3-4 アイアンブルー
「はい、血は吐きだして。これ、冷たい布ね」
口の中を切ったらしい。ジンの指示に従って、血をバケツに吐きだして、手渡された冷たい布を当てる。
あのあと、オリビアは断ったにも関わらずマキナに抱えられて医務室に戻った。既に医務室は空っぽだったのだが、どうやら看護師が変に気を回してジンにも状況を伝えてしまったらしい。
自分でやるから大丈夫だったのに、と思いながら、駆けつけてきたジンの手当てを素直に受けることにした。
「足も随分と」
「転んじゃったんですよ」
「嘘つくなよ。状況は、エレナさんから聞いてるから」
「……」
オリビアは口をとがらせる。どうせ、布で見えていないはずだ。
「唇とがらしてるだろ、わかるんだってば」
「え、なんでわかるの」
アンディが横で、くく、と笑う声が聞こえる。たらいに水を張って、ジンがオリビアの足の傷を優しく洗い流す。
痛みが走る。
ただのかすり傷なのだが、結構血が出てしまっていた。
「痛い、痛いですジン先生」
「我慢して」
「いたい」
「……ねえ、ほんと、ここまでやる? 普通」
これは、アンディへの問いかけだったらしい。
アンディは眠そうな目をこすって、首を横に振った。彼は彼で夜番明けで眠いはずなのに、心配してくれたのか、残るよと言って帰らずにいた。
「いや、女性の顔を殴ったりのしかかるなんて、あり得ない」
「だよなあ」
「勘違いしないでほしいけど。コークさんもいい人なんだよ、一応、あれでも。今回のはやりすぎで、コークさんが全面的に悪いけど」
そんな奴がいい人なんて絶対ない、と言いたげなジンの表情に、アンディが苦笑する。
だが、仕方がないことだ、とオリビアは思っている。
自分を殴りたくなる人もいるだろう。確かでない治療法を試していて、それでも解決策が見つかっていないのだから、オリビアが殺したと言われても何の反論もできないのだ。
ぴり、と患部に痛みが走る。
「……ジン先輩、痛いです」
「自分は殴られても仕方ない、とでも思ってるんだろ」
じっとこちらを見上げるジンに、嘘も言えずに黙る。目の前の先輩は、呆れたように首を振った。
「だよね。まったく、何も仕方なくないんだよ」
「あの、ちょっと、私に当たるのやめもらえませんか先輩。あ、いたい!」
「それにしても……」
ふとジンが黙る。オリビアは首を傾げる。
「どうしたんですか?」
「……」
黙ったまま、患部についた水滴をぽんぽんと拭われ、そのまま、少しアルコールの含まれた綺麗な布が丁寧に巻かれる。
久々にこんな怪我をした。子どものころ以来だ。
「はい、ほっぺは? どう?」
さっき、途中まで言いかけたことなどまるでなかったかのように、問われる。
今回、幸いにも大きな怪我はしなかったが、頬は腫れるだろう。
歯は食いしばっていたはずだが、甘かったらしい。布を外して、頬をジンに見せる。
「あー駄目だねこれは」
「やっぱり?」
「しばらく可愛くなくなるわ」
「え、ひどい」
「治れば戻るんだから大丈夫。それより」
また冷やし直した布を頬に当てられ、ジンに顔を覗き込まれる。
「オリビア」
「……」
「オリビアのやっていることは何も間違っていない。こうやって暴力されることも仕方ないことじゃない。――だから、嫌なら、ここから出てもいい」
何言ってんだ、というように、アンディがジンを見たのが、視界の端に映った。
当然だ。いまここから出ていったら、オリビアが感染を広げる可能性がある。
だが、ジンならそう言いかねない、とオリビアはわかっていた。ジンは、なんやかんや言って、オリビアのことをかなり気にかけてくれている。
「先輩」
顔を上げて、しっかり笑顔を向ける。
「ありがとうございます、治療。あと、これからも逃げません、逃げたくないんです」
「……」
オリビアは、自分のしていることが間違っていない、なんて思えない。
だから、逃げたくなかった。
医師として間違っているからこそ、医師としての誇りにかけて正解を出す必要があった。犠牲を無駄にはしたくなかった。
ジンは黙って、それから今度は諦めたようにため息をついて、たらいを持って立ち上がる。台所の方で、水を流す音が爆ぜた。
それにしても、いろいろな人を巻き込んでしまった。アンディを振り返る。
「アンディさん、すみません。夜番明けなのに、ばたばたしてしまって」
「気にしないで。眠いけど、ジンさんのあんなに慌てた様子みられたから、面白かったし」
