波乱はつきもの 後編
会社に向かう二本のほうきとそれぞれにまたがる魔法使いはどこか沈んでいた。
速度自体はまあまあ速いが、どこか覇気というかキビキビとした感じが見られない。
リチャードは失敗に失敗を重ねた自分が情けなくなってしまい、より一層元気がない。
対するヴァージルも、少し強く言いすぎたかもしれないとどこか気まずかった。
会社に戻ると、ヴァージルは倉庫からガス用マスクを取り出して装着する。
そしてそのまままたロンドンの街へと飛び去っていった。
下手に刺激した手前、また動き出したら大変だ。
その飛んでいく姿は一刻を争うと言っていい。
一方のリチャードは、自分のデスクに戻っていた。
そして一人、彼は放心したようにオフィスの天井を眺めていた。
出発前の元気の無さといい何かあったに違いない。
そんなリチャードを見かねて、仲のいい事務員のおばさんや女性社員が声をかけに来た。
「リチャードくん、ヴァージルくん行っちゃったよ?行かなくていいのかい?」
「そうです。二人は"バディ"なんでしょ?」
リチャードは虚ろな目で二人を見るが、特に何かを返答する訳でもない。
痺れを切らしておばさんが声を荒らげた。
「いつまでへこたれてんだい!それでもドラゴンと戦う人かい?」
その言葉にリチャードはピクリと反応すると、掠れたような声で話し始めた。
「でも……俺は無駄って、ヴァージルさんが……」
「あの子が本気でそう思ってるなら、あんたを会社に戻したりしないよ」
「じゃあ、ヴァージルさんは……」
──ちゃんと切り替えてから戻ってきてほしいんだ。
リチャードの虚ろな目にはじわじわと光が戻ってくる。
背筋にも気合いが入ってきた。
「こんなことをしてる場合じゃない。あのドラゴンについて、しっかり調べないと!」
立ち直ったリチャードはすぐさま資料室へと向かった。
その姿を見ると、事務の二人は満足気に自分たちの仕事場へと戻っていく。
資料室、水棲ドラゴン目淡水生体科の棚をひとしきり調べた。
そして──
「これだ……」
一つのドラゴンがリチャードの目に留まる。
そこにはついさっき見たあのドラゴンがの写真と共に、そのドラゴンの生態などが記されていた。
『ギガントバーサードラゴン。ナマズのような見た目をした水棲ドラゴン。淡水域に広く生息する。多くの水性微生物や小魚を丸呑みにして、その際に取り込んだ有害物質をエラから勢いよく放出することで極端な水質汚濁や悪臭被害などの都市公害を拡大させるドラゴンとして知られる。この種の巨大個体がかつてロンドン大悪臭を発生させている』
リチャードは資料を読み漁る。
するとしばらく進んだところに対処法も書かれていた。
「都市部での討伐の場合、汚泥や透明度の低い水によって水中では視界不良となるため不利である。全身が絶縁体の鱗と粘膜に覆われているため、水棲ドラゴンであるものの電撃系魔法は相性が悪い。水を凍結させるなどこのドラゴンを水から引き上げることで容易に対処することができる。」
その情報を手にして、リチャードはじっくりと考えると、名案を閃いた。
そうとなれば話は速い。
彼はほうきにまたがってテムズ川の方へと飛んでいった。
さっきのようにノロノロとはしていない。
飛びっぷりにはキビキビとした勢いがあった。
その頃、汚染のドラゴンは非常にゆっくりとテムズ川を遡上していて、今ようやくタワーブリッジを通過した。
ヴァージルが再び河川沿いにやってくれば、先程応援を要請したドックランズの魔法使いが到着していた。
「お待たせしました」
「避難は完了しています。すみません、いつも面倒見てもらって……。ヴァージルさんほどの魔法使いに来ていただけると助かります」
「お互い様ですよ。ロンドンを守るのに区分けなんて関係ないです」
「お願いします」
気丈に振舞ってみせるが、ヴァージルの内心には不安があった。
