第二十四話「君に見せたい空」
──朝焼けが、静かに世界の輪郭を浮かび上がらせていた。
空はまだ淡く、湿り気を帯びた空気に麦の香りが混じる。
それは戦争のただ中にあっても、どこか懐かしい“日本の風景”だった。
その朝、楓は特攻訓練生としては異例の“帰省”を許された。
軍の記録には一切残されなかったが、誰かがぽつりとこぼしたという。
「……最後に、別れを告げてこい」
東京の片隅、瓦礫に囲まれた病院。
崩れかけた煉瓦塀の向こうには、負傷者の列がうねりのように続いている。
その合間を縫うように、楓は駆けた。
重い鉄扉を押し開ける。
「……ただいま」
乾いた声が、埃の匂いに沈んでいく。
奥の簡易ベッド──そこに、雪乃と城が並んで横たわっていた。
雪乃の身体は白い包帯で覆われ、呼吸の痕跡さえ危うい。
城の顔には火傷の痕。手は包帯に包まれたまま、動かない。
「……ったく、お二人とも、無茶しすぎなんだよ」
楓は二人の間に膝をつき、その手をそっと握る。
指先は氷のように冷たかった。
「聞こえてないかもしれないけど……伝えるよ」
笑みすら浮かべず、ただ真っすぐに語りかける。
「オレ……飛んでくるよ。誰かを殺すためじゃない。戦争するんじゃない。城が、本当に見たかった空、見つけたかった空、この目で見に行くんだ。まだ探せる、まだ間に合う気がする」
「雪乃……おまえにも見せてやるから、ちゃんと撮ってくる。ハルカに頼んで、最高の写真にしてもらうから。目、開けて待ってろよ。……絶対に見せてやる」
言葉が震えた。
一度だけ、唇を噛んで。
「だから……絶対に、死ぬんじゃねえぞ」
しんと静まり返った廊下に、楓の靴音だけが響く。
もう誰も、彼を“訓練生”とは呼ばない。
その背中はまるで、風に溶けた使命そのもののようだった。
扉が閉じる直前──
聞こえない、わずかな声で
「……楓、変わらないね」
雪乃が、かすかに唇を動かした。
「……楽しみにしてる」
その声に呼応するように、城の目尻から、一筋の涙が静かに落ちた。
焼けた頬を伝い、枕に小さな染みをつくる。
帰りの車窓。
ガタゴトと揺れる窓の向こうに、雲間から青みを帯びた空がのぞいていた。
楓は手首のスマートウォッチを軽くタップする。
《HARUKA AOI:起動》
【ただいま、楓。……おかえり】
「おう」
一瞬だけ、穏やかな沈黙が流れる。
そして──
【ねぇ、楓……】
ハルカアオイの声が、ふっと沈んだ。
【……死ぬつもりでしょ?】
楓は、わざとらしく鼻で笑う。
「はあ? なに言ってんだよ。そんなわけねぇだろ」
【ふふ。……だよね。あの楓が“死のう”なんて考えるわけないか。もし考えてたら……またタイムスリップでもしちゃうかもね】
ふざけたように笑ったその声の裏で、スマートウォッチに表示された小さなバイタルグラフが、わずかな乱れを示していた。
ハルカアオイは、そのグラフを黙って見つめていた。
何も言わず、ただ静かに。
──彼の「本心」は、ちゃんと届いていたから。
To be continued…




