3-2 マリンブルー
少しばかりの息を吐く。
目の前の男は、淡々と馬の足を進めていた。ツユクサ地方を出てから、ここまで2人はほとんど立ち止まらずに来た。
腰の袋から小さくちぎった干し肉を取り出し、口に入れる。シミオンからもらったものだ。集落の人々の目もあるので大っぴらにもてなすことはできないが、できる限り協力したいといろいろ手配してくれた。
春らしい太陽の光が、葉を通して身体を暖める。
ふと、マキナが後ろを振り返る。
「まもなくです」
「うん」
夜通し飛ばした結果、目的のアサギ地方第四集落へは予定より半日ほど早く着きそうだった。
久々に乗ったせいか、少し疲労が溜まっている。額にわずかに浮いた汗を拭って気合を入れなおし、前を進むマキナを追った。
細い山道を通り木々の合間を抜ければ、突如として眼下に集落が現れた。
アサギ地方第四集落は、比較的規模の大きい集落だ。中央に川が流れ、その横には数百軒の家が立ち並んでいる。普段は賑やかなはずだが、もくもくと煙がいくつか揺らめくだけで、全く人の声も聞こえない。
「……静かね」
「皆さん、家の中にいるようです。兵師団の方がいますね。見回りでしょうか」
馬をゆっくり歩かせながら、坂道を降りる。
すると、集落から1人がやってくるのが見えた。兵師団の団員だ。
「おーーーい、ここはいま立ち入り禁止だーーー!」
遠くからの叫び声に、オリビアも答えた。
「医者のオリビア・オルティスと申します! 治療のためにきました! 入れてください」
彼は驚いたように立ち止まった。オリビアとマキナは彼に近づいて、馬から降りる。
ツユクサ地方と同じように、団員は口元を布で覆っていたが、その驚きが全身から伝わってきた。
「ここは、アサギ地方第四集落で合っていますか」
「……は、はい」
「オリビア・オルティスです。こちらは護衛のマキナ」
マキナが軽く頭を下げる。団員は固まったままだ。
「王都で軍医をしておりました。この度のことを伺い、何かお力になれればと参りました。他の方に会わせていただけますか」
オリビアがそう言えば、団員は、突然、堰を切ったように泣き出した。
彼は、もうこれ以上何も助けがないものだと思っていたのだ。死ぬのを待つだけだと思っていたのだ。
オリビアは団員の背中をそっと撫でた。
◇
その後、オリビアとマキナは団員に連れられて、集落の最も大きな建物へ来た。玄関は大きく開いている。
「シャノンさん!」
団員が声を張ると、中から、シンプルな長袖とズボンを身に纏った背の高い女性が現れた。彼女がシャノンだろう。
「そんなに焦ってどうしたの?」
落ち着いた、低めの声が返ってくる。が、若そうだ。20代後半か30代くらいだろうか。
「お医者様が来てくださいました。王都から、お医者様が」
「お医者様?」
その切れ長の目がオリビアを捉え、マキナを見、わずかに見開かれた。
オリビアは軍医として敬礼をし、マキナは護衛として頭を下げた。
「オリビア・オルティスと申します。王都で軍医をしておりました。こちらは、護衛のマキナ」
「マキナと申します」
シャノンがすっと背筋を伸ばす。
「現在、この集落を取りまとめております、シャノン・ウッドローと言います」
彼女はそういうと、胸に手を当てて深々と頭を下げた。正しい文官の立礼だ。
「突然の来訪となって恐縮ですが、お力になれればと思い」
「ありがとうございます、なんと言って良いか」
シャノンはそう感謝を述べて、だがしかし、強い目でオリビアをじっと見た。
「……ですが、失礼ながら、ひとつだけご確認したいことが」
「なんでしょう」
「ご存じかとは思いますが、ここは、生死を天命に預けるだけの場所。誰しも生きる保証はありません。おふたりも」
「ええ、存じております」
「……明日、オリビア先生もマキナさんも死ぬかもしれません」
だから、覚悟がないなら帰ってください。そう言いたいのだ、とオリビアはすぐに分かった。
助けに来たのに逃げる人ほど、心を折る存在はない。
決して感情的でなく、淡々と紡がれる言葉。だが、諦めの言葉でもある。もうここから復帰するなんて希望を持てていないのだ。この集落での惨状をも如実に語っていた。
オリビアは、すっと息を吸う。
