素直じゃないのは相変わらずだった。
会社から徒歩で十五分ぐらいの距離にあるアパートの三階。
俺は加藤さんをおんぶしたまま、目の前で腕組みしながら眉間に皺を寄せている舞を見下ろした。
加藤さんはスヤスヤと眠っている。残業が終わるのを待ってる間に眠気が来てしまったらしく、仕方なくこうしておんぶしてここまで連れてきた。
「……これは、どういうこと?」
舞は俺と加藤さんを交互に見て、声を落として聞いてきた。
明らかに機嫌が悪い。
「メッセでも伝えたけど、加藤さんの眼鏡を壊しちゃって、夜の街を一人で歩かせるわけにもいかないし、直るまで舞の家で預かってほしいんだけど」
「何で私が……」
「舞しか頼めないんだよ。それに、彼女は……視えないものも視えるらしいから」
「視え……そう、だからか」
舞は俯き、ひとりで納得して、俺に向き直った。
「入っていいわ」
素直に舞は中に入れてくれた。俺は正直拍子抜けだった。
「お、お邪魔します」
靴を脱ぎ、部屋に入る。
てっきり、暴言の一つや二つ言われるのかと身構えていたから。
外装も思ったが、新しく建てたのかという程新しい。
俺の住んでるアパートよりも綺麗で羨ましい……。
それに……舞の部屋は、女の子らしい部屋なのがちょっと意外。
白を基調にした内装。
ベッドを囲むようにして置かれてるぬいぐるみやクッション。
テーブルは白で猫脚。ハート型のラグ。
ディフューザーの香りだろうか……? 花の良い匂いがする。
俺は加藤さんをベッドにそっと下ろした。
彼女は小さく寝返りを打って、俺の背中から離れるのを惜しむように指先を動かしたが、すぐにまた深い寝息を立て始めた。
「眼鏡、本当に壊れたの?」
舞が低い声で聞いてくる。俺はポケットから曲がったフレームと蜘蛛の巣状に割れたレンズを取り出してみせた。
「ああ、暗い廊下でぶつかって……加藤さんのおじいちゃんの形見らしい。普通の人には見えない模様が入ってるらしい」
「ふーん。模様ってこれ?」
舞は眼鏡を手に取り、指で丁寧に撫でていると一箇所に意識を集中した。
俺はゆっくりと頷いた。
「そうみたいだ」
「その子、預かるのあんたのアパートじゃダメなの? 居候の女の子がいるじゃない。一人増えたところで変わらないと思うけど」
「居候の女の子って、里桜のことか? 里桜と加藤さんは違うだろ。それに……一晩中男女が狭い空間にいたら、色々と問題がだな」
「そういうところクソ真面目よね。学級委員長タイプだわ」
舞は眼鏡をテーブルに置いて、座る。
「まぁでも、ここに来て正解かもね」
「どういうことだ?」
「……人が突然妖になる事件が多いらしいのは知ってる?」
なんだ、それ……。初めて聞く。
俺は首を横に振った。
「その共通点が妖が視える人らしいのよ。紬って妖知ってるでしょ? 数日前に突然来て、言われたのよ。事件が収まる間だけでもこのアパートに住んでほしいってね」
「このアパートに何かあるのか?」
「気付かなかった? 不思議に思わなかったの? 築40年なのに建てたばかりに見える」
「気にはなったけど、そういうものかと」
「あんたは、ホラーには興味なさそうだしね。この住所、検索した?」
「いや、舞が送ってくれた簡単な手書き地図があったから、それを頼りに来たんだけど」
俺は、携帯を取り出して、今いるアパートの情報を検索する。
「は?」
検索結果を見た俺は、絶句した。
表示されたのは、古びたアパートの写真。
俺が直接見た真新しい外壁とは、まるで別物。
しかも……これって。
「廃墟になってるアパート? 何がどうなって……」
混乱する。画面に映るのは、崩れ落ちた壁とツタに覆われた廃墟だった。
でも、俺が居るのは新しくて綺麗なアパートだ。壁も床も……。
写真のように、崩れてる壁や瓦礫の山はない。ましてや蜘蛛の巣やサビもないんだ。
それなのに、これはどういうことだ?
