1-5 フォゲットミーノット
『我々の信頼関係が試されますね』
『そうだな。試されてみよう』
静寂。
豪雨。
「……」
「……」
ギルはマキナをじっと見つめる。
「……驚いた」
「……失礼しました、驚かせてしまいました」
ギルの首の左側を真横に通る、マキナの剣。
そしてその剣を持つマキナの腕にあたった、ギルの剣。
ギルはゆっくりと、マキナの腕にわずかに当たった剣を下す。マキナが剣を退かせば、ギルの背後でどさりと人間が倒れる音が聞こえた。
立ち上がって、ギルはスピネルの喉元に突き刺した剣を右手で抜く。
「剣を向けて、悪かった」
「いえ」
「腕は大丈夫か。刃が当たった」
「問題ありません。お気になさらず」
「殺しきれていなかったか」
「はい」
ギルが殺したと思った二人のうち、一人がまだ命があったらしい。後ろからギルを襲いかけたのを、マキナが剣で葬った。
わずかな緊張感が流れる。勘違いとはいえ、窮地で味方に刃を向けたのである。
ふう、とギルは息を吐いて、頭を覆っていた布を外す。それから自身の二振りの刃を拭って綺麗にして、鞘に納め、マキナに差し出す。
「マキナ、これを貸す、代わりにお前の剣を貸せ」
「……」
マキナはギルの剣を受け取らずに、黙って自身の剣を差し出す。
「俺のを代わりに持て」
「なぜですか」
「……お前、俺に剣を預ければ丸腰になるが」
「いえ、問題ありません」
どうぞ、とマキナは改めて剣を差し出す。
もう一度息を吐く。ギルは自身の腰に剣を戻して、それからマキナの剣を受け取る。
「相変わらず重いな、これ」
「ギルさんに選んでもらったんですよ」
「いまそれを言うか、最悪な気分だ」
「……なぜですか」
「俺が、マキナを心の底からは信頼できていなかったことがわかったからな」
信頼していれば、このような窮地でとっさに味方に刃を向けることなどない。
ギルは、マキナの剣を自身の左手首に当てる。先ほど、マキナに剣を向けたのはこの左腕である。
「ギルさん、何を」
マキナの声を無視し、すっと十字の跡をつける。ぷっくりと血がにじむ。雨でゆっくりと血が流れていく。
「俺が忘れないようにってだけだ。お前を信じ切ると、いま決めた」
「……」
布で刃についた血を拭いて、マキナに剣を返す。
「なぜですか」
「うん?」
「……ギルさんは、信頼関係は日々のコミュニケーションで培われるとおっしゃっていました。こんな一瞬で決まるものなんですか」
マキナは、じっとグレーの澄んだ瞳でこちらを見ていた。ギルは首を横に振る。
「いや、決まらない。信頼関係は積み上げるのは大変だが、なくなるのは一瞬だ」
「……」
「さっきの俺の行動は、一瞬で信頼関係が崩れる行為だ。だから、戒めた」
しばらくマキナは黙って、彼も頭の布を外す。それからまたギルに視線を戻して、ゆっくり口を開く。
「ギルさんは、いま本当に私を信頼していると言えるのでしょうか」
「いや、言えない。ただ、俺は決めた。マキナを信じ切る。それを信じるのかどうかは、マキナ次第だ」
「……賭けた、ということですか」
「そうだ」
「わかりました」
「よし、いいな。戻るぞ」
「背負います」
「いや、せっかくだ」
歩こう。
髪が濡れ、毛先から水滴が落ちる。
ギルは、スピネルの首を取って、マキナに背を向けて歩き出す。
マキナは、そっと隣に並んだ。
足音で、歩幅はほとんど同じであることに気づく。身長もほとんど同じだ。似ているところも結構あるもんだな、となんとなく思った。
「ギルさん」
「なんだ」
「私は、ギルさんを信じることにします。私も、賭けます」
「うん、そうか」
◇
「ずいぶんと非人道的な戦略をとったらしいじゃないか」
そう言ってにやにやするレオナルドと、それから相変わらず表情の読めないユーゴを目の前に、ギルは居たたまれない気持ちで座っていた。
「いや、いえ、まあ、そうです……」
「後処理が大変だと苦情がきたんだろ」
