空船
僕の駄目なところは、その詰めの甘さかもしれない。
空船に乗り込んだ僕は、鐘の音のショックかはたまたその前の激しい運動のせいか、それともまた空腹のせいか。とにかく倒れてしまったらしい。
目が覚めた時、簡素な部屋でコウに看病されていた。跳び起きた僕を見て、コウは慌てて部屋を出てどこかへ行ったと思ったら、ルルを連れて戻って来た。ルルはいつも通りにこにこと害のなさそうな笑みを浮かべてのんびりと部屋に入ってくる。コウはそれと入れ替わりに少し僕の事が気がかりそうにしながらも部屋を出て行ってしまった。
「思ったよりもすぐ再会できたね。セイ」
ルルのその言葉に僕は少し恨めしげにルルを睨みつける。それで、ルルはやっとちょっと困ったように苦笑した。
「ずっと僕を見張ってたの? 弱いふりして」
本当は、あんなに強いのに。
思わず拗ねた声を出してしまった。
化粧をしていなくて、服装も普通だったから、まったく気がつかなかった。でも、間違いはない。あの身軽さ、戦い方。考えてみれば声もそうだ。主都の街中で僕と戦った狂言回しそのままだ。
僕の言葉に、ルルは心外だと言うように大きく首を振った。
「人聞き悪いなあ。一応お頭には注意して見ておけとは言われたけどね。セイの件はついでだ。本当の目的は、コウたちを解放する事」
「コウを元から知ってたの?」
「いや。違う違う。南の方で人身売買が盛んな事は前から知ってたからね。最近僕等は南を拠点に活動していたんだ」
「活動?」
「セイがいなければ、僕が暴れて商品の人たちを解放しているところだった。親方たちだって生きるためにやっている事だとはいえ、彼らにはまだ蓄えの余裕がある。売られて行く人たちには不幸しかない。……僕等は、一人でも多くの不幸になる人たちを救いたい。影蛇は、そういう活動をしている盗賊だよ。僕等がこの国で正義を決行しようとするには法を破って悪になるしか方法がなかったんだ。もっとも、広い世の中で僕等が救える人間なんて、広い大地の小石一つ分の数にもならないかとは思うけどね」
ルルは僕の顔を覗き込んで、それから額に手のひらを当てる。
「うん。耳も聞こえてるみたいだし、顔色も良いし、熱もない。もう大丈夫だね」
「僕、どれくらい寝てたの?」
「たかが一晩だよ。ちなみに、ここは主都の外れの民家だ。影蛇の隠れ家の一つだよ。話が終ればすぐに愛しの姫君に会いに行ける」
からかうような口ぶりには、気づかないふりをした。
「話って、センと?」
「そう。賭けとやらが終ったみたいだしね」
「ルルは、随分協力してくれたけど、そういうのって賭け的には良いの?」
僕が尋ねると、ルルはさっぱりと笑った。
「いいよ。それは、僕がセイを気に入ったから協力したにすぎないんだから。僕はたまたま会った少年を気に入って、彼を助けたいと思ったからその人が望む事をしただけだ。そこにどこかの組織の意思なんて、なんも介在できないよ」
「変なの」
僕は、ルルに気に入られるような人間じゃないのに。初めて戦闘した時に言われたのが正解の、詰めの甘い、世間知らずの坊ちゃんでしかないのに。
コウが控えめに部屋に入って来て、僕の前に穀物の粥の入った椀を置く。僕がお礼を言うと、いつものように嬉しそうに微笑んだ。コウもルルも、どうして僕に優しくしてくれるのだろう。僕は彼らに何かを返せるだろうか? 考えながら食べていたら、思い出したかのようにルルが言った。
「あ。そうそうコウはこのまま影蛇で働く事になったんだ。他のまっとうな仕事を紹介しても良いんだよって言ったんだけど、ここで働きたいってさ」
ルルの説明に、コウはこくりと頷いて同意を示した。そうか、ルルと一緒なら安心だ。コウの笑顔に僕もつられて少し笑った。
「食べ終わったかい? そろそろお頭のところに行かないと。あの人はねえ、待たされたりしてイライラすると恐いんだよ。いや、恐くないんだけどね、ホントは」
そう言って、ルルは悪戯っぽく笑った。僕は食べ終えた椀を礼を言ってコウに返して、ベッドから下りると立ち上がって歩きだしたルルの後に従った。
「なあ、ルル」
部屋と同じく簡素で飾り気のない廊下を歩きながら、僕は前をひょいひょいと歩くルルの後ろ姿に声をかける。
「なんだい?」
「なんでルルは影蛇をやろうと思ったの?」
ルルは考える様に小さく「んー」と唸って、それから答える。
「僕にも昔、君みたいに守らなきゃいけないものがあったんだ。でも、僕の家は貧しくて、そのせいで僕は守れなかった。僕はそれをとても後悔して、もう二度と僕みたいな思いをする人間がいなければいいなととても願ったんだ」
「そう」
荷馬車に乗せられた商品の人たちを思い出す。ああいう風に、ルルの大切な何かもつれて行かれてしまったのだろうか。伸ばしたルルの手は届く事がなく。僕が屋敷や寄宿舎で彼らの存在をしらないままぬくぬくと生活している間に、ルルは悲鳴を上げて苦しんでいたのだろうか。
「でも結局、この国の形が変わらない以上、そういう不幸は後を絶たないんだけどね。……さ、着いた」
