Dirty lose and beautiful win
「ハァ……ハァ……助かりました……」
リチャードは杖に感謝を述べる。一度信用を失っていた手前、彼が自分の命令に従ってくれるかの確証はなかったし、それでも彼を頼ったのは、他の選択肢がない中での一か八かの賭けだった。
「主を守るのが、石としての使命だろう?」
「フフッ、認めてくれたんですね」
「……少なくとも、あの場面なら私に頼るのが最善策だ」
杖は明朗快活な低い声を少し弾ませた。
「リチャード!」
川の向こう岸からヴァージルが飛んできた。
「ヴァージルさん……」
「大丈夫か?」
「……はい!」
「……そうか……ハァ、良かった」
ヴァージルは一つ安堵のため息をつくと、視線をリチャードから川へ向ける。
「ギャアアアン!ギュラララララ!」
水飛沫を跳ねあげて、洪水のドラゴンは水中を暴走──いや、暴泳していた。
水量の増したテムズ川の流れに逆らって泳ぎ、幾度と護岸に自らの身体を打ち付けていて、どんな手段でも汚れを落としたいという強い意志を感じる。
精神的には参っているが、これだけ暴れられてはトドメを刺すのも困難だ。
逆に言えば、さっきの行動を見るに、動きさえどうにかなれば、勝つ算段は着いていた。
そんな事を思いついていたリチャードの背後から、自信なさげな足音が聞こえてくる。
「おい、リチャード……」
ヴァージルが首を小さく振ってリチャードに後ろを見てみろと促す。
それに従って後ろを向くと、あの勇ましさはどこに消えたのか、バツが悪そうにしているラファエルがいた。
当然、ついさっき自らの軽率な行動によって、リチャードを殺しかけたことを詫びに来たのだろう。
あのミスによって彼はようやく自分が魔法使いであることを思い出したのだ。
「君は……」
「申し訳ありませんでした!」
やり慣れていない無駄な力みがこもったお辞儀。
誠実さは感じるが、どこか勢いに任せたような謝意。
リチャードの言葉すら遮って頭を下げた。
困惑しながらリチャードはヴァージルに意見を伺おうとするも、ヴァージルは何も言わない。
強いていえばその無言から「お前に謝っているのだから、自分で決めろ」という意見を感じ取れる。
「……とりあえず、顔を上げてください」
頭を下げたままのラファエルに向き直ると、リチャードはそう優しく呼びかけた。
だが、ラファエルは顔を上げても情けなく眉尻が下がっている。
リチャードは謝罪を受けることに慣れておらず、どこか居心地の悪さを覚える。
それを押し殺して、リチャードはラファエルに質問をした。
「どうして、あんな真似を?」
「……」
ラファエルは言い淀んだ。
あれだけこの質問をされることは分かっていたが、いざ口からそれを述べようとすると、どうももう一段勇気がいるのだ。
「私は、魔法使いとして最も犯してはいけない愚行に走りました。私は……美しさのあまりドラゴンを……庇ってしまった……」
自分の不甲斐なさ、そして禁忌を犯したあまりに手遅れすぎる自責から、彼の美しい碧眼が揺れた。
醜い自分を見てくれるなと、ラファエルは俯く。
ラファエルは自信を失っていた。
それ故に、なにに対してどう美しいと感じるのか、その正解が分からない。
少なくとも、今まで美しいと感じていた自分の生き様は、そうではなかった。
そう思うと益々、感情が瞳から溢れ出るのだった。
一方のリチャードはラファエルのその姿を前に、本来の魔法使いであれば抱かない感情を持つ。
彼は自分なのだ。
彼を見ていてリチャードの頭を過ぎったのは、今も家で自分の帰りを待っているであろうプロだ。
元から別段強く責めるつもりも無い。
だが、境遇ゆえに彼のことを、悪く言えるはずもなかった。
「その気持ち……分かりますよ」
「えっ……」
「俺もそうです」
「そうって……」
ラファエルは理解が追いつかない。
禁忌なのだ。そう簡単に犯されているはずもないし、理解を示してくれる人間がこのロンドンにいること、そしてそれが贖罪の相手なことなどどれほどの確率だろうか。
ラファエルの胸の内に、再び火が入る。
