1-2 インディゴ
わずかな朝日が、裏庭の木々を照らし始める。
ギルバート・ウォードは、息を吐いて二振りの剣を構える。
精鋭部隊は、任務が発生しない限り、基本的に各班ごとの訓練で1日を過ごすことになる。零班にはそういった訓練はないが、ギルは毎日素振りを欠かさない。戦士貴族ウォード家の教育方針だ。
ギルは、誰にもなにも相談せずに精鋭部隊への入隊を決めた。全て決まってから、兵師団には入隊しない、と兵師団団長だった父アルフレッド・ウォードに宣言をして、大喧嘩をした。
この二本の剣は、大喧嘩をして家を出てからひと月後に手元に届いた。父は、ギルが精鋭部隊に入ることを察していた。兵師団に入らないのであれば、精鋭部隊だろうと父には予想できたのだろう。あまりにも実用的な――つまり殺すことに長けている二振りは、父からの最高の餞別だ。
この剣を最後に、父とは家族としての交流は一切ない。そしてそのままに、1年前のライラック森林の戦いで父は死んだ。
無心で剣を振る。
一通りの型を終えて息を吐くころには、すでに汗が背中を濡らしていた。剣を鞘に戻し、それからぐいっと腕を上げて伸びをすれば、涼やかな風が感じられた。
いつも通り、朝7:00の鐘が鳴り響く。
ここア=オイロ王国の王都では、この鐘の音が人々の生活の指標になっている。もうそろそろ街に出ていくと、活動を始める商人たちと会えるのだ。
途中、訓練場で重しをつけて走るマキナがいた。
隊長レオナルドの組んだメニューに取り組んでいるのだろう。新隊員は入隊してすぐはそれぞれ独自の訓練メニューを組まれるので、どこか別の場所でゼドも訓練しているはずだ。少し座ってマキナの様子を眺めるが、まったくテンポがぶれず、息も切れていない。
「お疲れさま」
終わったところに声をかければ、マキナはこちらを見て、
「お疲れ様です」
と、淡々と言った。
「あっちに水があるよ」
飲み会を通して、年下のマキナへの敬語はいつの間にかとれた。ちなみに、マキナ自身は誰に対しても敬語で話す性格らしい。年下のゼドに対してさえ、敬語は最後まで抜けなかった。
「いえ、大丈夫です」
「脱水症状になる、とりあえず飲むといい」
「……わかりました」
「こっち」
訓練場の横には、誰でもいつでも飲めるように、少し塩分の含まれている水の入っている甕とコップが置かれている。
適当なコップで水を汲んで手渡せば、マキナは少し悩んでから、お礼の言葉とともに素直に受け取った。
新人ふたりが入隊してから1週間ほど経って、精鋭部隊隊員からは、彼らの噂を頻繁に聞くようになった。
ゼドの噂は、まあよいであろう。想像通り、腕っぷしが強いとか、技術が洗練されているとかそういう類だ。
マキナの噂でまず初めに聞いたのは、異常な体力だ。
ギルも見た通り、マキナは顔色も変えずに、訓練をこなす男だった。終日、レオナルドの鬼畜なメニューが組まれているにもかかわらずだ。普通なら疲労や筋肉痛で動けない日々を送ることになるのだが、3日経っても1週間経っても、彼はそんな様子を微塵も感じさせなかった。
「あいつ、疲れないらしい」
と、リュークが笑って言っていた。
「相当、護衛で鍛えたらしいぜ」
「ふうん」
「きっと馬車と並走したりしてたんだろ」
さらに1週間経つと、ユーゴからもマキナの異才を窺わせる話がもたらされた。
「剣と弓の型をもう習得したんですか」
ああ、とユーゴはうなずく。
