確かに視えているが……
オフィスビルの三階。
部署の人達は定時を過ぎ、仕事をキリのいい所まで終えてそれぞれ帰宅していく中、俺もそろそろで切り上げようとしたところだったのだが……。
「橘さん、お先に失礼します」
「はい。お疲れ様です」
俺は、パソコンと睨めっこしながら軽く返す。息を吐いた瞬間、画面の数字に気付いて固まった。
もう帰れると思ったのに、致命的なミスを発見。慌てて修正していると、部署には俺ひとりだけという虚しさが広がっている。
いや、すぐに見つかって、修正出来たことは喜ぶべきなんだろうけど……。
仕方ない。とりあえず、息抜きに食堂でコーヒーでも飲んで気を紛らわすか。
そう思い、立ち上がって部署を出ようとして扉を開けると、ドンッと誰かにぶつかった。
廊下は薄暗く、明かりはついてないし、部署内も俺のいた場所以外は電気は消えていた。
なので、まさか人がいるとは思わずに勢いよく開けてしまったのだ。
小さな悲鳴とガシャンっという音が聞こえ、俺は慌てて声をかけた。
「す、すみません! 暗くてよく見えなくて……」
手を伸ばして一歩踏み出したその瞬間──。
パリンッ。
と、何かが割れる音がした。
見ると、足元には、眼鏡のフレームが曲がり、レンズが蜘蛛の巣状に割れていた。
「!? あっ!? す、すみません!! 暗くて、見えてなくて!!」
俺は、慌てて謝罪したが、ぶつかった人は俯いていて顔を上げない。
「あ、あの……弁償しますから。だからその……」
シーンと静まり返り、俺の声がやけにうるさく聞こえてしまい、更に罪悪感が押し寄せてくる。
とりあえず、相手の顔が見えないことには始まらない。そう思い、部署全体の電気をつけることにした。
パチッとスイッチを入れ、電気がついた。
「加藤さん……? 帰ったんじゃ」
苗字に反応したのか、ビクッと肩を跳ねらせ、ゆっくりと顔を上げる。
加藤さんの瞳は大きく揺れて、一粒の涙を流していた。
「あっ、ご……ごめんなさ……わ、私。えっと、そう! 橘さん、残業してるから……差し入れ持ってきて……そ、それじゃあ!!」
涙声で動揺を隠せてない口調で、立ち上がって、手に持っていた紙袋を俺の胸の前に突き出した。
俺は、受け取ると、加藤さんは急いで壊れた眼鏡を拾おうとしたが、視力が悪すぎて、床を這うように探していた。
見つけたのか、眼鏡を持って、立ち去ろうとした。
「あっ、ちょっと待っ……」
俺が慌てて声をかけた次の瞬間──……。
加藤さんは盛大に壁に激突した。
◇◇◇
「落ち着いた?」
「はい……すみません」
静まり返った部署内で、俺は加藤さんを椅子に座らせて飲み物を渡す。
加藤さんはずっと下を向いていて手に持っている眼鏡を大事そうに指でなぞっていた。
「ごめん。弁償するから」
「いえ……その。この眼鏡はおじいちゃんの形見なんです。だから、代わりなんてないと言いましょうか……」
加藤さんは言いづらいのか、口篭りながらも話す。眼鏡を胸の前で抱きしめる。
「そっか。でも、その眼鏡……特徴的だよな。眼鏡のレンズガラスに薄く模様が入ってるし」
とんでもなく大事なものを壊してしまった。壊したの俺だし……。でもこれ以上の責任の取り方なんて……。
俺の言葉に反応した加藤さんは驚いたように俺を真っ直ぐ見た。
え、何? 俺変なこと言ったっけ?
「橘さんは……普通の人には視えない何かって見たことありますか?」
「え……」
いきなりそんな事言われてドキッとした。確かに見えているが……。
加藤さんは視える人? それともただのオカルト好き?
そういうのに興味があって、興味本位で聞いてるだけなら厄介だな。
それが虚言吐きなら尚更だ。
興味がありすぎて、周りの関心を引きたくて見えてるって嘘をつかれる方が俺にとってはめんどうこの上ない。
しかも相手は加藤さん。弱みを握られるわけにはいかない。
そういう子じゃないとは信じたいが、女は裏の顔を持っているからな。陰で何言ってるかわかったもんじゃない。
さて、どっちだ?
「視えるって何を……?」
「その、オーラとか……霊的な何か、とか」
「いきなり何言ってんだよ。オカルト系好きだなんて意外だな」
「わ、私……!! 視たんですよ。何かが橘さんの体に入っていくのを」
「!?」
「信じられないかもしれませんが、視えるんです。だから、この眼鏡は……おじいちゃんが悪い者から身を守ってくれるお守りなんです。この紋様がその証だって。それに、これは……普通の人には視えないんですよ」
俺は少し動揺して加藤さんから目を逸らした。
嘘……。俺はてっきり、こんな模様の眼鏡が売っているんだなとしか思わなかった。
だったら、尚更……見過ごすことは出来ないよなぁ。
この状態でひとりで帰らすのも……心配だし。
頭をかいて、深くため息をつく。
「もうそろそろで仕事が終わるから、待っててくれ。その眼鏡……直せるか分からないけど、知り合いに聞いてみるから」
「え……。でもこれは特別なので、直せたとしても前みたいな効果は期待出来ませんが」
「やってみないと分からない。それに、壊れたのは俺の責任だからな。責任取らせてくれ」
「──っ。橘さん……」
加藤さんは俯いて大事そうに持っている眼鏡を胸の前で祈るように優しく握る。
顔は前髪で見えないが頬が若干赤くなっている。
「……女たらしって、よく言われませんか?」
「はぁ? 嫌味かそれ。訳わかんないこと言ってんなよ。自慢じゃないが、俺は生まれてから今まで彼女出来た事がないんだ」
なんで俺は加藤さんに俺の恋愛事情を話してるんだろう。
加藤さんは、クスクスと笑った。
その笑顔を見て、さっきまでの複雑な気持ちが和らいだ。
……まっ、悲しそうな顔をしているより、笑ってる方が良いな。最近避けられてる気がしてきたから、普通に話せて安心したし。




