1-3 ロイヤルブルー
「はあ、指名で。しかもいまから」
「行け」
「拒否権は」
「あると思っているのか?」
「すみません」
ある日の朝、突然ユーゴに呼び出され、何かと思えばエドワード第一王子の警護任務であった。
普段は近衛兵が警護しているが、稀に精鋭部隊も駆り出されることがある。この王子は、外交周りの業務を重く担っているため、警護という名目で、情報収集や意見を求めるために精鋭部隊をこのように呼ぶことがあるのだ。外交に軍事の視点は欠かせない。
頭に黒い布を巻いて執務室の前に向かうと、いつも通りの近衛兵がいた。精鋭部隊のギルである、と名乗れば、スムーズに中に入れてもらえた。
扉が開くと、机に向かっているエドワード。ギルはゆっくりと扉を閉め、敬礼する。
「ギル、ありがとう。そこのソファに座るといい。紅茶は好きにしてね」
「……」
ギルはここに来るまでに顔を覆っていた黒い布をすべて取り、執務室の隅にある小さいコンロで自分用の紅茶を淹れて、言われた通りにソファに座る。
静かだった。ただ、エドワードの持つペンがさらさらと文字を書く音だけが聞こえた。
午前中の暖かな太陽の光が窓から差し込み、エドワードの色素の薄い金髪が光に透けてふわふわ揺らいでいる。それをぼんやり見つめながら、紅茶を飲む。
これが警護でいいのか、とも思うが、これでよいのである。以前、勝手にエドワード用に紅茶を入れたら『気遣いはいらない』と断られた。ずっと立っていれば『座ってくれないと落ち着かない』と言われる。声をかければ『少し集中したい』とやんわり諫められる。
つまり、この王子はそういう王子なのだ。
しばらくして、王子がぐいっと伸びをして立ち上がり、自分で紅茶を入れてギルの隣に座る。
「来てくれて助かった」
「今日はなぜ自分を」
「別に、理由はないけど」
だめ? とエドワードは少し笑って紅茶を飲む。呆れてギルは息を吐く。この王子は、こういうあざといところがある。
「……今日は、セイラン地方の領主と軍議があると聞きましたが」
エドワードは頷く。
「午後ね。セイランの状況は、他よりましだ。国境に接する地域の中でも、ア=カイロ王国からすると進撃する意義が薄いからね。それでも、念のための防御固めはしておいたほうがいいかなと」
「なるほど」
「実際、どう思う? セイランに来るかな、ア=カイロは」
そうですね、とギルは考える。
「状況次第ですが、目的が王都であれば――正確には、王陛下と王子がターゲットであれば、セイランを攻める可能性はあると思います」
「そのこころは?」
「セイランは、村と村、集落と集落の間が遠いので、王都までこちらに気づかれずに侵攻できる可能性があります。高低差があって地形が複雑な中で補給線を繋ぐ必要があるので、ア=カイロにとってはそう簡単ではありませんが、不可能ではありません」
「なるほど。それなら、広く薄く情報網を張るようにしよう。地形がこちらに有利なら、何かあったときに、とりあえず量はすぐに集められるようにしておこうか」
「そうですね」
エドワードは綺麗な所作で紅茶をテーブルに置き、足を軽やかに組む。
「先日、キ=イロ公国とは不可侵条約を結んだ」
「さすがです。ミ=ドリ皇国に続いて、ちゃくちゃくと固めていますね」
「多少、背中はましになった。とはいえ、全部を守ることは正直難しい。ア=カイロとの国境近くの村は、一部はすでに捨てにかかっている。一時的なものにしたいけれどね」
「守るために何を捨てるのかを決めるのが、上に立つ者の責務ですから」
「うん、そうだね。フレリアも冷静に対応してくれて、うまく兵師団の配置を組んでくれている」
フレリアは、現兵師団副団長であり、ギルの姉である。いまのウォード家の顔は、表舞台に立つ彼女が担っている。
「姉は優秀ですので」
エドワードは頷いた。
「彼女のことはずっと頼りにしている。仲もいいんだろう?」
