神世界から現実世界に精神を戻すと、手元の魔法石とリチャードの強い信念が呼応する。
「行きますよ」
「お任せ下さいまし」
魔法石が淡く光る。
するとヴァージルの傷口に無から生み出された冷水が当てられる。
冷水はヴァージルの傷口から色の悪くなった血液を運び出していた。
彼の体に侵入した菌さえも、彼女の追求してきた美の前では無力だったのだ。
そうして処置を行いながら待っていれば、救急隊が到着する。
ヴァージルは体力こそ失っていたが、処置の甲斐もあって、まだ意識もあれば喋ることもできた。
「リチャード……ナイスプレーだ……」
担架の上でヴァージルが、力なくリチャードを称えた。
「……ヴァージルに無茶をさせて、すいません」
「いいってことよ……俺たち……バディだろ?」
「……はい!」
そしてヴァージルは救急車の中へ運ばれて行った。




