009話 袋のネズミ
「怪しいヤツがいたぞ! 増援を頼む!」
その夜は、満点の星空であった。
日干しレンガが高く詰まれた城壁の傍を、二つの黒い影が駆け抜ける。
「ちくしょう、今日に限って星が明るすぎんだよォ」
「ここでやるしかない──」
走りながら後ろを向き、腰の革袋へ伸ばしたアゼルの右手を、ナジムがぴたりと掴み止めた。
「おっとォ煙玉はNGだ。昨日の今日だからなァ、戦闘は避けていこう」
無鉄砲で型破りな感じのするナジムだが、戦闘に関しては意外と消極的である。
自分はあくまで”財宝ハンター”であり、ただのごろつきではないという彼なりの矜持があった。
「わかったよ。次どっちだ?」
「うーん、右」
二人は生活のほとんどを貧民街か、近所の庶民向け市場で送っているため、王宮付近の地理には明るくない。
ナジムがてきとうに指さした方向へ曲がった途端、アゼルは正面を見据えはっとした。
「行き止まりじゃねえか!」
「わーおすまん」
闇の中に、のっぺりした高い壁が浮かび上がる。
左右も塀と建物がぎっちり並んでおり、横道へ逸れる隙間は無い。
完全なる袋小路だ。
「しかたあるめェ、煙玉解禁!」
「そらよっ」
アゼルはさっきの曲がり角の辺りを狙って煙玉を放った。
地面で破裂した玉からもうもうと煙が溢れ、立体的な塊となってその場にとどまる。
「飛び越えるしかないな」
アゼルは近くに置いてあった木箱のひとつを壁のすぐ前に移動させ、もうひとつを大股二歩分離れたところへ置いた。
「準備完了。先に行けナジム」
「頼むぜィ!」
ナジムは全速力で壁に向かって助走をつけ、手前に置かれた木箱を踏み台にして跳び上がる。
壁際の箱上に立ったアゼルが両手を組んで足掛かりを作り、ナジムの足の裏を押し上げる。
完璧な位置とタイミング。
元々運動神経に長けたナジムは常人の三倍ほど跳躍する。
壁の上端に手がかかった。
そのままよじ登ると、袖口から素早くロープを垂らす。
アゼルはそれを掴み、壁を駆け上った。
ここまでわずか数秒である。
「アイツらはどこへ消えた!?」
「こっちへ曲がったはずだぞ!」
「ん? なんだこの香り……は……」
追ってきた衛兵のうちの幾人かは、不思議な煙を吸い込んでまどろんだ。
風で煙が薄まっていたのだろう、何人かは意識を保っており、ヤツらが逃げたのは右か、左かと議論し合っていた。
その最中で、彼らはあることに気付いた。
自分たちが追ってきた進行方向の、向かって右側。
曲がってすぐのところに高い壁があって、そこへ入ればどこへも抜けられない袋小路になっているのである。
衛兵たちはこぞってその壁を指さした。
「あんなところに壁なんてあったか……?」
***
「何だこれ……体が動かないぞ……!」
壁の向こう側に着地したアゼルは、全身が金縛りのように硬直したまま立ち尽くしていた。
すぐ隣では、ナジムが中腰で両手を大きく開き走り出そうとした体勢のまま固まっている。
「すげェ……ずっと中腰なのに疲れねェ……!」
「感動してる場合じゃないぞ」
音を抑えて着地した彼らの目の前に現れたのは、大きめのローブのような布をまとった人物だった。
「そこで何をしておる?」
頭巾を目深にかぶっている上、暗くて顔は伺えないが、声から察するに老いた男性のようだ。
二人が逃げ出すより早く、老人は呪文のようなものをもごもごと唱えた。
するとたちまち彼らは硬直し、誰のものとも知れぬ庭で立ち尽くすことになったのである。
「あの……僕たちはその」
「迷子っす。迷子」
「ほぉ迷子か」
老爺はしわがれた声で言い、次いで「客じゃないのか」と呟いた。
「客……?」
一体何の店なんだ、そもそもこの時間に営業しているのか、とアゼルが考えるより早く、ナジムが口を開いた。
「客っす! 俺たち客!」
「ほぉ」
その時、壁の向こうから衛兵たちの騒ぎ声が聞こえてきた。
「何か事情がありそうじゃのう……まあよい。ワシの商売も、おぬしらのような危なっかしい若造を何人も相手にしとるからな。日陰者どうし、仲良くしようじゃないかね」
老爺は微笑む。
口の端から、獣のように尖った八重歯が覗いた。




