第四話 三 渇き
体温計は三十七度八分を示した。
宮内は表示を確認し、もう一度真由の手首へ触れた。
「少し速いですね」
「一夜熱ですか」
「まだ分かりません。眠っていませんし、疲れもあるでしょう」
真由は布団の上で膝を抱えた。
掛け布団を肩まで引き上げても、震えが止まらない。
「悠介と同じ始まり方です」
「寒気と発熱だけなら、ほかの病気でも起こります」
「井戸の水は飲んでません」
「水だけが原因とは決まっていません」
真由は昨夜の布団を見た。
隅へ寄せられ、濡れたまま畳まれている。
「看病したからですか」
「可能性はあります」
宮内は否定しなかった。
「濡れた寝具や身体には、何度も触れましたか」
「はい」
「手に傷は?」
「ないと思います」
「口や目に水が入ったことは」
「分かりません」
悠介へ人工呼吸をしたとき、唇の周りは唾液と水で濡れていた。
身体を拭いたタオルも、何度も素手で絞った。
「どうすればいいですか」
「横になって、水分を取ってください」
「明日の朝までに治りますか」
「村の人たちは、多くが朝までに熱を下げています」
「悠介は死にました」
宮内は黙った。
「少なくとも、私はそう見たんです」
「呼吸が苦しくなる、意識が保てなくなる、痙攣が起きる。そのどれかがあれば、すぐに呼んでください」
「そうなったら?」
「救急へ連絡します」
「今は呼ばないんですか」
宮内は真由の顔を見た。
「今すぐ運ぶこともできます。ただ、救急車が来るまで時間がかかりますし、今の体温と意識なら、まずここで経過を見てもよいと思います」
「明日の朝には、役場の人が来ます」
真由が言った。
「それまでは、悠介にそばにいてもらいます」
「分かりました」
宮内は薬を一回分置いた。
「体温は一時間ごとに測ってください。電話はつながっています。変化があれば、迷わず呼んでください」
玄関の外で、奈緒が待っていた。
新しい布団と、乾いたタオルを抱えている。
「昨夜のものは、こちらで洗いましょうか」
「触らないほうがいいです」
真由が言うと、奈緒は濡れた布団を見た。
「分かりました。袋だけ持ってきます」
奈緒は新しい布団を隣の部屋へ敷いた。
真由が横になると、悠介が枕元へ座った。
「何か欲しいものある?」
「外に行かないで」
「行かないよ」
「井戸にも」
「行かない」
「私が頼んでも、水を飲ませないで」
悠介の表情が少し変わった。
「分かった」
「本当に?」
「真由がいいって言うまで、持ってこない」
悠介は真由の額へ手を伸ばした。
触れられる直前、真由は目を閉じた。
手のひらが額へ載る。
温かかった。
昨夜、何度触れても熱を返さなかった皮膚とは違う。
「熱くなってる」
悠介が言った。
真由はその手を払いのけなかった。
「怖くないの?」
「何が?」
「私も、あなたみたいになるかもしれない」
悠介は答えるまで少し黙った。
「俺がどうなったのか、まだ分からない」
「私は見た」
「うん」
「死んでた」
「うん」
悠介の返事は小さかった。
「それでも、今はここにいる」
真由は目を開けた。
「だから怖いんだよ」
悠介は額から手を離した。
「帰ったら、病院へ行こう」
「明日の朝?」
「役場の人が来たら、すぐに」
「夜になっても、そばにいて」
「いるよ」
奈緒が台所で湯を沸かしていた。
真由の持参した水を使い、薬を飲むための白湯を作る。
井戸水を勧めることはなかった。
「奈緒さん」
真由が呼ぶと、奈緒が部屋の入口へ来た。
「昨夜、悠介へ水を渡しましたか」
奈緒は少し考えた。
「井戸のところで、ですか」
「悠介が桶まで届かなくて、奈緒さんが引き寄せたんです」
「そうでしたか」
「覚えてないんですね」
「はっきりとは」
「どうして夜になると、井戸へ行くんですか」
奈緒は答えなかった。
困っているというより、答えを探しているようだった。
「喉が渇くからだと思います」
「みんな同時に?」
「夜になると、身体が重くなる人が多いんです。水を飲むと、少し楽になります」
「それを変だと思わないんですか」
奈緒は真由を見た。
「一夜熱のあとから、そうなりました」
それだけで説明になっているような口調だった。
奈緒は白湯を悠介へ渡した。
「少しずつ飲ませてください」
「ありがとう」
「何かあれば呼んでください。今夜は、私も起きています」
奈緒が帰る。
玄関の戸が閉まった。
真由は白湯を一口飲んだ。
古い薬を溶かしたような苦みが、舌へ残った。
「まずい」
「薬を飲まないと」
悠介が錠剤を掌へ載せた。
真由は白湯と一緒に飲み込んだ。
喉を通ったはずなのに、口の中はすぐに乾いた。




