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2-2 レモンイエロー


日も完全に落ちた頃、トットはマキナを連れて外に出る。

トットの本業――端的に言えば、人殺しのためだ。


服装は昼とは違うものだが、2人とも靴も服も黒である。武器だけは、マキナに小刀を貸した。普通の剣を帯刀すれば、怪しさ満点だからである。

トットは、領主たちとの夕食のあと部屋で仮眠を取った。マキナも部屋で休んでいたようだ。体制は万全である。


「相手は5人。拠点の構造と侵入経路は、さっき説明した通り。地下だし外に声が漏れないから、助けを呼ばれるとかそういう心配はないよ。先に全員の意識を刈ることのほうが重要、こっちは人数で負けてるからね。処分はそのあとでできる。いいかな?」

「はい」

「地下の部屋は多分鍵がかかってるけど、君は触らないで。自分が先手で入る。何かあったらハンドサインで」


マキナが承知、と首を振る。

今夜拠点を襲撃して、明日の夜まで徹底的に押さえるつもりだ。


「ああ、ところでだけど」

「はい?」

「君は、静かに壁を登れる? 屋根の上は、静かに走れる?」




そんな訳で、現在2人は屋根の上を移動していた。

自分と同じように、壁を軽やかに登ったり屋根を不自由なく動いたりできるマキナに、


「優秀だね~」


と、トットは微笑んだ。どうやら、本当に身体能力は近しいらしい。トットのほうが小柄だし慣れているので、もちろんマキナは少し遅れるが、十分だ。

ありがとうございます、と頭を下げるマキナの様子は、いつもと変わらず淡々としている。


トットは時々止まりながら、道を見下ろし、目的の人物を探す。


「……」


夜とは言え、商人の街だ。昼間は商人たちが店を開いていた市街地の表通りは様相を変え、お酒を振る舞う屋台がこの時間でもがやがやと賑わっていた。


トットは、その人混みをじっと見下ろす。


「……お、いたいた」


目標としていた人物を発見する。

その人物は、拠点の上にある古本屋のオーナーだ。彼が帰ったところを襲う手はずになっている。実際のところスパイの協力者である証拠はないが、生かしておくつもりは微塵もない。


オーナーはしばらく屋台でちびちびやると、帰路についた。足取りはしっかりしている。

途中まで追いかけて彼が今夜帰宅することを確信したところで、屋根の上をつたって既に電気の消えている店に先回りする。拠点はこの古本屋の地下だ。


マキナを屋根の上に残し、トットは人通りのない裏口の横で隠れて待機する。

マキナが片手を上げてみせる。オーナーが近づいてきたようだ。トットは頷いてフードを深く被った。


ちらりと確認すれば、彼はかなり警戒しながら歩いていた。裏口の前でもちらりと周りを確認して、鍵を差し込もうとする。

音なく動く。後ろから羽交い締めにし、首の骨を折った。


落ちそうになる鍵束を拾う。それから動かぬ死体となったオーナーを抱えて、ゴミ集積の箱に躊躇いなく入れて隠し蓋をした。


マキナに合図を送れば、彼がするすると降りてくる。

その間にも鍵穴とドアの蝶番に油を注してから、鍵を差して静かに開ける。


既に頭に入っている間取り図を元に、息をひそめて静かに素早く地下へ降りる。黒いドアの向こうからは、小さく話し声が聞こえた。ドアには、どうやら鍵がかかっているようだ。

鍵束を見る。鍵は4本。ひとつは裏口の鍵で、ひとつは店の鍵、ひとつはオーナーの家の鍵で、もうひとつがここの鍵だろう。

裏口の鍵はわかっているので、3分の1だ。外したら鍵の音で気づかれる確率が上がる。


――うーん、ギャンブルだな。


楽しくなってきた。


殺し屋業で1から10まで全てプランニングして、それ通りに進むなんてことは絶対に有り得ない。こういう運要素こそがこの仕事の楽しいところだ。

どれだと思う、と、トットはわずかな発声のみでマキナに問いかけ、鍵束を見せた。マキナは、鍵束から目線を逸らして、じっと鍵穴を見つめ、それからひとつの鍵を選んだ。


やたら確信めいた様子だ。

わずかながら、迷いが生まれる。そもそも基本的に、トットは職業柄誰かを完全に信用することはない。だが、この土壇場で、マキナの選択を選ぶのかどうか、まだ、これからの結末の選択権はトットにある。


