2-1 ジョーヌ
時折、一般人とは思えないような身体能力を持った子どもが生まれてくる。
圧倒的な跳躍力と軽やかさをもち、必要な食事量が少ない”燃費の良い”人間。
そんな彼らを、人々は超人の末裔だと言った。
一説によれば、数千年前、死の森の中を生き延びた人類がいたらしい。そんな人間の血を濃く受け継ぐと普通の人とは異なる体の作りになる、とのこと。
数十万人にひとりの確率なので、突然変異に近い。昔はもっといたというが、時代が降るにつれて血も薄まったのだろう。
トット・ブックは、そんな超人の末裔のひとりである。
超人の末裔とは言え、自分からそれを打ち明けることはしないし、聞かれてもはぐらかす。
自分の意思が尊重されずに、都合のよい武器として超人の末裔が扱われた例は、枚挙にいとまがないから。そんなことは嫌だから。
「おかわりは?」
カウンター越しに声がかかる。
「何か、甘いのがいいかな」
珍しいのね、と美人な女性が微笑んだ。トットも口角をあげて、グラスの残りを飲み干す。
「君のカクテルは格別だからね」
「またそうやって。煽ても何も出てこないわよ」
「何も?」
そう言ってちょっと上目遣いで見つめる。目の前の女性はふふふ、と笑った。
大きめにかかっているジャズ演奏。
カクテルを作る音。
ほとんど人のいない店内。
黒の壁に深い赤のソファ。
よくあるバーの風景だが、トットにとってここは”仕事場”だ。
短くなった煙草を潰して、次を口に咥える。マッチに伸びた手に、手が添えられた。
「トット」
そう言って、彼女はじっとトットの目を見つめる。
小さくため息をついて、煙草を元に戻した。
カクテルが手渡される。
トットはカクテルを一口のみ、先ほどの煙草の箱を弄ぶ。
――そろそろ潮時か。
蓋を開く。
誰もこない3階建物の屋根の上にトットは腰掛けていた。真っ黒なコートに、真っ黒なズボン、真っ黒なブーツの彼は、夜の闇にすっかり溶け込んでいた。足元には深夜の街並み。街灯が少しばかり光るだけで、歩行者もいない。
件の箱の中から何枚かの小さな紙を取り出し、開く。例の女性から買った情報だ。
割と使える女だったな、などと思う。
要人が通うバーだ。美人がお酒を持ってしなだれかかれば、意外にも皆ぽろっと口を割るものだ。トットは彼女を口説いて、情報を取らせて買った。だが、それももう終わりだ。
紙をひとつひとつ確認し、全て目を通してから火で全て燃やす。それからさっさと立ち上がって、屋根の上を走った。
ここは、ア=カイロ王国。
夜が明ける前に、城壁に囲まれる中心都市から出来る限り離れなくては。
◇
「おう、トット」
無事に国境を越えてから、1週間と少し。
トットは約3ヶ月ぶりに精鋭部隊の兵舎に戻ってきた。吐く息は真っ白。2の月も半ば、王都近くでは薄く雪も積もっていた。遠くに見える山々は大雪で真っ白だが、王都でこの時期に積もるのは珍しい。
兵舎に入って真っ先に会ったのは、ティム。片足のない精鋭部隊のサポーターだ。年齢も近くて、話す機会が多い。
月末なので、掲示板を張り替えているらしい。
「今帰ってきたのか」
「うん、ただいま」
「おかえり」
遠くから、訓練の声が聞こえてくる。
皆が訓練している間、ティムが精鋭部隊の裏方作業を全て請け負っている。兵舎内の武器や食糧などの資材管理や財務周りに加えて、細かい連絡事項の取りまとめなどをしてくれていて、ひとりでやるには随分な仕事量が押し付けられていると思う。
掲示板に必要なものを全て貼り終えたのを見て、立てかけてあった松葉杖を手渡す。
「ああ、ありがとう」
こつり、と松葉杖が音を鳴らす。
「今回はどこ行ってたわけ」
「ア=カイロ」
何てことなくそういえば、ティムがまじかよ、と笑う。
「相変わらずだな」
「まあね」
トットも肩を竦めた。
これでア=カイロ王国への潜入調査任務は14度目だったと記憶している。入隊してから既に15年目になるが、新人のころの初めの1年を除いてほぼ毎年ア=カイロに潜入していることを考えると、相当な頻度ではある。
昨年は、帰国したら目の前の同期、ティムの片足が消えていて衝撃だった。
