Magnifique 前編
「リチャード、大人しくしてろって言っただろ!」
ヴァージルは上空にいるリチャードに向かって警告する。
「すいません!でも、どうしても力になりたいんです!お願いします!」
言葉には力があり、例えマスク越しだとしても彼の覚悟がヴァージルには伝わった。
もう、さっきのような無謀な彼の姿はそこにない。
「そこまで言うなら、結果で証明してくれよ?」
「はい!」
リチャードは橋に着陸しながら現場状況を確認する。
ドラゴンとの開戦は予想していたが、この大量の氷や流量の少ない川、そして川の中のヴァージル、状況はかなり悪い。
なんとか川からこのドラゴンを打ち上げて倒すつもりだった作戦が、この状況では全く機能しない。
どうにかして思考を巡らせ、川の中での打開策を考える。
その中で一人、リチャードは見知らぬ魔法使いが目に止まった。
ラファエルだ。
「すいません。この氷を作ったのは、あなたですか?」
「いかにも。それがどうかしましたか?もしかして……美しすぎましたか?」
「もっと水嵩を抑えるよう、下の氷の密度を上げてください」
「密度?」
「はい、玉状の氷だと隙間から水が侵入しやすいです。ダムを作るように氷を固めて、水嵩を下げるんです」
その質問を聞いている間、ラファエルはムッとしていた。
そして、彼は恐る恐る尋ねた。
「それは……美しいですか?」
「美しい?それがどうかしたんですか?」
「それは美しいかと、そう聞いたんです」
ラファエルは鬼気迫る表情で聞いてきたが、リチャードはいまいちピンと来ない。
「……そんなの、どうでもよくないですか?」
リチャードにとってはなんて事ない一言だ。
しかし、その一言はラファエルの心のなにか触れてはいけない逆鱗に触れてしまった。
「美しくなくていいなど……ありえない……」
その一瞬の精神の乱れが魔法にも伝わったのだろうか。
次の瞬間、橋桁の下の玉氷が一斉に砕けた。
「!」
「しまった……!」
障害物から解放されたテムズ川の水は、一気に下流方面へと押し寄せてくる。
そして──
「なんだ!?」
その下流にいたヴァージルとドラゴンに、揺り戻しのような流量のテムズ川が襲いかかる。
「うおぉ!──」
川の中であれば全体攻撃と言わんばかりの濁流。
予知していないヴァージルが回避できる訳もなく、為す術なく飲み込まれてしまった。
「ヴァージルさぁぁぁん!」
そして、下流ではここで決めると言わんばかりにドラゴンが大口を開く。
ここで大量の水を飲んで、汚泥を蓄積し、最大火力でトドメを刺す算段だ。
その大口を見た時、リチャードの頭にふと閃きが舞い降りた。
大博打。だが縋らなければヴァージルさんはまず助からない。
賭けるしかない。
「ヴァージルさん!口に入って!エラを!」
「!」
濁流の轟音の中でも、リチャードの声はヴァージルの耳に届いた。
その指示もかなり無茶がある。
だが、頼みの綱はそれくらいしかないのも事実だ。
ヴァージルの中で答えは一つだ。
「……信じるぜ!リチャード!」
ヴァージルは覚悟を決めると、濁流の中で必死に体を転回させる。
流れの先には大きな口を開けて汚水を待ち構えるドラゴン。
そして、流れに身を任せて、ヴァージルは口の中へ飛び込んだ。
自分の身体とともに、汚水がドラゴンの大きな口腔内へと飛び込んでくる。
「ウッ!」
やはりドラゴンの消化器官内ともあって、ガスマスクをしているにも関わらず、刺激の強い匂いが鼻を襲う。
だが、やはり生命体の中ということもあり、空気は確保されている。
しばらくすれば十分に水を得たドラゴンの顎が上がる。
口の中の水を喉の奥へと流し込めば、口腔内は常態を取り戻した。
冷ますものが何もなくなったドラゴンの口の中は膨張し、それと共に体温が高まって口腔内も熱がせり上がってくる。
大技──汚泥を噴出するための"溜め"に入った。
だが、ヴァージルが口の中にいるという条件下においては、そのタメ隙の一瞬が命取りとなった。
「クレイ!ようやくだ!」
「おうおう。久々にしぶとい獲物。興を待ちわびて刃もすこぶる色艶が良い」
内側の粘膜を見てみれば、エラへと繋がる呼吸器官が力強く脈打って、自らの役割の偉大さを無防備にも主張する。
クレイを構える。
舌を蹴って、一閃──口の中を炎が照らした。
一方その頃、ドラゴンは水を吸収して、完全に本調子に戻っていた。
身体の上部が乾くだけでも考えられないほどにストレスなのだが、それが泳ぐことすらままならない流量の川に曝されたとなれば、その息苦しさは想像することすらしたくないものだ。