――まあ、ここは。


最終的に、彼はマキナが選んだ鍵を選んだ。

音もなく鍵を差し込む。その感覚で、この鍵が当たりだとわかった。


トットはマキナと一瞬だけ目を合わせ、素早くドアを開いて部屋の中へと滑り込んだ。


「……!」


人数は4人。

トットは、目の前の女に飛び蹴りを喰らわせる。壁にぶつかると当たりどころが悪かったのか、頭から血を流して倒れた。


「誰だ!」

「……」


叫んだ男の鳩尾に、トットは強烈な一撃をお見舞いする。それから小刀で、首をひと突き。

後ろから入ってきたマキナが、ソファに座っていた男の後ろ首を強打したのが見える。

1人が他の部屋に逃げようとしたところに、トットは手近にあった椅子を投げつける。ぐわあっ、と倒れたところを馬乗りにして、首を折る。


静寂が落ちる。あっという間に終わった。


他にも3つほど部屋があり、ひとつひとつざっと確認したが、ベッドや食料があるだけで人はいなかった。


「あと1人いませんね」

「そうだね、待ち伏せようか。今夜いないなら、明日の昼間には帰ってくるといいなってくらい。ここをちょっと探索したら、屋根に登ろう」


元の部屋に戻って、トットは部屋の鍵を内側からかける。

既に息絶えている人間だったものを見下ろし、それからマキナが気絶させた男を見て、


「あ、マキナくんもやってみる? 首の骨を折るの。1番楽で、後腐れのない殺し方だけど。ただ、失敗すると結構苦しいし痛いんだよね~」


などと言ってみた。

意外にもマキナはすぐに承諾の返事を寄越してきて、実際にその男を殺したのだった。



その後、マキナとともにそれぞれの部屋を再度慎重に捜索。ア=カイロ王国のコインやアカイ語の書籍が出てきたので、ここの密偵はア=カイロ王国の手の者だとはっきりした。


死体も入念に調べると、小さなメモが出てきて、交易都市に大量の"ドラッグ"を運ぶことでア=オイロ王国の内部崩壊を促すような、そんな趣旨のことが書いてあった。割と好きな戦略だなと思うが、さすがに杜撰すぎる。

当然だが、基本的に証拠は残すべきではない。メモは、読んだらすぐに焼く。焼け跡も残さない。トットの場合はほとんどソロで動くので、本当は現地に拠点を持つ感覚もわからない。


死体を部屋の隅に並べ、ソファに座る。逃げないんですか、とマキナは言ったが、無視して懐から煙草を取り出し、口に咥える。


じっ、とマキナがこちらを見つめてきた。


「吸ってもいいかな」

「はい」

「マキナくんも座ったら?」

「はい」


向かいにマキナが座る。マッチを擦って火をつける。


「煙草、吸うんですね」

「割と吸うね~」


マキナくんは、と首を傾げる。


「吸わないです」

「なんかストレスとかたまらないの?」

「ストレス、ですか」

「うん。普通、人を殺した後ってストレスがかかるらしい」


彼はすぐに首を横に振る。


「ストレスは感じにくいので」

「平均的な感覚だと、この人たちの首の骨を折るなんてかなりの負担だろうな~と思うけれど、君は良心の呵責はないってこと?」

「どういうことでしょうか」

「直接的に殺すことに、もう少し感情的な抵抗感を覚えないかなって。普通は」

「……私は」


マキナは少し黙る。


「私は特に、人を殺すことに何も感じないので」

「そうなの? それはすごいねえ」


思わず感心する。自分の知っている同業者でも、そこまで言い切る人はさすがにいない。

だが、言われてみればマキナはいつも無表情で、感情という感情はほとんど現れない。トットも、ここ数日で1回か2回くらいしか、マキナの表情が動いたところは見ていないのだ。表情筋使ってないくせに、よく綺麗なフェイスライン保ってるな~、などと全く関係ないことを思う。


