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とある異世界の黙示録 -if瑠璃色の事件簿-  作者: 誠珠。
第一事件 消えた白い鳥

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16/28

消えた白い鳥:遥か昔の博物館

 バスが博物館の前に到着すると、子どもたちの間にわっと小さな歓声が広がった。


 大きな石造りの建物。

 高い柱と、広い階段。

 正面の壁には、この街の歴史を描いた大きなレリーフが飾られている。



「すごい……」



 アティはバスの窓から見えた建物を見上げて、思わず声を漏らした。


 隣のシオンも、いつもより少しだけ前のめりになって窓の外を見ている。



「思っていたより、大きいです」


「うん! しかも、なんかもう外からすごい!」



 バスの中は、一気にそわそわした空気になった。



「先生、もう降りていいですか?!」


「まだですよ」


「早く見たいー!」


「はい、座ってくださいねー」



 先生の声に、子どもたちは慌てて座り直す。

 けれど、目だけはもう外へ向いたままだ。


 アティもシオンも、しおりを膝の上に乗せたまま、わくわくした顔で顔を見合わせた。



「楽しみだね、シオン!」


「はい。古代史の展示があるらしいです」


「えっ、ほんと?!」


「しおりの裏に小さく書いてありました」


「見てなかった!」


「アティは市場のページばかり見ていましたから」


「うっ」



 シオンが真面目な顔でそう言うので、アティは少しだけ言葉に詰まった。


 でも、すぐに二人とも笑ってしまう。


 やがて先生の案内でバスを降りると、博物館の前にはひんやりとした朝の空気が流れていた。

 大きな扉の前には館員たちが並び、学院の生徒たちを迎えてくれている。



「ようこそお越しくださいました。今日はどうぞ、ごゆっくりご覧ください」



 丁寧に頭を下げられて、子どもたちも慌ててぺこぺこと頭を下げ返す。


 アティはそうしながらも、視線があちこちへ飛んでいた。


 入口の横に立つ古い騎士像。

 ガラス越しに見える大きな骨格標本。

 天井の高いロビーに吊るされた、昔の船の模型。


 気になるものが多すぎる。



「アティ」


「うん?」


「口、少し開いてます」


「えっ」



 シオンに言われて、アティは慌てて口元を押さえた。



「だって、すごいんだもん……!」


「それは分かります」



 シオンもそう言いながら、目が少しきらきらしていた。


 普段のシオンは落ち着いていて、どちらかといえば静かな方だ。

 けれど、今日は違う。


 黒髪の奥の白銀色の瞳が、いつもよりはっきりと輝いて見える。


 歴史。

 本。

 古いもの。

 知らないこと。


 そういうものが好きなシオンにとって、この場所はたぶん宝箱みたいなものなのだろう。


 館内へ入ると、ひんやりとした静かな空気が子どもたちを包んだ。


 高い天井。

 磨かれた床。

 展示ケースの中に並ぶ、古い道具や装飾品。

 壁には、この地方の歴史を示す大きな地図が掛けられている。



「わぁぁ……」



 あちこちから、そんな声が漏れた。


 もちろん、子どもたちは最初こそ先生の言うことをちゃんと聞いていた。



「館内では静かに歩いてください。展示には触れません。走らないこと」


「はーい!」



 元気な返事が、揃って返る。


 その声に、少し離れたところにいたシエルがくすっと笑った。


 今日は見送りだけでなく、見学にも同行しているらしい。

 穏やかな笑みを浮かべながら、子どもたちを見守っている。



「元気なのは良いことですが、館内では少しだけ声を小さくしましょうね」



 怒るのではなく、ふわりと諭すような声音だ。



「ここには、昔のものたちが眠っていますから。みなさんも、起こしすぎないように、そっと見てあげてください」


「はい!」



 子どもたちはまた元気よく返事をする。


 ……けれど、やっぱり子どもだ。


 大きな恐竜の化石が見えれば『でっか!』と声が出る。

 古い甲冑が並んでいれば『これ本物?!』と目を輝かせる。

 昔の街並みを再現した模型の前では『ここ住みたーい!』なんて声も飛ぶ。


 先生たちは『静かにですよー』と声をかける。

 シエルも少し困ったように、でもどこか楽しそうに笑っている。


 博物館の館員たちも、そんな子どもたちを迷惑そうにするどころか、どこか和やかに見守っていた。



「ふふ、元気ですねぇ」


「いいことじゃのぉ。ちゃんと興味を持って見てくれておる」



 そんな小さな声が聞こえる。


 アティは展示ケースの前で足を止めた。


 昔の航海用の道具。

 星の位置を測るための金属器具。

 古びた地図。

 羅針盤。



「わぁ……」



 ガラス越しにじっと見つめる。



「これ、本で見たことある」


「私もです」



 気づけば、シオンもぴたりと隣に並んでいた。



「昔の航海士が使っていたものですね」


「本物かな」


「たぶん、本物です。説明札に“当時使われていた実物”って書いてあります」