からからと笑うレオナルドに、ギルはため息をつく。
洪水作戦は、客観的に見てまったくもって人道的な手段とは言えない。しかも想定外だったのは、そのあとの死体処理である。兵師団と精鋭部隊で協力して処理したものの、泥に埋まった死体を探すのに、非常に手間がかかったのである。
さすがのケニーやポルックからも、愚痴が漏れるほどだった。
「でも、800ですよ。こっちの11倍ですから。手段なんて選んでられませんよ」
「まあ、あとから伝令が来て、俺らも驚いたからな。それでもユーゴが、増援はいらないと言うから」
「え」
ユーゴは素知らぬ顔で煙草を吹かす。
「いらなかっただろう。レオナルドが20というなら20でできる」
「なに言ってるんですか、それは結果論ですよ」
「お前への信頼の証だ」
この上司は、とギルはあきれる。彼はいつも冷徹な蛇のような男だが、こういうときにつまらない冗談を吐くのである。
「ま、自然や環境を味方につければ、数はそんなに関係ねえよ。わかっただろ」
レオナルドが得意げに言う。
「それはそうですが。たしかに、隊長の助言で助かっています。非人道的とか言われていますが」
「ダンもお前を褒めていた。実戦経験で見りゃお前はひよっことニワトリの間だが、いい動きだったと」
「ダン班長にそう言っていただけるのは、嬉しいですけれども」
「ちゃんと目的も達成したしな。いい活躍だった」
わずかに不満だが、ギルは頭を下げる。レオナルドが満足げに頷く。
捕らえたア=カイロの兵士を尋問した結果、ア=カイロ王国内でチャロアット・ディアスという男の存在感が増していることが明らかになったのは、ア=オイロ王国にとって大きな成果であった。どうやら、前将軍、パブロ・ディアスの息子らしい。
彼が、父パブロや現将軍ドンファとは異なり、冷静な戦略家であることは明確であった。つまりア=カイロ王国の取る戦略の幅が広がることは必須であるが、その心構えができるだけでも全然違う。
スピネルをあの難易度の高いエリアに配置したのがチャロアットの差し金であろうということを考えると、彼は読みにくい男であった。
スピネルの発言から、チャロアットとの相性は悪かったようで、そんなスピネルをあえてあのエリアに置くのには、やはり何らかの意図を感じざるを得ない。
普通に考えれば、大きな成果という甘い餌を以てして、難易度の高いところで失敗させて失脚させるシナリオが思いつくが、その一方で増員もしているのである。スピネルを貶めたいのか活躍させたいのか、いまいち一貫性がない。
なによりも、あのエリアを侵攻することで、ア=カイロ王国が、一体何を目的に戦争しているのか、いまやア=オイロ王国は正確に測れなくなってしまった。これまでは、ムラサキ鉱山の奪還を目指していたと思ったが、狙いは王都かもしれないのである。
よってもって、精鋭部隊としては今後しばらくチャロアット・ディアスの情報収集に勤しむことになる。
――どんな奴だろうか。
「マキナとゼドの新人組はどうだった? ダンからは活躍したと聞いている」
レオナルドの問いに、ギルは頷く。
「はい、活躍していました。戦場がよく見えるところがあったので俺も見ていましたが、二人の連携がよかったですね」
ゼドとマキナは、まるでお互い呼応するかのように戦うことができた。実力が近いのもあるだろうし、お互いよく相手を見ながら動けるので、うまくフォローし合えているようだった。
「そうか。あの二人は性格的にも戦闘スタイル的にも割と合うと思ったが、俺の見る目があったということだな」
「さすがですね」
レオナルドはがっはっは、と笑う。
「マキナとはどうだ」
ユーゴは煙を吐き出す。ギルはまあ、と少し考える。
「俺は、信じると決めました」
「ほう」
「あの、役割分担させてくれませんか」
ギルは左手首を撫でる。
