砂嵐の記憶の中で
今回の話は少し長めです。
二話にわけようかと悩んだのですが……わけたくなかったんです。
深呼吸して、意を決した俺は緋色を見た。
「……わかった。はじめてくれ」
もう、これしか方法がないのだろうし、ましてや俺からは……とてもじゃないが、一清に「奥さんはもうこの世にはいないんだ」と言えるはずがない。
だったら、せめて俺の体を介して、奥さんから直接話した方が……少しは救いになるかもしれない。
緋色はスっと目を細め、ゆっくりと頷いた。
奥さんを見ると、青白い霊体が微かに揺れている。その悲しそうな瞳が、俺の……体をじっと見ていた。
緋色は俺に触れようとゆっくりと手を伸ばす。
俺はギュッと目を瞑る。心臓が早鐘のように鳴る。
これから何が起きるのか、理解しているからこそ、不安と恐怖を少しでも紛らわそうと視界を闇に落とした。
ポンッと肩に手を置かれる感覚がした瞬間──。
何か異質なものが俺の胸の奥に滑り込んでくるような感覚がして、吐き気がした。
それと同時に、身に覚えのない記憶と悲しみが一気に押し寄せてきた。
「──っ!?」
これは……奥さんの……?
里桜が慌てて何かを叫んでる声が、遠く聞こえた気がした。
そこで思考が、プツンっと途切れた。
◇◇◇
ザザザ──……。
砂嵐のような音に紛れて、薄らと見える光景。
家具が大きく、自分が小さくなった感覚。見覚えのない家のリビングで俺は、一人隅っこでもぐもぐとサラダだけを食べていた。
リビング中央にある四人用のテーブルには豪華な料理が並べられていた。ハンバーグにサラダ、スープもある。
そのテーブルを囲むように男女の大人二人と男の子が談笑しながらも美味しそうに食べていた。
俺は一人、ぎゅるるるるとお腹が鳴りながらも、空腹を誤魔化すように黙々と味のないサラダを食べていた。
──美味しそう。
美味しそうに楽しく食事をしている家族を見ながらもそんなか弱い声が俺の頭の中で聞こえてきた。
──……なんで、私だけこうなの? 私を気にしてもくれない。寂しいよ。
ザザザ──……。
と、また砂嵐のような音が響く。
場面はかわり、今度は知らない男が指輪をプレゼントしていた。
喜びながらそれを受け取る。それは、俺の意思とは関係なく。
なんとなく状況が掴めてきた。これは、一清の奥さんの過去だ。疑似体験として見せられているんだ。
奥さんはその男と婚姻を結び、肉親が病気持ちで多額のお金が必要なのだと嘘を言い、お金を騙し取って数日後には捨てるというのを繰り返していた。
それはいわゆる結婚詐欺だった。
決まって、奥さんの口癖は『くだらない』『愛情なんてバカバカしい』だった。
そんな考えになってしまったのを最初に見た、一人孤立しているのを見ればなんとなく分かる。
彼女は、家族からネグレクトにあっていたんだろう。愛情を知らないまま育ってしまって、今があるのかもしれない。
ザザザ──……。
と、また砂嵐のような音が響いた。
今度の場面は、一清と奥さんが初めて会った時なのだろう。
体調を崩して公園のベンチで休んでいる彼女に声をかけた一清。
『具合悪そうに見えて、心配だったから』という理由で声をかけたらしい。
怪しい者ではないと慌てて言い切る一清は、かえって怪しい人にも見えてしまう。
奥さんは警戒しながらも一清の行動の意味を探る。
ただ、一清は本当に心配だから声をかけたのだろうが、きっと奥さんにはそう見えなかったのだろう。
愛想良く振舞っているが、その奥で一清を否定していた。
ザザザ──……。
っと、また砂嵐のような音が響く。
場面はかわり、今度はファミレスだ。
両親と奥さんが向かい合わせに座っていた。
最初は、歳を重ねて、少しずつ和解したのかと思ったが、会話の内容を聞いて、俺は思わず息を呑んだ。
「話ってなに? 忙しいんだけど」
「その言い方はないでしょ」
「……」
「ホント、あの子は手がかからなかったのに、なんであんたはいつもこうなのかしら。恥ずかしいわ」
その言葉を聞いて、奥さんはギュッと自分の手を爪を立てて握る。その手からは血が滲み出ていた。
自分の内側にある悲しみを必死に抑えようとしているのがよくわかる。
俺は、一清の家族と奥さんの家族が重なって見えた。言葉を飲み込むのは、相手が否定するからだ。だから何も言わずに、言い返す事はしないでずっと耐えるしかないと。
子供の頃に学んだ事が、ずっとトラウマとして残っているんだろう。
きっと奥さんは、人格否定をされすぎたんだ。そして誰も奥さんの抱えてる孤独に気づくことはなく、誰からも認められないまま大人になり、歪んだ感情になったんだな。
「話が無いなら、私は行くけど」
奥さんが立ち上がると、ガラの悪そうな男二人組がテーブルに近づいてきた。
二人を見た時、彼女はハッとした。どこか納得していた。
そんな彼女の様子を見た 母親は薄ら笑いを浮かべた。
一枚の写真をテーブルに置いた。
「あんたが次に結婚する相手。資産家なのよ。今度はちゃんと食い尽くしてから離れなさいよ。前みたいに途中で逃げられたら困るんだから」
父親が鼻で笑う。
「昔から使えねぇと思っていたが、顔だけはそこそこ可愛いんだから、せめてその程度は役に立て。育ててやった恩を返せよな」
奥さんの思考が真っ白になった。
──そういうこと。
家族にとっての『道具』なのは、わかってた。それでも……少しだけ、期待していたの。