「シャノンさん」
「……」
「生きるか死ぬかは、重要ではありません。絶対に収束させます。ここを、そんな死の世界への入り口とはしません」
オリビアとシャノンの視線が絡み合う。
二歩進んで、シャノンとの距離を詰め、手を差し出した。ここ、流行り病の発生地での握手には、重要な意味が伴う。病が流行っているのだ。人と人が接触するなんて気軽にできるものではない。
これは、運命を共にするという重さを持った握手だ。
すると、そっと横にマキナが立って、オリビアと同じように手を差し出す。
オリビアは思わずマキナを見上げる。その表情には、何の感情も見られない。
シャノンは言葉を咀嚼するかのようにしばし黙って、それから目を細めた。それは、笑顔だった。
オリビアとマキナの手が、暖かなシャノンの両手に包まれる。
「変な人たちね」
そのまま彼女は、再度頭を下げた。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
◇
オリビアは口元に布を巻き、シャノンに連れられてさっそく現場に向けて移動する。
マキナは、しばらく兵師団の仕事の手伝いをすることになった。そちらの仕事も回らないらしい。
「今、集落は3つのエリアに分けています。感染者がいる治療施設のエリア、感染者との接触者がいるエリア、感染者と全く接触がない人のエリア。
毎日、新しい患者が5人前後は増えていて、昨日の段階で総感染者数は96人。赤ん坊から高齢者まで、19人が亡くなっています。幸いなことに、症状が収まって完全に回復した患者が11人います」
さらりと患者数と死亡者数が出てくるのを聞いて、シャノンは良く集落を纏めているに違いないとオリビアは予想した。自身も危険に侵されている中で、状況を数的に冷静に追うのはなかなかできることではない。
「現在は、エリア分け以外にどういった対策をされていますか」
「全員が、外に出る際には口元に布を巻くよう取り決めています。食事は、リスク分散のために大型動物は避けて、小型動物を各家庭ごとで調理。水は、全員が井戸水を使うように指示しています」
それから、と少しシャノンは口をつぐんでから、言葉を繋げた。
「こういった状況なので、感染者を出すと周辺住民から厳しく非難されることがあります。それを恐れて隠蔽する事例が、いくつか起こりまして」
確かにありそうな話だ、と頷く。
「それを避けるために、全家庭を3日に1度調査訪問しています。全員の健康状態をしっかり把握して、初期症状を見逃さないという目的ももちろんありますが」
「良いと思います」
オリビアが肯定すれば、シャノンの表情が心なしか和らぐ。
彼女の表情に、苦労の色は見られない。だが、この状況をひとりで切り盛りするのは、相当な負担がかかっているはずだ。シャノンのこともよく見ておかなくては、と気を引き締める。
「シャノンさん、こちらに、ジン・コールブルックという人が来ていると伺ったのですが、いますか?」
「ええ、いまは医療チームのリーダーをしてくれています。エリア分けや食事、水の利用については、彼の意見です」
さすがだ。彼は見た目も性格も”アレ”な割に、存外頭がいいのだ。
「お知合いですか?」
「学生時代の先輩です」
「……ジン先生も、オリビア先生も、マキナさんも、本当に不思議な方ですね」
どういうことだろうと首を傾げれば、シャノンの目元がわずかに笑う。
「自分の損益に無頓着すぎます。いえ、こういった場所に来てくださる方は、そんな方ばかりなのも道理ですね。……さて、今の時間なら、こちらにジン先生はいるはずです」
すると、ちょうどタイミングよく入り口が開いて、高身長の男が現れた。
青く染め抜かれた医務衣は、かなり気崩されている。布で隠しきれない耳には、いくつかのピアス。相変わらずの様子に、オリビアは思わず笑った。
「おつかれさま、シャノンさん……って、オリビア!」
ジン・コールブルック。彼は驚いた表情で、オリビアを見る。
「ジン先輩、お久しぶりです」
「久しぶりだなあ、元気だった?」
「はい。ジン先輩も元気そうですね」
「いやはやもう元気いっぱいよ。オリビアはどうしてここに?」
「流行り病の話を聞いて」