アンディの言葉に、ジンが台所から顔を出し、きっとそちらを睨む。アンディはどこ吹く風だ。
ちらりと振り返る。
マキナは、ここへ来てから応急処置をしてくれたあと、椅子に座ってずっと無言でオリビアを見つめていた。
グレーの瞳と、ダイレクトに視線が交わる。
「……マキナくん、急に現れたからびっくりした」
「瞬発力はあるので」
アンディが横から、笑って付け足す。
「本当に、ひゅん、って出てきてさ。すげえびびった」
「驚かせて、すみません」
「いやいや、ヒーローみたいだったもんなあ、かっこよかったよ」
「ありがとうございます」
――ヒーロー。
そう心の中で復唱してから、確かに、と思う。
マキナは護衛としての役目を果たしているだけなのだろうが、彼は、オリビアが危ない時には絶対に来てくれるはずだ。
少なくとも、護衛を請け負っている間は。
「マキナくん、来てくれてありがとう」
「いえ。任務なので」
「でも、助かったから」
「……はい」
マキナの瞳がわずかに揺れる。
もしかしたら、少し照れているのかもしれない。意外と彼も、表情に出ないだけで、いろいろと感じているのかもしれない。
「お、ライバル登場か?」
「アンディさん、何言ってるんですか? 医者と護衛ですよ? 私が負けるに決まってるじゃないですか」
「え?」
「え?」
「ちょっと待って、オリビアちゃん、鈍感過ぎない? 嘘だろ、面白すぎるんだけど。いやはや、かわいそうに」
「楽しそうだなあ、アンディさん! それにいろいろ勘違いだよ!」
大声で茶々を入れるアンディに、ジンがとうとう突っ込む。
思わずオリビアは笑った。アンディも笑っていた。
◇
オリビアが、”計画”の相談をアンディとフレディにしたのは、その次の日の夜のことであった。
「俺がやろう」
内容を聞いてそう言いだしたアンディはいつも通り、ダンディに足を組んでゆったりとソファに座っている。
その目の前のソファに座るフレディと、自分の椅子で頬杖をつくジンは黙っていた。
「アンディさん、私、そういうつもりでこの話をしていませんよ」
オリビアは座っていた椅子ごとアンディに向き直り、はっきりそう告げる。
だが、アンディは笑った。
「はは、オリビアちゃん、君が何を言っているのか俺にはわからないな。オリビアちゃんの計画には、”健康な人間の被験者”が必要だ」
「いえ、私は、”私が被験者になる”という話をしています」
「うん、だから、それだけはだめ」
計画。
オリビアは、リリーフ-αの感染者が再度感染しない理由を考える中で、リリーフ-βも同じような効果を持つのではないか、つまり、"リリーフ-βに一度罹患すれば、リリーフ-αにも罹患しない”のではないか、という発想に至った。
”リリーフ-βに一度罹患すれば、リリーフ-αにも罹患しない”、という仮説を検証するためには、健康な人間が、まずリリーフ-βの原因であろう毒素をあえて摂取し、その後リリーフ-αの毒素を取り入れて発症するかどうかを確認する、というプロセスが必要だった。
もしも検証結果が正しいと明らかになれば、感染症を食い止める一手になる。
感染したものを治す、という考え方ではない。”全員がリリーフ-βに感染し、軽症で治れば、致死率が下がる”という思想だ。
“リリーフ-βに一度罹患すれば、リリーフ-αにも罹患しない”というのは、状況だけ見れば理想論ではあった。リリーフ-βに罹患した家庭は、-αの感染者といまのところ接触していない。
そのため、健康な人間へ毒素を接種させる心理的な障壁もあるし、致死率の高い-αにかかりうるリスクも踏まえると、この計画は実際に非常に危険性を伴うものではあった。
それでも早期に検証する価値はある、というのが、オリビアとジンの議論の結果である。
それに、この話をすれば、アンディかフレディが被験者になる、と言い出すことも、わかってはいた。
2人は、いい人なのだ。
――それでも、オリビアは切り出した。
「もし検証できれば、とても大きな一手になります。だから、私が被験者になります」
「それなら、俺が被験者になってもいいだろう」
アンディは笑顔のまま。オリビアは首を振った。
「だめです。アンディさんは、この地方で頼られているお医者さんです。ここで死んでは、皆さん今後困ります」
「それなら、俺はオリビアちゃんがいま死ぬほうが困るな」
「……なぜですか」