「昔から割と仲はいいと思います。いまでも情報交換や相談をしょっちゅうしていますね。ちなみに口論では負けないんですが、取っ組み合いの喧嘩になると負けるんですよ」
「ははは、そうだろうね。想像がつくよ」
彼はさらりと髪を耳にかける。明るい白に近い金髪は、王族の象徴的な髪色である。
沈黙が落ちる。
ギルはただ黙っていた。国の王子にかける言葉など持ち合わせていないし、そもそもエドワードもおしゃべりなほうではない。ぽつりと言葉が耳に届く。
「……これから話すのは、独り言ね」
エドワードはゆったりと窓から城下町を眺める。
「最近、考えるんだけど」
「……」
「ギル、君はやっぱり表に出て活躍すべき人間だよ」
「……俺は、そういう立場の人間ではありませんよ」
思わず反論すると、エドワードがくすくすと笑う。
「独り言なんだけれどね」
「独り言は、ぜひおひとりの時に言っていただけるとありがたいのですが」
「至極全うな意見だ」
そう言いつつも、エドワードは話を続ける。
「やりたいことがあっても、内部での統制を図ることが難しい。いまいる家臣は、全員とは言わないが、視座が低い。本当は一新して国を変えていきたい。まあ、こんなことを言ってもどうしようもないんだけれども。……政治の力の前に、王族は弱いから」
「王子だというのにね」
ギルの辛口にも、エドワードはそうだね、とまたくすくすと笑って、目線をギルに戻してから、悪かったと謝る。こうだからこの王子は憎めない。少しため息をつく。
「……エドワード王子」
「うん?」
「俺は、裏からお支え致しますから」
無意識に、手が剣の鞘を撫でる。
装飾もない、留め具だけがアクセントになっている鞘。
「”光有れば、影有り。影失くしては、光成れず。影に徹し光輝かせんことこそ、我が宿命なり。粛然と拝し、全うに成し遂げるべし。大いなる獅子前にして我が凡々たる意思は何にかはせん”」
「さん将軍の言葉だね」
「はい。光が光となるには影が必要です。私は、光となるべき貴方や姉を手助けするために、影に徹する。僭越ながら、それこそが国のためになると、そう思っています」
「君は……」
エドワードは少し目尻を下げ、それから微笑む。
「弱音を言って、悪かった」
「いえ」
「いざ目の前に王座がくると、いろいろと不安にも駆られるものなんだよ。許してくれ」
言葉の真意を測りかねて黙れば、彼は、
「現王は、あと1年持たない」
と、そう続けた。
その意味を理解し、ギルはまず呆れて、それからそのまま受け入れた。この王子は、こんな重要な情報をさらりと言ってしまう。
「そうですか。レオ隊長とユーゴさんには」
「彼らは、わかっている。レオナルドもユーゴも、僕の行動の意味をよく理解しているはずだ」
しばらくして、エドワードは立ち上がり、窓辺に立つ。気づけば、彼はいつも通りの柔らかい表情をしていた。次期王にふさわしい、まるでいまの秋空のような涼やかな碧眼の下には、きっと恐ろしいほどの苦労が隠されているのだろう。
「……素晴らしい街並みだ」
ぽつり、エドワードはそう呟く。
ギルはただ黙って、その後ろ姿を眺めた。
しばらくして、エドワードは満足したのか、こちらを振り向いた。
「さて、そろそろ昼食の時間だ。……ギル、君もここで食べていくといい」
王子の提案に対して、一介の戦士に拒否権はない。ギルは承諾した。
◇
「あれ、マキナ」
エドワードの護衛を終え、午後は街に出ようとして、兵舎の出入口でギルは見覚えのある背中を見かけて声をかける。マキナが振り返った。
「ギルさん、お疲れ様です」
「お疲れ」
本を貸した日以来だな、とギルは思う。今日まで、なかなか会う機会もなかった。
彼は珍しく、私服だった。これから出かけるのか、と聞こうとすると、
「ギルさんもお出かけですか」
と、先に問いかけられた。ギルも当然、街に降りるときはいつも私服である。
「あー、うん、街に。そっちも?」
「はい」
わざわざ別れる理由もないので、そのままマキナと並んで地下道に降りた。