もしかしたら、本当に雑談したいだけなのかもしれないって。
でも、この親がそんなことしないってわかってた。……わかってたのに。
男の一人が奥さんの肩に手を置く。その目は、奥さんのことを人としてじゃなく、商品を値踏みするような目だった。
「よろしくな。金はしっかり引っ張ってくれよ。半分はこっちに渡せ」
その瞬間、彼女の胸の奥で何かが決定的に壊れる音がした。
……俺は、吐き気がした。
これが、奥さんが生きてきた現実なのか。愛情を知らないどころか、家族にまで『利用価値』としてしか見られていなかったなんて……。
「すみません。そこを退いてくれませんか?」
落ち着いているが、はっきりとした声が響いた。
振り返ると、そこに一清が立っていた。息を少し切らしていて、明らかに急いで来た様子だった。
「あの時の……」
奥さんは驚いた声を上げる。
一清は男の腕を強引に引き剥がし、奥さんの前に体を滑り込ませるように立った。
「彼女に手を出すのはやめてください」
「は? お前誰だよ」
「彼女の、知り合いです」
一清は迷わずそう答えると、奥さんの手を取った。
「行きましょう。ここに用はないはずです」
奥さんは一瞬抵抗した。
しかし、一清の真剣な眼差しと、親や男たちの冷たい視線に挟まれて、結局その手に引かれるまま歩き出した。
「ちょっと! あんた勝手なことしないで!」
母親の甲高い声が背中に突き刺さる。
一清は振り返らず、奥さんを庇うようにしながらファミレスを出た。
少し歩いたところで、一清がようやく足を止めた。
「……大丈夫ですか?」
奥さんは無言で自分の手を引き抜いた。
警戒心が顔に張り付いている。
「どうしてここに……?」
「さっき、偶然近くを通ったら、あなたの姿が見えて……なんだか、雰囲気が悪そうだったんで」
一清は照れくさそうに頭を掻いた。
「噓でしょう。ストーカー?」
「ち、違いますよ! ただ……心配になっただけです。本当に」
奥さんは一清の顔をじっと見つめた。
公園で出会った時と同じ、馬鹿みたいに真っ直ぐな目だった。
──また、この男か。
心のどこかで、僅かに、ほんの僅かにだけ、
今まで感じたことのない感情が揺れた気がした。
しかしすぐに、奥さんはその感情を押し殺した。
「……余計なお世話よ」
小さく吐き捨てるように言って、奥さんは一清に背を向けた。
それでも、一清は少し離れた距離を保ちながら、黙ってついてきてくれた。
……一清は、あの時からずっと、こうして奥さんを助けようとしていたのか。
なのに奥さんは、それを全部「利用しようとしている」としか思えなかったんだな。
この一連の記憶が、俺の胸に重くのしかかってきた。
ザザザ──……。
砂嵐のような音が再び響く。
その後、二人は公園で会う機会が増えた。
あまり笑うことがなかった奥さんの表情が、少しずつ柔らかくなっていくのを、俺は奥さんの記憶を通して感じていた。
やがて一清にプロポーズされ、奥さんは生まれてはじめて幸せかもしれないと本気で思っていた。
それでも奥さんは、結婚詐欺を完全にやめられなかった。
それしか生きる術を知らなかったからだ。
一清はそのことを薄々気付いていた。
それでも彼女を守りたいと思っているからこそ、プロポーズした。『愛している』から、彼女の孤独を埋めたいと思ったのだろう。
だが、結婚して、数ヶ月立ったある日、悲劇が起こった。
歩道橋を歩いていると、突然後ろから誰かに背中を強く押された。
「──っ!?」
足が浮き、階段を転げ落ちる。
激しい痛みと衝撃。頭から血が流れる。
通行人が頭から血を流して倒れている奥さんに駆け寄って、救急車を呼んでいる。
ぼんやりとした意識の中で、奥さんは階段を見上げた。
手をそっと伸ばした。
階段上にいる人物はフードを深く被っていて、誰なのかは分からない。
その人物は慌てて、その場から逃げるように走り去っていく。
……両親か、あるいは私を恨んでいる男か。
──叶うならば、一清の笑っている顔を最後に見たいな……。
伸ばした手は空を切り、そのまま力無く地面に落ちた。
──……ごめん、ね。一清
一清の選択が良いか悪いかなんて分からない。もっと、上手く立ち回れたかもしれない。
それでも、奥さんにとって一清と暮らした生活は幸せだっただろう。
それは、一清も同じだったはずだ。心から愛していたからこそ、失って……色々と後悔したはずだ。
それで、今の一清になっているとしたら、自然と納得する。
ザザザ──……。
と、また砂嵐のような音が響く。
一瞬だけ、真っ白な空間が写ったが、その光景は消えてしまった。
パチッと目を開けると、目の前に里桜が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「り……お……?」
「良かったです! 大丈夫ですか?」
むくりと起き上がると、頭がぼーっとする。
「すまん。少し、念が強すぎたようじゃ。憑依した途端、倒れたのじゃ」
緋色は申し訳なさそうに俯いていた。予想外だったのだろう。
「いや……、それよりも」
俺は立ち上がり、一清の家のチャイムを鳴らした。
しばらくすると一清が出てきた。俺は、一清の腕を掴んで引っ張った。
「行くぞ!!」
「は? 透和!? いきなり来てなんだよ!!」
「いいから!!」
有無を言わさずに一清を連れ出した。




