猫に戻ってしまった私【里桜視点】
「あれ」
私は、立ち止まった。急に止まったせいか黎が背中に当たってしまいます。
「いってて。急に何……」
黎が顔面を抑えて私を見つめてきましたが、そんな事はどうでもいいのです。
飴を黎に取られたくなくて、無我夢中で走っていたら森の中に迷い込んでしまったようです。
元来た道を引き返そうとしたら、来た道が分かりません。
無我夢中で走っていたせいか、獣道を進んでいたみたいです。
困りました。
「大変です。迷いました……」
「迷っ……」
私の一言に黎は慌てて周りを見渡す。
ぱくっと棒付きキャンディーを口に入れ、噛むと、黎は悔しそうにしてきます。
でもそんな事はどうでもいいんです。ただ、この世にこんなにも甘くて美味しいものが存在していた事に幸せを感じます。
思わず頬を押さえたくなるほどの至福の時です。前世でも、こんな美味しいものは食べたことなかったんです。
透和様は、隠してたんでしょうか? 独り占めしていたのでは!? とは一瞬思いましたが、私は知っています。必死に調べものしてて、前世のにとって、何が身体に悪いのかとか……。
きっと飴は猫にとって毒だったんでしょうね。
私は、飴を綺麗に剥ぎ取った棒をティシュに包んで袂にしまう。
黎はよっぽど食べたかったのか、ガックリと肩を落としています。
「透和様に頼めば貰えますよ。今は、森を抜けなくては!」
「そ、そうだな」
ガサッ。
不自然に草が揺れた。
誰でしょうか。
ガサガサッ。
今度は大きく揺れています。
黎は、私の背中に隠れてしまいました。
ひょこっと顔を出したのは……、
「あら……。里桜じゃない」
「お姉さん」
紬お姉さんでした。
私はお姉さんに駆け寄ります。
「どうしてここに?」
「この辺に、人間を妖にしちゃう妖がいるかもという情報があってね。それに、ここの町は異様な空気が漂ってるから、それも含めて碧生ちゃんと調査してたのよ。里桜は?」
「私は透和様が実家に顔を出したいって言われたのでついて行ったら、迷子になってしまって」
「そうなの? あら、その子は?」
「お、俺様は黎だ!」
黎はピクっと肩を震わせた後、怯えながらも私の前に出た。
お姉さんはしゃがみ込んで、微笑む。
「可愛い妖だわ。それに……黎。良い名前ね」
「…………」
黎は何も言わなかったですが、頬を染めて目をキラキラさせて尻尾を振っているので褒められて嬉しいんでしょう。
お姉さんは妖力が強いから、弱い妖は、その力に圧倒されて怯えてしまうと聞いたことがあります。
多分、黎もそうなんでしょうね。
「見つかったんですか?」
「この近くに川があって、そこにいるとは思うんだけど」
「川、ですか」
「そ、それなら……俺様が木に登って見てみるぞ」
「本当!? 助かるわ」
お姉さんはパンっと両手を合わせて嬉しそうに笑う。
黎は木に登って周囲を見回すと、すぐに降りてきました。
「近くにあるぜ」
黎を先頭に、私、お姉さんの順に一列になって歩き出すと、ほどなくして川が見えてきました。
お姉さんは、黎の前に立つと冷気を発した。
黎は驚いて、私の頭に乗ってきました。
その冷気は、川の水面をゆっくりと凍らせていきました。
次の瞬間、凍ったはずの水面が浮き上がり、お姉さんに向かって飛んできました。
お姉さんは片手を軽く振りましたら、飛んできた氷は、地面に落ちて砕けました。
氷を足で踏みつけて、お姉さんが大きく声を張り上げます。
「隠れてないで出てきなさい」
川はシーンっと、静まり返ったまま。
「そう……なら、力ずくで出させてあげるわ!」
お姉さんが片手を振りかざした、その瞬間──。
川の水が生き物のようにうねり、蛇のように細長く伸びてお姉さんに絡みついてきました。両手を、両足を、するすると巻き付けて動きを封じてしまいます。
このままではいけないと思って、力を使おうとしたら、同じように水が蛇のように絡みついてきました。
黎も巻き付かれてるようで呻き声をあげながら地面に倒れてしまいました。
「黎っ、気をしっかり……」
必死に声を出すと、巻き付きが強くなってしまいました。
水はうねりを増し、お姉さんの顔の前まで這い上がってきました。その先端がゆっくりと人の顔の形のような……けれど魚のような形になっていくのでした。
「……お前、違う」
「!?」
次の瞬間、お姉さんはそのまま水に飲み込まれました。
その水は、勢いを増し、私や黎までも飲み込みます。
水の中だというのに、冷たいはずの水が焼けるように熱く、とても痛い。体の芯から、何か異質な力が流れ込んでくるような感覚がして、とても気持ち悪いです。
もがけばもがくほど、苦しくなって……、意識が……遠くなっていきました。
◇◇◇
「……お」
私は目を開けました。まだ意識ははっきりとしていません。
どうしたんでしたっけ?
「……透和様?」
目の前には、透和様がいるような……でもぼやけててはっきりとは分かりません。膝枕をしていて、優しい頭を撫でてくれます。気持ちいい。
「里桜」
「──っ!?」
起き上がろうとして、はっとします。目の前にいるのは透和様ではありません。
白くてもふもふした大きな動物でした。
ですが、違和感があります。声は……お姉さんです。
あれ……?
いつもと視線の高さが違います。
自分の手を見下ろすと、そこには黒い獣の毛が。
顔を触っても、人間のときのつるりとした感触はありません。
慌てて近くの川面に映る自分を確認します。
そこにいたのは、一匹の黒猫でした。
これは……前世の、私の姿です。
「おっ、やっと目が覚めたか」
突然、誰かに抱き上げられました。
見上げると、茶髪で、目の大きな、やんちゃそうな少年がいます。
「!? だ、誰……ですか?」
「俺様は黎だぜ! どういうわけか、姿を変えられちまったんだ」
「私は紬よ」
白いもふもふの動物──お姉さんが首を傾げながら、手を顔に添えます。
「迂闊だったわ。まさか、あいつ……人間を妖にする能力じゃなくて、強制変容の能力だったみたい」
「強制……?」
「相手の意思に関係なく、姿を変えてしまうのよ。それが妖であってもね。ほら、私は白熊。黎は人間の少年。里桜は猫ね」
「元に、戻せますか?」
「出来るわよ。碧生ちゃんの力なら元に戻せるはず」
「でしたら、早く行かないと!」
「えぇ、そうね」
お姉さんは川を見つめました。
「……気配が消えた。逃げられた」
小さく呟く声が聞こえましたが、私は聞こえないフリをしました。