気温が何度か下がった気がする。
地下道内は複雑な迷路のようになっており、王城内や城門、兵師団と精鋭部隊の兵舎や、郊外への避難用出口とも繋がっている。精鋭部隊が時折壁の位置を変えていて、誰にも全容を捉えられないようにしている。精鋭部隊兵舎への道順は、もちろん隊員しか知らせない。
ギルは迷うことなく壁の石を押す。音なく壁が動き、隠し階段が現れた。そこから移動して、街中のある店舗の内部から街に出る。
彼はどうやら、今日初めてオフをもらったらしい。それでも、午後だけとのこと。さすがに休みがなさすぎるのでレオナルドやユーゴに何か言うべきかと思ったが、マキナは一切疲れを見せないので、まあいいかとギルは思い直した。
どうやらせっかく給料も入ったので、新しい武器を購入するらしい。
「剣? 弓?」
「剣も弓も変えようと思っています。隊長に言われました」
「そう。これまで使っていたのは?」
「適当なものを使っていました」
それなら確かに買い替えるべきだろうな、とギルはうなずいた。
「目星はついてるのか」
ギルの問いに、マキナは首を横に振った。
「特に決めていません」
「どんなのがいいとか」
「1番安いものを」
「本当?」
ギルは思わずマキナを見る。大体身長は同じくらいなので、目線がストレートに交差した。
「変でしょうか」
マキナの言葉に、思わず嘆息する。
「変かどうかと言われると、変ではあるな」
「……どうしたら、よいでしょうか」
マキナの様子に、ギルは再度ため息を吐く。
マキナがものを頼むのが上手いのか、あるいはギルが絆されやすいのか。少しばかりお節介をすることにした。
「ここ」
ギルは、街の武器屋にマキナを連れてきた。武器屋にもいろいろなブランドやランクがあるが、中堅くらいのところだ。
レオナルドとユーゴの指導方針にもよるので、あまりとがったものを持たせるのは懐に痛いはずだ。剣や弓はオーソドックスなものがひとつあれば、困ることはない。いざというときの控えにもなる。
武器屋の看板にはKEY-lと書かれている。
「KEY-lは安定した剣を買える。頑丈でいい」
「そうなんですね」
ギルはからん、とドアを開けた。
「らっしゃい」
店内には何人か客がいた。ひとつひとつの武器のカタログが置いてある。ギルはいくつかピックアップして、マキナの前に並べる。
「重めか軽めか」
「重めがいいでしょうか」
「そうかもね」
もともと筋力があって、それを効率的に使えるようになれば、今の武器が軽く感じるだろう。
重めのシリーズを選んで、いくつかマキナに持たせる。が、問題は、マキナはどれを持ってもこれまで同様に不満なく動けてしまう点だった。
「お客さん、結構なんでも使えるクチかい。それならこの辺りはどうかね」
店員がそんなマキナの様子を見て、ひとつの剣を勧めてきた。
「これは」
「Gシリーズだ。ちょっと前のシリーズなんだがね、作りを単純にすることで、圧倒的な頑丈さを誇っている」
へえ、とギルはそれを持ち上げてみる。
「随分重いですね」
「ムラサキ鉱山の鉱石を使っているんだよ、本来薄くても十分切れる鉱石をあえて薄くしすぎないことで、壊れにくさを重視した剣になっている」
ムラサキ鉱山か、とギルは納得する。
ムラサキ鉱山で採れる鉱石は純度が高く質が良い。隣のア=カイロ王国との国境沿いにあり争いも絶えない場所でもあるので、鉱石の流通量に波があるのが難点だ。
マキナにそれを手渡す。確かに重めだが、彼にはちょうどいいはずだ。
「どう?」
「問題ありません」
マキナは軽く振って頷く。
「それなら、俺はそれを勧める」
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「マキナは筋力があるから、同じ動きをしても重めのほうが打力が上がる。シンプルな作りの場合、扱うのに特別な技術を必要としないし、変な壊れ方をしないから修理がしやすい。よってコスパがいい」