マキナの戦い方は我流とは聞いていたが、剣も弓も相当ひどいものだったらしい。大抵、我流で長年やっていると、修正するのに大変な時間がかかる。それを2週間足らずで直したと言うから、天才の域と言ってもいい。
「想定外の速さですね」
「想定通りだ」
ユーゴはそれくらい当然だというような態度だが、ギルは当たり前だとは思わない。剣術や弓術は一朝一夕で身につくものでは決してない。
3週間も経てば、厄介な噂が耳に入った。
先輩隊員との練習試合で、マキナが1度も負けたことがない、というものだ。
「そんなことがあり得るんですか」
そう尋ねれば、マキナに負けたという先輩が首を振る。
「そう思うだろ?けどな、あいつはやばい。対応力が高すぎる」
「対応力が高いというのは?」
「初めは、こっちが優勢で進められるんだよ。でも途中から、いつの間にかひっくり返されていて、剣を振ればもうそこにマキナはいないか、受ける剣がある。こちらの動きをずっと観察しているのはわかるが、1度見せた攻撃は、2度はまだしも3度は通用しない感じだ」
「すぐには信じられないですよ」
「やってみればわかる。ああ、いやあ世の中探せば、あんな奴がいるんだな」
そこまでか、とギルは腕を組む。しかも、マキナの練習試合に付き合ったどの隊員も同じようなことを言うのだ。
先輩隊員は総じて強いし、強さの種類も様々だ。精鋭部隊には、普通でない戦い方をする人もいる。相性の問題もあるのに、戦いの中で全て見極めて対応するのは、相当な熟練者でも難しいことだ。余程の経験を積んでいるのか。
何にせよ、そこまで強ければ多くの隊員たちがマキナに一目置くようになる。精鋭部隊は実力主義。強さは絶対である。
そんなマキナが事件が起こしたのは、入隊してひと月を過ぎたころだった。
◇
いつも通り、朝の1人訓練を終えて街に出ようと兵舎内を移動している中、道場から何やらいつもと異なる騒がしい声が聞こえてきた。
気になって向かうと、数名の隊員が走り去っていく。
「おい、誰か、隊長呼んできてくれ!」
「もう呼びに行った!」
「担架!来てくれ!」
「こっちも!」
ギルは眉を顰める。何が起きたのか、と近くを通りがかった後輩隊員を呼び止めれば、彼は早口で答える。
「練習試合がヒートアップして、マキナが手に負えないんです」
どうやら、練習試合だったにも関わらず、マキナは相手隊員に実剣で襲いかかったらしい。相手隊員が怪我をおっても攻撃を止めず、さらには止めに入った隊員たちを片っ端から剣で切りつけたり拳でぶん殴ったりしており、今は数人がかりでどうにか抑えることに成功した、とのこと。
「マキナが?」
驚いた。あのマキナが感情的になるなんて、あまり想像ができない。
「また、なぜ」
「ショーンさんが煽ったらしいので、そのせいかと」
「……煽られて感情的になるようなやつには、見えないけどな」
「俺も違うと思うんですが、暴れてたのは事実なんです。先輩たちが複数人がかりでいま押さえて、」
「うわっ!!!!!」
突然聞こえてきた大声に後輩と顔を見合わせてトレーニングルームの中に走れば、何人かの隊員が倒れており、マキナがそのまま慣れたようにひとりに飛びかかり首を絞める。
明らかに、やりすぎだ。
「おい!」
「マキナ、やめろ!!!」
複数人でマキナに体当たりをし、倒れ込んでいる隊員を助け出す。
しかしマキナは一瞬で体制を立て直すと、剣を構えて振り切った。周囲の隊員も反射的に剣を構える。空気が張り詰め、状況が膠着した。
じっと見つめていれば、一瞬だけ、マキナと視線が交わった。
――……ん?