若くして二班の副班長に任命されていたティムが怪我をして戦士生命を絶たれたことは、周囲から非常に惜しまれた。もともと信頼も厚かったので、サポーターとして残ることになったらしい。
ティムが残ってくれたことは嬉しかったが、無くなった足のことを考えると複雑な心境になったのを覚えている。まあ、戦場に立つものとしては、仕方がないことだ。
ア=カイロ王国に行くたびに、毎年しっかり命あって帰ってこられている自分も当たり前ではない、とトットは再認識する。
「ちゃんと帰ってこられてよかったな」
ティムも同じようなことを考えていたのか、トットの気持ちを受け取ったような発言をする。
「そうだねえ。危ない調査ではなかったけど」
「ア=カイロに行くだけで危険だろうが。国境越えるだけで、死ぬかどうかのレベルだろ。本当良く生き残ってるよな」
ア=オイロ王国とア=カイロ王国は、いわゆる犬猿の仲というやつだ。国境はいつもピリピリしているので、抜けるのも一苦労する。
「運がいいということで。情報もとれたし、割と今回は豊作なんだよねえ」
「豊作、な? どうせまた、女引っ掛けてやったんだろ」
「バレたかあ」
ティムは笑ってトットの頭を叩く。トットも笑う。
「バレたか、じゃねーよ」
「だって、それが一番情報入ってくるんだよ?」
「顔がいいからって腹立つな」
「イケメンで女性ホイホイの君がそれ言っても、皮肉にしか聞こえないからやめてくれないかなあ。そっちだって、どうせ自分がいない間も楽しんでたんでしょ」
「まあ、いろいろあったな」
「えー、またなんかやらかした?」
「貴族だよ貴族。酒場で声掛けて、蓋開けたらびっくり貴族のお嬢様がお遊びにいらっしゃってたっつーね」
「あぶな。ナンパするなら、せめてその辺の見る目は持っておきなよ」
「いや、ふっつーの酒場に貴族がいるとか思わねーだろ」
「それはそうだけど」
相変わらずの会話。ティムはいつもこうなので、一緒にいて全く飽きない。
ちなみに彼は実際はポンなところもあり、しょっちゅう美人について行っては遊ばれたり危険な目にあったりもしているのだが、それも含めて楽しいらしい。
「で、トット、お前は? 今回の相手は美人だったわけ?」
「美人だったよ。それに、超使える子だった。殺しておこうかなって思ったくらい」
そう言えば、ティムがふは、と笑う。
「相変わらず、すぐ物騒なこと言いやがる」
「なんでよ。どんなにいい子でも、必要だったら殺すよ? 仕事だもん」
「あーはいはい。お前はそういうやつだ」
「じゃ、自分、ニックのところ行ってくる」
「はいよ。あ、今度メシ行こうぜ」
「メシ? という名のナンパ?」
「それもいーけど、とりあえず普通にメシ」
わかった、とひらり手を振る。ティムもじゃあなー、と手を振って、こつこつと松葉杖をついて事務室の方へ向かっていった。
さて、と、上司のもとへ帰国報告に向かう。
上司は射撃場にいるか、いなければ街中の研究所にいるので、居場所はわかりやすい。射撃場へ行けば、煙草をくわえながら銃の手入れをしている上司が見えた。
「ニック~」
トットの所属する三班班長ニックである。
三班は、剣や弓以外の特殊な武器を扱っていたり、特殊な技術を持っていたりする人の班だ。班長ニックの使っている銃は大変珍しい武器で、扱いも手入れも難しい。トットは、この国でもそれ以外の国でも、いまのところニック以外の使い手を見たことがない。
ニックはこちらに顔を向けると、ぱあっと満面の笑みになる。戦士らしからぬ、ただのいいおっちゃんだ。なお、銃が戦場で使えるかというと大変微妙であり、実際ニックはただのいいおっちゃんなのである。
「おう、トットかあ、無事帰ってきたんだな。よかったよかった」
「うん、元気元気」
ニックの横に座って、お土産、とア=カイロ王国で購入したお菓子の袋を差し出した。
お、とニックが目を輝かせる。
「これ、なんだ?」
「ヌガーっていう、キャラメルみたいなの。最近向こうで流行っているらしいよ」
「へえ、ありがとよ。お、旨いねぇ!」
でしょ、とトットもひとつ舐める。
そうだそうだ、とニックが銃の並んでいる棚からお菓子を引っ張り出してくる。