「この流行り病を解決できるのは、オリビア先生だから。俺じゃない」
アンディは組んでいた足を解いて、前傾になって下からオリビアを見上げる。
「オリビア先生。俺は、王都の医者の言うことはさっぱりわからない。だけど、俺にでもわかることがある。”王都の医療技術のレベルは、高い”」
「……」
「俺は、ジン先生とオリビア先生がいれば、流行り病は解決に向かうと確信している。命は平等だが、優先順位がある」
オリビアは少し考えて、それからフレディを見る。
この話が始まってから、フレディは、いつも通りの優しい笑顔でただ聞いているだけだった。
だが彼は、何の迷いもなく、すぐに答えた。
「アンディに賛成だよ。今回の被験者は、彼だ。そしてアンディが駄目だったら、次は僕だ」
ね、と微笑む彼。
アンディとフレディは、まるで以前からこのことをふたりで会話していたようだった。何かあればアンディが先、フレディが次、ジンとオリビアはさらにそのあと、といったような――。
「オリビア先生は、『逃げない』んだろう。アンディから、聞いたよ」
フレディはそう続ける。
「実を言えば、この流行り病をどうにかできるなら、僕を含め誰を犠牲にしても、いい。もうすでに、この地域の医者と看護師は何人も死んでいる。僕が親しくしていた人間は、ほとんど死んでいるんだよ」
「……なるほど」
オリビアが改めてアンディを見れば、彼はジンに目線を向ける。
「ジン先生、そういうことだ。君は、賛成だと思うが」
これまで黙って会話を聞いていたジンだったが、彼はじっとアンディから目線を外していなかった。
「そうだね、……俺は、アンディ、フレディ、ふたりと同じ意見だ」
「そしたら、シフト組みなおすか。オリビア先生、いいね」
まるでいつも通りのことのように言う、アンディ。彼はオリビアを見て、目線を細める。
息を吸って、少し目を閉じる。
――命には優先順位がある。
覚悟を決めるだけである。やるなら、やる。
オリビアは改めて、アンディの顔を見る。
「アンディ先生、ありがとうございます。手を尽くします」
「任せた」
◇
「申し訳ない、うちの集落のが」
スタンリーが心配そうに、オリビアの顔を見る。口元を布で覆っていても、顔が腫れているのはわかるらしい。
「いえ、大丈夫ですよ」
「それならいいが。オリビア先生含め医者の方の働きやすいように、我々も努力しなくては」
スタンリーは、本当に申し訳なさそうに眉を下げる。が、これは誰の責任でもない。
「スタンリーさん、そう言ってくださるだけで嬉しいです」
「すまないね。それにしても、あの時、マキナが突然いなくなったんで驚いた」
どうやら、オリビアが殴られた日、マキナはスタンリーと一緒に集落の見回りをしていたらしい。
途中で突然立ち止まってと思ったらすごいスピードで屋根の上に登って消えたと言うから、さすが精鋭部隊である。
「そうですよね。マキナくん、よくわかったね」
と、後ろを振り向くと、マキナが、まあはい、などと無表情で返事をした。
マキナはオリビアが殴られた日から、以前よりも同行するようになった。
今回のように村の視察のときや、夜、医務室でジンと会話しているときにも部屋にいるしで、いいよと断っても受け入れられないので諦めた。マキナは意外と強情らしい。
「マキナは、護衛の鑑だな」
「すみません、兵師団の人手が足りない中で」
「確かにマキナがいないと、随分戦力は減るが」
スタンリーは、かか、と笑う。
「まあ戦士なんてそんなもんよ、守るもののためには他は捨てるさ。マキナは護衛だけど、こいつの精神は戦士だろうからな」
だろ? とスタンリーがマキナを見ると、マキナは少し黙ってから、
「そうかもしれません」
と頷く。スタンリーは笑顔のまま、マキナの肩をぽんぽんと叩いた。
「お前が護衛としてだろうがなんだろうが、オリビア先生を守ろうとしている気持ちは、貴重なものだ。だから、お前はそれに集中すればいいさ」
「……はい。ありがとうございます」
「さて、着いたぞ」
集落の外れの山の麓に、ひとつ扉があった。ふたりの兵師団が、その前に立っている。
「お疲れ」
「お疲れ様です、中へ?」
「ああ」
集落の食料庫だ。
まだ、リリーフ-βは発生していない。待つばかりでももったいないので、動けるところは動かなくてはならない。
兵師団のひとりが手際よくランタンを点け、スタンリーに手渡す。マキナが扉を押してくれ、中に入った。