ふと違和感を感じる。気付けば、マキナの方へギルの足は踏み出されていた。
マキナの周りを囲む隊員たちの間を抜けて、マキナの前に向かう。マキナがこちらに視線を向ける。
「おい」
「ギル!」
「ギル、やめておけ」
「……」
周囲の隊員を片手で牽制して下がらせ、マキナの前に立つ。マキナの瞳が、こちらを標的としてしっかりとらえた。そして、ギルは確信した。
彼は決して激高してもいないし、我を失ってもいない。
「マキナ」
「……」
――では、なぜ。なぜ彼はいま、暴力を振るっているのだろう。
「なぜ攻撃を止めない」
「……」
マキナは、無反応だ。
「なぜ仲間にそこまで攻撃する?」
「……」
「なあ、お前、冷静だろ」
ギルの問いかけに、マキナは少しも反応せず、そのままこちらに体を向けた。直感が危険信号を鳴らす。
だが、少なくともギルの目には、マキナは非常に冷静であるように映っていた。それに、仮に想定される最悪な状況として、仮に彼が周辺国の密偵で、仮にいまここで謀反を起こしているのだとしても、ここは王都のど真ん中。すぐに支援は来ない。あまりにも意味がなさすぎる行為だ。
だからこそ、なにかきっと彼にはこうする理由があるのではないか、とギルは考えていた。
「マキナ」
「……」
「このまま攻撃を続けるのであれば、俺はお前を殺す。精鋭部隊のためだ。お前がどんな実力者であっても、絶対に殺す」
ギルは、腰に下げている剣のひとつに手をかける。マキナは特に表情も変えない。
「……」
「攻撃をやめるならば、こちらもお前を傷つけない」
目の前の男が動いたのを感じて、短く息を吸った。
攻撃されるのであれば、問答無用で切らねばならない。初めの一撃であれば、確実にマキナを葬ることができる自信があって、ギルはいまこの距離にいる。
剣を振りぬき、受け止める。重い音が響いた。音が耳に入る前に、ギルはすでにもう一方の剣を左手に、一歩足を踏み抜いていた。
だが、マキナと目が合った瞬間、ギルは気づいた。
――グレーの虹彩が、◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️いた。
わずかな動揺が、隙を生んだようだった。
剣が受け止められ、マキナの剣がこちらに振り下ろされるのが見えた。見えていた。見えているのだから、身体は動くはずだった。
それでもギルは動けなかった。目の前の事象が瞬時に受け止めきれずに、体が硬直した。
突然、マキナの動きが緩慢になって、そのまま彼はギルの方に倒れ込んでくる。咄嗟にギルは剣を避けて、マキナの身体を受け止めた。
からん、とマキナの剣がその手から落ちた。
全てが一瞬だった。
「っ、」
「ギルさん!」
「ギル!」
マキナの身体は予想以上に重く、肩にもたれかかる彼をそのままに、ギルはゆっくりと膝を折る。周囲の隊員たちが近づいてきて、マキナを抱えて床に寝かせる。完全に気を失っているようだ。
ギルは、じっとその顔を見る。目はしっかり閉じられていた。
「ギルさん、大丈夫ですか」
後輩が、ギルの横にひざまずく。
疑問が脳みそをぐるぐると支配する。ゆるりと首を振る。考えても仕方なかった。
「問題ない」
後ろががやがやと騒がしくなる。隊員たちも周囲に呼びかけてくれている声が聞こえる。ちょうどレオナルドが来たようだ。
「レオナルド隊長!」
「隊長!」
「マキナは? 気を失っている? わかった、怪我をしたものは医務室へ運べ!」
レオナルドは大股でギルの方へ近寄り、顔を覗き込む。
「ギル、怪我は」
「ありません。大丈夫です」
「マキナはこちらで預かる。処分はユーゴと相談する。いいな?」
「はい」
レオナルドはマキナを軽々と肩に担ぐと、トレーニングルームから出ていく。数人の怪我人が、担架で運ばれていく。
「ギル、医務室行くか?」
「大丈夫です」
先輩の気遣いに、ギルは首を振る。手を差し出され、ひっぱりあげられ立ち上がった。実際、特に怪我はしていないのだ。
「ありがとな、助かったぜ」
「いえ」
何人かに肩をたたかれるが、それどころではなかった。
先ほどの、マキナの瞳が脳裏にちらつく。
――勘違いだろうか?