「トットさんは、殺した時には煙草を吸うんですか?」

「うん」

「ストレスケアですか?」

「いや、違うね~。自分は、殺すのは好きでやってるから」

「好きなんですね」

「うん、超興奮する」

「では、なぜ煙草を吸われるんですか?」


ふうっと煙を吐く。


「殺した奴見ながら吸う煙草は、本当に、ものすごく、おいしいから」

「……なるほど?」


わかっていなさそうな反応に思わず笑う。

1本、どう? と自分の箱を差し出せば、


「味覚音痴なので」


と返ってきて、それもそうだったと思い返す。だが、味覚音痴と煙草の旨い不味いは関係あるのだろうか。


「それにしても、マキナくん、本当に優秀というか。身体能力高いよねえ」

「ありがとうございます」


――マキナは、超人の末裔?


そんなことは、決してトットは聞かない。

超人の末裔は個体数も少ないし、もし仮に目の前の人物がそうだったとしても、質問をすれば自分がそうであることを示唆してしまう。なによりも、トットの本業は殺し屋だ。殺し屋は、誰も信用しないし、誰に対しても自分の情報をオープンにしない。


それでも、久々にこんなに身体能力が近い人物に出会った。

普段他人など全くどうでもよいトットであるが、マキナへの興味はどうしても湧いてきた。


鍵穴をじっと見つめていたマキナを思い出す。彼の様子はまるで、鍵穴の形を本当に見ようとしていたようだった。

マキナの瞳を見る。グレーの、澄み切った瞳だ。特に他の人と違うところがあるということもない。


「あー、どうしよう。マキナくん、裏の仕事の部下として欲しいなあ」


思わずそう言えば、マキナは礼儀正しく頭を下げる。


「そう言っていただけるのは嬉しいです」

「やりたい? でも絶対、隊長もユーゴさんも反対するだろうなぁ。無理だ」


トットは立ち上がって、キッチンで煙草の火を揉み消す。


そろそろ、後詰をしなくては。


マキナを促し、再度屋根の上で見張りを続けた。



◇



「なるほどな」


レオナルドが顎に手をやって考える。トットはにこにことそれを見つめる。


この部屋には、レオナルドとトットしかいない。

マキナは、王と王子の護衛についている。彼らは今、領主の案内で街の見学をしているはずだ。



昨日、結局もうひとりの密偵は拠点に戻ってこなかった。


トットはマキナとともに領主の邸宅に戻り、レオナルドに報告後、彼とともに王子エドワードに謁見した。発見したメモに書いてあったドラッグによる影響を防ぐため、薬取引の調査と、交易都市における商売の取り締まりに関して提言するためだ。

エドワードは基本的に理解もあり交渉力もある人なので、今回のことも快く了解してくれた。領主にも、今日の午前中には働き掛けてくれたようだ。


「ア=カイロの密偵の可能性は低い、か……」

「うん。確実なことはなにもないけど、まあ7割くらいは違うかな、くらいだよ~」


そして今、トットはレオナルドに別の報告をしている。


マキナのことだ。


トットの目線から言うと、マキナは完全に密偵たる条件を満たしている。身体能力も高いし、感情も表に現れにくい。だから、念のため重要なところは全部トットがやった。


オーナーを殺すのも。

鍵を開けるのも。

部屋に突撃する時も先手はトットがとって、マキナに背後を取られないようなポジションを確実に取った。


トットは、マキナを試すような行動もとった。


まずひとつ、部屋の鍵当てゲームだ。


3分の1、あれはトットにとってもちょっとした賭けだった。当たれば襲撃が楽になる。外せば鍵を開けようとして失敗する音で、向こうが警戒心を持ってしまう。トットはわからなかったから、マキナに賭けてみた。

ただ、トットは確信を持っていた。マキナは”ちゃんと正解の鍵を選んだ”。その前提に則って考えた場合、マキナはほぼほぼア=カイロ王国の密偵との繋がりはないと言える。不正解の確率の方が高いのに、わざわざ正解の鍵を教える必要がないからだ。


