2
亜人の学園で起こっていることは……。
人間社会と変わらないのか。
この章、ちょっと長めです。
翌日。
「おはよう」
教室に入ってキア、ひと言。
しかし誰も返さない。
ドアは開いているし、ホームルームまえの教室は生徒たちのおしゃべりで満ちていて、キアの声が届かなかったとしても不思議ではない。
『あいさつは基本だからな。あいさつできないヤツはどんなに仕事ができても、勉強ができてもダメだ』
源大朗の言葉がよみがえる。
キアの声は大きくはない。それでもこれまでは、誰かしら返事を返してくれていたのだが。
自分の席へ歩くと、そこに先客がいた。
「……でさ~、ひどくな~い!? バッカじゃねーの、って! あたしとか、言ってやんよー! なー、超ウケる!」
浅く椅子に腰かけ、机の上に両脚を組んで投げ出している。
超ミニのスカートはそれだけで下着が見えそうだ。もう暑い季節なのに、肘までの長い手袋をはめているのが異様だった。
キアはこの少女を知っている。
「サキってば超きびしいからねー」
「マジ、マジ、笑うんですけど」
椅子だけ近づけて、さらにふたり。
三人とも、同じクラスの少女たちだ。
そしてもっとも目立つ存在でもある。
椅子を取られた生徒たちが、チラチラ見ながら周りに立っている。
キアは自分の机と椅子を占領しているサキに、
「ここ、わたし、の」
「だからさー、言ってやったんだよ。おまえ、超ウザい、ってさ!」
一瞬、返事をされたのかと思ったが、そうではなかった。サキの目はふたりの少女たちから離れない。
キアはサキの目の前に立って、
「この席……」
「それでそれで、あのバカ、金ならあるからって、ざけんなよ! ってんだよ、なー!」
言っても、サキは席を立つどころか、目も合わせない。「ざけんなよ!」が大きくて、まるでキアに言っているかのようだ。
他のふたりもそうだった。サキの言葉に相槌を打ち、適当にレスポンスを合わせる。しかしキアを見ることはない。
三人とも、キアがいないかのように振舞っている。
「ここ」
それでもキアが言うと、
「ぁあ!?」
ひと言、サキが吐き出した。一瞬周りが、ビクッ、となるほどの語気。
「けっ!」
そう言うと、それまで脚を乗せていた机を蹴とばした。机が倒れ、けたたましい音が教室に響きわたる。おしゃべりが退いて、静まり返る中、ようやく椅子から腰を上げ、サキ、自身の席へと歩み去る。
残りふたりも続く。
その間、キアを見ることも、キアに直接口を利くこともなかった。
じわり、と雑音が戻って来る教室で、
「……」
キアは自分の机を起こし、椅子とともに元の位置へ戻す。座るが、そうする間も、手伝ったり、声を掛けたりする者は誰もいなかった。
ただ、無数の目だけが、注がれる。
だがすぐに、ガラガラ、と教室の前の扉を開けて教師が入って来た。
「きりーつ!」
ホームルームが始まる。
たまたま一時間目は、担任の科目だったので、生徒たちは席を立つ間もないまま、一時間目の授業になった。
キアは教科書を広げ、ノートを取りながら、昨日までと変わって来ている教室の空気に、否応なく気づかされていた。
そんなキアを、
「ふふ~ん」
後ろの席から眺めるサキ。
長くウエーブした金髪をかき上げる。
ペロッ、と舌で唇をなめると、鮮やかな色が一瞬覗いた。
*
無視。
いま起きているのはそれだ。
キアは理解していた。
そしてそれが「いじめ」であることも。
どの社会にも、集団、組織にも、階層にもいじめがあって、決してなくならない。
それは異世界からの亜人が集まった学校においても同じのようだ。
亜人学校は強制ではない。
あくまで若年者の教育のため、この世界への適応のために、希望者を受け入れている。
中等部、高等部、と分けられているが、年齢はたいてい本人の自己申告だし、期限による卒業もない。月謝を払う限り、いつまでいてもよい。その月謝、つまり授業料も、行政から補助が大幅に出ている。
行政としては、異世界から来ていきなり問題を起こしたりされるよりは、慣れないこちらの世界に順応する期間を提供する亜人学校は、願ったりかなったりなのだろう。
もちろん、「入国」後に一か月ほど、適応補助施設への入所は義務付けられているのだが、単なる旅行などの短期滞在には該当しないし、かといって一年間も滞在しているのに就労していないから旅行、だとか、こうなると見極めが難しい。