「で、わざわざ?」
「はい」
頷けば、オリビアらしい、とジンが破顔する。
「本当に、助かる。いつ来た?」
「ちょうどさっき着いたところで。シャノンさんに案内してもらったんです」
「ジン先生とお話していただくのが、早いかと思いまして」
そうシャノンが言うと、ジンがそちらに少し咎めるような視線を送る。
「シャノンさん、ジン”先生”だなんてつれないなあ」
「……」
オリビアは、思わず空を仰ぐ。
ジンは、高身長でチャラくて確かに女性受けする風貌で、彼の女性関係の噂は研究室ではしょっちゅう聞いた。知り合ったときからいつもこんな調子だったのだ。
しかしどうやら、シャノンには通用しないらしい。彼女はジンの行動には一切動じずに、社交辞令的な微笑みを見せる。
「なので、ジン”先生”、オリビア先生とよろしくお願いします」
「シャノンさんのそういうツンデレも悪くないけど」
ジンを無視し、オリビアはシャノンに向き直る。
「シャノンさん、ご案内いただいてありがとうございます。この先輩からいろいろ聞きだしてみます」
「ええ、どうぞよろしくお願いいたします。あの、夜に何人かでミーティングをやっていて、オリビアさんも参加してほしいのですが」
「わかりました」
「ジン先生にも来ていただいているので」
「そうしたら、先輩に連れて行ってもらいます」
「それがいいですね。あと、マキナさんとは同じお家で大丈夫でしょうか? 夜までにご用意します」
「はい、同じ家で問題ないです。ありがとうございます」
てきぱきと話を進めていく。
「では、私は一旦失礼します。ジン先生、あとはお任せしますね」
「任せて、大丈夫」
ジンはポケットに手を入れて、少し嬉しそうに頷く。扱いが上手いなあと、オリビアはシャノンを心底尊敬した。
シャノンの背を見送ってから、ジンは外の椅子に座った。
「オリビアも座って」
「はい」
オリビアも隣に座る。
「いまちょうど診察が半分終わったから、休憩をね」
「タイミングよかったです」
「シャノンさんの気遣いだと思うよ」
いやあ、とジンが伸びをする。
よく見れば、その目元にはわずかに疲労感がでていた。きっと、夜もほとんど寝られていないのだろう。
「会うの、オリビアの卒業以来?」
「そうですね。その節はありがとうございました」
「かわいがってた後輩が首席卒業なんて聞いたら、お祝いするしかないでしょ」
卒業式にはジンはわざわざ王都に帰ってきてくれ、オリビアの好きな東洋料理のお店でお祝いしてくれた。
オリビアは幼いころに父が、学生のころに母が他界し、祝ってくれるような家族や親戚もいなかったため、実は嬉しかったことは内緒である。
「ジン先輩は、なんというか、いろいろと相変わらずで」
「まだまだ若いってことだね」
「ああ、まあ、はい、そうですね」
「オリビアも元気そうで、俺は安心だよ。軍医だっけ」
「はい、ジョージ先生にもお世話になりながら」
「あの爺さん、元気?」
「爺さん」
「あ、待って、本人に言わないでよ。俺怒られるからさ」
「はいはい。ジョージ先生もお元気ですよ」
これくらいのやりとりができるなら、ジンはおそらくまだ大丈夫だ、とオリビアは安心する。こういった緊迫しているときは、医療関係者側のメンタルケアも重要だ。
「それにしても、オリビアが来てくれたのは、正直ものすごく心強い」
「こちらこそです」
「手が足りなさすぎて、死ぬかと思ってた」
「さっきシャノンさんから現状の対策を聞いたんですが、ジン先輩がしてくれたんですよね」
「まあ。エリア分けしただけでも感染スピードは遅くなった、少しだけだけど」
それから現状の共有をしていく。
ジンを含め、3人の医者が日々患者の対応をしているようだ。
いまは、症状に合わせて、投薬するか決めているらしい。薬の材料調達は兵師団に、調合は集落の人々に教えて任せている。他にも看護師が15名いて、お手伝いしてもらっているそう。彼女たちは周辺の村の看護師らしい。
「ただ、早期に症状が発見できたとしても、あまりできることがない。回復傾向にあるのは割と若くてかつ身体の強い人ばかりで、ほとんど奇跡みたいなもの。2回目の発熱の後が山場で、呼吸困難になったり胃痛や腹痛で何も食べられなくなる。