違和感が小骨のように喉に引っ掛かっていた。
◇
翌日。
ユーゴの部屋へ向かう。
ドアが開いている。中を見れば、ユーゴが机に向かっていた。ペンが忙しなく動いている。
「ユーゴさん」
声をかけると、ユーゴはペンを止めて顔を上げる。
「ギルか。……怪我はないな」
「はい。特に問題はありません」
昨日、マキナは暴れてのち謹慎処分となり、いまはどこかに幽閉されていると聞いている。
「それで、どうした」
「情報を」
「ドアを閉めろ」
ドアを閉めて資料を手渡し、ユーゴの向かいに腰掛ける。
資料は、ある商人から聞いたア=カイロ王国の調査報告である。ユーゴは黙ってそれに目を通し、ギルが何か所か印を入れたページを開いて、内容を読み込んだ。
「……”不思議な取引”」
「はい」
商人からの報告では、いくつかの武器屋でこれまでに要望されたことのない特定の金属類の取引があったことと、死の森の素材を扱う商人と会う機会が減っていることが記載されていた。
「いくつかの武器屋で、か。ある程度の量を確保したいが、卸先は隠したい、という意図が見えるな」
そうなのである。
”いくつかの武器屋”はその金属を使った武器を販売しているわけではないので、確実にどこかに卸しているのだが、それが調査をしてもわからない。複数に分散して商流を複雑化し、卸先を特定されにくいようにしている。
「それに、死の森の素材か。普通、使えないと思うが」
「はい」
死の森とは、大陸の隅にある毒に侵された領域で、特殊マスクなしに入れば死んでしまう。死の森の素材も、当然毒に侵されていて、扱えば死ぬ可能性がある。素材そのものも柔すぎて、普通の金属のようには使えない。
それゆえに、死の森の素材を扱う商人は、この世界でも片手で足りるほどしかいない。
その商人と会う機会が減っているということは、誰かがなぜか死の森の素材を集めようとしているのだろう、とは容易に想像がつく。
「内容によっては、大元を隠密に潰す必要もあるな。追加調査は」
「トットさん、空いてますか?」
「あいつなら大丈夫だろう。ニックに話を通しておくといい。他ルートでも継続して情報収集するように手配しろ、急所になるかもしれない」
「わかりました」
「……ア=カイロらしくない」
ユーゴの感想に、ギルも同意だった。ここ最近のア=カイロ王国の動きは、どこかこれまでのア=カイロ王国とは違うのである。
ユーゴは資料をギルに返し、それからじっとギルの顔を見た。ギルは首をかしげる。
「例の、マキナのことだが」
「はい」
「入隊してからひと月経った。どう思う」
とんとん、と返された資料を整えて、言葉を選ぶ。
「……不安定だなと」
そうだな、とユーゴは同意すると、窓の外を眺める。外は既に日が傾き始めていた。訓練場の片付けを始める声が聞こえてくる。
ユーゴが煙草を取り出す。
珍しい、と思いつつも、ギルは気を利かせ机の上のマッチを手に取るが、ユーゴは首を振って手を出す。マッチを手渡す。しゅっと軽い音がし、火が付いた。
「あいつの苗字は、アーウィン。彼は護衛時代、マキナ・アーウィンと名乗っていた。……結論から言おう」
「はい」
「命令だ。マキナをどうにかしろ。いざというときにはお前が止めろ」
「……」
ギルは少し考え、
「なぜ俺が」
と問う。ふうっとユーゴの煙草の煙が広がった。
「そうだな。マキナは、護衛になる前の記憶を一切忘れている。そして、昨日の暴動のことも、なぜかすっかり忘れていた」
「え、そうなんですか」
驚くだろう?、とユーゴは言う。ギルは頷いた。
「直前に、ショーンと模擬戦をしていたところまでは覚えていた。事の仔細は、そのまま事実を本人に伝えたが」
