第二十一話「血に倒れし者へ」
──朝の光が、血のように赤かった。
春の匂いなど、どこにもなかった。
焦げた町がまだ燻り、煙と土埃が空に溶けていた。
屋根の落ちた家々。
ねじ曲がった電柱。
煤にまみれ、空っぽの目をした人々が、ただ歩くだけの影のようにうごめいていた。
その中で──
一際異様な怒声が、静寂を裂いた。
「この非国民がァアアッ!!」
ゴッ──
拳が振り下ろされる音と、肉の潰れる鈍い音が、朝の空気を切り裂く。
地面に膝をついた楓は、血の滴る顔をゆっくりと上げた。
右の頬は腫れあがり、唇は裂け、口内には鉄の味が広がっている。
それでも、その瞳は──折れていなかった。
「……クソが……」
嗄れた声が、唾とともに土に落ちた。
将校は顔を歪め、再び拳を振りかぶった。
だが──
「やめろォォォッ!!」
怒声が割って入った。
制服のまま飛び出してきたのは、泉沢だった。
「やりすぎや!!もう、ええやろ!?」
だが将校は、その声に微動だにしない。
「……貴様ッ!
…憲兵のくせに、非国民を庇うか」
呟くように吐き捨て、無言のまま拳を泉沢に叩き込んだ。
崩れるように倒れた彼の上に、兵士たちが群がる。
「動くな!」
「やめろやッ!! 離せやあああッ!!」
地面に押し倒され、顔を土に擦りつけられながら、泉沢が必死にもがく。
その様は、もはや人ではなく、踏みにじられる虫のようだった。
──楓の前には、軍靴のつま先がぴたりと止まった。
「貴様……よほど死にたいらしいな」
将校は冷たく言い放つ。
「ならば望み通りにしてやる。
連行しろ。」
両脇をがっちりと拘束され、楓の身体が無理やり引き起こされる。
そのとき──
「……楓!!」
包帯だらけの身体を引きずって、城が叫んだ。
看護兵たちが慌てて彼を押しとどめる。
「放せッ! ……!!」
呻き声と怒声が入り混じり、施設の空気を震わせる。
「楓ッ………!!」
地を這いながら、泉沢も喉を裂いて叫ぶ。
けれど、楓の背はすでに遠く──
軍服に挟まれたその小さな背中は、次第に人混みに紛れて消えていった。
──そして。
薄暗く病人であふれかえる部屋の片隅で、雪乃が薄い布の中から声を漏らした。
「……楓……まだだよ……」
全身に巻かれた包帯がわずかに震える。
焦点の合わぬ目に、涙が溜まり、口元がかすかに動いた。
「……だいじょうぶ……きっと……だいじょうぶ……」
それが誰に向けられた言葉だったのか、自分でもわからなかった。
──自分自身か。
去りゆく楓にか。
それとも、もう聞こえない誰かにか。
冷たいコンクリートの地面に転がったままの黒い板が、かすかに反応し光った。
【……あ……あ…りが……送……完】
──静かにシャットダウンした。
一瞬の光を残して、画面は闇に沈む。
誰にも見送られることなく、ひとつの命のように。
そして、東京の空はまた、血のような朝焼けに染まっていく。
To be continued…




