第35話 長雨
「シアン、本日は工場に面白いお客様がいらっしゃったと聞いたよ」
ゴールディ商会の執務室。
金色の瞳で灰色の長髪をひとくくりにしたスーツの男が、コーヒーを淹れながらシアンに問い掛ける。
「兄さん、ご存知だったんですか」
シアンは書類から目を上げずに答える。
「監視魔法でお前も見ていたんだろう? 短髪の男と、茶色の髪の娘、それから白い使い魔の子」
「兄さんが気にするような相手ではありませんよ」
「そうなのかい?」
「ええ、面倒くさい小物です」
シロ・タイッテツ。
スキルだけは一人前だが他はてんでダメな男。
メゾンドールで会った時の言葉に詰まって、何も言い返せなかった顔を思い出す。
商店街の片隅で小さな店を営んでいるだけの、時代遅れのおじさんだ。
フェルト人形のアイデアは面白かったから、参考にさせてもらった。
それだけのことだ。
「それなのに、工場まで見に来るとは……」
「シアン、同業者さんには敬意を持ちなさい」
「兄さん、あんなのとうちを同業にしないでください」
シアンはコーヒーを一口飲んで笑った。
ゴールディ商会は、この街でも有数の大商会だ。
資本も人脈も、比べ物にならない。
あんな小さな工房が、何をしようと……
「でも、油断はできないよ」
「と、仰いますと?」
「諦めが悪い相手が一番強いからね」
兄と呼ばれた男が諭すように続ける。
「メゾンドールを見てまだ諦めないなんて、なかなかじゃないか」
「それは……」
「それに、グリさんの店で勉強しているそうじゃないか」
「はい。商会組合を通じて、情報は入っています」
シアンが眉をひそめる。
グリ・ビリジアン。
あの飄々とした男は商売の腕は確かだ。
「それでも、ゴールディ商会には敵いませんよ」
「そうかなぁ」
「兄さんは心配性ですね」
シアンが自分に言い聞かせるように頷く。
そうだ。
どんなに学んでも人間には埋まらない差と生まれ持った定めがある。
例えば、目の前にいる兄と自分のように。
グレイ・ゴールディ。
異母兄弟の兄で、妾の子。
実力では敵わない。
商才も人望も全てにおいて兄の方が上だ。
それでも、家を継ぐのは兄ではなく自分なのだ。
なぜなら、自分は正妻の子だから。
「シロ・タイッテツか……」
シアンが呟く。
あんな時代遅れのおじさんが何を噛みついてこようと、絶対に負けない。
負けるわけにはいかない。
「シアン?」
「何でもありません」
シアンが立ち上がる。
「兄さん、今日の予定は?」
「午後から新商品の会議だね」
「分かりました。準備をしておきます」
窓の外には細く、長い雨が降り続いている。
春の長雨。
季節が変わる前の、静かな雨。
「季節が変わるな」
シアンが小さく呟いたその声は、誰にも届かず消えていった。




