こいつは誰だ?
なんだ……?
ふかふかだ。
「この傷薬、すごい。一瞬で治ってく」
「はるとが持たせてくれた傷薬なの。やっぱり効きが良いわね!」
「…………」
「あっ、橘さん、良かった。目が覚めたんですね!」
ゆっくりと目を開けると、加藤さんが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「え……っ!?」
「ダメよ。背中を強打したでしょ。でも、真っ二つにならないで良かったわねぇ」
「え……く、熊が喋ってっ!?」
俺は、白熊に身を委ねながら寝ていたらしい。でも、この白熊の声、どっかで来たことがあるような。
「透和様……」
心配そうに耳を垂れて見上げている黒猫。
ああ、そうだ。俺は……。
庭で倒れたんだっけ。
あれ、腹の傷が治ってる……。俺は額に手を当てると鬼につけられた傷も塞がっている。
「どうなったんだ?」
「……大丈夫です。橘さんの両親はベッドまで運びました」
「あの、妖は?」
「身動きは取れませんが、そのうちまた暴れるかも」
「そっか。ごめんな。巻き込んで、怖かっただろ」
加藤さんは、自分の腕を掴んで俯いた。
「少し……。でも、私から首を突っ込んだことです。橘さんのせいではないです」
「それから、えっと……」
俺は、背中に走る鋭い痛みに顔を歪めた。
少しでも体を動かそうとすると、背骨の奥まで響くような鋭い痛みが全身を貫く。
仕方なく、首だけをゆっくりと動かす。
ソファには、少年が座っていて、端っこには縄で縛られている鬼がいた。鬼はまだ気を失っているようだ。
「……えっと、状況がよく分からないんだけど、説明してくれないか?」
「私は紬よ。ちょっと油断して、姿を変えられたの。魚みたいな妖に」
白熊は大きな手の肉球を見せながら手を挙げて、ゆっくりと自分の胸に手を当てた。
「それって、人間を妖にしているっていう?」
「えぇ、そうよ。でも、妖も変えられちゃうみたいなの。しかも、妖の場合は人間だけじゃなくて違う動物にも変えられちゃうみたいだけど」
紬はふふふっと苦笑して、自分の頬に手を当てる。
「ホント、困ったわぁ。まさか魚みたいな妖を見つけたまでは良かったのだけど、うっかりと姿を変えられちゃうんですもの」
「それで……この鬼って」
「碧生ちゃん? さっきはごめんなさいね。碧生ちゃん、やんちゃだから、ついつい人間とじゃれたくなっちゃうのよ」
「じゃれる……って、そんなレベルじゃなかったんだけど。俺、死ぬかもしれなかったんだけど」
「碧生ちゃんは手加減を知らないの。でも、間に合って本当に良かったわ」
ニコッと紬は微笑んでいると、加藤さんは声を荒らげた。
「ふざけないでください!!」
加藤さんは紬を睨む。
「人間は、あなた達とは違うんです。すぐに死ぬし、寿命も違う!! 長い年月も生きているあなた達と違って、人間の一生なんてあっという間なんです。だから、今を必死に生きてるんです。それを……おもちゃみたいに扱って、平気な顔してるなんて、許せないです」
「加藤さん」
怒りで最後は早口になっているが、言い終わると肩で息をしている加藤さんを見ると、よっぽど怖かったんだなって伝わってきた。
「……人間だって、私達妖を使役して……役に立たなければ、簡単に切り捨てていたのよ。人間も妖と変わらないじゃない。残忍で、冷酷で──それでいて、とても可哀想な人達」
「いつの話しですか!?」
「もう随分昔だけどね」
「そんな昔の話、私には関係ありません」
「……えぇ、そうね。関係ない。関係ないけど……あなたの力、嫌な記憶を思い出しちゃうのよ」
紬は目を細め、加藤さんを睨む。
妖を使役した……?
「陰陽の力。その中のひとつに妖を捕らえて封印して、自分の力として使える術があるの。でも、その術を知る者は今はこの世にいないから、少しは安心なんだけどね」
それが本当なら、紬は人間を恨んでるってことになるんじゃないか……?
なんで人間の味方みたいなことしてるんだ?
俺の視線に気付いた紬は困ったように笑った。
「どんな過去があろうと、私は人間が好きよ」
なんて声をかければいいんだろう。
悩んでいると、鬼の碧生が目を覚ました。
碧生は部屋を見渡してから、子猫になっている里桜を見つけると血の気が引き、青ざめていく。
紐で縛られたまま、床に額を擦り付けた。
「り、里桜様のご友人でしたかっ! そうとは知らずに大変なご無礼を」
こいつは誰だ?
さっきまで俺をおもちゃみたいに扱って、殺気を巻き散らかしていた鬼と同一人物だとは思えない。
声のトーンも、表情も、態度も……まるで別人。
媚びるような態度に、丁寧すぎる敬語。
まるで『里桜の関係者』と分かった瞬間、スイッチが切り替わったように。
「透和様は友人ではありません! 私の旦那様です!!」
「はっ!! そうでしたか! 旦那様だったなんて、道理で堂々としていると思ってたら。そういう理由でしたか」
「納得するな! 旦那じゃないから、しかもキャラ変わってるし」
しんみりとしている空気に気づいてないのか、碧生は媚びを売るような声を出してきた。
自力で紐を解いた碧生は立ち上がった。
一回咳払いをした。
「それはそうと……なんでそんなお姿に」
「妖が変な力を使って……こんな姿に。でも、碧生さんなら、解いてくれるってお姉さんが言ってました」
「解けるでしょ」
里桜が言うと、碧生は紬の顔を見た。
紬はゆっくりと頷いて、碧生を見ている。
「……なるほど。良いでしょう!! 他でもない里桜様の頼みですからね」
碧生は指を軽く鳴らすと、里桜、紬、黎の姿が元に戻った。
里桜は自分の手を見たり、足を見たりして確認している。
紬は動くことはせずにただ座っている。
けど、さっきまで白熊の姿だった紬に寄りかかって横になっていたんだ。
人の姿になった紬に自然と膝枕される形となってしまった。
黎は、もう少し人間の姿でいたかったのか残念そうにしていた。
「さて、元に戻ったところで帰りましょうか」
紬は、俺の頭を優しく撫でた後、微笑んだ。
ゆっくりと俺の頭から膝を退かして立ち上がった紬に、俺は引き止めようとした。
だが、体を起こそうとした瞬間、背中に焼けるような激痛が走った。
息が止まり、一瞬だけ頭の中が真っ白になる。
腕に力を込めようとしても、痛みで指が痙攣するだけで、ほとんど動かない。
変な体勢のまま、声を精一杯絞り出す。
「待って。俺達はまだ状況が掴めてないんだ。俺の両親や町の人……それからあの、妖はどうなるんだ」
「そうねぇ。教えてもいいけど……条件があるの」
「条件?」
紬は穏やかに微笑んでゆっくりと白くて細い指で指さした。
その指先はしっかりと加藤さんを指さしていた。
「あなたは席を外してちょうだい。それが条件よ」
「なんで加藤さんだけ」
「……だって、怖がってるじゃない。可哀想よ」
紬は少し困ったように目を細め、加藤さんの方を見たまま続けた。
「それに……あなたの近くにいると、どうしても胸の奥がざわついちゃうの。あまり良くない感じでね」
「……」
「だから、今は少し離れていてほしいの。お願い」
加藤さんは、紬の言葉に息を詰めたように黙り込んだ。
それから、静かに俯いて、小さく頷いた。
「わかりました」
加藤さんは重たい足取りでリビングを出ていった。