「なるほど、わかりました。ありがとうございます」
それなら、とマキナはその剣を購入した。廃盤になりそうなシリーズということもあって、価格も高くない。
次に、ギルはarchという弓の店にマキナを案内した。同様に、頑丈さを重視した弓と、何本かの矢を購入する。
店を出ると、マキナは頭を下げる。その手には、真新しい剣と弓矢が抱えられている。
「ギルさん、お付き合いいただいてありがとうございます」
「別にいい」
マキナは首を傾げる。
「ギルさんは、この後どちらへ」
「俺は、もともと予定していた買い物に行く」
よければ付き合います、とマキナは何か聞くこともなく、ギルの横に並んだ。
ギルは苦笑する。
「一緒に来ても面白くないよ」
「ご迷惑であれば、控えます」
「迷惑でもないけど」
ギルはまあいいか、とそのままマキナとともに店に向かった。
目指していたのは、武具店だ。
「いらっしゃいませ」
「どうも」
「何をお探しですか」
「お守りを」
「それでしたら、奥の部屋にありますよ」
案内されて奥に入れば、ずらりとお守りが並んでいる。いろいろな地方のものがあるようだ。
「ご自身のお守りですか」
マキナの問いかけに、あー、と少し躊躇う。
「違う。誕生日プレゼント」
「どなたのでしょうか」
「オリビア」
精鋭部隊五班所属軍医、オリビア・オルティス。ギルにとっては同僚であり、かつ王国学園時代の同級生だ。いまでもときおり一緒に食事をする戦友である。
「オリビアさんですか」
オリビアは、再来週誕生日である。誕生日プレゼントを送るのは、学生時代から続いている習慣みたいなものだ。オリビアも軍医として戦場に出る機会が増えてきているので、今年は何かお守りになるようなものをあげようと決めていた。
ふと、隅の方に不思議な木の実のような形をしているネックレスがあるのが目に入った。木目調で丸っこい。
「……ギルさん」
しばらく黙っていたマキナにふと呼び止められる。
「ん?」
「このネックレスですが――」
そこまで言って、マキナはその木の実の形をしたネックレスを見て、黙り込んだ。
「……」
「どうした」
マキナはゆっくり言葉を選ぶように話す。
「このネックレスは、身体に健康被害が発生したことを検知することができます」
「……どういうことだ」
「危険なものを吸った、とか、食べた、とか、飲んだ、とかすると、木の色が変わります」
ギルはぱちぱちと目を瞬く。そんなネックレスがあるのか。思わずまじまじと、ネックレスとマキナを交互に見つめてしまった。
「何色になる?」
「赤になります」
「本当か? どういう仕組みだ?」
「仕組みは説明が難しいのですが……」
「なぜそういうものだとわかった?」
立て続けの質問に、マキナは丁寧に答える。
「同じものではありませんが、昔、同様の機能を持ったものを見たことがあります」
ギルはじっとそのネックレスを見つめた。オリビアに必要かと言われるとわからないし、その効果が確かかどうかも怪しいが、ギルはなんとなくこれにしようという気になっていた。
他も少し見て、結局ギルはそのネックレスを選んだ。普段使うアクセサリーとしても良いデザインだろう。オリビアに彼氏がいるとは聞いていないので、問題はないはずだ。
「これにする」
そう言えば、マキナはただ頷いた。
ネックレスを包んでもらい、店を出ると既に日は落ちていた。ここまで来たらせっかくなので、マキナを夕食に誘い、どこかで済ませることにした。
「何食べたい?」
「なんでも構いません」
「あー、そう言えば」
淡々とした返答に、ふとギルはマキナを振り返る。
「味覚音痴だったな」
「はい」
「なんでもいいなら、俺が食べたいものでもいいか」
はい、とマキナが言うので、ギルは何度か行ったことのある飲み屋に向かった。
