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一夜熱  作者: 古江 門
第一部 真由

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6/8

第二話 二 冬支度

 家の前の畑は、見た目より広かった。


 畝を四本ほど作っても、まだ半分以上が余る。畑の端には柿の木が一本あり、青い実がいくつも残っていた。


「前に住んでいた方は、何を作っていたんですか」


「大根や芋が多かったです。奥のほうには豆も植えていました」


 奈緒は畑を横切り、低い石垣の先を指した。


「向こうも同じ方の土地です。今は草を刈るだけになっています」


「全部使っていいんですか」


「家を借りるなら、ここまでは一緒に使えます。向こうの広い畑は、別に相談が必要です」


 悠介は畑の端まで歩き、しゃがんで土を触った。


「柔らかいな」


「雨のあとだからじゃない?」


「それもあるけど、石が少ない」


 指についた土を払う。


「最初は、ここだけでも十分だな」


「何を作るの?」


「まだ決めてないよ」


「もう作るつもりになってる」


「見に来たんだから、考えるくらいいいだろ」


 奈緒が小さく笑った。


「春なら、皆さんが苗を分けてくれると思います」


「失敗したら恥ずかしいですね」


「皆さんも毎年、何か失敗していますから」


 畑の奥には、小さな物置があった。


 戸を開けると、鍬や鎌、籠が並んでいる。錆びているものもあったが、柄は取り替えられ、すぐ使えそうだった。


 悠介は鍬を一本持ち上げた。


「これも使っていいんですか」


「家についているものです」


「買いそろえなくて済むな」


 真由は物置の床を見た。


 壁際だけ、板の色が濃くなっている。


「ここも水が入ったんですか」


「去年、少し」


 奈緒は戸を押さえた。


「床は替えていません。重いものを置くなら、先に見てもらったほうがいいと思います」


 家の周りを見終えるころには、雲の切れ間から薄い日が差していた。


 村の中央へ戻ると、水路の近くに数人が集まっていた。


 長雨で流れてきた枝を、道の脇へ引き上げている。


「来たか」


 昨日、水路をさらっていた男が手を上げた。


「見てるだけじゃ退屈だろ。手が空いとるなら、そっちを持ってくれ」


 悠介が上着を脱いだ。


「どれですか」


「その長いやつ。根が引っかかっとる」


 悠介と男が水路へ降りた。


 真由も奈緒と一緒に、引き上げられた細い枝をまとめた。


 水路の水は膝下ほどだったが、流れは速い。長靴へ水が当たるたび、悠介の身体が少し揺れた。


「足元、滑るぞ」


「大丈夫です」


 男と声を掛け合い、流木を持ち上げる。


 二人が引いた枝を、上にいた老人たちが縄で引き寄せた。


 何度か繰り返すうち、水の流れが目に見えて速くなった。


「これで次に降っても、少しはましじゃ」


 男が水路から上がった。


 悠介も続いた。


 ズボンの膝まで濡れ、額には汗が浮いていた。


「思ったより重かった」


「若いから、もう一本いけるな」


「休ませてくださいよ」


 悠介は笑いながら水筒を取り出した。


 一度に半分ほど飲む。


「そんなに飲んだら、すぐ空になるよ」


 真由が言う。


「帰ったら、また入れればいいだろ」


 悠介は残りも飲んだ。


 真由は自分のボトルを開けた。


 ぬるくなっていたが、いつもの味だった。


 作業は昼前に終わった。


 枝を短く切り、乾かす場所へ積む。使えそうなものは薪にするという。


「捨てないんですね」


「山から下ろすのも手間だからな」


 男が答えた。


「燃やせるもんは燃やす。腐るもんは畑へ入れる」


 集会所の軒下に、昼食が用意されていた。


 握り飯と味噌汁、それに焼いた野菜が並んでいる。


 真由たちは村人と一緒に長机を囲んだ。


「仕事は、家でできるんか」


 向かいの老女が聞いた。


「私は一部なら。夫は会社と相談になります」


「毎日町まで通うのはきついぞ」


「それも考えています」


「冬は暗くなるのも早いからな」


 別の老人が言った。


「朝、道が凍っとることもある」


 鹿に畑を荒らされること。夏は草刈りが終わらないこと。急な病気では救急車を待つ時間が長いこと。


 悠介は聞きながら、何度も頷いていた。


「水はどうじゃ」


 男が悠介へ聞いた。


「うまいです」


「そうだろ」


 悠介は机に置かれたやかんから水を注いだ。


 真由の隣には、朝持ってきたボトルがある。


「家の水も、同じ井戸ですか」


「全部同じじゃ。昔は家ごとに小さい井戸があったが、今は使っとらん」


「切り替えられないんですね」


「水道管を引き直さんと無理だろうな」


 男は味噌汁を飲んだ。


「嫌なら、飲む分だけ町で買えばええ」


 真由は頷いた。


 悠介は二杯目の水を注いだ。


 昼食のあと、正吉が集会所の前を通った。


 今日は長靴を履いている。


 真由たちを見ると足を止めた。


「正吉さん」


 奈緒が呼んだ。


 正吉は真由と悠介を順に見た。


 昨日のことを覚えているのか、表情からは分からなかった。


「畑、見てきました」


 悠介が言った。


「畑?」


「空き家の前の畑です」


 正吉は山のほうを向いた。


「あれは、わしのじゃ」


「正吉さんの畑は、反対側ですよ」


 奈緒が言う。


 正吉は聞いていないようだった。


 悠介が持っていた水筒へ目を止める。


「飲んだか」


「飲みました」


 正吉はしばらく悠介を見た。


 何かを言いかけたように口を動かしたが、声にはならなかった。


「家へ戻りましょう」


 奈緒が声をかける。


 正吉はそのまま道を歩いていった。


 奈緒は追わなかった。


「一人で大丈夫ですか」


 真由が聞く。


「昼は、自分の家へ戻れます」


 正吉の背中は、曲がり角の向こうへ消えた。


 午後は空き家へ戻り、役場から渡された資料を見た。


 屋根や水回りを直した場合の補助、農地を借りる手続き、冬の除雪費用。


 悠介は紙へ数字を書き込み、今の家賃と比べていた。


「これなら、直すところが増えても余裕はあるな」


「仕事が今のままならね」


「そこは会社に聞かないと分からない」


「通うのは難しいよ」


「週に一度なら、何とかなるかもしれない」


 悠介は窓から畑を見た。


「まだ決めないけど、考えるくらいはできそうだ」


「うん」


 真由も同じ窓から外を見た。


 雨は降っていない。


 畑の向こうで、奈緒が一人、刈った草を集めていた。


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