今は治療という治療は、できていない。力不足を実感するよ」
そうは言っているが、ここへ来て5日間で、ジンはできることは十分にやっていると思う。見た目も行動も軽いが、やっぱり彼はちゃんと医者なのだ。
「今日はいったん、診療についてきてもらうのがいいかな。大体勝手もわかるはず。オリビアなら気づくこともたくさんあるだろうから、それはすり合わせていこう」
「了解です」
「じゃあよろしく。さて、そろそろ行こうか」
立ち上がったジン。わずかな休憩は終わりだ。
ガチャリとドアが開かれる。
所狭しと並べられたベッド。
汗の匂い。
血の臭い。
室内では、複数名の看護師が動き回って、患者に食事をさせたり、身体を拭いたりしていた。
ジンはベッドの間を横切って、ひとりの患者のもとに向かう。30代くらいの女性だ。
オリビアは後ろから様子を伺う。勝手がわかるまでは、下手に手を出さないほうが良いとわかっていた。
「こんにちは、マーヤさん」
「まあ、ジン先生」
患者が嬉しそうにジンを見上げる。
「体調はどうでしょう」
「やっぱりできものができました。少し熱っぽいです」
「熱を測ります」
ジンは患者の手首に触れる。オリビアも見れば、患者のおでこのあたりにいくつか小さなできものができているのが見える。レポートにも書かれていた、特徴的な症状だ。
患者は顔だけ動かし、オリビアを視界に入れるとわずかに驚きの表情になる。
「……あら、新しい看護師さんですか?」
「いえ、彼女は医者なんです、僕の後輩」
「後輩? 女性のお医者さんもいるのね」
「初めまして、マーヤさん。よろしくお願いいたします」
その間にも、ジンは横にかけているカルテに気づいたことなどをどんどん記録していく。
「ジン先生、解熱薬が効いて、本当に楽になったんです」
「まだ気を緩めてはいけませんからね。大体皆さん、もう一度熱が上がりますから」
「ええ、そうですね」
オリビアは、ジンが書き込むカルテを横から覗き込んだ。
目の前の患者は、3日前に高熱でここに来たようだ。解熱薬のおかげか、昨日には熱が下がったようだ。
「見る?」
「はい」
ジンからカルテを受け取り、内容を確認していく。3枚めくると記載内容はかなり薄くなる。ジンが来てから治療と記録の方法が変わったのだろうと推察できた。
それでもやはり、カルテは兵師団のレポートよりも内容が充実している。ひとつひとつ情報を整理したいところだ。
オリビアがカルテを読み込んでいる間に、ジンは問診を続ける。
「食事は?」
「食べると少し気持ち悪くて」
「もしかして、また看護師を困らせました? 食べないと治らないですからね。水はちゃんと飲んでますね」
「はい」
「身体は? 痛みや痒みはあります?」
「少し頭痛がするんです。良くなる薬はないんでしょうか」
「薬はあるんですが、もう少し様子を見ます。副作用といって、頭痛は良くなるんですが、お腹が痛くなることがあるので」
「わかりました」
ジンの問診は、そんな調子で次から次へと行われた。
「他のお医者さんは?」
「あとはフレディが昼番をやっていて、アンディっていうのが夜番をやってるね」
「地方のお医者さんって、どんな感じですか?」
「そんなに構えなくても大丈夫。あの2人とはたくさん話し合いもしていて、俺の話もちゃんと聞いてくれる。良い人たちだから、オリビアの話も聞いてくれるよ」
地方には結構頑固な人も多いんだけど、とジンは苦笑する。
地方にも医者や看護師はいるとはいえ、彼らの多くはオリビアやジンと違って、正式に勉強をして資格を得た者ではない。それぞれの地域で受け継がれてきた知識を、活用している人たちだ。
だが、それも当然のことで、そもそも王国学園で医療科ができたこと自体、今のヴィクトル王陛下の時代になってからのこと。
正式な資格を持っている医者と看護師だけはどうしても数が足りないので、独学の彼らを排除するわけにはいかない。それに、これまで継承されてきた技術にも当然価値があるのだ。
一通り室内の患者の問診が終わると、ジンは部屋を出る。
「次ね」
隣の家に移動する。
入った瞬間に、様子が違うのを感じた。
ベッドは同じように敷き詰められているが、看護師がひとりだけだ。うめき声等で空気も重い。