「ほんとだ!」



 二人とも説明札に顔を寄せる。


 読む。

 展示を見る。

 また読む。

 そしてまた展示を見る。


 その繰り返しが楽しくて仕方ない。


 次の部屋には、この地方で発掘された装飾品や土器が並んでいた。



「見て、シオン! この模様かわいい!」


「こっちの銀細工も綺麗です。すごく細かい……」


「昔の人すごいねぇ」


「本当に」



 アティもシオンも、もうすっかり夢中だった。


 気になるものがあるたびに立ち止まって、説明を読んで、小さく感想を言い合う。

 その顔は、二人ともいつも以上に子どもっぽくて、きらきらしていた。


 不安だとか、昨日の小さな違和感だとか、そんなものはもうどこかへ飛んでいた。


 今はただ、楽しい。


 知らないものを見るのが楽しい。

 知っていたものの本物を見るのが楽しい。

 シオンと一緒にあれこれ話すのが楽しい。


 そんな時間だった。


 その時だった。


 少し離れた通路の向こうに、妙に目を引く人影が見えた。


 黒い帽子。

 サングラス。

 いつものスーツとはまったく違う、洒落たジャケット姿。

 遠目には、少し上品な女性客のようにも見える。


 立ち方も、いかにも一般客っぽい。


 でも。



「あれ……?」



 アティは小さく首を傾げた。



「どうしました?」


「ううん……」



 見間違いかと思った。


 でも、あの姿勢。

 ちょっと周りを見る目つき。

 それから、何となくの雰囲気。


 アティはじっとその人を見る。


 その人も、ほんの一瞬だけこちらを見た。

 そしてすぐに視線を外す。


 けれど、その外し方が逆に怪しかった。



「あ」



 アティはぱっと表情を明るくした。



「ナギさんだ!」


「え?」



 シオンが目を丸くする。


 アティはシオンに小さく頷いてから、そちらへ近づいていった。



「あ、ちょっと、アティ」


「大丈夫、ちょっとだけ!」



 シオンが慌ててついてくる。


 黒帽子の人物――ナギは、内心ぎくりとした。


 まさか、と思った。


 他の子どもは誰も気にしていない。

 普通に見れば、ただの来館者だ。


 なのに、アティだけがまっすぐこちらへ来る。



「ナギさん!」



 小さな声で呼ばれて、ナギは諦めたように小さくため息をつく。

 サングラスの奥の目を少しだけ細め、口元だけで笑った。



「……よう分かったなぁ」


「やっぱりナギさん!」



 アティは嬉しそうに笑う。


 シオンは隣で、目をぱちぱちさせていた。



「本当にナギさんなんですか?」


「ほんまにナギやで。……せやけど、今は仕事中や」



 ナギはそう言って、人差し指を口元に当てた。



「しー、や。黙っといてな」


「うん!」



 アティは素直に頷く。


 でも、その目はちょっと得意そうだった。



「えへへ、わかった」


「なんで分かったん? うち、けっこう馴染んどったやろ」


「なんとなく!」


「それでバレるん怖すぎるやろ……」



 ナギが小さく呟いた、その時だった。



『おい』



 耳元の小型無線から、低い声が流れる。



『子どもにバレるような変装をするな。もう一度、躾け直すか?』



 グレンの声だ。


 ナギの表情は変わらない。

 けれど、こめかみがぴくりとした。


 小さく息を吐いて、ぼそっと返す。



「やめぇや……。アッシュはんの子ぉにバレたくらいで、堪忍したってや」



 アティはその声に、目を丸くした。



「グレンさん?」


「しっ」



 ナギが慌てて小声で制した。



「その名前を今、出したらあかんて」


「ご、ごめんなさい」


「ええよ。……ほんで、アティちゃんは気づいたけど、他の子ぉは気づいてへん。せやから、内緒や。ええな?」


「うん!」



 アティはまた頷く。

 シオンも状況はよく分かっていなさそうだったが、とりあえず一緒に頷いていた。



「約束します」


「助かるわぁ……」



 ナギは肩の力を抜く。


 その時、少し離れたところから先生の声がした。



「アティさん、シオンさん、次のお部屋へ行きますよー」


「はーい!」



 アティが元気よく返事をする。


 それからナギを見上げて、にこっと笑った。



「お仕事、頑張ってね」


「……そっちも、楽しみや」



 ナギは少しだけ目元を緩めた。



「ちゃんと先生の言うこと聞くんやで」


「うん!」



 アティはシオンと一緒に先生の方へ戻っていく。


 その背中を見送りながら、ナギは小さく息を吐いた。



「子どもにバレるとか、なんでやねん……」



 耳元の無線から、間髪入れずに声が返る。



『気が緩んでいる証拠だ』


「厳しすぎひん?」


『甘いよりはマシだろ』


「はいはい。ほな、ちゃんと見ときますわ」



 ナギは帽子のつばを軽く押し上げる。


 視線の先では、アティがもう次の展示に目を輝かせていた。


 その姿は、何の不安も知らない子どものそれだ。


 それでいい、とナギは思う。



(知らんまま、楽しんどいたらえぇわ)