ルルに指示されて、一つの部屋に通される。通された部屋の中だけは、そこだけ外の国に迷い込んだんじゃないかと思うくらいごてごてとした装飾に溢れていた。そしてその中央に座るのはいつか見た通りの女の姿。足を組んで背もたれに背を持たせて、ゆったりと寛いでいる。
センのふかしている煙管に僕が警戒を示すと、センはからかうように微笑んでそれを脇机にカタンと置いた。それから、長い髪をかきあげながら僕に正面に座る様に示す。
「聞こえたよ、あんたの声。約束通り、天気姫を助けてやって、だってさ。盗賊相手に」
「それが賭けの内容だっただろ?」
「そうだったね。まあ、賭けなんてあってないようなもんだったけど。こっちも元々そのつもりだった」
ルルの話を聞いていたら薄々そうじゃないかとは思っていたところだった。だからあまり驚きはなかった。不思議な事に悔しさも湧いてこない。
「でも、それにはあんたの協力が必要だ」
「僕の?」
「そう。その前に、もう一人ここに呼んでいいかい?」
そう言って、センは部屋の外に向かって大声で入ってこいと声をかけた。
ドアが開いて、黒騎士の格好をした男が滑らかな身のこなしで部屋に入ってくる。何度か見おぼえたその姿だけど、今は初めてマスクを外したところを見た。黒い長い髪に、整った柔和な顔。僕の視線に気づくとライウはにっこりと笑った。
「無事センの試験を遂げられたようでなによりです。セイ殿」
やっぱりお前が黒騎士だったんじゃないか! 僕の非難の視線をものともしないどころか、どこか楽しそうにライウはくすりと笑う。
「意外に鋭くて少し驚きました。あんな小さな警備隊の印に気づかれるとは」
「ライウ殿も影蛇なんですか?」
少々不貞腐れながらの僕の質問に、ライウは不服そうに左右に首を振った。
「私は常々希望しているのですがね。セン女史が仲間に入れてくれないんですよ。だから有志で時々こうしてご協力するくらいですね」
「どこが協力だ。天気姫の情報を手土産に盗み出す計画をウチに持ち込んだのはお前だろう」
センは憎々しげに顔をしかめてライウを睨む。
「大体私はお前みたいに小賢しく知恵だけが回る奴は好きじゃないんだ。……使えるかと思いきや、使えないしな」
「つれないお言葉ですね」
「事実じゃないか。天気姫たぶらかして計画に協力させるとか大口叩いて計画をすすめておいて、結局拒否されてうやむやになって」
たぶらかして……。
非難を込めてライウを見るけれど、僕の視線に気づいているだろうに素知らぬ顔をして悪びれる風さえない。
「言い方が悪いですよ。私は彼女がこの国に辟易している筈だからすぐ協力する気になると思ったんです」
「私もあんたからそう聞かされてたよ」
「ええそう言いました。今もそう思っています。あの子はずっとあそこから逃げ出したがっている。ただ、私にも一つだけ誤算がありました」
「そのようだな」
そう言って、二人は同時に僕を見た。え? 何?
突然二人に注目されて、僕はちょっと動揺してしまう。その様子を見て、ライウは嘆かわしそうに一つため息。
「こんな糞生意気な餓鬼のどこが良いのかと、思うんですけどねえ」
眉をしかめてそう言う。今更気付いたけど、コイツもしかして俺の事嫌いだな。
センはそのライウの言葉に、僅かに片眉を上げて反論した。
「私はお前よりいいと思うぞ」
「え!? そうですか」
「そこで本気で驚いている所がお前の嫌な所だ」
センは嘲るようにライウに言って、それから僕に向けて話しかける。
「あんたに頼みたいのは、あのお姫様の説得だ。あたしたちはあの子を受け入れる準備は整っている。外の国に逃がす算段も準備も全てね。ただ、あの子の気持ちだけが煮え切らない。さすがに本人の協力がないと、いくらあたしたちでも厳しいんだ。あの屋敷から天気姫を盗み出すだなんて、大事業」
「そんなの……僕も説得はしてみるけど、ライウ殿の方が絶対向いてると思う。アシュは僕を嫌ってるし、僕の言う事なんて聞かないよ」
言ったらセンは一瞬細い眉を上げてキョトンとした顔をして、それから呆れたように半眼になった。
「馬鹿だねえ、あんた」
本当にしょうもないというようにちょっと苦笑して。
「そちらの坊ちゃんには既に出来なかった事なんだよ。私の見立てによると、多分あんたならできるんだ」
「ライウ殿に出来なかったのに?」
「そうだね」
センはその場にすくりと立ち上がる。そうやって見下ろされると、流石は盗賊の頭だからなのか、このすらりとした体のどこにそんな力があるのかと思うくらいに威圧感があった。黒い瞳を僕にひたと定めて、朱い唇を艶やかに引き上げて、センは僕に命令する。
「やるってお言い。もうあんたは、賭けに勝ったんだから。進むしかないんだよ」
そうだ。やらないと、アシュは救えない。
僕の目的は一つなのだから、何としてでもそれをするしかないのだ。自信がないとかあるとか言っている場合じゃない。
「やる」
言ったらセンの顔がにっこりと微笑みに変わった。その隣で、ライウも満足そうに微笑んでいた。




