ロンドンの日常 後編
しばらくすると、リチャードは高層ビルの前に着いた。
そこには一人の赤髪の男が、街灯に寄りかかりながら誰かの到着を待っていた。
ふと、赤髪の男──すなわちヴァージルがこちらに気づく。
「よっ、リチャード」
「ヴァージルさん……待たせてしまってすいません」
「いやぁ、全然待ってねえよ」
「そうですか……なら良かった」
「それより、早く入ろうぜ」
ヴァージルがビルを指さした。
ビルは堂々とした佇まいでロンドンの真ん中に鎮座している。
「こんなにいいビル……入るの初めてです」
「おい、そんなガチガチに緊張すんなよ」
ヴァージルはニヤニヤと笑いながら、リチャードを茶化した。
「にしても気になるよなぁ……どんなほうきなんだろうな」
「そうですよね。七年ぶりの最新作ですもんね」
「もしかしたら……俺たちの戦い方も変わるのかもしれねえな」
期待に胸が膨らむ二人。
それも仕方がない。
今日この場所で発表会を行うのは飛行用ほうきの世界トップランナーであるキングダムウィザードブルーム社だ。
そんな会社の待望の新作が、あと数時間後には発表されている。
この発表会に現地で立ち会えることは、ドラゴンを倒すことの次に魔法使い冥利に尽きることだと言ってよかった。
昂りを胸に秘めながら、二人はビルの中へと入っていく。
「私たちキングダムウィザードブルーム社は、今回新たな挑戦を行いました。従来のほうきの魔術に歴代最多の七十二種の魔術を駆使し、スムーズな変速と滑らかな飛行、そして例え高校生でも自分の体の一部のように動かせる扱いやすさを実現しました」
壇上で自らの力作をアピールするのが、社の社長であるマッケンジー氏だ。
「そして、このギアの技術を可能にしたのは、私たちだけの力ではありません。技術とは話し合い、協力する中でより高みへ向かうものです。それではどうぞ、壇上へ」
マッケンジー氏がそう告げると、壇上にもう一人の男が上がってきて、会場は歓声と拍手に包まれた。
「どうもこんにちは。オリバー・フォールドです。『魔法使いがドラゴンに魔法を当てることだけに専念できるようなほうきを作りたい』という、マッケンジー氏からオファーをいただき、この新型のほうきの魔術作成に携わらせていただきました」
オリバー・T・フォールド。
魔法使いとして三十年近いキャリアを誇るロンドンでは現役最年長の魔法使い。
現役の魔法使いとしては最多の通算四百八十五匹のドラゴン、六匹の大ドラゴンを討伐した実績を持つ生けるレジェンド。
晩年に差し掛かった現在は、魔法使いとして歩んだキャリアを生かして魔法学研究の世界へ。
経験に裏打ちされた知識や仕組みを既存の最先端魔法学と融合させたフォールド学説を提唱し、魔法学の実用性を飛躍的に向上させることに成功。
今や学会の一派閥を形成する学会の権威としての地位を確立している。
そして、ヴァージルの元バディ。
リチャード達がこの新作発表会を見ることができている理由。
それは、会社の大先輩であるオリバー・T・フォールドが、魔法使いとしての自分の流派をこの発表会に招いていたからに他ない。
発表会が終わり、リチャードとヴァージルは待合室へと呼ばれる。
呼び出した相手は自分たちをこの発表会へ招待したオリバーその人だ。
「ヴァージルとこうして話すのは久しぶりだな」
オリバーが一言ヴァージルへ語りかける。
その一言へヴァージルは少し不器用な笑いを見せながら返答する。
「そうっすね……なんだか変に照れくさいっす」
「そうか……そして、君はヴァージルのバディか」
視線と会話が自分に向けられる。
以前一度話したことはあるものの、改めて只者ではない雰囲気を纏った人だと感じる。
それ故かリチャードは彼の一言というか、低く嗄れた声の一音ごとに背筋が引き締まるような感覚を覚える。
「は、はい!」
「ふふっ、そんなに固くならなくて大丈夫だ」
ニコリと顔にシワを作り、オリバーは落ち着きを促す。
「それより聞いてみたかったんだ。君から見てヴァージルは立派にバディを務められているか?」
「そ、それはもちろん……自分には不釣り合いなくらいです」
「ハハハ、随分と謙遜をするじゃないか。よく頑張っているのだからもっと胸を張ってもいい」
そう言われると、リチャードは照れくさそうに俯いて後頭部を掻くような素振りを見せた。
「……ヴァージルがバディとしてしっかりやれているなら、私も一安心だ。私との頃から個人プレーが多かったから振り回していないか心配だった」
「ちょっ、よしてくれよ先生。あれは若気の至りだ」
「アハハ、"アレ"を反省できるようになったなら、随分と丸くなったんだな」
「"アレ"って……なんですか?」
「おいリチャード、なに勝手に聞いてんだ──」
「ああ、あれは……もう五年前くらいになるか?」
「先生!」
そうして三人の談笑は二人の過去の裏話で盛り上がる。
控え室での会話にしてはかなり話が盛り上がったからか、彼らが解散した時には控え室に呼び出されてから二時間以上が過ぎていた。
帰り道、ほうきを握る手に力が入る。
だが、いつものような力の入り方ではない。
少し跳ねるような、胸躍るような力の入り方だった。
楽しかった時間の余韻がほうきの操作にもうっすらと出ていた。
「上機嫌だな」
杖が語りかける。
「そりゃあそうですよ。あの二人はレジェンドですから、そんな人の経験談が聞けるなんて嬉しいです」
リチャードが闇夜の中でも隠しきれない程の笑みで答える。
「あの二人がどうかしたんですか?」
「いや……なんとなく只者ではない佇まいを感じただけだ」
「やっぱり分かるもんなんですね」
リチャードは自分の上司への評価をまるで自分の事のように嬉しがっていた。
そんなことを話す帰り道。
その道中で不思議なことが起きた。
バサバサッ──バサッ──バサバサッ──バサッバサバサッ──
突如としてなにかが羽ばたく音がこだまし始める。
その羽ばたき音は鳥などのそれではない。
この街に住んで二十年以上。
その上もうこの業界に入って一年近く経つリチャードは、本能的にその音の正体を理解する。
「ドラゴン!」
しかも、その羽ばたき音も変なテンポで聞こえてくる。
五拍子が来たかと思えば次の羽ばたきは一拍足りなかったり、そうかと思えば八分音符や三連符のように音を刻んだりとあまりにも不規則な音をしている。
こんな羽ばたき音は聞いたことがない。
「……聞こえました?」
「ああ、聞こえたな」
上空の強い風を切る音の中にその音は微かだが確かにいる。
聞き間違いであればいいのだが、二人揃って聞き間違いなどあるだろうか。
リチャードは最悪の事態を想定して片手を杖にかけておく。
かけた手から杖も臨戦態勢が整っていることが伝わってくる。
辺りを見回して、音の主を探す。
暗闇の中でも蠢いていれば分かるはずだ。
だが──
「……居ない」
リチャードはその羽ばたきの正体を見つけることはできなかった。
気づけば羽ばたき音は聞こえない。
どこか遠くに行ったのだろう。
「逃げられた……さっきまで居たのに……」
「……退散だな。居ないのであれば仕方がない」
「でも、もし被害が出たら……」
「この闇夜だ。私たちにできることはそう無い」
「……そう……ですね」
リチャードたちは再び自宅方面へとほうきを乗り進める。
リチャードは後味の悪い悔しさを噛み締めた。
二人はまだ、この羽ばたきがあのような事態の産物だったとは知る由もない。
第十三話【完】




