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一夜熱  作者: 古江 門
第一部 真由

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19/41

第五話 三 残る

 七時半を過ぎたころ、役場の車が到着した。


 村まで二人を案内した職員が、玄関へ入ってきた。


「杉本さん」


 布団にいる真由を見て、足を止める。


「熱が出たと聞きました。大丈夫ですか」


「もう下がりました」


 真由は身体を起こした。


 腕にも背中にも、ほとんど力を入れずに起き上がれた。


「昨夜、三十九度を超えたんです」


 悠介が言った。


「宮内先生にも診てもらいました」


 職員は宮内へ顔を向けた。


「移動できますか」


「現在の体温と意識なら、車で移動しても問題はないと思います」


 宮内が答える。


「町へ戻ったら、一度病院で診てもらってください」


「では、準備ができたら出ましょう」


 職員は玄関に並んだ鞄を見た。


「荷物はこちらで運びます」


 真由も鞄を見た。


 昨日、自分で帰るためにまとめたものだった。


 服を押し込み、何度もファスナーを引いたことは覚えている。


 だが、どうしてあれほど急いでいたのか、うまく思い出せなかった。


 夜の井戸。


 動かない身体。


 何度も名前を呼ぶ悠介の声。


 一つずつの光景は浮かぶ。


 その間が、うまくつながらなかった。


「もう少し休んでからでもいいですか」


「もちろんです。急ぎません」


「そうじゃなくて」


 真由は悠介を見た。


 悠介も、何を言おうとしているのか分からない顔をした。


「予定どおり、一週間いようと思います」


「真由」


 悠介が呼んだ。


 職員も聞き返す。


「滞在を続けるんですか」


「はい」


「お二人とも高熱を出しています。一度戻って、病院で診てもらったほうがいいと思います」


「今は治っています」


「一晩で下がったとしても、原因が分からないんですよ」


 職員の声には、はっきり心配が混じっていた。


「体験滞在は、また改めてできます。今回は戻りましょう」


 真由は部屋の隅に置かれた桶を見た。


 水面へ朝の光が当たっている。


 町へ戻ることを考える。


 車に乗り、山道を下りる。


 病院へ行く。


 そのあと、家へ帰る。


 口の中が乾いた。


「悠介は、どうしたい?」


 真由が聞いた。


 悠介はすぐには答えなかった。


 職員と宮内、奈緒の顔を見る。


 最後に真由を見た。


「昨日は、帰ろうと思ってた」


「うん」


「でも、今すぐ動かなくてもいい気がする」


「そうだよね」


「身体も、まだ少し重いし」


 職員が宮内を見る。


「滞在を続けて大丈夫なんですか」


「休養は必要です。ただ、現在の状態だけを見れば、ここで横になっていても問題はありません」


「急変したら、すぐ連絡してください」


「分かりました」


 悠介が答えた。


 職員は困ったように息を吐いた。


「今日のうちでも、帰ることにしたら電話してください。迎えを手配します」


「ありがとうございます」


「体験の続行を、こちらが勧めたわけではありませんからね」


「はい」


 職員は玄関に運びかけた鞄を、元の場所へ戻した。


 もう一度、真由の顔を見る。


「無理をしないでください」


 役場の車が村を離れていった。


 エンジンの音が小さくなり、水路の音へ消えた。


「よかったの?」


 悠介が聞いた。


「うん」


「昨日は、あんなに帰りたがってたのに」


「今は、もう少し休みたい」


「それだけ?」


 真由は桶の水を見た。


「分からない」


 悠介はそれ以上聞かなかった。


 玄関へ置かれた鞄の一つを、居間へ戻した。


 奈緒が朝食を運んできた。


 粥と漬物だった。


 真由は箸を持ったが、二口ほどしか食べられなかった。


 代わりに井戸水を飲んだ。


 悠介も同じ水を飲んだ。


 昼前には、二人で家の外へ出た。


 畑には朝の雨が残り、土が柔らかくなっていた。


 悠介は畝の端へしゃがみ、土を触った。


「春なら、ここに芋を植えられるかな」


「豆もいいんじゃない?」


「柿の木も残したいな」


「落ちた実を片づけないと」


 二人は畑を歩いた。


 話しているうちに、帰るためにまとめた鞄のことを忘れていた。


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