『忘却の都市』 刻まれた名前
夏希とは対照的に、霧崎はどこか落ち着いていた。
目の前のファイルを開く。
そこに記されていたのは、自身の情報。
だが、書かれていた名前は——“霧崎”ではなかった。
名前:神崎 凛
性別:男性
被験者番号:10番
その後には、夏希のファイルと同様、無機質な情報が淡々と並んでいた。
神崎——か。
その名前を目にした瞬間、霧崎——いや、神崎は言葉を失う。
不思議な感覚だった。
自分自身に、違和感がない。
むしろ——しっくりくる。
混乱を覚えながらも、神崎はファイルを読み進める。
そして——あるページで、指先が止まった。
視線を落とす。
正直なところ、これ以上先は読みたくはなかった。
——だが、読まなければならない。
覚悟を決めて、先に進む。
『神崎凛について』
家族構成——父、母、神崎凛、妹。
父は中小企業の経営者であり、家庭は比較的裕福だった。
だが、ある日——両親が仕事の出張中に交通事故に遭い、即死。
以降、神崎と妹の二人暮らしが始まる。
それから2年後、さらなる事件が発生。
ある日の帰宅途中、自宅方向に火の手が上がっているのを確認。
急いで戻ると、裏口付近で家の中の金品と妹を連れ出そうとしている3人組と遭遇。
室内はすでに煙が充満しており、家具の一部が燃え始めていた。
後の調査によれば、火災は室内での揉み合いの際に倒れた暖房器具が原因とされている。
神崎は、床に倒れていた金属製の装飾スタンドを手に取り、咄嗟に飛びかかった。
——1人目:背後から殴打し、転倒後に頭部を強打。即死。
——2人目:煙に巻かれて動けなくなったところを押し倒し、家具の角に頭部を打ちつけて死亡。
——3人目:逃走。のちに逮捕。
警察の捜査により、3人の身元が判明。 殺害された2名は神崎家の顧問弁護士であり、逃走した1名は金銭で雇われた実行役だったと供述。
目的は、神崎家の遺産と資産の奪取と推定されている。
妹に関する記述も続く。
「尚、妹については外傷なし。ただし、事件直後の聴取において、兄および事件当時の記憶が曖昧であるとの発言が複数回確認されている。」
そして、最後の一文——
「彼は今回のテストケースに適正かと思われる。 被験者番号10番として登録し、経過を観察する。また、妹についても部分的な記憶障害が見られるため、こちらもサンプルとして被験者番号9番として登録。」
沈黙。
神崎は、強くファイルを握りしめる。
視界の片隅に、ある1人の姿が浮かぶ。
——怜奈と呼ばれていた少女。
先ほど見かけた、あの黒髪の少女。
確証はない。だが、直感が告げていた。あれは、妹だ。
過去は、確かにここに存在していた。
そして今——その記録が、すべてを繋ごうとしている。




