第五話 二 返事
どれほど経ったのだろうか。
山の上から、鳥の声がした。
黒かった窓に、木々の先が浮かび始めている。
最初の光が、部屋の奥へ差した。
真由の胸の奥で、何かが一度動いた。
しばらくして、もう一度。
喉が開いた。
空気が流れ込む。
真由の身体が大きく反った。
肺が膨らみ、内側が擦れるように痛んだ。
もう一度息を吸う。
「真由」
悠介の声がした。
先ほどまで言葉の間にあった、長い空白がなくなっていた。
真由は瞬きをした。
「聞こえる?」
唇を動かす。
「うん」
掠れた声が出た。
悠介が息を吐いた。
その胸が上下している。
頬にも薄く色が戻っていた。
「大丈夫?」
「分からない」
真由は自分の胸へ手を当てた。
鼓動がある。
遅かったが、指の下で動いていた。
「私、どうなってた?」
悠介はすぐには答えなかった。
「途中から、俺もよく覚えてない」
「名前を呼ばれてた気がする」
「真由の?」
「うん」
悠介は喉へ手を当てた。
「呼んでたのかもしれない。声が出しにくい」
真由は、まだつかんでいた悠介の服から指を離した。
夜の記憶をたどろうとする。
水が口へ入った。
悠介の声がした。
誰かに身体を抱き起こされた。
その程度しか残っていなかった。
順番も分からない。
夢の中で見たことのように、思い出そうとするたび形が崩れた。
宮内が壁へ手をつき、立ち上がった。
真由の前へ膝をつき、手首へ指を置く。
聴診器を胸へ当てた。
「脈は遅いですが、保たれています。呼吸もあります」
「昨夜、何があったんですか」
宮内の手が止まった。
「真由さんの熱が上がり、反応が弱くなりました」
「水を飲んだのは覚えています」
真由は部屋の隅にある桶を見た。
「誰が飲ませたんでしょう」
奈緒も桶へ目を向けた。
「私が持ってきたのかもしれません」
「覚えていないんですか」
「途中から、あまり」
奈緒は濡れた袖を見た。
「先生を呼びに行ったところまでは覚えています」
宮内も鞄へ道具を戻しながら言った。
「私も、診察したことは覚えています。ただ、そのあとのことは断片的です」
「私もです」
真由は悠介の服を見た。
自分が握っていた場所に、皺が残っている。
「悠介の声だけ、少し覚えています」
奈緒が桶を持ち上げた。
「置いていってください」
真由が言った。
奈緒が立ち止まる。
「喉が渇いているので」
「持ってきた水もあるよ」
悠介がボトルを取った。
真由は一口含んだ。
強い苦みが、舌の上へ広がる。
「やっぱり変な味がする」
飲み込めず、ボトルを悠介へ返した。
奈緒が桶を部屋の隅へ戻した。
「少しずつ飲んでください」
「ありがとうございます」
奈緒と宮内が帰ったあと、悠介が布団のそばへ座った。
「帰れるかな」
真由が聞いた。
「役場の人は、七時半に来るって言ってた」
「今、何時?」
「もうすぐ七時」
悠介は玄関に並んだ鞄を見た。
「帰ったら、病院へ行こう」
「うん」
真由は桶へ手を伸ばした。
器で水をすくい、一口飲む。
冷たさが喉へ落ちた。
もう一杯すくった。