その意味でも亜人学校は社会的にも必要性が高いとみなされている。
一方で、亜人にはさまざまなタイプがあるものの、やはり学校へ通おうとするのは、それなりに集団生活を苦にしない、人間タイプの亜人が多い。
違うといっても、ケンタウロスやナーガ、などの、下半身が馬やヘビ、などの、陸上生活を送るのには問題がないもの。
マーメイドやスキュラなど、水棲だが下半身をつねに水に浸けるカプセルや、そのカプセルを用いた車椅子などの補助装置で、一般生活に適応できるもの。
無機物や液体、気体などの亜人、というよりこれらはもう、人ではなく異世界生物と言っていいが、そうしたタイプはやはり学校へ通うどころか、こちらの世界で生活すること自体が難しいだろう。
逆に、姿は完全に獣や、それ以外でも、知性、知能があり、会話補助装置などによって意思疎通が図れれば、社会生活はじゅうぶん可能だ。
そんな見た目も中身も雑多、もとい多種多様な亜人たちの学校にあって、ケットシー族のキアはむしろ目立たない方と言えた。
もともと個人主義のケットシーは、つねに群れていないと不安な犬科の亜人などと較べれば、基本、ひとりで平気だし、不便も感じない。
ふだん自分から積極的に声をかけ、交流を持とうとする方でもなかった。
だから無視されても、さほどダメージはなかった。と言ったら言い過ぎかもしれないが、ふつうよりも痛みを感じる度合いは少なかったのは確かかもしれない。
それが、いじめの首謀者たちを苛つかせる程度には。
*
「おはよう」
今日も誰からも返事は帰って来ない。
キアの席も、いつもどおり。サキたちは自分たちの机でおしゃべりの最中だし、キアに一瞥もしない。
拍子抜けするほどふつうにホームルームがスタートし、授業時間も過ぎていく。
級友たちは相変わらずキアと目も合わせない。しかし最初からそうとわかっていれば、期待もない分、落胆もない。
だが、これでは終わらなかった。
すべての授業が終わり、あとはホームルームを待つだけ、という時間。
席を離れるまでもない、その場でのおしゃべりが雑然と教室を包む。
そんな中、
「あの、キアさん」
急に話しかけられて戸惑う。見ると、少し離れた席の、サイクロプスの少女だ。大きな一つ目で、おどおどとキアを見る。
もう無視の期間は終わったのだろうか。
「ぇ、あ、うん」
キアが返すと、
「先生を探して来てくれない? 先生、遅れてるみたいだから」
それほど待たされたとは思えない。
どうも彼女も、言わされているような雰囲気だ。
「わかった」
席を立つ。キアは教室を出て職員室へ向かった。彼女のためにも、言われたとおりにしてみる。
しかし職員室に担任教師はおらず、用事に出た先から教室へ向かっている、と他の教師に言われて、キアは教室へ取って返すことになる。
ただの空のおつかい。
こんどはこんなふうに、無駄なことをあえてやらされる、そんないじめに移行したのだろうか。
教室が見えて来た。まだ教師は来ていないのか、おしゃべりが漏れ聞こえて来る。
キアは扉をくぐり、教室の、自分の席に着こうとした。
ところが、
「!」
バシャッ! 突然、大量の水が降って来る。逆さまになったバケツも同時に落ちて来た。
扉を開けると、バケツが傾き、中の水が降り注ぐしかけ。
古典的なトラップだが、やろうとすれば手間もそれなりにかかる。周りにも、何をしているのか丸わかりだろう。
にもかかわらず、それは行われた。
それでも、キアは持ち前の敏捷さでとっさに跳んで水を避ける。ケットシーの柔らかな身体でコンパクトに一回転。
ほとんど水をかぶらずに着地した。ところへ、
「あー、ごめーん!」
どん! 背中を押された。ほとんど、突き飛ばされるに等しい。もう避けられない。キアは、水溜まりの中へ身を投げた形になった。
「ぅっ」
一拍遅れて、ガランガランガラン! けたたましい音とともに金属のバケツが床にぶつかって転がる。
水を跳ね散らかした。
「うっそ! だいじょぶだったー?」
のぞき込んで来るのは、さっきぶつかって来たサキだ。
だがその顔に、心配する気も謝罪する気もないのは明らか。それより、笑いをこらえているふうにしか見えない。
「平気」
キアはそう言って立ち上がろうとするが、制服はぐっしょり濡れ、顔からも雫が垂れるほど水を浴びている。
「そう。よかった!」
ビシャビチャ、ボタボタ……、後頭部から首筋にかけてさらに水が降って来る。