「あんたにも分けないとな。結構たまってるんだ。まずはこれだろ、ショーンが買ってきた不味そうな飴。アサギ地方に行ってたんだよなぁ。こっちはクロウ、ミ=ドリ皇国のネリ菓子とかいうやつらしい。王妃様が内密訪問するとかで、護衛についたってやつだな」
ぽんぽんと、三班のメンバーが任務先で購入したお土産が披露される。
三班は、得物も戦闘スタイルもばらばらなので、個人で任務を請け負うことが多い。だが、任務が終わればこうやってニックのもとに顔を出し、生存報告ついでにお土産を持ってきてはメンバー間でシェアしており、なんとなくお互いに存在を認識している。三班に誰がいるのかなどトットはほとんど覚えていないが、自分の知らないものを楽しめるので、トットは結構これが楽しみだった。
「袋に詰めるから、あとで食べとけ」
「ありがとう」
そうそう、とニックがお菓子を詰めながら言う。
「また来週から、任務をお願いすることになる。帰ってきてすぐで悪いね」
「そうなの? すぐなのは問題ないけど、何の任務?」
「陛下の地方視察の付き添いと、あと、あれね、あんたの本業」
本業と聞いて、へえ、と思わず顔が緩む。そろそろ腕が疼いていたころだ。ア=カイロ王国にいた時も、何度その衝動を抑えたことか。
その様子を見て、ニックが呆れる。
「楽しそうだなあ」
「もちろん。本業なら楽しみでしょ」
ニックのため息が聞こえるが、いつものことだ。彼はそのあたり、トットと違って普通の感性の持ち主だ。
「まぁなんでもいい。詳しい話は、帰国報告ついでにレオナルドから聞いてきな。たぶん、ユーゴと一緒に会議室にいるはずだ」
「ありがとう、行ってくる」
いろいろな場所のお土産が詰まった袋を受け取って、トットはそのまま足早に会議室へ向かった。
会議室のドアをこんこん、と叩く。
ぱっとドアが開いて、隊長レオナルドが顔を覗かせた。彼は身長が大きいため、トットは初めそのがっちりした肩しか見えなかったが、目線を上げればいつもの笑顔がそこにあった。
「戻ったよ」
「おう! トットか!」
帰ってきたんだな、無事でよかった、とばしばしと背中を叩かれ、室内に入る。
中に入れば、中央のテーブルに地図が広げられ、軍隊を表すいくつかの駒が載せられていた。テーブルの向こうに座る副隊長ユーゴが、顔を上げる。
「ご苦労」
「これくらいはね〜」
トットの反応に、ユーゴは少し顎を引く。レオナルドに勧められて、トットは椅子に座った。
「いやあ、トット、ア=カイロはどうだった、また美人に絡んだんだろ?」
「もちろん。美人こそ上層部と繋がってるし、美人のほうが楽しいしね〜。今回もよかったよ」
「向こうは向こうでいい女が多いもんな、いいよな」
「そうなんだよねえ。今回はさ、」
「トット、レオナルド」
止まらなさそうなレオナルドとトットの話を、ユーゴが遮る。
「土産話は、後でしてくれ。何か緊急の報告があれば、聞きたい。ギルからの依頼の件だろう」
レオナルドはわずかにしょげたように眉を下げるが、ユーゴは何食わぬ顔である。仕方がないので、報告を先にせねばなるまい。
「ギルくん、いまはいないの? 彼、いつも面白い案件渡してくるよねえ」
「いまは外に出ている。俺から伝えておく」
それならと、トットは早速口を開く。
「不自然な商流の根源は、おそらく軍の極秘施設。どうやらそこに、いろいろな金属とか死の森の素材とかがこっそり運び込まれている。極秘施設に繋がりそうな地下道の入り口はわかったんだけど、管理ががっちがちで全然ひとりじゃ入れる感じじゃなかったよ~」
「何をやっている施設だ?」
「それはねえ」
トットは肩を落とす。
「すっごく探りたかったんだけど、全然だめだった。使えそうなクリティカルな関係者も見つからなくて。ごめんね」
「そうか。その施設は、入れる見込みはあるのか」
「情報を集める時間と人脈が必要だね。そんなにすぐは無理そうかな~」
「ゆっくりでいい、情報を集める計画を立てよう」
ユーゴがこう言う時は、大抵重要な事案のときだ。面白くなる案件なのは明確なので、わかったよ~とトットは緩く敬礼する。
「ちなみに、この施設に関わる話で、何の裏付けもない予想があるんだけど聞く?」
なんだ、とユーゴに促される。