「彼を疑う役割は別の奴にお願いします。俺は、ちゃんと彼と向き合って、人となりを知るようにします。そのほうが、きっと結果的にうまく行く」
「お前がそう言うなら、そうしよう」
ユーゴらしい、即断即決である。
「レオナルド、次トットの国内案件があればマキナを同行させろ。これは、副隊長として進言する。話を聞くに、適任はトットだ。受け入れてもらいたい」
「わかった」
レオナルドは、ユーゴからの“副隊長としての進言”は決して退けない。なおユーゴは、稀に発生するレオナルドの”直感”は全て受け入れると決めているので、彼らはうまいバランスでこの精鋭部隊を切り盛りしていた。
ユーゴは煙草を潰す。聞きたい話は、全て聞けたようだ。
「ギル、ご苦労だった」
「はい、ありがとうございました」
◇
「おつかれさまです、ギルさん」
道場へ行けば、マキナがいた。この時間であればいるだろうとは思っていた。
アサギ地方でスピネルを殺したあの日から、ほとんど毎日会話をしている。マキナから声をかけてくるようになったのも、ここ数日だった。だいたいはただの雑談だったり、マキナからの剣や弓や戦術に関する質問だったりしたが、アサギ地方へ行く前よりも、どこか壁がなくなったような気がしていた。
「おつかれさま」
「ちょうどご報告しようと思っていました。お借りしていたタウシャンの手記を、読了しました」
「おう、どうだった」
道場の横で並んで座る。
「タウシャンの敵兵を救う心理が、少しだけわかったような気がします」
「ほう」
「タウシャンにとっては、敵も味方もなかった。まずはその概念が、私にとっては意外でした」
マキナは言う。
自分にとっては、明確に誰かは屠るべき敵であり守るべき味方であった。護衛はそのような世界だから。
だが、敵も味方もなく、ただ人類というより大きな括りで平和を願うタウシャンの考え方は、生物学的にある意味大変理想的であると感じた。人類全体で見れば、敵兵が死ぬか自分が死ぬかのマイナス1という数字は変わらない、つまり命の重さは究極的に同じであり、できる限り数多くが生き残るべきであるというタウシャンの考え方は合理的だ。
ただしタウシャンは、自身の愛する人が死んだ時だけは涙した。命の重さにはやはり偏りがあることを彼自身自覚し、彼はその苦しみを手記に綴っていた。
だが、その後彼の行動は、より命に対して平等になった。それは、彼が苦しみを受け入れるための、あるいは苦しみから目を逸らすための行動だと想定している。
「私の読解力は高くないので、間違っているかもしれませんが」
「いや」
ギルは首を横に振る。
「本を読んで、どのように解釈するかに、正解も不正解もない。その前提でだが、マキナの解釈は、俺の解釈と近しかったから、少し嬉しい気持ちだ」
「そうでしたか。私も少し嬉しいかもしれません」
ふ、とギルは笑う。マキナがいつも通りの無表情で、嬉しそうには全く見えなかったからだ。
「それにしても早かったな、読むの。旧アオイ語だから時間がかかるかと思った」
「そうでしょうか。あとでお返しするので、お部屋にお持ちします」
「いや、いい。俺はもうあれを読みすぎた。そのままあげるよ」
「……いいんですか」
ああ、とギルは頷いて、外を見る。もうまもなく日が沈みそうな、オレンジと水色の空。
綺麗な色だ、とギルは思う。
「そういえば、ギルさん」
「ん?」
「今日は、オリビアさんのお誕生日です」
「……」
「プレゼント、渡されましたか」
ギルは立ち上がり、マキナに片手をあげる。
「悪い、助かった。行ってくる、またな」
「はい、いってらっしゃい」
ギルは急いでオリビアの元へ向かう。
だから、後ろでマキナの表情が穏やかに微笑んだことには、全く気が付かなかった。
ギルバート・ウォード編、これにてお仕舞い。
わちゃわちゃした幕間を挟んで、第二章トット・ブック編にはいります。
次回は明日、8月22日(土)の更新を予定しています!
(松桐由荷)




