第四十六話「青の幻影、声はまだ遠く」
鹿児島へ向けての夜行列車。
重たい車輪の音が、夜を切り裂くように響いていた。
冷たい窓に頬を寄せれば、息は白く曇り、指先はじんと痺れる。
それでも春は、どこか遠くで、息を潜めていた。
軍帽を膝に置き、悠木 薫は、窓に映る己の顔をじっと見つめていた。
(……戦争は終わらない。でも、終わりは──すぐそこまで来ている)
そんな感覚が、骨の奥にまで染み込んでいた。
さっきまで皆と過ごした定食屋のぬくもり。
雪乃の沈黙、颯の震えた声、城の怒りと涙。
どれもが、薫の中で、痛いほど鮮やかだった。
けれど、もう戻れない。
自分は、誰よりも遠い場所へ向かっているのだと、わかっていた。
──そのときだった。
「薫……死ぬつもりなのか?」
不意に、声が降ってきた。
耳元でも、心の奥でもない。
明確に、そこに“声“があった。
薫は、はっと顔を上げる。
対面の席に──
あの青年が、いる。
富神 楓。
懐かしく、しかしどこか現実離れしたその姿は、軍服を纏い、どこかあどけなさを残して。
確かにそこに座り、手の甲には、火傷の痕さえあった。
「……幻覚か」
「幻覚でも、いいさ。オレの声が、ちゃんとオマエに届くならさ」
楓は、肘を窓枠に預けて、昔のように微笑んだ。
「もう一度、聞くけど。オマエ……死ぬつもりなの?…薫」
薫は、言葉を選ぶように口を開いた。
「……誰かを守れるなら、死んでも構わない。そういう時代だ」
「違うって。時代のせいにすんなよ」
楓の声が、夜気のように冷たく、鋭く刺さった。
「生きろ。生きて、生きて、生き抜け。お前の命で、命を繋げって」
列車がトンネルに差し掛かり、一瞬、あらゆる光が奪われた。
闇の中、薫の脈が強く打つ。
「……オマエだって、死んだんじゃないのか?」
「かもなあ……でもさ、オマエの中に“オレ”が生きてる。それだけで十分だわ」
「……」
「それがどういう意味か、分かる?」
しばしの沈黙。
列車の揺れが心臓の鼓動と重なっていく。
「……オマエの代わりに、生きろってことか?」
「それもマジで違うなあ。オマエ…自分のために、生きろよ。誰かのためじゃないし、使命のためでも、正義のためでもないから」
楓は続けた。
「オマエが、生きたいから生きる。それだけで、いいじゃん」
言葉の奥に、確かな温度があった。
──その瞬間、列車がトンネルを抜けた。
薫の視界に広がったのは、夜明け前の青。
どこまでも透明で、どこか懐かしい、あの青。
かつて楓が見たかった、探していた、平和の象徴としての空だった。
「……綺麗だな」
薫がそう呟くと、楓はふっと笑った。
「だろ?それだよ、それ」
そして、立ち上がる。
「じゃあな、薫。また会おうぜ。──オマエが生き抜いた、その先の未来でさ」
列車が減速し、駅の構内放送が小さく流れ始める。
振り返ると、対面の席に、もう誰もいなかった。
だが、薫の中には、確かに“声”が残っていた。
──生きろ。生きて、生きて、生き抜け。
鹿児島の基地に着いた薫は、朝日を背に歩いていた。
軍用トラックが並ぶ中、ふと違和感が腕に走る。
左手首に──
奇妙な金属製の装置が巻かれていた。
(……これは?)
記憶にはない。
だが、確かに最初からあった気さえする。
そのとき。
【薫〜っ!やっほー、起きてる〜?】
甲高く、どこか間の抜けた声が頭の中に響いた。
──ハルカアオイ。
これまでのような無機質な音声ではない。
まるで旧友が話しかけてくるような、親しみと茶目っ気が混じった口調だった。
【ちょっとぉ〜、起きてる?今マジで大事な話あるんだけど?】
薫は、一瞬驚き──
次の瞬間、声を上げて笑っていた。
「なんだよ、オマエ……その喋り方……!」
【ふふ、だってこっちの方が楽しくない?…てかさ、絶対に死んじゃダメだからね?ゼッタイだよ?フラグ立てちゃダメだからね??】
「ふらぐ?意味わかんねえよ……それに死なねえよ、ははっ、バカだなオマエ……」
腕の装置は、微かに光を灯していた。
不思議と、恐怖も違和感もなかった。
──むしろ、心の奥に、安心感だけがじんわりと広がっていく。
風が吹いた。
遠くで軍用機のエンジンが唸る。
それでも、空は、あの時と同じように、
どこまでも、青かった。
To be continued…