「極秘施設の諸々に、チャロアット・ディアスが絡んでいる可能性が高いんじゃないかと思っている。前将軍パブロ・ディアスの長男だね」
「ほう」
ユーゴの様子から、さすがにこの名前はすでに耳に入っていそうだな、とトットは思う。
「彼、めちゃくちゃ頭がよくて、虚偽名で学生時代にいくつか数学の論文を出している。剣術はまあまあらしいけど、なぜか、今年弱冠24歳で第六部隊隊長に任命された期待のホープなんだよね」
「若いのに隊長とは、すごいな」
と、レオナルドが感心する。トットは、すごいよね、と同意する。
チャロアット・ディアスの名前は、昨年ごろから少しずつ聞くようになった。若年で隊長に任命されたことで今年になってさらに人気が上昇しているようで、トットはア=カイロ王国にいる間に、毎日どこかしらで彼の似顔絵が売られているのを見た。
「厳重な情報統制が敷かれている上に、探りにくいいろいろな工夫がされた極秘施設。そこに突然の若手の抜擢。逆に、彼が関わっていないほうが違和感がある。チャロアット・ディアスは、頭脳を買われて昇進したんじゃないかな」
「そうだろうな。チャロアット・ディアスの人となりは?」
ユーゴの質問に、トットは首を横に振る。
「人気の割には、情報があまりとれなかった。学生の時はそもそも学校にほとんど来ていなかったようだし、当時は人を寄せ付けない雰囲気があって、友達もいなかったみたい。唯一接点があったらしいのは、先輩にあたるメイデン・シュワルツ。いまはチャロアット・ディアスの部下だって聞いたけど、知ってる?」
「いま、ライラック地方の山間部集落を攻めている小隊長だな」
レオナルドの言葉に、トットがそうなの? と反応すれば、ユーゴも頷く。
「ライラック地方は、平地だけでなく山間部もこまごまと攻撃を受けている。いまのところはうまく返していて、向こうのジリ貧だ。ふむ、あのエリアの引き金はチャロアット・ディアスが握っているということか」
「そうだな」
「そっかあ。なんかねえ、メイデンはチャロアットと真逆で、たくさん噂話を聞いたよ。とにかく優しくて誠実で、でも決めるところは決める男前。そんなにイケメンじゃないし小柄なほうだけど、学生時代に男女問わずに死ぬほどモテたらしい。卒業式のときに、制服のボタンが全部消えて、ネクタイとベルトとスリッパも持って行かれた逸話の持ち主」
「それは……なんというか」
歯切れの悪いユーゴの突っ込みに、からからとレオナルドが笑う。
「ユーゴが困ってるじゃねえか」
「いやあ、重要な情報でしょ。まだあるよ。入学式の時に男の先輩に喧嘩売られて、返り討ちにしたら逆に告白された話とか、野良猫に餌あげてた話とか、女性の後輩にストーカーされたけど丸く収めた話とか」
「ありすぎだろ。メイデン・シュワルツ、よほどモテたんだろうなあ、うらやましい」
レオナルドに同意すれば、ユーゴは全くわからない、というように首を横に振った。
「まあでも、今回の収穫はそんなもんかな。結構役立ったでしょ」
「そうだな。あとは極秘施設の情報だ」
「え、もうちょっと褒めてくれてもいいじゃん~」
ユーゴは”そうだなって言っただろ”とでも言いたげな表情で、トットを見る。トットからすると、ユーゴのような男にはこうやってちょこちょこと面倒くさい絡みを仕掛けるのが、楽しいのである。
「そういえば、レオ隊長、さっきニックから少し新しい任務の話を聞いたけど。地方視察の付き添い?」
レオナルドを見れば、彼は頷く。
「ああ、来週から、ヴィクトル国王陛下とエドワード王子が地方視察に行くことが決まった。ア=カイロへの警戒態勢強化アピールのためと、地方活性化の意味合いだな。警護自体は、そんなに重要なものじゃない。公式の視察だから近衛も行くし、近衛が死んだら俺たちの番、ってくらいだ」
「りょうかーい。あれでしょ、自分が行くってことは”そういう”案件があるんでしょ、そっちがメインだよね?」
わくわくとレオナルドに問い掛ければ、苦笑が返ってくる。
「相変わらずだな。今回、途中で交易都市に寄るんだが、そこにア=カイロの密偵のアジトがあるらしい」
「潰していいってことね?」
「ああ、そういうことだ」