自分の価値観を否定せず、手を差し伸べてくれる人と初めて出会えた。
だからこそ、今からでも変わろうと心が一歩踏み出した。
過湿潤な碧眼を拭って、ラファエルはようやく立ち上がる。
「恩に着ます」
「?」
今までの自分は美しさばかりを見ていた。
その結果大きな過ちを繰り返した。
だが、本当の美しさとは美しくなろうとして動くのではなく、人を認め合う姿勢だ。
他人を認め、他人から認められるような人になろう。
その軸ができたラファエルの心には新たな軸ができていた。
「私は……もう迷わない」
視線はまっすぐリチャードを見ている。
ようやく頼りになった彼を見て、リチャードは微笑みながらヴァージルを見る。
ヴァージルはやれやれという表情だが、どこかリチャードらしいという満足気な笑みも垣間見えた。
三人の目指す方向が、ようやくテムズ川の水中で荒れ狂うドラゴンに向いた瞬間だ。
「……あのドラゴンは討伐しますが、大丈夫ですか?」
「当然。私は魔法使いです」
「了解です。じゃあ、難しいミッションだけど、手筈どおりにお願いします」
「分かりました」
そう答えると、ラファエルはあの弓を構える。
荒ぶるテムズ川に浮かぶボートハウスに一行は集結していた。
波が高く立って船を揺らすので、このまま転覆するのではないかと、傍から見ていたら思ってしまうかもしれない。
そんな足場の悪い状況下でも、魔法使い達は冷静だった。
あの暴れようなら、直にあのドラゴンが下流へ向かってくる。
「ギャアアアシャアアアアアン!!!」
上流から凄まじい叫びと水飛沫を上げて、ドラゴンが下ってくる。
ラファエルは揺れながらも弓の照準は乱さない。
あのドラゴンがあっという間に通過するタイミングでこの弓を放って、必ず命中させると決意している。
そして、目の前をこれからドラゴンが通り過ぎようかという時──彼の指が弓を指圧から解いた。
もう迷わない。その気持ちを物語るように放物線は真っ直ぐ、一直線にドラゴンの背中を強襲した。
「ギャアアアアアア!!!」
今までの中で最も悲痛な叫びがロンドンに響く。
矢が刺さったかと思えば、ドラゴンの身体はおかしくなっていく。
動かない。動こうとしても、動かせない。まるで金縛り。
上体は動く。だが、背ヒレや尾ヒレは完全に機能停止した。
長髪のような器官も先の方が凍てついてしまっている。
このままでは流れに逆らえずにドラゴン自身が流されてしまう。
「フウッ……当たってくれた」
ラファエルは自分の最大の任務を遂行し、一つ落ち着ける間ができた。
「ナイスエイムです」
「ありがとう……それじゃあ、あとは任せたよ」
「はい!」
ラファエルと約束を交わし、ピカデリーの二人組は次のスポットへとほうきを飛ばした。
先程のボートハウス郡から少し東。
テムズ川を望むビーチ。
普段ならすぐに濁って見える水も、今日は清流。
今日が夏なら今すぐにでも飛び込んでしまいたいような、ビーチらしい風貌を見せている。
ただ一つだけらしくないと言えば、その奥から半身を凍結されたドラゴンがこちらに迫ってきていることか。
このビーチはテムズ川のカーブの外縁に位置している。
それ即ちドラゴンが曲がりきれなければ、このビーチに突っ込んでくる。
リチャードたちの勝ち筋はこれだろう。
「ギュアアアアア!!!ギシャアアアアア!!!」
ドラゴンは身体を動かして見るが、下半身は周りの水を巻き込んで凍結してしまったせいでもう動く余地はない。
もうビーチのすぐそこまで迫っている。
「ヴァージルさん」
「やってやるよ」
二人はコミュニケーションを取り合っておく。
何かあった時はリチャードが増援を呼ぶかもしれないし、ヴァージルは撤退を考える。
それは詳細な言葉を発さずとも、お互いに理解していた。
そして、自らが増水させた激しい流量に流されたドラゴンは、ビーチに座礁する。
「ギャイイイ!」
ドラゴンが打ち上げられるや否や、テムズ川の流量が減り始める。
そしてテムズ川はじんわりと濁り出す。
生活排水を濾過していたドラゴンの干渉が消えてしまった。