ジンは、1番端の患者のベッドに向かう。見て、明らかに症状が違うことがわかった。皮膚に、人差し指ほどの大きさのできものが数えきれないほどできていて、一部が化膿していた。
「マークさん」
「……うう、あ、は、い」
「体調はいかがですか」
「……ううん、息苦しい、です……」
患者の手首に触れる。悪寒で震えていて、明らかに先ほどまでの患者よりも重症だ。
――血圧が、低い。
ジンは胸部の服を捲って心音を取り、できものの具合を確認して、細かくカルテに症状を記録していく。
この患者は2日前までは、解熱剤を処方され、微熱で推移していた。その後、発疹がでて再度高熱になり、こちらの病棟に移されたようだ。
ジンはオリビアへ、マークの使っていた水枕を差し出す。
「オリビア、あっちの部屋に水が入った甕とコップがある。水枕を変えたい。勝手はなんとなくわかるな」
「はい」
言われたドアを開けばそこは台所で、薬やバケツが積まれている横に、水の張られている甕がいくつかあった。甕の蓋を取って、中身を覗く。異臭はしないし、透明で、綺麗な水だ。
台所で古い水を流し、甕から新しい水を汲む。ジンの元へ戻って、マークの頭へ水枕を入れる。
そうして少し様子を見てから、ジンは次の患者の問診を始めた。次も同じような症状だ。
こちらの患者たちは、もうほとんど回復が見込めないのだろう。
患者たちは皆、呼吸が苦しそうで、体力を消耗しているのがわかる。人によっては、応答すらできないものもいた。それでも、ジンはひとりひとり丁寧に診て、丁寧に記録し、しっかり言葉をかける。
「モーリスさん、来ましたよ」
「……」
「体調はいかがでしょう」
「……」
「……脈を診ますね。腕、失礼します」
もう一軒の家に移動すれば、同様の状態の患者がたくさん並んでいた。
オリビアも途中からジンの手伝いをし、横でカルテに記録をしたり、自分でも患者の手首に触れて脈を診たり心音をとったりした。
診察が終わるころには、日も落ちかけていた。
診療棟を出、ジンがこちらを見る。
「お疲れ」
「お疲れさまです」
「オリビア、割と疲れてる顔しているけど」
「……いろいろ考えていて。すみません、疲れているように見えますか」
「まあ、俺ならわかるくらいかな」
正直、疲れてはいた。今日までずっと移動し通しだったのもあるし、流行り病の対処の際には、普通の治療よりも気を張ることが多いのだ。
「大丈夫です」
「無理はしないで、と言いたいところだけど、やることは多い。この後、医者全員で現状共有をする。昼番と夜番で分けているから、引継ぎも兼ねてね。そのあと、シャノンさんと兵師団のスタンリーさんと、夜のミーティング」
「了解」
「あと、できればオリビアには、診察だけじゃなくて新薬の調合か、新しい治療法の検討もしてもらいたいと思っている。今まで、全然そっちに時間を割けていないから」
オリビアは頷く。
流行り病が、新薬や新しい治療法なしで根絶することは考えにくい。今はアサギ地方だけだが、いつ他の地方に飛び火するのかもわからない。できるだけ早く、解決策の確立が必要だ。
「そのつもりで来てます」
「頼りにしている。俺よりも、最近までジョージ先生のところで研究してたオリビアの方が、勘所がわかるはず」
「ジン先輩も手伝ってね」
「当然」
医者が詰めている医務棟に入れば、既に2人の男性医師がいた。
「フレディ先生、アンディ先生、お疲れ様。新しい医者だ」
「新しい医者? 本当か」
ジンが皆を紹介し、全員が自己紹介をする。2人ともオリビアよりも一回りは歳上で、フレディが穏やかな雰囲気、アンディがダンディな感じだ。
アンディが、じっとオリビアを見る。
「若いのにすごいな」
嫌な感じは全くない。が、ジンがフォローを入れる。
「オリビアはまだ若いし女性だけど、正直俺より圧倒的に優秀だ。軍医だし体力もある」
「や、女性医師って初めて見たから、驚いたってことだ。馬鹿にしたつもりじゃない。そう聞こえたら悪かったな」
「いえ、大丈夫ですよ。よろしくお願いします」
そんなやり取りはあったものの、基本的に話はスムーズに進んだ。