隅っこのカウンター席に案内され、マキナと並んで座る。がやがやと騒がしいが、この飲み屋は味が確かである。ビールを先に注文し、それから食べ物をいくつか選ぶ。味覚音痴のマキナはなんでもよいだろうということで、全てギルが選んだ。
乾杯をする。
「ユーゴさんから聞いたが、もう型の修正ができたんだってな」
口火を切れば、マキナは頷く。
「はい」
「速いな、吸収」
「記憶力はあるので」
「体の使い方って記憶力とかそういう話じゃないだろ」
「そうでしょうか」
一瞬冗談を言っているのかと思ったが、真面目に言っているらしくて少し笑ってしまう。
「ああ。ま、あれだけできれば、一班の訓練に合流して問題ねえはずだ。にしても、この肉、美味いな」
「……よくわからないです」
ふと、マキナがナイフとフォークを置く。
「ギルさん、質問があります」
「なんだ」
「なぜギルさんは、食事に誘ってくださるのでしょうか。以前は昼食に、今回は夕食に。……こういった経験が、なくて」
ギルはナイフを持つ手を止めて目線を上げる。無表情が目に入った。
確かに護衛業は1人稼業なので誰かと何かをする機会もないだろうな、と思う一方で、レモン家はマキナを本当に護衛としてしか扱わなかったのだろうな、と想像もついた。
そのまま目線を皿に戻してフォークで肉を刺し、食してから答える。
「特に理由はない。食事に誘うのに、理由とかいらないだろ」
「なるほど。いつも水をお渡しくださるのも、同じく特に理由もなく」
「いや、それはちょっと違う。単純な気遣いだ」
「気遣いですか」
「水分はとらないと、体調を崩す」
マキナは黙り込んだ。
「……何を考えている?」
促せば、マキナは説明を加える。
「ギルさんの行動は、稀に非合理的です。私の雇い主であるレオナルド隊長とユーゴさんは、ギルさんの発言を重んじています。それはギルさんが、常に正しい判断をするからです」
「なるほど?」
「はい。ですが、ギルさんは私が以前暴れた時に、対話を試みたと聞いています。また、何の見返りもないのに、私を食事に誘ったり水をくださる。……それらは無駄な行動であり、非合理的であると感じます。何のための行動なのでしょうか」
「そういう意味であれば、無駄ではないよ。初めから喧嘩するよりも対話から始めたり、一緒に食事したり、ちょっとした気遣いをして、日常的にコミュニケーションをはかった方が、結果的にいろんなことがうまくいく」
「……いろんなこと、とはなんでしょうか」
ギルは少し考える。それから同じくナイフをおいて、言葉を選ぶ。
「精鋭部隊は、ア=オイロ王国に確実な勝利をもたらすために、いる」
マキナは、ギルの言葉を黙って聞く。
「精鋭部隊の祖であるさん将軍は、いち将軍の懐刀だった。緊急時に、最後の最後に駆り出される役割だ。
我々は、それを引き継いでいる。負けることは許されていないし、確実な勝利のためにはなんでもやらなくてはならない。だからこそ、少人数でも敵陣に突っ込んだり、危険な諜報活動を展開したり、時には命を捨てるような戦略だって取る。それが、我々の存在意義だから」
「……」
「そして何より、我々は一人ではない。仲間で動いている。なぜなら、一人よりも仲間がいたほうが、強くなる可能性があり、強くなれば、勝利に近づくことができるからだ。人間とはそういうものだ。
だが、仲間がいた時により強くなるには条件がある。それは、相手は自分を裏切らないだろう、という信頼関係があることだ」
「……ユーゴさんもおっしゃっていました。精鋭部隊は信頼関係で成り立っている、と」
「だろうね。ユーゴさんこそ、そう言うはずだ」
戦略上必要であれば仲間を切り捨てる判断を冷徹に下せるユーゴが”信頼関係”などと言うことは、客観的に見れば意外性のある発言である、とギルはわかっている。
だが、ギルはそこに共感できた。
信頼関係がなくては、切り捨てられないのだ。
マキナはしばらく黙ってから、それから改めて口を開く。
「私は一つ、この数週間で感じたことがあります」
「うん」