 そのために、自分たちがいるのだから。


 ◇


 博物館の中では、今日も子どもたちの小さな歓声があちこちに弾んでいた。

 静かに、と言われながらも、心まで静かになんてしていられない。


 見たいものが多すぎて、知りたいことが多すぎて、楽しくてたまらないのだ。


 そんな賑やかな空気の中で、不穏の影だけが、誰にも気づかれないように静かに動いていた。


 博物館の見学は、まだまだ続いていた。


 古い見たことのない道具。

 街の成り立ちを示す地図。

 昔使われていた衣装や楽器のようなもの。


 どれもアティにとっては初めて見るものばかりで、説明札を読むたびに胸がわくわくした。


 シオンも隣で、いつもより目を輝かせている。

 普段は静かで落ち着いているのに、今日は気になる展示を見つけるたびに足が止まる。


 説明札を読む目も、展示を見る横顔も、少しだけ子どもらしく弾んでいた。



「アティ、これ見てください」


「なになに?」



 シオンが指差した先には、奥まった展示室があった。


 他の部屋より少し照明が落とされ、壁には大きな文字でこう書かれている。


【遥か昔の信仰と伝承】


 アティはその題名を見た瞬間、ぱっと顔を明るくした。



「伝承だって!」


「昔話の展示でしょうか」


「絶対面白いやつだよ!」



 二人は足早になりそうになって、途中で同時にぴたりと止まった。


 昨日、シエルに言われたことを思い出したのだ。


 楽しい時ほど、周りを見ること。


 アティとシオンは顔を見合わせる。



「……歩こう」


「はい。走ってはいけません」



 二人は少しだけ早い普通歩きで、展示室へ向かった。


 中に入ると、そこには今までとは少し違う展示が並んでいた。


 古い壁画の複製。

 欠けた石板。

 変わった形の装飾品。

 白い髪の人物が描かれた絵。

 剣を持つ者、杖を掲げる者、翼のような光を背負う者。


 アティは息を呑んだ。



「……きれい」



 ガラスケースの中には、小さな金属製の輪が置かれていた。


 説明札にはこう書かれている。


【神子と守護者の契約環。用途不明。伝承上では、神に選ばれた者とその守り手を結ぶものとされる】



「神子……」



 アティはその言葉をゆっくり読み上げた。


 隣でシオンも説明札を覗き込む。



「神に選ばれた人、という意味でしょうか」


「守護者って、守る人だよね」


「はい。神子を守る人だったのだと思います」



 アティは展示の絵を見る。


 白い髪の人が、光の中に立っている。

 その後ろには、剣を持った人。

 もう一人は、何か大きな武器を持っているようにも見えた。


 絵は古く、色もかすれていた。

 それでも、不思議と目を引く。


 白い髪の神子。


 その言葉に、アティはふとアリスを思い出した。


 白い髪で、明るくて、よく笑って、たくさん食べるアリス。

 それから、シエル先生。

 いつも穏やかで、困っている時にいつの間にかそばにいてくれる人。


 ユエ先生も、どこか不思議だ。

 優しくて、何でも見透かしているみたいで、時々、普通の先生とは違う気がする。


 もし、この文献にあるような神子という人たちが本当にいたなら。


 アリスお姉ちゃんや、シエル先生や、ユエ先生がそうだったとしても、なんだか不思議じゃない気がした。


 もちろん、本当にそうだとは思っていない。

 でも、想像するだけなら自由だ。


 アティは絵の中の白い髪の人を見上げながら、小さく笑った。



「昔は、本当にこういう人たちがいたのかな」


「説明には【伝承】と書いてあります」


「伝承って、本当かもしれない昔話ってこと?」


「完全に本当とは限りません。でも、何か元になった出来事があった可能性はあります」


「シオン、すごい」


「本で読みました」



 シオンは少しだけ得意げだった。


 その顔が子どもらしくて、アティも嬉しくなる。


 次の展示には、古い本の複製が開かれていた。


【魔法に関する記述】


 その文字を見た瞬間、アティの目が輝いた。



