第二話 一 朝の井戸
目を覚ましたとき、雨は止んでいた。
障子の隙間から、白い光が差し込んでいる。
真由は布団の中で、しばらく耳を澄ませた。
家の裏を流れる水路の音が聞こえる。昨夜、何度も鳴っていた井戸の滑車は、もう動いていなかった。
隣では悠介が眠っている。
真由は布団を出て、廊下の窓へ向かった。
朝の光の中に、井戸の屋根が見えた。
その下には誰もいない。桶が二つ、石の縁へ伏せられている。周りの地面は濡れていたが、昨夜から雨が降っていたのだから、それだけでは何も分からなかった。
道には、いくつもの足跡が残っていた。
井戸の周りで重なり、家々の方向へ分かれている。
「早いな」
悠介の声がした。
振り返ると、布団から上半身を起こしていた。
「何見てるの」
「井戸」
「まだ誰かいる?」
「今はいない」
悠介が欠伸をしながら立ち上がった。
「昨日、夜中に人が集まってた」
「井戸に?」
「何人かいた。誰かに水を飲ませてたみたい」
「起こしてくれればよかったのに」
「起こそうかと思ったけど」
「けど?」
「何だか分からなかったし」
悠介も窓から外を見た。
朝の井戸には、変わったところはなかった。
「具合の悪い人でもいたのかな」
「分からない」
「奈緒さんに聞いてみよう」
悠介は台所へ向かった。
蛇口をひねり、コップへ水を入れる。
「朝からそれ飲むの?」
「喉が渇いた」
悠介は半分ほど飲み、残りを口の中で確かめるようにした。
「やっぱりうまいな」
「昨日より?」
「同じだよ」
真由は箱からボトルを一本出した。
蓋を開けて飲む。
いつも飲んでいる水だった。
悠介は、もう一杯蛇口から注いだ。
八時を過ぎたころ、奈緒が訪ねてきた。
籠の中に、握り飯と卵焼き、漬物が入っている。
「昨日の残りでよかったのに」
真由が言うと、奈緒は台所へ籠を置いた。
「今日は畑を歩くので、朝は食べておいたほうがいいです」
「ありがとうございます」
「よく眠れましたか」
真由は悠介を見た。
「私は、あまり」
「家の音が気になりました?」
「夜中に、井戸に人がいました」
奈緒の手が止まった。
「何人か集まっていて、誰かに水を飲ませていました」
「正吉さんでしょうか」
「暗くて、顔までは分かりませんでした」
奈緒は窓から井戸を見た。
「正吉さんは、夜に家を出ることがあります。誰かが見つけて、連れて帰ったのかもしれません」
「ほかにも何人かいました」
「それなら、手伝ってくれた人がいたのかもしれませんね」
奈緒は少し考えた。
「あとで聞いてみます」
握り飯を皿へ移す。
悠介が一つ手に取った。
「今日は、どこを見ますか」
「家の畑と、その奥の土地です。午後はまた降るかもしれないので、先に外を回りましょう」
「作業もあります?」
「水路の脇に流木が溜まっています。皆さんで片づけるそうです」
「手伝ってもいいですか」
「助かると思います」
三人で朝食を食べた。
奈緒も握り飯を一つ手に取ったが、半分ほど食べたところで皿へ置いた。
「食べないんですか」
「朝は、あまり入らなくて」
そう言って茶を飲んだ。
悠介は二つ目の握り飯へ手を伸ばした。
食事を終えると、奈緒は台所へ立った。
「水筒を持っていきますか」
「持ってきた水があります」
真由が答える。
「俺は、こっちでいいよ」
悠介は蛇口を指した。
奈緒は棚から金属の水筒を出し、水を入れた。
悠介が受け取る。
「冷たいですね」
「外へ持っていっても、しばらくは冷たいですよ」
悠介は水筒を鞄へ入れた。
真由は自分のボトルを持った。