身をすくめようとすると、ガラン! とどめのように、バケツ自体がキアの頭にかぶせられた。
「っ!」
とたんに起こる笑い。
「あははははははは!」
甲高い声のけたたましい笑いはサキだろう。
つられて周りからも笑い声が起こる。どこか遠慮した、付き合いの笑いに、嘲笑の色も混じる。
自分でキアがバケツを取ろうとすると、
「マジごめーん! バケツ、避けようとしたんだよねー。あー、濡れちゃったねー、それに、変な臭い! やだ! くさーい!」
サキがすっぽりと取り上げた。
あとでわかったが、バケツの水は、たまたま外に放置されていたバケツに雨水などが溜まったものだった。
水の腐った臭いが鼻孔を刺激する。
「なんで」
キアはサキに向き直っていた。じっと見つめる。
「なに怖い目~! あたし殴られちゃう? ネコの爪で引っかかれちゃうよー!」
サキはおどけて大げさに怖がって見せる。
その仕草にも笑いが起こった。
「こんなこと、するの」
「はぁ? あたしがやったっつーの。証拠あんのかよ! 泥水浴びて転んでっから、心配してやったんだろ! ぁ、バケツはさぁ、手が滑っちゃって、それはごめんねー。でもわざとじゃないし、そんな怒るとか、ひどくなーい?」
恫喝と媚を織り交ぜて、サキはキアに、というより周りのギャラリーにアピールする。
もとより、クラスメイトたちはサキに逆らう気などない。男子さえも、サキとそのグループに面と向かって意見する者はいなかった。
それを逆手に取るように、サキ、
「みんなもさー、こんなひどいこと、あたしがやったって、思ってるのかなー? なぁ!? 誰か見たのかよ。汚ねーバケツわざわざ扉の上に仕掛けるとかさー、マジありえねー、っつの! 見たやついたら言いなよ! 言えよ! おらぁ!」
睥睨するサキに、目を逸らす生徒たち。
「いるわけないんじゃないのー。だって、サキじゃないもん。ねー!」
「みんなもサキがやったなんて思ってないよ。じゃあ、誰が犯人なのかなぁー。探してみるー名探偵? あははは!」
取り巻きのふたりの少女だ。
ふたりとも周りよりちょっと背が低く、縮れた髪に丸っこい顔。クンとシー。ドラフ族の娘なのだ。
彼女たちが囃して、また級友たちがあいまいにうなずく。笑う。同意の言葉を上げる者もいた。
しかしキアはサキをじっと見つめて動かない。
「答えて。なんでこんなこと」
サキは視線を跳ね返すように見つめ返していたが、
「だから言ったじゃん。あたしじゃないって。聞いてなかったのかよー!」
バケツをキアに押し付けた。それも、まるでバケツで殴るように。
「……」
だがキアはそれを簡単に避け、肩透かしを食ったサキの身体がおよぐ。もう少しで転びそうになって、
「なにすんだよ!」
こんどこそ、バケツでキアを殴ろうとした。
周りから小さく悲鳴が上がる。
そのとき、
「なにやってる! 早く席につきなさい!」
声が響いた。
全員が顔を向ける。
見ると、担任教師が教壇の前に立っていた。いつの間にか、教室の前のドアから入って来ていたのだ。
「ホームルームの時間でしょう! なんで席につかないんだ。そこでなにしてる! なんで教室が水だらけなんだ!? 誰か拭きなさい! 早く! ああもう、誰でもいいから早くやって!」
男性教師の声が神経質に裏返る。
生徒たちはみんなぞろぞろと自分の席へ向かった。サキも、
「ふんっ!」
取り巻きのふたりとともに教室の奥へ。
誰かがモップで床の水をおざなりに拭っていた。
キアは、
「そこ! 早く座りなさい!」
声がますます尖る中、
「……」
ひとり、教室を出る。
「ぉい、きみ! おまえ! ……キア! キアくん! 戻れ! 戻りなさい!」
まだ教師の声は聞こえていた。しかしキアは止まらず、廊下を歩く。
カバンを持ってきたのは良かった。外靴も、下駄箱には残さず、靴入れに入れて持ち歩いている。
玄関に着いた。
もうホームルームの時間だから、誰もいない。
キアは靴入れから外履きを取り出して履き、代わりに上履きを靴入れに仕舞った。
迷わず、外へと歩き出る。
校舎を出てから、カバンを道に置いて、
「んーっ!」
ブルブルブル! 身体を振った。髪と、シッポについていた水気が飛び散る。ぐっしょり濡れた制服はどうにもならなかったが、日差しのせいで寒くは感じない。
またカバンを手に、キアは歩き出す。
夷やとは違う方向へ、歩いて行く。
明日も更新予定です。