「魔法!」



 思わず声が大きくなる。


 シオンも、ぱちりと目を瞬かせたあと、ぐっと展示に近づいた。



「魔法……本当に書いてあります」


「魔法って、あの魔法? 杖を振ったら光が出るとか、空を飛ぶとか、変身するとか!」


「変身は、現代の魔法少女ものに近い気がします」


「あ、そっか!」


「でも、昔の記述では、火を起こす、傷を癒やす、身を守る、遠くへ移動する、などとあります」


「えっ、すごい! 便利すぎる!」



 アティは説明札を読む。


【現在、魔法の実在は確認されていない。だが、各地の古文書には、魔力、神聖魔法、転移、治癒などの記述が断片的に残されている】



「魔力だって!」


「神聖魔法……」


「神様っぽい!」


「神子と関係があるのかもしれません」


「じゃあ、神子は神様の魔法が使えたのかな?」


「可能性はあります」


「守護者も?」


「守るための力があったのかもしれません」



 二人はどんどん前のめりになっていく。


 子どもたちは最初、ちゃんと静かに見ていた。


 けれど、神子、守護者、魔法、神様、女神。


 今の世界では考えられないような言葉が次々出てきたら、落ち着いている方が難しかった。


 最初は小さな声だったのに、気づけば周りの子どもたちの声が少しずつ大きくなっていた。


 展示室の空気が、少しずつ騒がしくなる。


 アティもシオンも、気づけばまた説明札に顔を近づけている。



「見て、シオン。ここに【複数の種族】ってある」


「人間以外にも、いろいろな姿の人がいたとされています」


「耳が長い人とか?」


「絵を見る限り、そういう人物もいます。あと、獣の耳のようなものが描かれている人もいます」


「獣の耳……リリィさんみたいな見えない耳じゃなくて、本当に?」


「本当にあったのかもしれません」


「すごい……!」



 アティの声がさらに弾む。


 シオンも、もう完全に夢中だった。



「こちらには、神々と人が交流していたとあります」


「神様とお話できたの?!」


「伝承上では、神託という形で言葉を受け取ったこともあるとされています」


「神託……!」


「女神様が世界を見守っていた、とも書かれています」



 シオンがそう読むと、アティは展示の奥にある一枚の絵を見上げた。


 大きな木。

 その根元に集まる人々。

 空から光を降ろす、女神のような存在。


 今の世界では考えられない。


 でも、完全な嘘とも思えない。


 もし本当に昔、魔法があって、神子がいて、守護者がいて、いろんな種族がいて、神様と話せたのなら。


 それはどんな世界だったのだろう。



「いいなぁ……」



 アティはぽつりと呟いた。



「魔法があったら、毎日すごく楽しそう」


「危ないことも多そうです」


「それはそうだけど」


「でも……見てみたいですね」



 シオンの声も、いつもより少し柔らかかった。



「魔法が本当にあった世界」


「うん!」



 アティは大きく頷いた。



「もし魔法が使えたら、シオンは何したい?」


「本を浮かせたいです」


「本?」


「手が疲れません」


「実用的!」


「あと、暗いところでも読める光の魔法が欲しいです」


「完全に本用だ!」


「便利です」



 アティは笑う。



「私はね、キラキラした魔法を出したい!」


「攻撃ですか?」


「違うよ! こう、ぱぁって光って、みんながわぁってなるやつ!」


「演出魔法ですね」


「そう、それ!」


「魔法少女です」


「やっぱり?」



 二人がくすくす笑っていると、背後から柔らかな声がした。



「楽しそうですね」



 振り返ると、シエルが立っていた。


 にこにこと穏やかに笑っている。

 ただし、その笑顔には少しだけ先生の気配が混じっていた。


 アティとシオンは、同時に背筋を伸ばす。



「あっ」


「すみません。少し声が大きくなりました」



 シオンが真面目に謝る。


 アティも慌てて頭を下げた。



「ごめんなさい」