大量の水はまさに恵み。
あとは自分に危害を加える不届きな小さき者共を、噴出によって蹴散らしてやろう。
自らが汚泥を巻き上げて汚したテムズ川の水を吸収し、身体の内膜を潤すと、これからアイツらがどんな酷い目に遭うだろうか、胸の高まりと共に身体は大きく膨張し、体温も上がっていく。
十分な膨張まであと少し。
エラに力を入れようとした、その時だ。
突如片側のエラに焼けるような激痛が走る。
「ぶあおあ!?」
そう思ったドラゴンは、動揺して噴出のタメを止めてしまう。
だが、激痛は止まない。それどころか、より広く、より酷くなっていく。
「ぶああぁぁ!ぶあぁあぁああ!」
ドラゴンは激痛に打ちひしがれている。
しまいには左エラを境目として、頭と身体が分断され、頭が大きく右側へと曲がってしまう。
これほどの大きな傷となってしまうと、致命傷だ。
しかも身体が沈没を始める。
「ぶぉぶぼぼぼ……」
沈みゆくドラゴンの左エラから、ヴァージルは外へ脱出した。
身体は血まみれになっていた。
なんだかとても長い間このドラゴンの中にいたような感じもする。
外の景色が異様に眩しい。
青い空、現代の高層ビルや観覧車、そして昔ながらの砂色のレンガ出できたこの街の象徴ビッグ・ベンや透き通るテムズ川。
マスクを外して世界を堪能したいくらいの一仕事をやってのけた感覚だ。
ヴァージルがこのドラゴンの時期に死体になる身体から離脱しようと思ったのとほぼ同時に、リチャードがほうきに乗ってやってきた。
迎えに来たのだろう。
そう思っていたが──
「ヴァージルさん!」
声の圧が違う。嫌な予感がする。
本能でそれを感じ取ったヴァージルは、リチャードのほうきに飛び乗った。
そして、ハッとして眼下に目をやる。
テムズ川が透明だ。透明なのだ。
普段から下水が流され、さっきまではドラゴンによる汚泥の攪拌、そして流出した血液などが撒き散らされている。
本来この川は綺麗ではない。しかも今日に限っては普段以上に汚れているはずだ。汚れているべきなのだ。
「リチャード、まさか……」
ヴァージルが声を震わせてリチャードに問いかけようとした──その時だ。
「キュシャアアア!!!」
テムズ川が荒ぶった。
それと同時に鳴き声がこだまして、麗しいテムズ川の水の中にシルエットが現れる。
手足はなく、まるで大きなうなぎのような見た目で、頭部から触覚のような長白い器官が、まるで美人の長髪のような佇まいを見せる。
その体表を覆う瑠璃紺の鱗は、透過する清流の中で貝の裏側のような玉虫色の輝きを放ち、一見した全員がその人知を超越した美貌に息を飲む。
「なんだ……アイツ……」
「綺麗……」
上空の二人、ヴァージルとリチャードですらその美しい見た目に目を離せなくなる。
美しいドラゴンの通った後には透き通ったテムズ川があるが、水の挙動がおかしい。
波が立てば立つほどに、水が増えている。
今はまだテムズ川の流量に余裕があるものの、このまま水が増え続ければ、ロンドン市街のど真ん中で洪水が発生するだろう。
ここでようやく二人は意識が戻り、自分達の任務はまだ終わっていないことと、このドラゴンもまた災害の権化であり、討伐すべき存在であることを思い出した。
なんとか橋からはそれほど離れていない。
次の瞬間にその美しいドラゴンは、川の中で死にかけの悪臭のドラゴンと邂逅する。
悪臭のドラゴンを見つけるや否や、洪水のドラゴンは顔を顰めた。
死にかけな上に汚れに汚れた体、そして悪臭。
不快な要素しかない。
目に映るだけで、同じ水の中にいるだけで気分が悪くなってくる。
最早この洪水のドラゴンの目のうちに、おぞましさすら覚える汚龍を許すことなど万に一つもありはしない。
「キュシャアアアン!」
洪水のドラゴンが水を操り、水面が激しく揺れ動く。
水は洪水のドラゴンの手足のように振舞って、ドラゴンを持ち上げる。
そして、突如死にかけのドラゴンの首が折れる。
いや、それだけではない。頭を落として、皮を剥いで、腸を取り出し、ヒレを捥ぐ。
力任せで荒削りながら、脆い部分や邪魔な部分を的確に分離させていく。
その様は、魚の解体ショーを素手で行っているかのような乱雑さと丁寧さを感じさせる。
鬱憤をぶつけるように、身体がバラバラにされて、悪臭のドラゴンの身体はドラゴンというか、最早生命として機能し得ない程にされてしまった。
そうして近場の遊歩道にクズ同然に捨てられた。
気が済んだのだろう。
残ったのは美しく透明なテムズ川だ。
だが、確かにテムズ川の水嵩は増していた。