「そのときの反応は」
「ただ受け止めていた、感情の起伏は表さなかった」
「なるほど」
高ストレスがかかると稀に記憶障害になることがある、とは聞いたことがあった。
澄み切ったグレーの瞳を思い出す。冷静でありながらまるで人が変わったように、仲間を仲間と思わず攻撃を繰り返す、マキナ。
あの時、彼は冷静に見えたのに言葉は届いていなかった。それらをすっかり忘れているのかと思うと、不思議な気持ちになる。
「俺の見立てだが、あいつは社会性が皆無だ。普通なら人間は、家族や友人や、そうではなくても同業者から殴られてでも社会性を学ぶが、あいつは、生まれたときから護衛業をやっているようなもの。雇う雇われるの関係の中でしか、生きたことがない」
「護衛になる前の記憶がないから、ですか」
「そうだ。そしてギル、お前は頭がいいから、”社会性”というものを言語化できる。言語化できるなら教えるのも早い。つまり、親として適任だ」
親として、という表現ほど適切なものはない。マキナは下手すると、精神性は幼子くらいの可能性があるのだ。ギルは自分にこの命令が降りてきた理由を理解した。
「無理なら殺せ。判断は任せる」
煙草の灰がポン、と落とされ、鋭い視線が、ギルの方を向いた。雑な命令ではあるが、昨日の今日で、即断のユーゴらしい判断である。
「了解です」
敬礼を返す。ユーゴは当然であるように頷いた。
それから彼は、ギルから目線を外さずに続けた。
「お前、カシュコに会ったな」
肝が冷える。ユーゴは姿勢も目線も動かしていないのに、なぜかその温度が変わったように感じられた。
ギルは誤魔化さずに頭を下げる。
「はい、申し訳ありません」
孤児として貧困街で生き延び、その後ギャングの頭領に拾われ育てられ、機会あって精鋭部隊に入隊し、国家機密レベルの任務を行っているのが、目の前の男、ユーゴだ。
そのユーゴの伝手だからこそ、本来触れてはならないとわかってはいたのだが、ギルの興味がそれを上回った。マキナから『紹介状を書いてもらった』と聞いて、ギルはすぐにその推薦人を突き止めにかかった。レモン家の家族が養われているところはどこかを聞けば、詳しい商人からすぐに情報を得ることができた。
マキナを推薦したのは、カシュコという、地方の小さな道場を営む人物だ。
ギルが『レモン家の状況が気になっている』という適当な理由で訪れると、彼は柔和な笑みで迎え入れた。カシュコは当時のことを詳しく教えてくれた。
朝早くに、マキナが馬車に乗ったレモン家の家族を連れて現れたこと。レモン家家族は、マキナのことをまるで怪物かのように恐れていたこと。事情を聞けば、マキナは当主を殺し、とはいえ家族に恨みはなくむしろ護衛対象であり、どうにかしたいとのこと。家族は金を稼ぐ方法を知らず途方に暮れてしまって、とりあえず一番近くでこれまでに会話したことのある人ということでカシュコを訪ねたこと。
レモン家家族は、カシュコの親切で庇護され、最近は自分で稼ぐことを覚え始めたらしい。あそこで剣を振っているのは、元レモン家の子息と令嬢だよ、と彼は言った。
『精鋭部隊に推薦した理由が知りたいんだろう?――それは、君の上司に聞いたらいい』
唐突にそう言って、カシュコはほほ笑んだ。ギルはそのときも冷汗が出た。ギルはそれまで一言もユーゴや精鋭部隊について触れていなかったのに、カシュコにはお見通しだったらしい。
『私でよかったね。君の命が救われた』
「頭を上げろ。謝る必要はない。だが、相手がカシュコで命拾いしたな」
頭を上げると、ユーゴはいまだギルからじっと目線を外していなかった。