「キュウア!?ギャア!ギャアアア!!!」
水がどんどん濁っていく姿を見て、ドラゴンはまたしても哀愁の漂う叫びを上げた。
自らの潔癖が濁されて、汚されて、どんどんと崩れていくのだ。
あの汚らしい人間どもが憎い。
美しい世界を汚していく。例え自分が綺麗にしたとしてもだ。
自分の絵画にペンキを投げつけられたような苛立ちが、今なおドラゴンの中に残っていた。
その時、後ろから近寄ってくる足音がしてきた。
砂浜に打ち上げられ、潔癖も潰えて、最早起き上がる気力もなくなっていた。
ヤケクソになりながら、ドラゴンは振り返った。
「キュオォォン……」
あの人間どもだ。
まだ戦うのか。もうウンザリだ。
憎いのだが、身体が凍てついているし、かと言って上半身も乾きを覚えてきた。
もう死ぬしかないのだろう。
ドラゴンはそう悟った。
「大人しいな……」
「弱ってるんですかね……?」
よく見れば体のあちこちが傷だらけだ。
護岸に身体を擦りすぎてしまったのだろう。
あれほど美しかった身体が、今や痛々しさすら覚える。
「よし……クレイ、一思いにやってやろうッ!」
ヴァージルが首めがけてクレイを振り上げたその時だ。
「危ない!」
「ッ!」
「ギシャアアア!!!」
ドラゴンの口から水の弾丸が勢いよく発射された。
リチャードが声を上げていて、ヴァージルもいち早く異変を察知すると、反射的に回避行動を取っていた。
だが──
「クっ……フゥ……」
弾丸は脇腹を掠めていた。
普段ならこれくらいのかすり傷はなんてことはない。
だが、消耗しきった体力でのこの被弾は体を支える心身に響く手痛い一撃だった。
「ヴァージルさん!」
「キュッキュッキュッ……」
力なく、だがいい気味だとばかりにドラゴンが笑う。
自分の死は変えられようのない事実だ。それはこの身体がそう言っている。
だが──このカス共に殺されるのだけは死んでも御免被りたい。
あわよくば道連れにしてやろうとすら考えていた。
致命傷は与えられなかったが、一先ず満足だ。
あとはそこのもう一匹を始末してから死んでやろう。
気持ちの余裕からか、不思議とドラゴンはどこか身体が動くような気がする。
何も回復はしていないが、心が熱くなってきて、その小さな炎が限界の先にいる彼を僅かに動かした。
ドラゴンは動ける範囲内でリチャードを殺しにかかる。
「黒煙!」
リチャードは咄嗟に杖を使って煙を発生させた。
すると反射的にドラゴンは煙を恐れる。
やはり打ち上がったとはいえ、汚れることは嫌なのだ。
美しく死ぬという当たり前の欲求ですら阻止されかねないと思うと、ドラゴンはより一層頭にきた。
ドラゴンは動けないなりに再びリチャードへ噛みつき攻撃を敢行する。
だが、衰弱したドラゴンではリチャードの前ですらさほど難しい敵ではなかった。
リチャードは落ち着いて距離を取り、そして杖に力を込める。
「黒煙!」
ドラゴンの顔を黒いすす煙が覆う。
「ギャアアア!!!」
ドラゴンは仰向けになって暴れた。
顔をモロに黒煙が直撃したので口の中も最悪の状態だ。
そして、翻った事でリチャードはドラゴンの顎の下辺りに一つ瑠璃紺から少し赤みを帯びて紫っぽくなっている鱗を見つける。
逆鱗──いや、あの色艶の良さは間違いない。魔法石だ。
暴れてはいるが、もう残りの力もあと僅か。
精神的な余裕も失せて、今はもう情けなく弱々しく藻掻く事がドラゴンのできる精一杯だった。
リチャードは左手に杖を持ち替えて右手にサバイバルナイフを持つと、ドラゴンの首元にズドンと刺した。
声にもならない掠れた叫びを上げる。
身体が動力源を失ったように動かなくなっていき、ルビーのような鮮やかな紅の瞳が死に血のように黒ずんで光を失う。
ドラゴンから一気に生命力が消えた。
亡骸になったので、もう起き上がることはない。
リチャードは容赦なくドラゴンの首を抉って、魔法石を取り出した。
命を失い劣化していくだけの身体と違って、魔法石だけは色艶が健在だった。
だが、リチャードは魔法石を回収してすぐにヴァージルの元へ駆け寄った。