その返事に、ざわざわと血が騒ぐ。
――そろそろ、そろそろ誰かを殺したい。
無意識に、ポケットの中の煙草の箱を触っていた。
「交易都市での滞在期間は?」
「4日。短い中での任務になるが、頼んだ」
「4日ね、わかった。ユーゴは何か関連情報持ってる?事前に詰めておきたいな」
「ああ、あとで資料はまとめて渡す」
おけ、と軽く返事をする。久々に、ナイフを思う存分振ることができる。そう思えば、心が浮き立った。
それから、とレオナルドが言う。
「今回は、マキナも連れて行く」
「え? 誰だっけ」
「レオナルドの班の、今年入ってきた奴だ。割と細身で、グレーの目の」
と、ユーゴが説明を追加する。だが、特にトットが思い出せることはなにもない。そもそも新入りの隊員の顔や名前など、全く記憶していないのだ。
「まあ、会ってから覚えればいい。それよりも、彼の件でひとつトットに頼みを追加したい」
ユーゴの目がすっと細められた。
「なに?」
「マキナの裏を探れ」
◇
どさり。
鹿が倒れる音が聞こえた。
綺麗に眉間に矢が当たったらしい。
「お~すごい」
思わずそう言えば、マキナは、ありがとうございます、と頭を下げる。結構遠い距離からの弓、しかも茂みの向こうだったのだが、一撃で仕留めた。
マキナの瞳を覗き込む。グレーの透き通った、綺麗な目。
――目が、良すぎる。
目と目が合って、トットはにこっと笑った。
「よく見えるね~」
「そうですね」
「どのくらい見えるの?」
「向こうの葉のついている木にとまっている、虫の羽の枚数がわかります」
雪もなくなりまもなく迎えるであろう春を感じ取ったのか、葉がつき始めたらしい木を見つける。
かなり遠い。トットも、木で動いている虫は見えた。が、羽の枚数までは見えない。普通の人間であれば、虫すら見えないだろう。
少しばかり驚く。自分よりも見えるという人に、トットは初めて会った。
「へえ、結構見えるんだね~」
「はい、結構見えます」
茂みの向こうの鹿を回収しに行く。
血を抜いて、食べられるように処理をする。マキナの手元には迷いはない。
「前職は、護衛業だっけ?」
「はい」
「やっぱり手際いいんだね~」
「ありがとうございます。前職では、毎日こんなことをしていたので」
「そっかそっか」
鹿の足を紐にくくりつけて、マキナが軽々と肩に担ぐ。
「ありがと」
「いえ」
「王様たちが立ち止まったら、こっちも鹿を捌いて焼いちゃおうか」
「はい、そうしましょう」
地方視察に向かう一行は、次の村に向けて、山道を順調に進んでいた。
トット、マキナは、その後ろを遠くから見守る形で追いかけていて、レオナルドは前のほうを歩いている。夜には一旦レオナルドと3人で合流するはずだ。
王都を出立してからのここ数日で、トットは既にこの男の能力が恐ろしいほどに高いことを認めていた。まず、目がいい。それに恐らく耳もいい。加えて、動きが軽やかで無駄な音を決して立てない。
――マキナ。彼は恐らく、トットと同様、ただの人間ではない。
ちなみに、マキナはトット以上に見えるだけでなく、恐らく推察能力が高い、ということもトットはわかっていた。
特に、見えない敵の動きだ。例えばトットの場合、経験と聴覚を元に見えない敵やものの位置を捉える。だが、マキナはまるで、見えていないものも本当に見えるかのように正確に予測し行動する。
ふと、マキナがどこまでできるのか気になった。
「聞いてみようかな。ちょっとしたクイズだよ。自分、今何本のナイフを持っていると思う?」
促されて、マキナがトットを見る。
ちなみに正解は15本。普通に見えているのは腰の3本だけで、他は服の裏側だったり、ブーツだったりに仕込まれていたりする。裏稼業を生業としている身としては、これが基本装備である。
「……予想ですが、5」
その回答に、トットはにこにこと表情を変えないまま、横の男を見つめた。マキナはマキナで、無表情のままだ。
「ふうん。そっかぁ」
見えているんだろうな、とトットは確信した。ここで5と答えるのは、見えていますと言っているようなもの。つまり。
――マキナは隠されているものも見える、そういうことだ。