「興味を持つのは、とても素敵なことですよ」



 シエルは優しく言った。



「ですが、ここには他のお客様もいますから、楽しい時ほど少しだけ声を小さくしましょうね」


「はい」


「気をつけます」



 周りの子どもたちも、シエルの声に気づいて少しだけ静かになる。

 けれど、目はまだきらきらしていた。


 シエルは展示室を見回す。


 遥か昔のものとして、今はガラスケースの中に置かれている言葉たち。


 神子。

 守護者。

 魔法。

 種族。

 神々。

 女神。


 シエルはそれらを見て、少しだけ目を細めた。


 懐かしむような。

 遠くを見るような。


 けれど、その表情はすぐに、いつもの優しい先生のものへ戻る。



「こういう遥か昔の不思議な話は、夢物語のように見えますよね」


「はい」



 アティは素直に頷いた。



「でも、完全に嘘だと言い切ることもできません」


「えっ」


「本当にあったかもしれないんですか?」



 子どもたちが一気に身を乗り出す。


 シエルはくすりと笑った。



「かもしれない、ですよ」


「かもしれない!」


「魔法、あったかもしれないってこと?!」


「神子も?!」


「守護者も?!」


「女神様も?!」



 子どもたちは、さっきよりさらに目を輝かせた。


 先生が少し離れたところで『声の大きさに気をつけてくださいね』と苦笑している。


 シエルも困ったように微笑んだ。



「ほら、また声が大きくなっていますよ」


「あっ」


「すみません!」



 子どもたちは慌てて声を落とす。


 でも、興奮は隠しきれていない。

 アティもシオンも同じだった。



「シエル先生」


「はい」


「もし、今も魔法があったら、シエル先生は何をしたいですか?」



 アティが聞く。


 シエルは少しだけ考えた。

 ほんの少しだけ、遠くを見た。


 それから、柔らかく笑う。



「そうですね。誰かが困っている時に、助けられる魔法があれば素敵ですね」


「回復魔法?」


「それもいいですね」


「守る魔法も!」


「ええ。守る魔法も、とても大切です」



 その声が、少しだけ深く響いた気がした。


 アティは不思議そうにシエルを見る。

 でも、すぐにまた展示へ視線を戻した。



「私も守る魔法、使ってみたいなぁ」


「アティはお父さんを守るんですか?」



 シオンが聞く。


 アティはぱっと顔を上げた。



「うん! お父さんも、アリスお姉ちゃんも、クロも、みんな!」


「範囲が広いです」


「じゃあ、広い守る魔法にする!」


「大魔法ですね」


「かっこいい!」



 アティが楽しそうに笑う。


 シオンも、小さく笑った。



「私は、記録魔法がいいです」


「記録魔法?」


「見たものや聞いたことを、忘れないように残せる魔法です」


「シオンっぽい!」


「便利です」


「じゃあ、私の大魔法も記録してね!」


「はい。成功したら」


「失敗したら?」


「それも記録します」


「えー!」



 二人のやり取りに、周りの子どもたちも笑った。


 博物館の人たちも、少し離れたところで目元を和らげている。


 子どもたちは騒がしい。


 でも、それは展示を退屈がっているからではない。


 知りたいから。

 想像したいから。

 もし本当にあったら、と考えるのが楽しいから。


 その元気さが、展示室の空気を温かくしていた。


 誰かが小さく呟いた。



「魔法が今もあったらいいのに」


「ねー!」


「僕、絶対守護者になりたい!」


「私は神子!」


「私は魔法少女!」


「それ、ちょっと違わない?」



 また小さな笑い声が広がる。


 アティも笑った。

 シオンも笑った。


 不安は、もうどこにもなかった。


 昨日見た不審な人影も。

 今朝、市場の前で見た濃灰色のバンも。

 ほんの少し胸に引っかかったものも。


 今は、全部遠くにある。


 目の前にあるのは、遥か昔の不思議な話。