最大の武器が大剣・クレイであるヴァージルは、近接戦に持ち込めれば高い討伐能力を発揮する魔法使いである。
だが、裏を返すのであれば水棲ドラゴンはクレイの炎の威力が弱まる上に近接戦を講じにくく、相性は極端に悪い。
となれば、ヴァージルはこのドラゴンを水中から出すことが討伐の鍵となることを理解していた。
ヴァージルは本能的に腰に手をかける。
ホルスターの中には拳銃が入っていた。
だが、拳銃は応答しない。
ヴァージルは応答しない拳銃にかけた手の土手を自分の額に当てる。
「何やってんだ俺。もうあいつはいないのによ」
普段であれば風魔法で隙を作っていたのだが、数ヶ月前の戦いでその魔法は失われていた。
もうあの戦法をヴァージル独力で使うことは難しい。
ヴァージルは一つ深呼吸して、通信機に手をかける。
通信の相手はドックランズの魔法使いだ。
「こちらドックランズ」
「こちらヴァージル、応援要請。風か氷が得意な魔法使いを一人寄越してくれないか」
「えっ、風か……氷……ですか?」
「そうだ。ある程度腕が立つなら誰でもいい。一分一秒でも早く寄越してくれ」
ヴァージルの声には焦りが滲んでいた。
そのくらい単独撃破が困難を極める現場だということが伝わってくる。
しかし、一方通信機の向こうにいるドックランズの面持ちは少し違った。
そしてバツが悪そうに応対をしている魔法使いはヴァージルに告げた。
「あ……ああ、了解しました。一人そちらに送ります。すぐに着くと思います……よ……」
明らかに覇気のない声。
ヴァージルも通信機越しにすら様子がおかしいドックランズの魔法使いに尋ねた。
「なあ、一応質問なんだけどよ、実力は問題ないよな?」
「えっ?」
突然の質問だったからだろうか、通信機の向こうで動揺が走る。
「贅沢言ってるのは分かってるが、ヤワな魔法使いでどうこうできる相手じゃねえぞ?」
「いや、実力は問題ない。それどころかうちの実力者でも五本の指に入るくらいのものがあります……が……」
「……?」
依頼に対して実力の不足する魔法使いは足手まといにしかならない。
得意魔法こそ一致するが実力不足の魔法使いが来たとてなんの意味もないので、ヴァージルはドックランズを気遣った。
だが、ドックランズは実力に関してはそれ相応の信頼があるように言い切ったので、ヴァージルの頭に浮かぶ疑問符は更に大きくなった。
「風か氷が得意ですぐ来れて実力も問題ないんだろ?なにがマズイんだよ?」
「それは……やつは少しクセが強いん──」
「お初にお目にかかります」
その時、ヴァージルの背後から声がした。
ヴァージルが振り返ると、そこに居たのは一人の青年。
身長はヴァージルと同じかやや高いくらいで、リチャードに慣れているヴァージルは、その上背がかなり高く感じる。
それでいて全体的なシルエットがスラリとしていて線が細く、頭部の小ささも相まってまるでモデルのような体型。
手元のボストンバッグも相まってか、魔法使いのローブを着ていなければセレブが観光に来たのかと思うような洋装にも見える。
何よりも目を引くのはそのクリっとした碧眼と所々ピンク色に反射する銀の長髪。
まさに絵に書いたような美青年がそこに居た。
「応援の魔法使いか。俺はウェストミンスターのヴァージルだ。今日は頼むぞ」
「ええ、存じております。私はラファエル・クチュリエ。氷の魔法を得意とします」
「そうか、じゃあ俺が作戦を伝えるから、手筈通りに頼む」
「はい」
にこやかにラファエルが返事をする。
川に目をやると汚染のドラゴンはゆったりと泳いでいて、もうヴァージルたちが降り立っているタワーブリッジ足元にいる。
彼が一度前進すれば、流れに逆らう波が生まれて、そこから更に呼吸に嫌悪感を覚えるような悪臭が漂ってくる。
マスクをつけていたとしてもうっすらと香ってくる悪臭だ。
その悪臭でヴァージルはふと、ラファエルの方を見る。
そういえばこのマスクで忘れていたが、ここは凶悪な匂いのはずだ。