質素な木の椅子に座って、同じく質素な木の机の上に紙を広げながら、ジンを中心に患者の状況の報告と、今後の方針の話をする。
「薬の開発をするなら、シフトは、変えたほうがいいかな。僕とアンディで夜番をやろうか」
と、フレディ。そうだな、とジンが賛成する。
「おふたりのご知見も、お借りさせてください」
とオリビアが言えば、もちろん、とフレディもアンディも頷いた。
調子よく話し合いが進み、諸々の調整があっという間に終わる。
フレディとアンディは既に2週間ほどここで格闘する中で、人が減っては調整するということを何度も繰り返していたのだ。慣れたものである。
ジンがオリビアに問いかける。
「ちなみに、オリビアは今言っておきたいことはある? 気づいたこととか、提案とか。あと疑問があればここで解消したい」
オリビアは少し考えて、全員の顔を見て口を開く。
「……早速なんですけれども、消毒、をしたく」
消毒は、本当に最近、軍医の間で出てきた考え方である。
燃料となるコークスを作る副産物である石灰酸に、病の毒素を消す効果がありそう、という発見があったのだ。
もともとは消臭的な面で兵舎でも利用してみたのだが、なぜかその日に治療した外傷が化膿しにくかったという出来事が、発見のきっかけとなった。
直近では、精鋭部隊のティムが足を切断した際に、石灰酸を薄めた消毒液を使う実験を行った。
彼が左足に大怪我を負った際、最終的に切断しか手段がなかったのだが、それにはリスクが伴う。切った断面がさらに悪化したり、切った後に病になって亡くなる事例が多かったのだ。だが、消毒液を含んだ布を切断面に利用したためか、ティムは大きな問題なく回復した。
もちろんまだ事例数も少ないので確証されているわけではないが、消毒行為には一定の効果があるというのが概ねの見解だ。
「様々な病気や外傷の悪化は、外から何らかの毒素のようなものが入り込んで生じる、というのは最近言われていることですが……」
「そうだな、それは地方の医者にとっても画期的な考え方だった。ちゃんと理解できているかは、怪しいけれどね」
とフレディが、
「まあ、俺も正直あまり理解が及ばないが、そういう考えもあるのだと思っている」
とアンディが頷いた。
「消毒は、その毒素を消す、そういった役割を果たすものです。今回の流行り病がどういったものかはまだ明らかになっていないので効果はわかりませんが、少なくとも無駄にはならないと思いますので」
「消毒はいつする?」
と、アンディが質問を投げる。
「他の人の身体に触れる前と後には、いつでも。あとは、吐瀉物や排泄物に触れてしまった場合もです」
「それも?」
「はい、そこから毒素が移る可能性があるので」
「ほう、なるほどわからん」
アンディの言葉にどう説明したものかと少し困るが、すぐに彼は言葉を続ける。
「わからんが、とりあえずやろう。フレディ、そうだろ?」
「そうだね、僕たちの理解はあとだ。看護師にも伝えよう。彼女たちも、わかってくれる」
思わず、ありがとうございます、と頭を下げれば、温かく笑う声。見るとアンディはふっと片方の口角を上げ、フレディは柔らかく微笑んでいる。ジンは、肩をすくめた。
「やれることは片っ端からやっていくべきだよ」
医者間での引継ぎが終わり、次に向かったのは今日初めに兵師団団員に案内された館である。
道中も、ジンとの会話は途切れない。
「毒素の考え方も、すごいよな。毒を飲んでいないのに、見えない毒があるかもしれないってことだろ? すごい考え方だよな、論理的には全く矛盾はないし」
「はい、ジョージ先生の研究室には、発想の天才が多いんですよ」
「消毒液も、よく発見したよな」
「偶然の産物ですね。話を聞いていて、何かに使えるんじゃないかと、たまたま兵舎で使ってみたのが大きかったです」
「医療については、やっぱり軍医が最先端だな。消毒液の在庫はあるのか?」
「はい、というより、私の荷物のほとんどはそれです。追加も送ってもらうように、ジョージ先生へ手配をお願いしています。在庫を見ながらではあるんですが、まだ感染していない人にも、消毒はしてもらいたいです」
「おーけい、シャノンさんに話してみよう」