「ゼド。彼と剣を交えると、学ぶことが多い。自分の能力が、伸びる気がしました。護衛をやっているときには、こういう機会はありませんでした。戦うのは、自分ひとりでしたから。だから、仲間がいるとより強くなることには納得します」
「そう」
「ただ、まだ信頼関係の必要性がわかりません。あと、“裏切らないだろう”という信頼関係は、日常的なコミュニケーションで培われるものなのでしょうか」
非常に人間的で社会的な質問だ、とギルは思う。ギルは一口ハイボールを飲み、それから生ハムを口に入れてゆっくり咀嚼する。
「まあ、そもそも人間は、究極的には他人を信じることは不可能である、という前提から話したほうがいいだろう。裏切らない絶対的な証明は、誰であってもできない」
「そう思います」
「だからこそ、そのまま戦地に出たら背中を預けられないだろう? けれども、背中を預けたほうが当然強い。例えば、右と左をひとりで警戒するよりも、右と左をふたりで分担して警戒したほうが、単純に危険に気づきやすい。だから、預けられる関係性になったほうがいい」
「……なるほど、確かにそうですね」
「そうすると、じゃあできない証明をどうするのか、という話になるわけだけれども」
マキナはギルから一切目線を逸らさない。ギルはその視線をまっすぐに受け止めて、続ける。
「信じるというのは、自分自身が相手に賭ける覚悟を持つ、ということだ、と俺は考えている。証明はできない、だから、賭ける覚悟をする」
「……賭ける覚悟。相手に賭ける、ということですか」
「そう」
ギルは頷く。
「自分自身が賭ける覚悟を持つためにも、相手をよく知らなくてはならない。逆に、できる限り仲間から”裏切らないだろう”と信じてもらえるように、行動する必要もある」
「……つまり、日常的なコミュニケーションが必要というのは」
「日常的なコミュニケーションの積み重ねは、相手を知る、相手に自分を知ってもらう、そういった行動を通して、信じるための情報のやりとりをしている、ということだ」
「情報をやり取りすることで賭けの期待値を高め、覚悟を持つ心理的障壁を下げている、ということですか」
「うん、そうなるね」
突然マキナはふっと遠くを見るような目線になって、そのあとギルを見た。
「理解しました。信頼関係、とはそういうことですね」
「理解した?」
「はい。そもそも人間は、お互いに裏切らない証明はできない。証明できないからこそ、賭ける。賭けるために必要な情報をやりとりする。賭けてもいいと思えている状態が、信頼関係である。それは私の中ではわかりやすい論理です」
マキナの口からは、今までになくスムーズに言葉が溢れてきて、ギルは少し驚く。
「そういうことだ」
「……ギルさんも自分とそういう関係を構築したいと思ってくれている、ということですよね」
思わず黙り込む。それはそうなのだが、そう明確に言われるとなんと反応すべきか難しい。
「……まあ、そういうことになる。マキナとも、そういう関係になれるなら嬉しいと思う」
「ありがとうございます。それから」
と、淡々とマキナは言う。
「なんだ」
「ギルさんにとって、"勝利"とはどういった定義でしょうか」
ギルはふと笑う。
「……言わない。言わないが、ア=オイロ王国や精鋭部隊を裏切るものではない、と伝えておこう」
「それは、私がまだ信頼されていないから言わないのでしょうか?」
「いや、違う。誰にも言っていない」
「わかりました」
無表情なのに、ゆるりとマキナの目元が緩んだ気がした。
気のせいだろうと思う。だけれども、なぜかギルは安心した。
「それより、このスープ、おいしくない?」
「……そう、ですね」
「嘘をついたな、味覚音痴だろうが。同意することが信頼関係を構築するとは限らない」
「すみません。味覚音痴、治るといいのですが」
「いやあ、治らないだろ」
次回は、8月18日(火)の更新を予定しています!
楽しんでいただけたら嬉しいです。
(松桐由荷)