「ふふ、マキナくん、嘘ついてるでしょ。本当はわかってるんだ?」
「……」
黙り込んだマキナに、トットはくすくすと笑った。彼は、嘘をつくのはあまり上手くないらしい。
王都を出発していくつかの集落や村を経由しながら5日間の馬車の旅の後、ようやく交易都市に着いた。
アサギ地方領主に挨拶をした後、パレードが行われた。その後は、領主の邸宅で国王と王子に対して昼食が振舞われたようだが、レオナルドと他の近衛兵がいれば十分とのことで、トットとマキナは別室で堅苦しいマナーなどに縛られずに昼食を食べ、さっさと街に繰り出すことにした。
マキナには特に何も言っていないが、トットの仕事のためだ。
一般人の服装に着替えて、街を散策する。
街の中心には川が流れており、レストランや商店の建物が並んでいるだけでなく、船の上でそのまま商品を売買していたり、川沿いの道路に屋台を開いていたりしていて、非常に活気がある。外国人らしい見た目の人も、ちらほらと歩いているようだ。
「相変わらず、賑やかな街だね~」
「そうですね」
「このあたりには来たことある?」
「はい、何度か。地方商人の護衛をしていたので」
「あ、そっか。地方商人ならここは来るよね」
「はい」
「じゃあ好きなお店とか、あったりする?」
「すみません、私は当時の主についていっていただけだったので」
「あ~もったいない」
仕事とは言え、トットは普通に買い物を楽しんでいる。仕事をしているつもりだと、この仕事は成り立たない。それに、こんなに賑やかな場所は他にないのだ。楽しむのが一番である。
「あ、レモネードじゃん」
「レモネード?」
「あれ、知らない?」
トットは小さなワゴンに近寄る。
透明な液体の中に、薄切りになったレモンが沈められている。
「いらっしゃいませ~! お兄ちゃん、レモネードいかがですか」
にこにこと声をかけてきたのは少年だ。金稼ぎだろう。
レモネードを2つ購入し、マキナにひとつ手渡す。
「はい、どうぞ。自分の奢り」
「ありがとうございます」
コップを傾ける。結構甘めだが、悪くない。
「どう?」
とマキナに尋ねれば、マキナは、すみません、という。
「味覚音痴でして」
「味がわからないってこと?」
「はい」
「そっか~、それなら仕方ないね」
トットは、レモネードが好きだ。
もともと甘いものが好きなのだが、甘い飲み物の多くは色がついている。透明性がないと、中に毒が入っていても気が付かない。レモネードは甘いのに透明で、毒を入れられる心配も少ない。
正直トットの場合、毒入りを飲んでも割と問題がないといえばないが、辛いことや苦しいことはできる限り避けたい。
適当にぶらつきながら、屋台や店を見ていく。
王都にも物は集まるが貴族向けの商品が多く、交易都市はもっと庶民向けの物が多い。価格帯も良心的だ。
だが、少し外れに目をやればそこは独特の雰囲気を放っている。麻薬なんかの闇取引の類だろう。雑多だからこそだ。こういうのは街の風景に馴染んでしまっていて、わかっていて見なければそれとはわからないものだ。
「なんか精鋭部隊の面々に、お土産でも買っていこうか~」
「お土産ですか」
「そそ、なんか日持ちのするお菓子とか。みんな喜ぶだろうしねえ」
談笑する若いグループ。
子どもと手をつないで歩く父親。
夫婦らしい男女に商品を売る店員。
船の積み荷を下ろす船員。
帳票をやり取りする荷受屋。
――ん。
トットはわずかな引っかかりを覚える。
そのまま緩やかに視線を揺らし、マキナを見る。
トットの判断は早い。
「実は自分、いい感じのお土産屋さん知ってるんだけど」
マキナが頷く。
「そうですか、ではそちらに向かいますか?」
「友達がやってて、マキナくん付き合わせるの悪いから、ひとりで行ってくるよ。結構面倒なやつなんだよね」
適当な言い訳に、マキナは何か察したらしい。
「わかりました。お気をつけて」
「うん。また部屋でね」
素直にはい、とマキナが頷くのを確認して、トットはぬるりと人混みに紛れた。
裏路地を通りながら、違和感のある動きをしていた男を見失わないように、見つからないように追いかける。マキナを連れてきても良かったのだが、ここはひとりの方が動きやすそうだという判断だ。
