006話 宴もたけなわ
日干しレンガの建物が狭しと立ち並ぶ市場を、二人の男女は楽しげに歩いている。
リアーナの右手の人差し指にある白い石が、高く張られた天幕の隙間から入る陽光を受けて輝いた。
さっきのアクセサリー屋でアゼルが買った、”サザンカ石”の指輪だ。
「本当にありがとうございます、アゼル様」
「いやいや、そんな安物でごめん」
「そんなことはありませんわ。私、家の者以外からの贈り物なんて初めてで……」
大袈裟だな、とアゼルは思った。
素性こそ知らないが、どこからどう見たっていいとこのお嬢様。
懇意にしている商人や、付き合いのある貴族連中から、誕生日プレゼントぐらいもらっているに違いない。
そんな考えを見透かしてか、リアーナは続けて口を開いた。
「知らない大人たちが贈ってくる品は、私にではなく、家に宛てたものでしたから。私が喜ぶかどうかなんて、誰も気にしてはいません」
「ふーん。そういうもんなのか」
貴族の生活など想像もつかないが、彼らは彼らで大変なことや、辛いことがあるのかもしれないな。
と、貴族嫌いのアゼルは不本意な同情を覚えた。
「なんだか、良い匂いがしませんこと?」
「ああ、そういや腹も減ったし、その辺の屋台で何か食べていくか」
じきに日が傾く。
嬉しそうに屋台を見渡し、時折手元の指輪を眺めては微笑むリアーナを横目に、アゼルは残された時間を計算しながら歩いた。
***
日は落ちた。
暗くなった貧民街の一角、簡素な支柱と板屋根を建てただけの集会場には、貧民街の面々が、リアーナを囲むように集合していた。
「それで、アゼル様がこの指輪を買ってくださって」
「ほぉ~、やるじゃねえかアゼル!」
「色男!」だの「憎いね!」だの「安物!」だのと、次々にヤジが飛ぶ。
アゼルは努めて澄ました顔を作り、きまり悪そうに杯を呷った。
宴もたけなわ。
むさ苦しい男たちに囲まれていてもリアーナは嫌な顔ひとつせず、楽しそうに安酒で乾杯している。
「コマを回す時に大切なのはスピードより角度である」などとナジムが講釈を垂れるのにウンウンと笑顔で頷くリアーナを眺めて、アゼルは切ない気持ちになった。
アゼルだけではない。
皆、分かっていた。
その時はやはり、待ち構えていたように訪れた。
「全員、そちらの女性から離れろ!」
突然の野太い声に、場が静まり返った。
見れば、少し離れた闇の中から、馬に乗った一団が迫ってくる。
そのうちの何人かはサーベルを抜いていた。
「衛兵だ」
「とうとう来やがったな」
「楽しかったぜ嬢ちゃん」
「あばよ、元気でな」
宴の最中だった男たちは、分かってましたよとばかりに、反抗せず散っていく。
すかさず衛兵たちは馬を操って、リアーナを取り囲むように緩い円陣を組んだ。
未練がましくリアーナのそばから離れる事のできないアゼルを、衛兵の一人がキッと睨みつけた。
と、目前の闇の中、衛兵たちの合間から、よく見知った大男の禿げ頭が現れた。
「いやあ、盛り上がってるからもうちょっと待ってくれと交渉はしたんだがな。流石に無理だそうだ。諦めろ、アゼル」
「……ゴブさん」
貧民街のまとめ役として衛兵たちに一目置かれているゴブが言っても無理だったのだ、もうどうしようもない事は明白である。
それでもまだアゼルはぐずぐずしていた。
「いい加減にしろアゼル。ヤベェって」
「どけ、貧民」
ナジムが言い終わるより早く、馬を飛び降りた衛兵の一人がアゼルの肩を突き飛ばした。
「さあ、参りましょう。リアーナ嬢」
衛兵が馬に乗せようと引いた手を、リアーナは振り払った。
そして、観念したような顔でアゼルを、そして貧民街の面々を見た。
「本当にありがとうございました、アゼル様。皆さんも。かけがえのない思い出ができました。どうかお元気で」
「リアーナ」
なおも手を貸そうとする衛兵を「一人で乗れますわ」と振り払うリアーナ。
彼女の華奢な腕を、アゼルは反射的に掴んでいた。
その途端、場の空気が変わった。
「おい触るな! その方がどなたか分かっ──」
衛兵が再びアゼルを突き飛ばそうと向かっていった、その刹那。
砂煙が舞い、群衆を割って、ひときわ大きな黒馬が目の前に現れた。
馬上の主はサーベルを抜き放ち、既にアゼルの喉元に突き付けている。
一瞬の出来事であった。
「貴様」
自分の喉元に刃が食い込んでいるとアゼルが気付いたのは、男の声を聞いた直後であった。
「死にたいようだな」
サファイアのような青い瞳。
濃紺の髪。
相手の顔を視界に捉えるやいなや、アゼルの視界は真っ暗になった。
世界が暗転する直前、リアーナのか細い声が聞こえた気がした。
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