舞は、深いため息をつく。
「私も仕組みを聞いた時には驚いたわ。このアパートはね、妖の結界が張られているらしいわ。なんでも、うつしよに住む小妖怪が身を隠せるようにってね。だから、私と透和……あんたが見ているここは、結界の内部ってわけ」
「えっ……と? それってつまり……廃アパートは表向きだけで結界を通った者はこの綺麗な空間に入れるってこと?」
「誰でもじゃないわ。管理人が気を許した相手だけを通すことが出来る。そうじゃなかったら、身なんて隠せないじゃない」
俺は息を呑んだ。妖の能力は本当に凄い。
口を開きかけた瞬間、外で騒ぎ声が聞こえてきた。
窓の外を見ると、数名の男女が楽しそうに話し込んでいた。
今からこのアパートに入ろうとしていた。
「こいつらって、もしかして」
「予想している通りじゃないの? 肝試しに来た人らしいわね。動画まで撮っちゃって、配信者?」
廃アパートなら、ここに来る人間は大体ホームレスか肝試しに来た人。動画配信者ぐらいだろう。
多分、見た限りだと動画配信者っぽいが……。
その数名の男女は、アパート内に侵入しようとしたらぱっと消えてしまった。
「……わかったかしら? あの男女の数名は結界から弾かれたの。今頃は廃アパート内を回ってるわ」
「な、なるほど……」
あれ、ちょっと待て。
「舞がここにいるってことは、俺もここに住まないといけないのか?」
「それは大丈夫よ。あんたには、座敷わらしちゃんがいるじゃない。ここよりも安全だと思うわ」
「……まぁ、そうだな」
安全かぁ。ふと、俺は今まで起こったトラブルを思い返していた。
里桜はとにかくドジだ。そして前向きなのは良いことだが、それを悪い方向に持っていってる時がある。
泥団子や泥水もそうだし。この間なんか、洗濯の手伝いがしたい!って言い出して、いざやり始めたら粉末タイプの洗剤を床にぶちまけたり。
料理だって、包丁を持たせるのは色々と危険なので、とりあえず盛り付けだけお願いしたら……なぜかタワーが出来上がっていた。しかもぎゅうぎゅうに詰め込んでいて、本来の形と柔らかさが全くなくなっていたんだよなぁ。
当の里桜は、「失敗も成功のうちです。なので、次は失敗しないようにしなくては」
と、意気込んでるんだが、確かに同じ失敗はしないけど違う失敗を結構してるんだよなぁ。
これを安全だと言えるのかは疑問だが……。
「ま、まぁ……うん、そうだな」
「歯切れ悪いわね」
「うぐっ。良いだろ、別に。それよりも……舞が元気そうで良かったよ」
舞は驚いたが、すぐに俯いた。
「……おかげさまで。それよりも、まだ帰んないの? 私も一応女よ。こんな夜遅くに男を連れ込んでるなんて……」
「あ、ああ。悪い。すぐ帰るから!」
そう言って、慌てて玄関まで歩き出そうとしたら、舞が呼び止めた。
「ちょっと待って!!」
俺は、なんだろうかと振り返ったら何かを投げつけられた。
「それ、持っていって。あっても邪魔だし」
そう言ってそっぽを向く舞の顔は赤くなっていた。
投げつけられたものは、袋入りの高級チョコブランドの箱だった。
メッセージカード付きだったので、軽く読むとそこにはたった一言。
“ありがとう”と書かれていた。
「!? な、それ……今読んで」
反応がない俺に、不思議に思ったのか俺を見た舞の顔がみるみるうちに青ざめ、真っ赤になっていく。
「し、信じっられない!!? 普通ここで見る!? ありえないわ! バカ透和!!」
「夜遅くに悪かったな。じゃあな、今度は里桜も連れてくるから」
「もう二度とくるなー!!」
舞は怒り任せにぬいぐるみやらクッションを投げつけてくる。
素直じゃないのは相変わらずだったようだ。
急いで、玄関から外に出ると、夜の湿った空気が肌を通り抜けていった。