ジンが慣れたようにドアを開けば、シャノンとマキナと、もう1人、男性が振り向いた。男性は体格はいいものの、どこか柔和な雰囲気だ。彼は立ち上がり、オリビアに敬礼した。
「オリビア殿とお見受けする。兵師団歩兵隊隊長補佐、スタンリー・ベネディクトだ」
オリビアも敬礼を返す。
「軍医のオリビア・オルティスです。よろしくお願いします」
スタンリーはちょっと目を見開いてから、細い目をさらに細める。
「軍医の方だったのか。世話になっている」
「いえ」
「マキナから、貴女のお話は伺った。マキナとは、以前会ったことがあったんでね。彼の姿を見たときには、びっくりしたが」
マキナは精鋭部隊に入る前に、ここへ来たことがあると話していた。スタンリーとは関わりがあったのだろう。
「マキナがお世話になっています」
オリビアがそう言えば、スタンリーはいやいや、と手を振る。
「こちらとしてはありがたい限りだ。人手も全然足りてないからな。昔にも兵師団に誘ったことがあるんだが、当時は雇い主に断られたよ」
「すみません、それは私も今のところお断りします」
「はは、そうだろうな。マキナを手放せない気持ちはわかるさ」
横で、マキナとジンもお互いに自己紹介をすませていた。なんだか力強い握手をしていた。
「さて、はじめましょう」
頃合いを見て発せられたシャノンの言葉に、オリビアとジンも空いている椅子に腰かける。
壁一面に、患者数と死者数の推移、利用した薬の数や作った薬の数、これまでとってきた対策などが時系列に整理されていた。すごい、とオリビアは思わず情報を目で追う。
初めに、それらの情報の更新と確認をし、それから各々の状況を共有する。
「兵師団では、いつも通り、薬草や薬の元になる樹皮を集めている。が、やはり例年以上に取っているので、いつもの採取場所だけでは、もう足りなくなってきている。新しい採取場所は、探索中だ」
「周辺村落の人に、聞いてみるといいかもしれませんね」
「ああ、そうしてみよう。逆に食料は、例年よりも必要量は少ない。が、あまり残しすぎると、熊や狼が集まってくるし、適度に狩ろうと思う」
「余った分は、干し肉にするか塩漬けにして保管にしましょう」
「どこか、保管用の倉庫を決めたい」
「そうね。手配します」
スタンリーの報告に、シャノンが手元にメモをとる。
「わたしからも、報告です。とうとうアサギ地方以外でも、感染者が出たという連絡が入りました。隣のグンジョウ地方、第一集落」
「経路は」
「アサギ地方の第三集落から、逃げ出した商人がいたようです。感染者である商人から、両親と子ども1名の家族に感染ったようです。今は隔離されているとのことです」
「アサギ地方の第三集落と、グンジョウ地方の第一集落は距離が近いからな」
スタンリーの言葉に、シャノンも頷く。
「とにかく、私たちはここ、第四集落の事態を治めるのが先決ですね。医療チームは、いかがでしょうか」
ジンが口を開く。
「今日は感染者の家族が、合計6名、発症。3名が死亡。回復傾向にある人は順調だけど、念のため他とは隔離している。オリビアが来たので、新しい薬や治療法ができないかを研究したいなと」
「それは……ほしいよな。もちろん、簡単なことではないだろうけれど」
「期待はしないでほしい、というのが正直なところ。あとは、オリビアから、”消毒”について先程話を聞きまして」
「消毒?」
ジンが消毒液について簡単に説明すると、シャノンは即座に頷く。
「わかりました。優先順位を付けてやりましょう」
「ありがとうございます」
オリビアは頭を下げる。新しいことが聞き入れられるには、基本的にハードルが高いことが多いのだが、シャノンは全面的にジンとオリビアを信頼し施策を考えることにしているらしい。
それから、こまごまとしたやり取りが交わされる。どの家庭の誰がどういう状況かや、兵師団の誰が怪我したという話などが共有される。
それらの話を耳にしながら、オリビアは思考を続ける。今日見たもの、感じたものを全部忘れないように、考える。
観察して、感じて、考える。
上司であるジョージに叩き込まれた、医者の基本だ。
次回の更新は、9月25日(金)を予定しています!
今日は、いつも以上にボリューミーになってしまった。
(松桐由荷)




