表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一夜熱  作者: 古江 門
第一部 真由

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/8

第一話 三 一晩寝れば

 家を見終えたあと、三人で村を歩いた。


 雨はほとんど止んでいた。


 道の脇を流れる水路には澄んだ水が走り、落ち葉や細い枝が引っかかっている。村人が長い熊手でそれを引き上げ、脇へ積んでいた。


「おう、来たか」


 男が奈緒へ声をかけた。


「今日から一週間です」


「こんな雨のときに来んでもええのにな」


 男は真由と悠介を見て笑った。


「晴れたら、もう少しましなところに見えるぞ」


「雨の日も住むことになるので」


 真由が答えると、男は何度も頷いた。


「そりゃそうじゃ」


 男は熊手を水路へ戻し、引っかかっていた枝を引き上げた。


 別の家の前では、老女が豆の鞘を籠へ分けていた。真由たちを見ると手を止め、今夜のおかずを少し持っていくと言った。


「食べきれないほどは困ります」


 奈緒が言う。


「若い二人なら食べる」


「一週間いますから、明日でも大丈夫です」


 奈緒は老女と相談し、量を半分にしてもらっていた。


 道沿いの家には、それぞれ直した跡があった。


 新しい雨樋。色の違う板。積み替えられた薪。畑の畦には、流された土を戻した跡が残っている。


「写真で見るより、ずっと手が入ってるな」


 悠介が小声で言った。


「去年から直してきたんだろうね」


 道の下に段々畑が広がっていた。


 半分ほどは草地になっていたが、残りには大根や白菜が植えられている。


「この辺りも借りられますか」


 悠介が聞いた。


「持ち主の方と相談になります。自分で作れなくなっても、荒れるのは嫌だという人が多いので」


「農機具は?」


「共同のものがあります。古いですけど、耕運機と草刈り機は動きます」


 悠介は畑の広さを見渡した。


「このくらいなら、二人でもできるかな」


「最初から全部は無理じゃない?」


「借りるとしても一部だよ」


「使っていないところから、少しずつ始める人が多いです」


 奈緒が言った。


「草を刈るだけでも助かるって、皆さん言いますから」


 道を曲がった先に、平屋の建物があった。


 壁は塗り直され、玄関脇に小さな診療所の札が掛かっている。窓の内側には白いカーテンが引かれ、軒下には医師のものらしい車が止まっていた。


「前は閉まっていた診療所です」


 奈緒が言った。


「先生が、去年から使っています」


 玄関が開き、五十代ほどの男が出てきた。


 白衣ではなく、灰色のシャツの上へ濃い色の上着を着ている。手には往診用らしい鞄を持っていた。


「杉本さんご夫妻ですね」


 医師は階段を下り、二人へ頭を下げた。


「村で診療をしている宮内です。滞在中、体調に変化があれば来てください」


「住んでいらっしゃるんですか」


「診療所の奥を使っています」


 医師は建物を振り返った。


「昔の設備なので、できることは限られます。重い病気や怪我なら、町へ運ばないといけません」


「一夜熱について、聞いてもいいですか」


 真由が尋ねた。


「もちろんです」


 医師は軒下へ二人を招いた。


 奈緒も横へ立った。


「去年の大雨のあと、急に高い熱を出す人が続きました。寒気や身体の痛みがあって、ひどく喉が渇く人もいました」


「一晩寝れば治るんですよね」


 悠介が聞いた。


「朝には熱が下がる人が多かったです。長い人は、何日か眠ったままでしたが」


「原因は分かったんですか」


「分かっていません。山の水や泥、虫も調べてもらいましたが、これだというものは出ませんでした。井戸も同じです」


「先生も、かかったんですか」


「ええ。私も何日か寝込みました」


「それから新しい患者は?」


「一年、出ていません。役場や工事の人も何度も来ています」


 医師は真由と悠介を交互に見た。


「水が気になるなら、持ってきたものを使ってください」


「先生は飲んでいるんですよね」


「私は飲んでいます」


「身体にいいんですか」


「一夜熱のあと、飲むと楽になると言う人はいます。私もそう感じますが、理由は分かりません」


「先生なら、この村へ移住しますか」


 真由が聞いた。


 奈緒がわずかに顔を向けた。


「一週間過ごすことと、住むと決めることは別です」


 医師は雨の残る空を見た。


「私なら、今回の雨が落ち着いてから決めます。急ぐ必要はないでしょう」


 そのとき、背後から足音がした。


 振り返ると、老人が一人、道を歩いてきた。


 背中は曲がっているが、足取りは確かだった。濡れた作業着を着て、傘は差していない。


「正吉さん」


 奈緒が呼んだ。


 老人は奈緒を見ず、真由の前で止まった。


 顔から首、手元へ、ゆっくり視線を下ろす。


「正吉さん、こちらは今日から泊まる杉本さんです」


 奈緒が言った。


 正吉は聞いていないようだった。


 真由の手へ、自分の手を近づけた。


 触れはしなかった。


 雨に濡れた指先が、手の甲の少し上で止まる。


「まだ温かい」


 正吉が言った。


「正吉さん」


 奈緒がもう一度呼んだ。


 正吉は次に悠介を見た。


「飲んだか」


「井戸水なら、少し」


 悠介が答えた。


 正吉の眉が寄った。


「水は飲むな」


 奈緒が正吉の腕へ手を添えた。


「今日はもう帰りましょう」


 正吉は井戸のある方角を見た。


「あれは、わしの畑じゃ」


「畑には行きませんよ」


「取らせんぞ」


「誰も取りません」


 奈緒は正吉の腕を取り、道の先へ歩き始めた。


 正吉は一度だけ振り返った。


 真由ではなく、悠介を見ていた。


 そのまま奈緒に連れられ、家々の間へ消えた。


「いつも、あんな感じなんですか」


 真由が聞いた。


「以前から認知症がありました」


 医師が答えた。


「去年の熱のあと、畑と井戸と山を混同することが増えたんです」


「水を飲むな、というのも?」


「何度か言っています」


「どうしてですか」


「本人に聞いても、話が続かないんです」


 医師は時計を見た。


「往診がありますので、私はこれで。何かあれば来てください」


 医師は鞄を持ち直し、道を下っていった。


 真由は、奈緒と正吉の消えた道を見た。


 水路を流れる音が、家々の間で続いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