『忘却の都市』 秩序の番人
神崎は、ゆっくりとファイルを閉じた。
硬質な音が、静まり返った室内に小さく響く。
横を見ると——夏希が虚空を見つめていた。
その表情には、言葉では言い表せない感情の揺らぎが滲んでいた。
何が書かれていたのか、神崎には分からない。
だが、その沈黙が物語っていた。
彼女にもまた——逃れられない過去があったのだ。
神崎自身も、決して平静ではなかった。
だが、先ほど“怜奈”を見た瞬間、断片だったはずの記憶が堰を切ったように流れ込んできた。
だからこそ、今は——この状況を、ただ受け止めるしかなかった。
二人の間に、重く長い静寂が流れる。
だが、その沈黙を破ったのは——
エレベーターの作動音だった。
自分たちが乗ってきたものとは異なる方向から、低く機械が動く音が聞こえる。
そして、幾ばくかの時間が経ったのち—— 扉が、静かに開いた。
淡い照明に照らされて現れたのは、一人の男。
背筋を伸ばし、白髪混じりの髪を後ろに撫でつけた威厳ある姿。
その口元には、まるで儀式の始まりを告げるかのような、穏やかな微笑が浮かんでいた。
彼は、開口一番——こう口にした。
「君たちは……性善説を信じるかね?」
その声は静かだった。
だが、その響きは空気の温度を一変させるほどの重みを持っていた
夏希が、ゆっくりと顔を上げる。 神崎も、無意識に身構える。
——城戸 守。
今、その“秩序の番人”が——姿を現した。




