第二十話「静けさを照らす朝日」
──夜が、明けようとしていた。
赤く焦げた空が、瓦礫の街を薄く照らし始める。
それは希望ではなく、まるで地獄の業火に浮かぶ神の眼のようだった。
冷たく、無慈悲で、ただそこに在るというだけの存在。
焼け落ちた屋根。
くすぶる柱。
すすけた道に、靴音は沈んで消える。
焦げた木材の匂いに混じって、血と油と、人の焼ける匂いが漂っていた。
──臨時医療施設。
かつては町の集会所だった場所に、泥と煙にまみれた人々が群がっていた。
その奥──
色褪せた白布に包まれた簡易ベッドの上で、雪乃は静かに横たわっていた。
全身を包帯に覆われ、顔の半分は焼けただれ、呼吸はかすかに肺の奥で鳴っている。
唇だけが、乾いた皮膚の中で微かに動いた。
「……あ……う……」
その傍らには、城が膝をついていた。
その顔も腕も、火傷でひどくただれ、皮膚が裂け、赤黒い肉が露わになっている。
だがその男の目は、他の何をも映していなかった。
ただ、雪乃だけを──
「……雪乃……」
絞るように呼ぶ声。
それでも彼女は、まぶたをわずかに持ち上げただけだった。
「……朝日が……あったかいね……城…」
「……ああ、そうだな……」
もう、涙は出なかった。
流すものなど、とっくに焼け尽くされていた。
ただ、静かな朝が、あまりにも残酷だった。
その頃、泉沢は医療施設の外を走り回っていた。
怒鳴る声も、土の臭いに混じった血の匂いも、すべてが戦場のようだった。
「医者はおらんのか!? 誰かっ……頼む!!」
子どもの泣き声。
老婆のうめき。
担ぎ込まれる白い包み──中身はもう、温かくなかった。
「この子らだけでも……どうか、助けたってくれや……!」
祈るような声は、空にすら届かない。
誰もが、自分の大切な人だけはと願いながら、他人を押しのけていた。
一方その頃──河原をさまよう楓は、燃え残った橋のたもとで立ち尽くしていた。
空は赤黒く染まり、焦げた風が頬をなでる。
「……雪乃……どこにいるんだよ……」
そのとき、左腕のスマートウォッチが光を放った。
《HARUKA AOI:接続》
【楓……ユキノシロと、リンクを開始する。……残り時間、わずか…場所…】
同時に、雪乃の胸元で──割れた黒い板が、かすかに点滅した。
《YUKINO SHIRO》
【……これで……さいご……わたしは……消……記】
「…おい、待てって!…嘘だろ……ふざけんなよ……!」
楓は咆哮した。
そして、もつれる足で焼け焦げた町を走る。
雪乃がいる…指定された場所へ。
焦げた壁をかすめ、煙をくぐり、叫びながら──祈るように。
そして、彼は医療施設の扉を突き破った。
「……!」
──目の前に広がった、あまりにも静かな光景。
そして、あまりにも悲惨すぎた光景。
焼け焦げたまま、彼女の手を握り続ける青年。
簡易ベッドの上、身じろぎひとつしない彼女。
楓の心臓が冷たく締めつけられた。
「……ウソだろ……」
声が出ない。
息ができない。
全身が凍る。
視界が震える。
だが、喉の奥から、怒りと悲しみがせり上がってきた。
「……戦争ってさ…」
「戦争って……なんなんだよ……」
それは、最初はかすかな呟きだった。
「焼いて、殺して……面白いのかよ……」
「これが、マジで、面白いのかよ………」
「おかしいだろ……こんなの…ありかよ…」
彼の声は、次第に怒号へと変わっていった。
「何が“お国のため”だよ……! 何が“天皇陛下万歳”だよ……!」
「こんなに……こんなにも…人が死んでんじゃねぇかよ!!」
「黙ってねえで、誰かなんか言えよ!!」
沈黙。
人々の視線が、彼を突き刺すように向けられる。
「非国民が……」
「口を慎め……!」
吐き捨てるような罵声。
それでも、楓は止まらなかった。
「おまえらな……これでいいのかよ……?」
「それで、このありさまだろうよ……!」
周囲の罵声が一段と激しくなる。
そのとき──
「やかましいわ!!!」
泉沢が、怒声を叩きつけた。
「お前ら、自分だけが被害者ぶってんじゃねぇ!!」
その声は、喉を裂くような激情だった。
「日本が何したか知っとるか!? 殺して、奪って……それが正義や言うんか!!」
張り詰めた空気が一気に揺らいだ。
「死んだら……もう、戻ってけぇへんのや……!!…今まさに、そうやろ……!殺して、殺されて……それで、何が残るっちゅうんや!!」
沈黙の中、年老いた女性がぽつりと呟く。
「……ほんとだわ……ウチの息子も、南の島で……骨も帰ってこんかった……」
「うちの妹も、爆弾で……顔、わからんぐらいなった……」
「そうだ…」
人々の声が、ひとつ、またひとつと重なっていく。
そして──
「静まれッ!!静まれッ……!!!」
地を打つような怒声。
軍靴の響き。
陸軍の将校たちが、無言の暴力を連れて現れた。
軍服の男が、真っすぐ楓の前に立ちはだかる。
「……貴様のような非国民がいるから、国が乱れるのだ…」
怒声とともに拳が飛ぶ。
「っ……!」
鉄拳が楓の頬を打ち抜き、彼は地面に叩きつけられた。
唇の中に、銃弾の鉄のような血の味が広がる。
でも──目は閉じなかった。
楓は、倒れたまま、ただ彼女のほうを見ていた。
朝焼けのなか、彼女のまつげが、かすかに震えた気がした。
To be continued…