 魔法という幻が、本当にあったのかもしれないというわくわく。

 その世界を想像する楽しさだけだった。


 アティはもう一度、壁画を見上げた。


 白い髪の神子。

 それを守る守護者。

 大きな木と、光の女神。



「……いつか、本当に見られたらいいのにな」



 小さな呟きは、誰にも聞こえないくらいだった。


 けれど、すぐ隣でシオンが静かに頷く。



「はい。見てみたいです」



 二人はしばらく、その壁画を見上げていた。


 夢物語のようで。

 でも、ほんの少しだけ、本当にあったかもしれない世界を。


 博物館を出る頃には、子どもたちはみんな少し頬を上気させていた。


 館内では何度も『静かに』と言われたはずなのに、外へ出た瞬間、堰を切ったように声が弾ける。



「すごかったね!」


「もう一回見たかった!」


「魔法の展示、もっと読みたかった!」


「守護者ってかっこよかった!」



 先生たちは『道に広がらないでくださいね』と声をかけながらも、どこか微笑ましそうだった。


 アティも、胸の中がまだぽかぽかしていた。


 知らないものをたくさん見た。

 今の世界では考えられないような言葉にも触れた。

 夢物語みたいなのに、本当にあったかもしれない世界を想像した。


 それだけで、頭の中がきらきらしている。



「シオン、帰ったらもっと調べたいね」


「はい。まずは、今日見た展示の名前を忘れないように書いておきたいです」


「今から?」


「できれば」


「シオンらしい!」



 シオンは少しだけ照れたように目を伏せた。



「興味深かったので」


「うん。すごく面白かったもんね」


「それに、アティと話すと、考えたことが増えます」


「えっ、そうなの?」


「はい。アティは、私が思いつかない方向へ話を広げます」


「それ、褒められてる?」


「褒めています」


「やった!」



 アティが笑うと、シオンも小さく笑った。


 バスへ乗り込む前、アティは一度だけ博物館を振り返る。


 大きな扉の向こうには、さっきまで見ていた遥か昔の展示がある。


 魔法という幻が、本当にあったのかもしれない。


 そう思うだけで、まだ胸がふわふわした。


   ◇ ◇ ◇


 宿泊施設に着くと、子どもたちの興奮はまた別の形で戻ってきた。


 広い玄関。

 高い天井。

 ロビーに並んだ観葉植物。

 窓の向こうに見える中庭。



「ここに泊まるの?!」


「ホテルみたい!」


「部屋どこだろ!」



 さっきまで博物館の話をしていた子どもたちが、今度は宿泊施設のことでいっぱいになる。


 アティも鞄を抱え直し、きょろきょろと周りを見た。



「ほんとに泊まるんだ……」


「しおりの中にいた予定が、現実になっています」



 シオンがぽつりと言う。


 アティはぱっと顔を向けた。



「それ、すごく分かる!」



 施設の人から説明を受けたあと、子どもたちは部屋へ向かった。


 アティたちの部屋は四人部屋だった。


 ベッドが四つ。

 窓際の小さな机。

 壁に貼られた施設案内図。


 それだけで、もう特別だった。



「私、こっち!」


「じゃあ、私はこっち!」



 同じ班の子たちが楽しそうに荷物を置く。


 シオンは窓際のベッドを見て、アティへ視線を向けた。



「アティ、窓側どうぞ」


「いいの?」


「はい。景色が見たいと思うので」


「ありがとう!」



 アティは窓際のベッドに鞄を置いた。


 窓の外には、中庭の木々が見える。


 家とも学院とも違う景色。

 それが、修学旅行に来たのだと改めて感じさせた。


 ◇ ◇ ◇


 夕方のレクリエーションは、多目的ホールで行われた。


 班ごとに協力して進むゲーム。


 低い台を越え、輪投げをして、簡単な問題を解きながらゴールを目指す。



「走るだけではありません。よく見て、よく聞いて、班の人と相談してくださいね」



 先生の説明に、子どもたちが元気よく返事をする。


 アティは低い台を見た瞬間、昨日の体育を思い出した。


 向こうを見る。

