ここからは、二人の問題だ
白を基調な病院内の、一室で一人の女性が眠っていた。
人工呼吸器をつけ、点滴が一滴、また一滴と落ちていく。
聞こえるのは、人工呼吸器の『シュー』という息遣いと、心電図の規則的な音だけだ。
頭には包帯が巻かれている。
ああ……やっぱりか。目が覚める数秒前、一瞬だけ見えた光景を頼りに行ってみた病院の集中治療室に横たわっている女性を見つめる。
強引に連れてきた一清の瞳は大きく揺れ、動揺しているのがわかった。
「は? なんだよ……これ。さっきまで家で話してたんだぞ。なんでここにいるんだよ」
「階段から落ちて、病院に運ばれたんだ」
「じゃあ、俺が今まで話してたのは……?」
一清は、その場に座り込み、頭を抱えた。
「……一清、あんたの奥さんは何か伝えようとしているんじゃないのか。もしかしたら、家にいたのだって……何か伝えようとしてたけど伝えられなかったのかもな」
残酷なことは言えない。それは、一清の妄想だって……言えるはずがない。
でも、死んでなかったことに安堵した。
チラッと霊体の奥さんを見ると、一清をただ見つめているだけだった。傍に寄ることはせずに……。
奥さんが憑依して見えた過去と同時に辛く痛々しい思いと、一清と出会ってはじめて知った恋心が、彼女を縛り、言葉を奪っていたのが伝わってきた。
過去が見えたのはたまたまかと思ったけど、俺に何か伝えようとしているのか……?
そんな疑問が浮かぶと、奥さんの霊体はゆっくりと顔を動かして俺をじっと見た。
その何かは、伝わったが、それは言いたくなかった。
俺は奥さんに向かって話し出した。
「……ごめん。そんなこと、俺は言えないよ。一清はあんたの笑顔が見たかったんだよ。助けたのだって、境遇が似ていたから助けたんだろうけど、でも、会う度にあんたの良さを知ったから、あんたと共に生きたいと思ったから……大好きで愛しい存在だから、こんな風になったんだよ」
「透和……? お前、何言ってんだ?」
一清は奥さんの霊がみえないから、俺がおかしくなったって思ってるだろう。
「本当は気付いてたんだろ。人を愛することを。自分自身の新しい感情を……」
奥さん自身、今の関係性だときっと一清も犯罪に巻き込まれる。そう思っているが、何せはじめての感情でコントロールが上手く出来なかったのだろう。
別れなきゃって思ってても言葉が出てこなかった。別れたら、また一人になってしまうから。愛情を知ってしまったから、一清と出会う前に戻るのが怖くなってしまったんだ。
奥さんは心が強いわけじゃない。傷つけられる痛みと孤独を誰よりも知っているから……もうあの頃に戻りたくないと強く思ってしまったのだろう。
何も解決しないまま、日にちは過ぎていき、階段から突き落とされた。
突き落とした人に生きていることが知られれば、命を狙われるだろう。そうなる前に一清の気持ちの整理をさせてやりたかった。
緋色が奥さんを俺に憑依させたのは、最後の言葉を俺を通した奥さんが一清に伝えたかったからだろう。
「……何、諦めてんだよ。まだ生きてんだよ! だったら、あんたの言葉で、あんたの声で言ってやれよ!! 本当は死にたくないんだろ。あの家族から解放されたいんだろ」
奥さんはビクッと肩が跳ねた。どうやら図星らしい。
「だったら……なんで助けてって言わないんだよ。言葉は違うけど、似たようなことを緋色には言えたんだろ。だったら、死なんて考えるなよ。取り残された人の気持ちを考えてやれよ!」
奥さんは動揺した瞳をした後、ふっと笑って……消えていった。
消える瞬間、涙を流していた気がする。