もうひとつは、あえて首絞めで殺させたことだ。


誰しも、味方を実際に自分の手で殺すことには多少の抵抗を覚えるはずである。それも、剣や銃ではない、自分自身の手で。マキナは躊躇いなく殺した。

だがこちらは、マキナが密偵の仲間かどうか判断するには十分な要素にならない、とトットは考えている。マキナは、人を殺すことに対してかなり淡白な人だ。


「こっちの信頼を得るために切った可能性も、全然あるからね~」

「ったく、ユーゴはなんでこんな面倒な奴の採用を許可したんだか」


一応任務としてもらっている以上、あの手この手でいろいろ試してはいるものの、完全な否定材料などあるわけがないのだ。人の気持ちを証明するなど、不可能である。

そも、信用ならない人物を採用するのが間違っている、とトットは思う。聞けば、マキナの採用については、どうやら精鋭部隊の悪いところが出たらしい。


「ユーゴさんのせいにしちゃだめでしょ。入隊試験で打ち負かされかけて、『あいつを採用しなかったら俺の誇りが廃る!!!』とか言ってたのは隊長だって、ティムから聞いたんだよねえ」


はあああ、と後悔の多分に混ざったため息をついて、レオナルドが顔を片手で覆う。


「そうだったわ」


思わず呆れた目で大男を見つめる。こんなんでよく重要機密事項を扱う精鋭部隊の隊長が務まるな、と思うが、それこそが彼の魅力でもある。戦士に対するまっすぐで深い敬意を持っているレオナルドだからこそ、自由奔放な精鋭部隊の戦士たちがついていくのだ。


結局マキナのことも、もし敵国の密偵だとわかればさっさと殺せばよいだけの話。


「まあでも、実力は確かだね~。自分の任務でも頼りになる」


フォローのつもりでそう言えば、レオナルドが少しばかり驚いた表情になって、それからにかっと満面の笑みを浮かべた。


「珍しいな」


何が? と首を傾げ、レモネードを一口飲む。

実は、昼にひとりで街に降りて買ってきたのだ。


「トットが誰かを『頼りになる』って言うのは初めて聞いた。お前、ひとりで何でもできちまうもんだからよ」

「……確かに、それはそうかも」


がっはっは、という笑い声とともにばしっと背中を叩かれ、ごほっとせき込む。レモネードが変なところに入った。


「ちょっと」

「いやあ、なんだか嬉しくてなあ」

「なんでよ」

「お前と行動できるようなやつはいねえから基本的に任務はひとりだし、精鋭部隊ん中でも話せないくらいに任務の機密レベルは高えし、それに女は利用することしか頭にねえし」

「自分は男もいけるよ~」

「いや、そういうことじゃねえんだよ」

「あ、違うの?」


そもそも、とトットは思う。

そもそもトットは他人を信用しないし、だからと言って孤独や寂しさを感じたこともない。誰かと一緒に行動することは面倒だし、逆に枷でしかないと感じてしまう。

任務遂行にあたっては、せめてマキナのような身体能力を持つ人物でないと、トットにとってただの足手まといであることもまた事実。戦闘でトットよりも強い人は、精鋭部隊にはたくさんいる。だが、トットのように動けるような人はいないのだ。


だから、あまりレオナルドの言っていることはよくわからない。


「まあでも、実際、マキナくんの扱いは難しいよねえ」


話を戻す。

誰かを敵である、とか、味方である、とか、判断するのは難しいのだ。特に、マキナのように精鋭部隊に入隊する意図や経歴が見えにくい人物の場合は。レオナルドは首を振る。


「敵とか味方とかは、俺はよくわかんねえ。ただ、精鋭部隊は強い奴らの集まりだ。そしてマキナは強い。だから、あいつは精鋭部隊の隊員にふさわしい。俺は、マキナがこちらに戦いを挑んできたら戦うだけだ」