だが、このラファエルはこの悪臭下で顔色一つ変えない。
「おい、酷い匂いだろ?マスクをつけないのか?」
さすがに気になった。
しかし一方のラファエルは表情を曇らせることすらしない。
「マスクはつけません。私の顔が隠れてしまいますので」
「……?それよりもこの刺激臭を吸い込まない方が大事だろ」
「本当にそうですか?僕は自分の顔をみんなに見てもらう方が、この悪辣な匂いに苛まれるよりも上だと判断しました」
「そうか……そこまで言うなら……いいけどよ」
そんなふうにヴァージルが解せないが理解を示した次の瞬間だった。
どこから取り出したのか、いつの間にかラファエルがガラス出てきているかのような弓を構えている。
よく見れば弓の上には鮮やかに青い宝石があしらわれ、その風貌からこの弓が魔法石の宿る武器であることがはっきり分かる。
「おい、なにしてん──」
まだ動くには早いと感じていたヴァージルは彼を制止したが、ラファエルの右手は既に矢を手放しており、矢は美しい挙動を描いて水中に刺さった。
「ぶぁぁぁぁあああ!」
川の水がうねり、川底からはドラゴンの激痛に悶える声が曇りながら聞こえてくる。
それと同時に川の方も様子が変わる。
じわじわと川の水が急激に冷えていき、やがて表面がシャーベット状の氷へ変貌した。
川は過冷却により白い息を吐きながら、川底へと冷気を伝播させていく。
魔法の効果が発動しきったテムズ川は、雹のような氷の玉の中を冷えきらなかった水が通り抜ける氷のダムに姿を変えた。
その頃汚染のドラゴンはどうかと言うと、体表を覆う水分が凍結して霜が降り、身動きには強い制限が掛かっていた。
「どうです?制圧完了です」
まるで当然だと言わんばかりに手のひらで獲物を示した。
確かに氷玉の群れの上に乗り上げているし、自身も凍てついて、ジタバタと身動きをとることもままならない様子だ。
やり方や手筈を説明する前に動き出したことに不信感を覚えたヴァージルだったが、実力は申し分ないこともまた事実だと感じる。
とりあえずあのドラゴンを討伐できるのであれば、過程は問題ない。
凍りついたテムズ川の上を歩いて汚染のドラゴンへ近づいていく。
あとはヴァージルが炎の大剣でかのドラゴンにトドメを刺せば討伐完了だ。
「よお、そういや、なんで氷をこんな小粒にしたんだ?」
ヴァージルはラファエルに尋ねた。
「なぜって……美しいからですよ。こんなに汚い川ですから、形だけでも綺麗にと思いまして」
「別に小綺麗に魔法使うのはいいけどよぉ。結構足取られるから次からはやめといた方がいいぜ?」
「……そうですか」
ラファエルが従順に、それでもどこか不満げに返答した。
ザクザクとヴァージルは氷のたまの上を進む。
頑丈な氷の上ならまだしも、この玉状の氷の上では強い炎を使うのも危ない。
弱火で、魚を捌くようにトドメを刺す──そうしようとしたその瞬間、ヴァージルの足元の氷玉が崩落した。
「なにっ!?」
咄嗟にヴァージルは剣を汚染のドラゴンに突き立てて、転びながらエラに大きな傷を与える。
しかしそれまでだ。
その上最悪の状況になった。
汚染のドラゴンとヴァージルが共に川に落ちたのだ。
汚泥の溜まる川底にと言うよりは、河川という相手の有利条件下かつ、ヴァージルが最も避けなければならない場所での戦いとなった。
「ぶああぁぁあぁあああ!」
汚染のドラゴンは水に戻ると身体が解凍されて一気に活力を取り戻した。
まさに今の状況は形勢逆転という言葉が相応しい。
「ぶおああああああ!」
ヴァージルの腰上ほどまでに水嵩も増している。
その時だった。
「ヴァージルさん!」
聞き馴染みのある声だ。その声を聞いた瞬間に、なぜだかとても安心していた。
ヴァージルがその声の方向を見れば、ほうきにまたがった一人の魔法使い、リチャード・オブライエンが戦線に復帰していた。
第十四話【完】




