第二話 二 冬支度
家の前の畑は、見た目より広かった。
畝を四本ほど作っても、まだ半分以上が余る。畑の端には柿の木が一本あり、青い実がいくつも残っていた。
「前に住んでいた方は、何を作っていたんですか」
「大根や芋が多かったです。奥のほうには豆も植えていました」
奈緒は畑を横切り、低い石垣の先を指した。
「向こうも同じ方の土地です。今は草を刈るだけになっています」
「全部使っていいんですか」
「家を借りるなら、ここまでは一緒に使えます。向こうの広い畑は、別に相談が必要です」
悠介は畑の端まで歩き、しゃがんで土を触った。
「柔らかいな」
「雨のあとだからじゃない?」
「それもあるけど、石が少ない」
指についた土を払う。
「最初は、ここだけでも十分だな」
「何を作るの?」
「まだ決めてないよ」
「もう作るつもりになってる」
「見に来たんだから、考えるくらいいいだろ」
奈緒が小さく笑った。
「春なら、皆さんが苗を分けてくれると思います」
「失敗したら恥ずかしいですね」
「皆さんも毎年、何か失敗していますから」
畑の奥には、小さな物置があった。
戸を開けると、鍬や鎌、籠が並んでいる。錆びているものもあったが、柄は取り替えられ、すぐ使えそうだった。
悠介は鍬を一本持ち上げた。
「これも使っていいんですか」
「家についているものです」
「買いそろえなくて済むな」
真由は物置の床を見た。
壁際だけ、板の色が濃くなっている。
「ここも水が入ったんですか」
「去年、少し」
奈緒は戸を押さえた。
「床は替えていません。重いものを置くなら、先に見てもらったほうがいいと思います」
家の周りを見終えるころには、雲の切れ間から薄い日が差していた。
村の中央へ戻ると、水路の近くに数人が集まっていた。
長雨で流れてきた枝を、道の脇へ引き上げている。
「来たか」
昨日、水路をさらっていた男が手を上げた。
「見てるだけじゃ退屈だろ。手が空いとるなら、そっちを持ってくれ」
悠介が上着を脱いだ。
「どれですか」
「その長いやつ。根が引っかかっとる」
悠介と男が水路へ降りた。
真由も奈緒と一緒に、引き上げられた細い枝をまとめた。
水路の水は膝下ほどだったが、流れは速い。長靴へ水が当たるたび、悠介の身体が少し揺れた。
「足元、滑るぞ」
「大丈夫です」
男と声を掛け合い、流木を持ち上げる。
二人が引いた枝を、上にいた老人たちが縄で引き寄せた。
何度か繰り返すうち、水の流れが目に見えて速くなった。
「これで次に降っても、少しはましじゃ」
男が水路から上がった。
悠介も続いた。
ズボンの膝まで濡れ、額には汗が浮いていた。
「思ったより重かった」
「若いから、もう一本いけるな」
「休ませてくださいよ」
悠介は笑いながら水筒を取り出した。
一度に半分ほど飲む。
「そんなに飲んだら、すぐ空になるよ」
真由が言う。
「帰ったら、また入れればいいだろ」
悠介は残りも飲んだ。
真由は自分のボトルを開けた。
ぬるくなっていたが、いつもの味だった。
作業は昼前に終わった。
枝を短く切り、乾かす場所へ積む。使えそうなものは薪にするという。
「捨てないんですね」
「山から下ろすのも手間だからな」
男が答えた。
「燃やせるもんは燃やす。腐るもんは畑へ入れる」
集会所の軒下に、昼食が用意されていた。
握り飯と味噌汁、それに焼いた野菜が並んでいる。
真由たちは村人と一緒に長机を囲んだ。
「仕事は、家でできるんか」
向かいの老女が聞いた。
「私は一部なら。夫は会社と相談になります」
「毎日町まで通うのはきついぞ」
「それも考えています」
「冬は暗くなるのも早いからな」
別の老人が言った。
「朝、道が凍っとることもある」
鹿に畑を荒らされること。夏は草刈りが終わらないこと。急な病気では救急車を待つ時間が長いこと。
悠介は聞きながら、何度も頷いていた。
「水はどうじゃ」
男が悠介へ聞いた。
「うまいです」
「そうだろ」
悠介は机に置かれたやかんから水を注いだ。
真由の隣には、朝持ってきたボトルがある。
「家の水も、同じ井戸ですか」
「全部同じじゃ。昔は家ごとに小さい井戸があったが、今は使っとらん」
「切り替えられないんですね」
「水道管を引き直さんと無理だろうな」
男は味噌汁を飲んだ。
「嫌なら、飲む分だけ町で買えばええ」
真由は頷いた。
悠介は二杯目の水を注いだ。
昼食のあと、正吉が集会所の前を通った。
今日は長靴を履いている。
真由たちを見ると足を止めた。
「正吉さん」
奈緒が呼んだ。
正吉は真由と悠介を順に見た。
昨日のことを覚えているのか、表情からは分からなかった。
「畑、見てきました」
悠介が言った。
「畑?」
「空き家の前の畑です」
正吉は山のほうを向いた。
「あれは、わしのじゃ」
「正吉さんの畑は、反対側ですよ」
奈緒が言う。
正吉は聞いていないようだった。
悠介が持っていた水筒へ目を止める。
「飲んだか」
「飲みました」
正吉はしばらく悠介を見た。
何かを言いかけたように口を動かしたが、声にはならなかった。
「家へ戻りましょう」
奈緒が声をかける。
正吉はそのまま道を歩いていった。
奈緒は追わなかった。
「一人で大丈夫ですか」
真由が聞く。
「昼は、自分の家へ戻れます」
正吉の背中は、曲がり角の向こうへ消えた。
午後は空き家へ戻り、役場から渡された資料を見た。
屋根や水回りを直した場合の補助、農地を借りる手続き、冬の除雪費用。
悠介は紙へ数字を書き込み、今の家賃と比べていた。
「これなら、直すところが増えても余裕はあるな」
「仕事が今のままならね」
「そこは会社に聞かないと分からない」
「通うのは難しいよ」
「週に一度なら、何とかなるかもしれない」
悠介は窓から畑を見た。
「まだ決めないけど、考えるくらいはできそうだ」
「うん」
真由も同じ窓から外を見た。
雨は降っていない。
畑の向こうで、奈緒が一人、刈った草を集めていた。