「隊長らしいね」

「まあ、最後は情だろ」

「うーん、情?」


思わず苦笑いを漏らす。あのマキナに情などあるようには見えない。彼の情を頼りにするのであれば、それは甘すぎるとトットは考える。

レオナルドが柔らかく笑う。


「情の動きは甘く見ないほうがいい」

「わかった、覚えておく。でも、もしマキナくんが少しでも怪しい動きをしたら、やっちゃっていいでしょ?」

「もちろんだ。今回の目的は、それもあるからな」

「だよね、りょーかい」


トットはポケットに手を入れ、煙草の箱を取り出す。箱を開ければ、レオナルドが外を指さした。


「お前、一応ここは領主の邸宅の中なんだぜ。外で吸って来いよ」

「え~、はあい」


ひらひらと手を振られ、トットは部屋を後にした。



◇



邸宅を追い出されたので、ぷかぷか、と煙草を吸いながら散歩する。

交易都市は、やっぱり歩くだけでも楽しかった。特に何かを買うわけでもないが、トットはこういう賑やかなところも嫌いではない。


しばらく歩いていれば、遠くに国王一行が見えた。

通り沿いに、国民がたくさん集っている。ヴィクトル王は、国民に人気があるらしい。


――お、マキナじゃん。


せっかくの機会である。屋根の上から、マキナの様子を見ることにした。

トットは煙草を捨てて、軽やかに路地裏から屋根の上に登る。



街の視察をする王と王子の護衛をするために、マキナは、彼らの乗る馬車の後ろについて歩いていた。


しかしふと、賑やかに歓声を上げる国民たちの間を縫って、ボロ雑巾のような服をまとったひとりの男が馬車に向かって駆け寄っていくのが見えて、トットはそれを注視する。男にはそれなりに白髪があり、服装も相まって貧相で、そのせいか随分歳をとっているように見えた。

マキナの動きで、彼もその男に気づいたことがわかる。男が馬車に殴りかかる直前に、当たり前のようにマキナがそれを止めた。


馬車も止まり、周りの国民も、何事かと先ほどと少し空気感が変わってじろじろと男を見る。

遠くからだったが、トットであれば、マキナに取り押さえられた男が、王や王子への文句を言っていることが聞き取れた。


「なんで戦争をやめねえ! 俺は、ライラックで生まれ育った。みんな、みんな死んだ。みんな目の前で殺されて、くそったれが!!

ヴィクトル王、てめえが攻撃の命令を出さなければ、ライラックでの戦争は起きなかった! なんで、ア=オイロの領土を広げようなんて欲を出した! てめえの自己満足で、たくさんの人間が死んだんだぞ!」


似たような内容を、男は何度も何度も、馬車に向かって吐いた。

しばらくして、馬車の中からヴィクトルが落ち着いて返す声が聞こえる。ヴィクトルの姿は、トットからは見えなかった。


「……かつて、ライラック地方の先には、デニム地方があった。29年前、ア=カイロが進軍してきた時、デニム地方の民がたくさん殺された。昨今の戦争は、デニム地方を取り返すためのものである。彼らの無念を晴らすこと、あるべき領土を取り戻そうとすることは、国王として当然の責務だ」

「違うだろ! てめえはただ!」


――あのときに、第一夫人を殺された恨みを晴らそうとしているんだろう!


「不敬であるぞ!」


とうとう堪忍袋の尾が切れたらしい、近衛の怒鳴り声が響く。


よい、とヴィクトル王が近衛を諫めるのが聞こえ、それからしばらくして馬車の扉が開く。

降りてきたのは、ヴィクトルではなく、王子であるエドワードだった。彼は躊躇いなく地面に片膝をつき、マキナに取り押さえられた男と目線を合わせる。明るい、白に近い金髪がふわりと揺れた。


「……エドワードだ」

「……」

「父上への意見、私が受け取ります」


少し男は驚いたようだが、じっとエドワードを睨みつける。エドワードは穏やかな表情で、言葉を続ける。


「……確かに私の母は、私を産んですぐ、ア=カイロ王国の手の者によって暗殺されたと聞いています。そしてその混乱に乗じて、デニム地方が侵略されたとも。私は、母の顔を知らない。

だが父は、母のためだけに戦争をしているわけではない。あのとき、母を救えなかったこと、その結果判断を誤ったこと、そして国民を、デニム地方を失ったこと、それら全てを後悔しておられる」