扉の大きさに反して中は実は結構広く、春先にも関わらず涼しい。この食料庫に来るのは二度目だが、かなり立派なものだ。
王都では地下の石室を活用して野菜などを保存しているが、ここは日が当たらず地下水などで低温になる、山の地下を掘って食料庫としている。
「マキナくん、気づいたことはなんでも言ってね」
「はい」
中に入れば、たくさんの肉や野菜が整理されて積み上がっている。
スタンリーがランタンを持ち上げ、中を案内してくれる。
「こっちのエリアが、まだ配分先が決まってない食料だ。こっちは、特に事前に分けておく必要がないやつで、保存食と調味料系だな。こっちのでかい棚に入れてあるのが、今日配る食料だ。兵師団がこの籠ごと各家庭に持って行って、中身をとってもらって、籠だけ持ち帰ってきている」
「今日配る食料は、どういうふうに分けているんですか。人数と、年齢層とか?」
「ああ、そうだな」
試しに手近な籠をひとつ棚から取り出して見ると、中には新鮮な肉と野菜が入っていた。全然腐ったりはしていない。
ひとつひとつの籠の名称を確認していく。
――ウォーター、シルヴェスター、ジョーダン、……
ん、とひとつ引っ掛かりを覚える。
感染者のリストの紙を取り出して、ひとつひとつ確認する。
「スタンリーさん」
「なんだい」
「この籠の位置って、固定でしょうか」
「決まってはいないが、ほとんど変わらないね。今回の流行り病で一家全滅していたりもするから、入れ替えもしているけれども。あとは入れるときに少し変わっていたりすると思う、そこまでは確認できていないな」
「そうですか」
実は、と続ける。
「ちょっと不思議なんですが、下の方の段にある家庭のほうが、感染者が出ているのが多いんですね。全部ではないんですけど」
「ほう」
「……だからなんだろうって話ではあるんですが」
うーむ、とスタンリーも横で腕を組んで首をひねっている。
リストと棚を丁寧にチェックしていくが、何度確認しても下の方の棚にある家庭のほうが感染者が多い。
試しに、下の方の籠を取り出して中身を丁寧に見てみる。
「……すみません、スタンリーさん、ランタンを」
「ああ」
スタンリーがランタンを掲げる。
籠の中の野菜と肉を、ひとつひとつ丁寧に見ていく。異常はない。次の籠を取り出して、同じようにひとつひとつ確認する。
「……あ」
スタンリーが驚いたように声を出す。オリビアはジャガイモを持ち上げる。
ネズミの、小さなかじり跡だ。下手したら見逃してしまうかもしれないような、かじり跡。
「……スタンリーさん、マキナくん、このかじり跡には触れないでくださいね」
「ああ、もちろん、だが」
スタンリーは心底驚いているようで、他の籠の中も確認していく。よくよく見てみれば、いくつかの籠の野菜がかじられていた。彼は頭を抱えた。
「そういう……。いや、ここの食料庫にはこれまでにネズミが出たことはなかったんだ。あいつら、寒さに弱いだろ」
「そうですよね、この寒さじゃ……。しかもこのかじり跡も小さくて、わかりにくいし」
「特殊なネズミでもいるのか」
「その可能性が高そうです」
「……少々お待ちください」
ふとマキナがじっと周囲を見渡し、次の瞬間に食料の山の向こうに消えた。
何だろうと思いながらスタンリーと並んで少し待っていると、しばらくして彼は片手にちゅーちゅー鳴いているネズミを捕まえて現れた。
「いました」
「ぎゃあああああ!」
スタンリーが悲鳴を上げる。とりあえず、着ていた服の裾を破ってマキナに投げつける。
「マキナくん、それ、直で捕まえると危ないから。ちゃんと布使って」
「失礼しました。ありがとうございます」
「スタンリーさん!?」
「大丈夫ですか!?」
ばたん、と音がして、入り口から二人の兵師団団員が入ってきたようだが、もうオリビアの意識の範囲外だ。
マキナの近くに駆け寄り、ネズミをよく見る。毛皮が分厚く、身体は小さい。動きのバランスをとるためのしっぽは長めのネズミだ。
確かかどうかは別として、これはかなり大きな一歩だという手ごたえがある。
「マキナくん、たぶんこの子だ」
マキナの顔を見上げれば、彼は頷く。
「はい、オリビアさん。見つかりましたね」
「スタンリーさん」
振り返れば、兵師団の二人に支えられたスタンリーがいた。
「は、はい……」
「あ、あの……駆除を、しましょう」
「わかりました……。お前ら、駆除の段取りを頼む……。外に出すなよ」
「承知しました!」