 手をつく場所を決める。

 止まらない。



「シオン」


「はい」


「リリィさんのやつ、使えるかも」


「台を越えるところですね」


「うん。止まらない!」



 ゲームが始まると、ホールの中は一気に賑やかになった。


 輪投げが外れて悔しがる子。

 問題で班全員が首を傾げる子。

 台の前で一瞬止まりかける子。


 アティの番が来る。


 台は低い。

 けれど、見た瞬間に足を止めると、少し怖くなるのも分かる。


 アティは小さく息を吸った。


 向こうを見る。

 手をつく。

 止まらない。


 軽く助走をつけて、台を越える。



「できた!」


「速かったです」



 シオンが小さく拍手する。



「次、シオン!」


「はい」



 シオンは台の前で少しだけ間を置いた。


 でも、すぐに小さく呟く。



「止まらない」



 そして、ちゃんと向こう側へ越えた。



「できました!」


「シオン、すごい!」


「台にも止められませんでした」


「昨日は跳び箱だったもんね!」



 二人は顔を見合わせて笑った。


 班の子たちも応援してくれて、最終結果は二位。


 一位ではなかったけれど、みんなで大喜びした。



「惜しかったー!」


「でも二位すごいよ!」


「輪投げがあと一個入ってたら一位だった!」



 アティも息を弾ませながら笑っていた。


 博物館も楽しかった。

 宿泊施設も楽しい。

 レクリエーションも楽しかった。


 まだ一日目なのに、胸の中はもういっぱいだった。


   ◇ ◇ ◇


 夕食と入浴を終え、部屋へ戻る頃には、みんな少しずつ眠たそうになっていた。


 それでも、明日の話になると目が覚める。


 アティはベッドの上でしおりを広げた。


 リュミエール大市場。

 班行動。

 集合時間。


 その文字を見ただけで、また胸が弾む。



「明日、いよいよ市場だね」


「はい。入口のお店からです」


「それから中央通り」


「時間があれば噴水の近く」


「見るだけ屋台!」


「見るだけです」


「分かってる!」



 二人は小さく笑う。


 シオンはしおりを覗き込みながら、少しだけ声を落とした。



「もし、明日のお土産屋さんに、魔法の道具みたいなものがあったらどうしますか?」



 アティは目を輝かせた。



「買う!」


「即答です」


「だって、魔法の道具っぽいやつだよ!」


「本当に魔法は使えないと思います」


「分かってるけど、そういう感じのもの!」


「例えば、星の形のペンダントとか」


「いい! お母さんにも似合いそう」



 アティはそう言ってから、少しだけ考え込む。



「お父さんには、何がいいかなぁ」


「割れないもの、使えるもの、甘いもの、でしたよね?」


「条件が難しい……」


「市場なら、きっと何かあります」


「うん。見つける」



 アティは枕に頬を乗せる。


 今日一日、たくさん歩いて、たくさん見て、たくさん笑った。


 身体はもう眠たい。

 でも、心はまだ起きていたい。



「シオン」


「はい」


「明日も、いっぱい見ようね」


「はい」


「お土産も、ちゃんと選ぼうね」


「はい」


「あと……魔法っぽいものも……」


「探しましょう」


「うん……」



 声が少しずつ小さくなる。


 シオンはアティの手元を見た。



「アティ」


「ん……?」


「しおり、折れます」


「……ん」



 シオンがそっとしおりを抜き取り、枕元に置く。


 アティは安心したように、小さく息を吐いた。



「明日……楽しみ……」


「はい。楽しみです」



 シオンも自分の布団に入る。


 部屋の灯りが消える。


 窓の外には、宿泊施設の中庭が静かに見えていた。


 今日の博物館の余韻と、明日の市場への期待。


 それらを胸に抱いたまま、子どもたちは少しずつ眠りに落ちていった。

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