表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一夜熱  作者: 古江 門
第一部 真由

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
10/16

第三話 二 息

 悠介は両手でコップをつかんだ。


 身体を起こす力はなく、真由が背中を支えた。


 一口では止まらなかった。


 喉を何度も動かし、一杯を飲み干す。


「もう一杯」


「少し休んでから」


「喉が焼ける」


 空のコップへ口をつけたまま、悠介が言った。


 真由はもう一杯汲んだ。


 それも、ほとんど休まず飲んだ。


 口元からこぼれた水が首を伝い、下着と布団へ染み込む。


「ゆっくり飲んで」


 悠介は聞いていなかった。


 三杯目の途中で咳き込み、水を吐き出した。


 真由はコップを取り上げた。


「もうやめよう」


「水」


「吐いたでしょ」


「まだ足りない」


 悠介の手が、濡れた布団をつかんだ。


 指で布を引き寄せ、口元へ近づけようとする。


「何してるの」


 真由は手を押さえた。


「こんなの舐めたら駄目だよ」


 指を一本ずつ布から外す。


 悠介は目を閉じたまま、喉の奥で何度も音を立てていた。


 真由は濡れた下着を脱がせ、乾いたものへ替えた。


 身体から汗が流れている。


 額、首、胸をタオルで拭く。


 すぐに新しい汗が浮いた。


「寒い」


 悠介が言った。


「こんなに熱があるのに?」


「寒い」


 真由は布団を掛け直した。


 手を握る。


 掌は熱かったが、指先は冷たかった。


 薬を飲ませても、熱は下がらなかった。


 四十分ほどして測ると、三十九度七分まで上がっていた。


 真由は宮内へ電話をかけた。


 呼び出し音が続いた。


 応答はない。


 もう一度かける。


 今度も出なかった。


 奈緒にも電話をかけた。


 こちらも呼び出し音だけが続いた。


「悠介、聞こえる?」


 頬を軽く叩く。


 悠介は目を閉じたままだった。


 唇が動く。


「水」


「もう飲んだよ」


「水」


 真由は迷ったあと、もう一度蛇口の水を汲んだ。


 身体を起こし、少しずつ口へ含ませる。


 悠介はコップへ吸いつくようにして飲んだ。


 こぼれた水が真由の腕まで流れた。


 服の袖で拭う。


 悠介の口元から、透明な唾液が糸を引いていた。


 タオルで拭き、枕を替える。


 濡れた布団を持ち上げると、内側から甘い臭いがした。


 湿った草を積み重ねたまま、腐らせたような臭いだった。


 真由は窓を少し開けた。


 冷たい空気が入ってくる。


 悠介の身体がさらに震えた。


 すぐに閉めた。


 夜が深くなるにつれ、家の外から人の声が消えた。


 聞こえるのは水路と雨の音だけだった。


 ときどき、井戸の滑車が鳴った。


 縄が擦れ、桶が水へ落ちる。


 悠介の震えは、少しずつ弱くなった。


「薬が効いてきた?」


 返事はない。


 額へ触れる。


 熱はまだ高かった。


 それなのに、苦しそうに歪んでいた顔が緩んでいる。


 固く握られていた手も開いていた。


「悠介」


 肩を叩く。


 瞼がわずかに動いた。


「聞こえる?」


「……うん」


 声はほとんど息だけだった。


「少し楽になった?」


 悠介の唇が動く。


「もう」


「何?」


「苦しくない」


 真由は息を吐いた。


 額のタオルを取り替える。


 呼吸は、先ほどより遅くなっていた。


 胸が上がる。


 長く止まる。


 忘れたころに、また小さく動く。


 真由は胸から目を離せなかった。


 一度動くたび、自分も息を吐いた。


 携帯電話の画面には、午前四時を少し過ぎた時刻が表示されていた。


 宮内へ電話をかける。


 呼び出し音は鳴ったが、やはり出なかった。


「悠介」


 胸が動かない。


 真由は待った。


 まだ動かなかった。


「悠介」


 肩を揺する。


 頭が力なく横へ傾く。


「起きて」


 鼻と口へ頬を近づけた。


 息は触れなかった。


 胸へ手を当てる。


 何も感じない。


 首へ指を押し当てる。


 どこを探しても、脈は分からなかった。


「嘘」


 身体を強く揺する。


 口が少し開いた。


 透明な液体が唇から流れ、顎へ伝った。


「悠介、起きて」


 真由は胸の中央へ両手を重ねた。


 何度も押した。


 身体が布団の上で揺れる。


 反応はない。


 息を吹き込む。


 悠介の口から、甘い臭いがした。


 顔を離し、もう一度胸を押す。


 数を数えようとしたが、途中で分からなくなった。


「起きてよ」


 何度呼んでも、悠介は動かなかった。


 真由は携帯電話を取った。


 宮内へかける。


 応答はない。


 画面の上には、電波が一本だけ立っていた。


 緊急通報を押す。


 呼び出し中の表示が出たあと、音が途切れた。


 もう一度かける。


 今度は接続できなかった。


 窓際へ移動しても、表示は変わらない。


 固定電話があるのは集会所だった。


 診療所は、その手前にある。


 真由は悠介へ布団を掛けた。


「先生を呼んでくるから」


 答える者はいない。


「すぐ戻るから」


 上着をつかみ、玄関を出た。


 冷たい雨が顔へ当たった。


 診療所にも、奈緒の家にも明かりはなかった。


 井戸の周りにだけ、人影が集まっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