兵師団のしっかりした声。
しかし、オリビアは腕を組む。大きな一歩ではあるが、恐らく実は手遅れだろうとオリビアは踏んでいた。
ネズミは、きっとすでにこの倉庫から抜け出ている。原因の個体をすべて除去しきることは、現実的に不可能だ。
◇
再度リリーフ-βの患者が現れたのは、それから1週間後のことだった。
その間にもリリーフ-αの患者は増えていた。
やはり原因となるネズミの根絶は現実的に可能であることの証左でもあった。
「いいですか?」
「いいよ~」
清潔なベッドに座るアンディの軽い返事を聞いて、オリビアは、リリーフ-βの患者のできものから摂取した液体を、彼の腕に付けた小さな傷に付けて摂取させる。
横には、助手としてマキナを連れている。
ここで起きたことや発生したことをすべて記録しておきたいので、手を借りることにしたのだ。
なお、次にいつ発生するのかわからないので、リリーフ-βの患者からとれるサンプルはすべて摂取し、大切に保管している。
「やっぱり、新規感染は減らないな。感染経路はわかりやすくなったけれども」
アンディはオリビアの処置を見ながら、話始める。
「本当に。原因がネズミとなると、全部駆除するのは非現実的です」
「代わりに、こいつの検証がより重要になったな」
そうですね、とオリビアは頷きながら、終わりましたよ、とアンディの腕から手を離す。
アンディはちらりとその傷を見る。
「で、なぜリリーフ-βは突然発生するのか、だが。前回の家庭と、今回の家庭、実はわかりやすく共通項がある」
「なんでしょうか」
「馬の面倒を見る人たちだ。どちらも真面目な家庭だからこそ、任されている。マキナならわかるだろうが」
「はい、確かに、そうです」
馬の、とオリビアは、残りの液体をしまう手を止めて考えて、それから少し笑う。
「……ずいぶん重要な示唆を、まるで日常会話のように言いますね」
アンディも、ふ、と笑う。
「最近は集落から遠出をすることがないから、馬に乗る機会はない。馬との接触機会がある家庭は、限定されている。そして彼らは、リリーフ-α家庭との直接接触はない。真面目なんだ」
「……」
オリビアは、ゆっくりとアンディの顔を見る。アンディはいつもよりも、どこか真面目な表情であった。
まっすぐに視線が交差する。
「つまり、……実はリリーフ-βは、人からではなく馬から感染っていた、とか」
口に出せば、どうにも真実味は薄く感じられた。だが、目の前の男は頷いた。
「馬や牛の管理者が皮膚病になるとき、その馬や牛に原因があることも多い。地方ではよく見る症例だ。うん。今回もよく見たら、馬にできものがあったりしてな」
オリビアは、意識的に息を吸って吐く。
突然光が見えた時ほど、落ち着く必要がある。冷静に状況を見て、確実に着実に検証するのだ。
「……なんとなくですが、当たっていそうな気がします。地方でそのような症例が多いのなら、なおさら。できる限り早く確認します。マキナくん」
「はい、スタンリーさんにも相談しますが、往訪は問題ないと思います」
「お願い、すぐにでも向かおう」
オリビアは残りの液体をしまう。摂取した量などをマキナとダブルチェックして、手元のカルテに記録する。
しばらくアンディは、この個室で経過観察を行う。
ジンの指示で、オリビアもすでに診察のシフトからは外れた。彼はついでと言わんばかりに、マキナも兵師団の仕事から外させ、この検証の助手として時間を割く体制を作った。
この機会に、やれることは全部やれということだ。
ふと、アンディの視線を感じてそちらを見れば、彼はじっとオリビアの顔を見ていた。
「オリビアちゃん、ほっぺ、まだ腫れてんねえ」
「だいぶよくなりましたが」
「いやあ。あんなことされて、よく逃げないよ。あんたは、この場所に所縁があるわけでもないのに」
オリビアはうーん、と首を傾ける。
「……逃げる理由が、ないなと思って」
ふは、とアンディが笑う。それから、ゆるりと目を細めて、マキナを見る。
「マキナくん」
「はい」
「ちょーっとだけ、オリビアちゃんの周りに気をつけてやってくれよ」
「……というのは」
「この検証をやり切るには、オリビアちゃんの力が欠かせないからな。この間みたいに、守ってやれよ」
「もちろんです。承知しました」
アンディは、な、とオリビアを見る。
「一緒に頑張ろうな、オリビア先生」
――その日、馬にも同じできものが発見された。