「そんなものは、詭弁だ。そうだとしても、ア=カイロ王国との戦争を続ける意味は、俺はわからねえ。さっさと終わりにしろよ、こんなこと!」


エドワードはその言葉をただ聞き、そして瞼を閉じ、ゆっくりと開く。それから静かに紡ぐ言葉が、風に乗って聞こえる。


「……約束します。私は、この世を平和にする」


エドワードはマキナを見る。


「解放しなさい」


マキナは指示に従って、それを解放する。

途端、男はエドワードに殴りかかる、が、マキナは寸前でそれを止めた。さすがの反射神経だな、とトットは感心する。護衛として完璧な振る舞いだ。


「エドワード王子」

「構わないよ」


微動だにせずに変わらないトーンで返事をするエドワードも、随分肝が据わっているらしかった。


「すまない、護衛は私を守ることが役目でね」

「……」

「だが、あなたの一撃は、受け取ったことにしてもらえないだろうか。私も、あなたと同じ思いです」


しばらくして、男の身体から力が抜けていくのがトットには見える。エドワードが頷くと、マキナがその拘束する手を緩め、男を解放する。今度こそ、男は殴り掛かるようなことはしなかった。


「あんたは」

「はい」

「……エドワード王子は、出来が悪いと」


くすくす、とエドワードはどこか楽し気に笑う。


「そんなときもありました。……同じ志を持つ者同士、会話ができてとても嬉しく思います。私も精一杯頑張ります。では」


エドワードはすっと立ち上がると、そのまま馬車に乗る。

男は膝をついたまま、走り出す馬車を見送る。


マキナも馬車を追いかけるが、彼はふとこちらを見た。マキナであればトットが見ていることにも当然気づいていただろうとは思っていたため、トットとしては特に驚かない。

ひらひらと手を振れば、彼は軽く頭を下げて、そのまま背を向けて去っていった。


「難儀な男よ」


ぬるり、と隣にひとりの人間が座り、しわがれた声でそんなことを言う。土色のマントを身に着けフードを目深に被っていて、顔は全く見えない。

トットはわずかに驚いて、それから息を吐きだす。


「……心臓に悪いねえ。なんでこんなところにいるの~、師匠」

「なんでだと? 愚問だ愚問。老後の慰安旅行の道中よ」

「そう。元気でなによりだよ、もう一生顔を見ないと思っていたなあ」

「ほほほ。ここであんたに会ったのは、本当に偶然さね。ま、あえて言うなら――ひと目、殺した女の息子の顔でも見ようかと」


殺した女、と少し考えて、すぐに思い至った。恐らく国王ヴィクトルの、第一夫人のことだ。ここにいるということは、エドワードの顔を見に来たと考えるのが妥当なところだろう。

トットは、ふうん、と膝に顎を乗せる。


「師匠が殺したんだ。……師匠は、どの国にも所属しないんじゃなかったっけ」

「そんなこと言ったかね」

「昔々に言ってたよぉ」

「いつ、自分が国のために動いたと言ったかね」


うーん、とまた少し考える。


「確かに、それは聞いてないな~。ア=カイロのために殺したわけじゃないんだ?」

「そうとも言っていないがね」


ほほほ、と師匠はまた笑う。トットは思わずため息をつく。面倒くさい師匠である。


「あんたも元気にやってるね。ま、いるならこっちの国だろうとは思ったけれど」

「そりゃあ、そう。ここが一番都合がいいよ、好きなことをやるには」

「だろうね。ま、好きにしんさい」


師匠はゆっくりと立ち上がる。

こんなにも普段の動作は緩慢なのに、トットはこの人間が隣に来るまで、"全く気が付かなかった"。この人は、どこまでいってもトットにとっては師匠なのである。


そういえば、と師匠の目線が、まだ座ったままのトットに落ちる。トットはそれを見上げる。


「なに?」

「さっきの白い髪の男、あんた同僚かい?」

「そうだけど」

「どんな男かな」

「んー、自分と同じような身体能力を持っているね〜。代わりに、なのかはわからないけど、記憶障害があるんだって」


護衛になる前の記憶を失っているらしい、突然記憶を無くしたことがある、とはレオナルドとユーゴから事前に聞いていた。

だが、もしマキナが超人の末裔なのであれば、そういうことがあっても違和感はない。超人の末裔は、超人的な身体能力を持つ代わりに、何らかの欠陥を抱えることが普通だからだ。


「なにか気になるわけ?」


と尋ねれば、師匠は視線を逸らし、先ほどまで馬車がいたところをもう一度見る。

国王に対して直談判をしていた男は、いつの間にかいなくなっていた。


「ふむ、そうさね。似た男を、一度だけ見たことがあるよ。……29年前にね」


土色のマントが、風に吹かれてぱさりと静かに揺れた。





(26/11/04 一部表現を修正)

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