「お前の行動そのものは、俺は許容する。零班として正しい行動だ」
「はい」
「だが、線引きは間違えるな。道場のトップはほとんどは清い者だが、一握りは裏の社会に生きるものの仮の姿だ。裏の社会は、甘くない。お前、自分の育ちがいいことを忘れるなよ」
「承知しました」
外からは訓練を締める声が聞こえてきた。まもなく、夕食の時間になる。窓から見える空は、赤と青のグラデーションだ。部屋の中が急速に暗くなってきて、煙草の火だけが明確に見えた。
「なぜ、マキナを受け入れたのか、気になっているのだろう」
「はい」
素直にギルは頷く。
結局、カシュコもレモン家の家族も、マキナがレモン家に拾われる前まで、どこでどのように生きてきたのかを知らなかった。
「ユーゴさんは、マキナの生まれを」
「知らない」
だろうと思った。
だからこそ、気になっているのだ。
精鋭部隊は、機密レベルの高い任務を請け負う。よくわからない人間を入れることは、リスクでしかない。目の前の蛇のような男は、副隊長でありながら、恐ろしいリスクを抱え、そして飼い続ける決断をしているのである。
「貧困街に行ったことは、あるか」
ユーゴはそう問うて、それから目線を逸らし、煙草を口にくわえて、煙を吐いた。煙が空間に無造作な模様を描いて、そして消えていく。
ギルはわずかに息を吸って吐いた。ユーゴの圧に慣れることは、一生ないに違いない。
「……ない、ですね」
「行く必要もない場所だ。貧困街は、不幸の掃き溜めでしかない。戦争が起きると、貧困街が増える。貧困街でしか生きられない人間が増える」
ギルは黙って続きを待つ。
「300年、この世には平穏が訪れることがなかった。すでに、祖父母も両親もそして子供も、一家そろって貧困街しか知らないという家族がたくさんいる」
「……」
「彼らは、人間らしく生きて死ぬことを知らない。知っていてもできないとわかって諦めている。貧困街はそういう社会だ」
「ユーゴさんは、……戦争を終わらせたいのですか」
“戦争を終わらせる”という言葉はあまりに壮大な気がして、ギルは少しばかり勇気を出して尋ねたが、
「終わったほうが、確実に平和だろうな」
と、当然のようにユーゴは答えた。わずかに面食らう。300年も、大小問わず戦争は続いているのである。そんなに簡単に、口に出してしまって良いものだったのか。
「マキナを精鋭部隊に入れることが、平和に繋がるとお考えですか」
この質問には、ユーゴはすぐには答えずに外を見た。ゆるりと空の色が変わっていく。
「……正解かはわからない。だが、やってみなくてはならないこともある。そういうことだ」
◇
翌週、訓練場に向かうと、久々にマキナの姿があった。1週間の謹慎が空けたらしい。
マキナは相変わらずひとりで準備体操をして、トレーニングを黙々とこなした。1週間のブランクは全く感じさせない。いつも通り余裕を感じさせる動きで、重し付きで走り込みをする。
最後の周を走り終えたようだ。
「お疲れ」
そう声をかければ、
「お疲れ様です」
と、礼儀正しい返事が返ってきた。どこかいつも以上に淡々としているようにも感じる。
「水は?」
ギルはコップに水を注いでマキナに手渡す。
「ありがとうございます」
そのままの流れで、クールダウンをするマキナを待つ。
特に、暴れたことについての謝罪などはないが、ギルはそれについて触れるつもりはなかった。マキナがぐうっと体を伸ばし、立ち上がったところに声をかける。
「マキナ」
「はい」
「昼飯、一緒に食わね?」
唐突な誘いに、マキナはぱちり、と瞬いてから、はい、とうなずいた。