俺の言いたいことが伝わったのかは分からない。でも……奥さんの本当の頼み事は、一清が現実から逃げないようにしてほしいじゃなくて、家族から解放して一清と一緒に歩みたいのかもしれない。
緋色はクックッと笑った。バサッと、とある写真を撒き散らした。
「……写真じゃ。証拠になるぞ」
俺はばら撒かれた写真を拾って見ると、そこには奥さんの両親がヤクザと親しそうに話していた。
なぜそんな物を緋色が持ってるんだと思って、パッと緋色を見ると、満面の笑みを浮かべてドヤリ顔していた。
緋色はこうなることを予想していたのか? 内心、腹立たしいがそれで一清が幸せになるのなら……と、気持ちを切り替えた。
そして俺は、混乱している一清を横目にとある所に電話した。
◇◇◇
薄暗い室内に人影が揺らりと動いていた。
手には、注射器が握られていた。
横たわっている女性の前まで来ると、注射器を女性の胸に打ち付けようとした瞬間──。
パチッと、部屋中の照明が一気に点灯した。
「動くな。警察だ!」
扉が勢いよく開き、複数の制服警官が室内に飛び込んできた。
先頭に立っていた鋭い目つきの刑事。手に構えた拳銃が、容赦なく注射器を持っている人物に向けられる。
「注射器を捨てろ! ゆっくりと手を上げて床に伏せろ!」
注射器を持っている人物は一瞬固まるが、すぐに後ずさった。
しかし、逃げ場はなかった。
別の警官が素早く回り込み、腕を捻りあげて床に押し倒した。
「うぐっ!!」
「殺人容疑の現行犯で逮捕する」
ガチャリと、手錠の音が響いた。
俺は集中治療室のガラス越しにその一部始終を見ていた。
傍では、一清が呆然と立ちつくしていた。
「何が、どうなって……透和、これって、どういうことだ?」
「さっき、電話した相手だよ」
俺は、そう言うと、刑事に近付いた。
「刑事さん、彼女は大丈夫なんですか?」
「意識はまだ戻ってないが、命に別状はない。……お前が連絡をくれた透和か。一般人がヤクザ絡みに首を突っ込むんじゃない。写真が撮られてたって知られたら、お前の命も危なかった」
「……すみません」
「まぁ……」
刑事はちらりと一清を見てから、俺に視線を戻した。
「近頃、結婚詐欺被害が多発していてな。その主犯がヤクザなのは突き止めたんだが、なかなか決定的な証拠が掴めなかったんだ。感謝するよ」
「あの……彼女が目を覚ましたら、捕まえますか?」
「……事情聴取はするが、逮捕はしない。彼女は被害者だ。恐喝されていたのだから」
そのうちバレることだろうからと思い、全て話していた。奥さんも逮捕かもって思っていたが、事情聴取だけで済むらしい。
俺は安堵の息を漏らした。
「ああ、それと……階段から突き落とした容疑者も、確保済みだと連絡があった。写真と、今回の現行犯……これで一気に崩れる。家族ぐるみでの恐喝……それから殺人未遂まで、全部洗いざらい吐き出させるさ」
「そうですか」
一清がゆっくりと部屋に入ってきて、横たわっている奥さんの頬に触れる。
「……俺……なんで気付いてやれなかったんだよ。家族の問題だって、何も解決してなかったのに、勝手に守ってる気でいたんだ……」
ポツ
ポツリ
っと、彼の涙が奥さんの顔に落ちる。
ツーっと落ちる雫は、奥さんが涙を流しているようだ。
奥さんの霊体が一清の背後に薄く現れた。
切なそうに一清を見つめたまま、そっと彼の頬に触れようとして──指先がすり抜ける。
それでも、彼女は優しく微笑んでいた。
そして、ゆっくりと……自分の体へと吸い寄せられるように戻っていく。
ここからは二人の問題だ。
俺は静かにその場を離れた。
一清は、見えないところで沢山傷ついてきたから、優しくなれるし、明るく前向きになれる強さを持っています。
だけど、時には壊れそうになることだってあるんですよね。