どうしようかとトットは少しばかり思案し、適当なタイミングで回り道をした。
店の影で吹き矢を用意する。ちらりと道を見れば、ちょうど男が見えた。
ふっ、と吹き矢を吹く。
命中したかどうかを確認する前に、他の路地から出る。突然ふらりと倒れた男に、周囲は騒然としていた。トットはぱたぱたと駆け寄る。
「おい、どうし……お前!」
人だかりをかき分ける。慌てる様子のトットに、1番近くでしゃがんでいる女性が顔を上げた。
「おい、おい、お前、どうした」
「お知り合いですか?」
「はい」
狙い通りの問いかけに、心の中でほくそ笑む。
知り合いということでそのまま面倒を見ると言えば、人だかりは消えて行く。意識が朦朧としている男を抱えて、大通りから横道に外れ、裏路地に入った。
適当なところで、殴って目を覚まさせる。目を見開いた男の喉にナイフを押し付ければ、久々の感覚に心が酔いしれそうだ。
――あとは、吐き出させるだけ。
トットの口元は、無自覚にも綺麗な弧を描いていた。
賑やかな市街地を抜けて、領主の邸宅に戻る。精鋭部隊3人が案内された部屋に入れば、マキナは既に室内のソファに座って、本を読んでいた。レオナルドはまだ帰ってきていない。
ドアが開いた音で気づいたのか、マキナが顔を上げる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
トットはマキナの横のソファに座る。
「何の本を読んでるの」
少し気になって尋ねれば、
「”タウシャン戦記”です」
「なにそれ」
もともと読書にはあまり興味がないし、聞いたことのない本だ。そもそもぱらぱらと見ても、文字が読めない。旧アオイ語だという。マキナは護衛の割に学があるらしい。しかも、この本はすでに何度か読んでいるという。
簡単にストーリーを教えてもらう。
「ええ、もったいな~」
思わず一発目の感想を素直に述べてしまう。マキナは首をかしげる。
「もったいない、ですか?」
「聖剣使いなんだから、好き勝手したらいいじゃん。自分の好きな人を守りたいのに守らないなんて、もったいないよねえ」
「なるほど。トットさんは、人類のために、というタウシャンの考え、どう思いますか?」
「え。どうだろう」
トットは考える。
「タウシャンが人類のためにを心底思っているなら、それもいいんじゃない? でもそれで苦しんでるなら、本当にやりたいことだったのかな、とか思っちゃうよね。社会規範的に許される範囲で、好きなこと好きにやったほうが人生楽しいよ。社会規範って結構緩いし」
「……常識的なんですね」
マキナの言葉に思わず笑った。
「それは、人生で初めて言われたかもしれないな~。あとで隊長とティムにも言っておいてよ」
「わかりました」
マキナは本を閉じる。
「ありがとうございます。勉強になりました」
「それよりさ、今日の夜、暇?」
「はい」
「密偵のアジトを見つけたんだよね」
アジトを見つけたのである。先程の一連の流れを思い出せば、思わず笑いが浮かぶ。あの男から情報を取れたのはラッキーだった。もちろんそのまま殺した。
短期決戦の場合、情報を吐かせて死体を隠す方が上手くいく。ただし死体が見つからないうちに次の行動へ移る必要がある。つまり、トットは今日の夜には発見したアジトを襲撃するつもりでいた。
マキナを連れていこう、とトットは考えていた。
マキナがもし密偵で、今回のターゲットが彼と同郷の密偵であれば、トットは殺されるかもしれない。が、それもまた一興。
「今夜には襲撃する。マキナくん、興味ある?」
マキナは考えているのか、少し黙る。
「ああ、邪魔になるとか気にしないで」
「……?」
「大丈夫大丈夫、だって君、他の人と違って、呼吸浅いし動きも静かだし、目もいいからね」
そう言えば、わずかにマキナの目が揺れる。
お、とそれをじっと見つめる。マキナは基本的にいつも無表情だ。こうやって感情を表すのは珍しい。
「必要であればご同行します」
「りょーかい、じゃあ隊長が帰ってきたら相談してみよう」
次回より、金曜日の定期更新になります!
第2章もお楽しみいただけると嬉しいです。
(松桐由荷)