マキナと向かい合って席をとる。
「訓練、1週間ぶりか?」
「はい」
「よく体動くな」
「そうですね」
今日の昼食は兎肉だ。ここの料理人の腕前は一流で食事は絶品なのだが、日中も夜も情報収集のために街に降りているギルは、ほとんどここで食べる機会がない。
目の前の男は味がわからないんだったな、なんてことをふと思い出した。
「1週間の謹慎、どうだった」
「本を読む以外は何もしていませんでした」
「本?」
首をかしげると、はい、とマキナが頷いた。
「また、なぜ」
「ユーゴさんが、『これを読んで反省しろ』とおっしゃって、置いていきました」
「ああ、そういうことか。何を読んだ?」
タイトルを聞けば、その多くが古典的な良書だった。テーマとしては、過去の戦争を題材にした歴史小説から、善悪についてといった哲学的なものなど、戦士としての精神性に働き掛けるようなものばかりだ。恐らく、謹慎を食らう隊員はみなそのラインナップを読まされるのだろう。
だがひとつ、気になる書籍があった。
「”タウシャン戦記”?」
「はい」
「どマイナーな本だな」
“タウシャン戦記”は、聖剣使いであるタウシャンの手記や公式の記録を基に小説化したものである。
だが、タウシャンは気弱な性格で、まったく人気がなく存在感が薄い聖剣使いだ。よってその小説も数奇な人が書いたものであり、決して良書とは呼び難いものだ。
「読んだのか」
「はい」
「どうだった」
コミュニケーションの一環として感想を聞けば、マキナは少し黙ってから、
「どう、というのは難しいですが……」
と返してきた。
ギルもそんなに真剣に聞いたつもりはなかったので、少し困る。
「そうだな……。俺は、かなり共感できるところが多かった。マキナはどうだった」
「そうですね。少し理解は難しかったです」
「へえ、例えばどのあたりが」
「はい。タウシャンが敵国の兵士を見逃したところです」
タウシャンは、戦うことが嫌いな戦士だった。聖剣使いにも関わらず、人生の中で聖剣を1度も振ったことがないという。
彼の気弱さを象徴するものとして、敵国ア=カイロ王国の兵士を取り逃がしたエピソードがある。タウシャンは、隠れていたある敵国の兵士を見つけたにも関わらず、その兵士を追うことをせずに見逃したのである。タウシャンは最後、その時に逃がした兵士に殺されて命を落とした。
いまでもタウシャンの人気がないのはこのエピソードがあまりに有名だからである。
「どのような心理で行動したのか、よくわかりません」
「そうか」
ギルは少し考えてスープを飲む。
「……マキナ、旧アオイ語は読めるか」
「はい、読めます」
ギルは自分から尋ねておいてそれなりに驚いた。護衛業で生計を立てていた人物が、ここまで学があるのは珍しい。
「読めるのか。王国学園に通っていた?」
「いえ」
「なら、独学か」
「はい」
「……すごいな。いやまあ、それはいいんだが」
ギルは話を戻す。
「実はな、聖剣使いタウシャンの手記を取りまとめた本を持っている。”タウシャン戦記”も作者は分かっていないが、手記のとりまとめも誰がしたのかさっぱりわかっていない。しかも、こっちは現代語翻訳がない。まあ、彼は人気がないから誰もやらないんだろうが」
「なるほど」
「その本を貸すから、ぜひ読んでみてほしい」
「わかりました」
「読み終わったらぜひ感想を教えてくれ」
「はい」
躊躇ない承諾。あの時全くこちらの話を聞かなかった彼とは、まるで違う人物かのようだ。
マキナはいったい、タウシャン戦記を読んで、何をどう考えるのだろうか。ギルは、そんな答えのない疑問を心の中で弄んだ。




