003話 勝鬨
海面を割ってクジラが現れるように。
波打つ砂を割り、巻き上げながら現れたのは、家ほどの大きさがある巨大サソリであった。
舞った大量の砂が地面に叩きつけられ、荒い砂嵐となって二人に襲い掛かる。
アゼルは日よけのスカーフで鼻と口を覆いながら、ターバンをリアーナ嬢の顔に当てて守った。
「こ、これはなんですの!?」
「ヨロイサソリ……こんなに近くで見たのは、僕も初めてだ。逃げるぞ!」
アゼルはリアーナを両手で抱えると岩から飛び降り、砂の上を駆け出した。
サソリはアゼルの方へ向き直ると、砂の中を泳ぐようにして猛スピードで接近してくる。
「ちょっとごめんよ」
「キャッ!?」
アゼルはリアーナの頭部を背中の方へやり、くの字になった腹の辺りを左肩で支えるようにして担いだ。
空いた右手で、腰に結わえた革袋の中を探る。
「ほらよっ!」
月明かりを反射するサソリの甲羅を頼りに、顔の辺りを狙って煙玉を投げつけた。
ボゥンッ。
ゆめみダケの催眠効果があの巨体にどれほど効くのか分からないが、触覚の神経を鈍くするくらいの効果はあるだろう。
アゼルのその楽観的な勘は当たっていた。
動きの鈍くなったサソリを尻目に、アゼルは街までの砂地を全力で走った。
***
その夜、アゼルが衛兵に遭遇する事はなかった。
不名誉な下着泥棒の称号を忘れたまま、アゼルは貧民街の掘っ立て小屋へと無事帰還したのである。
しかも、得体のしれないどこぞの令嬢──本人曰く”ただの女”だが──というおまけつきで。
***
朝になった。
薄い紗のようなカーテンのかかった窓から、砂交じりの朝日が注ぎ込む。
「んーーーー!!」
いつも通りの唸り声を上げながら布団の中で身をよじろうとして、アゼルは気付いた。
布団が、無い。
擦り切れたボロ布を一枚敷いただけの硬い土床の上で、彼は目覚めた。
「あっ──」
アゼルは思い出した。
夜の市場に響いた怒号と、不名誉な称号。
リアーナ嬢との出会い。
ヨロイサソリからの逃亡。
衛兵の目を避けながらこの小屋へたどり着き、粗末なベッドをリアーナへ明け渡したこと。
彼ははっとして身を起こした。
「リアーナ……どこだ?」
部屋の中には見当たらない。
隠れる場所などない、狭い小屋だ。
「まずいな」
嫌な予感がした。
素性こそ知らないが、やんごとなき身の上である事は身なりから伺える。
彼女の着ていた革のドレスは、貴族間でどれほどの値打ちのものなのかはさておいて、少なくともこの貧民街をうろつくべき服装ではない。
恐喝、強盗、誘拐……。
無数の可能性を脳裏に過ぎらせながら、アゼルは部屋を飛び出した。
「そこだァ!! くたばれェッ!!」
「キャーッ! やめてくださいまし~~!」
男たちの怒号に交じって、令嬢の甲高い声が空気をツン裂いた。
「いっけェーー!!」
カンっ。
情けない金属音と共に、銅製のコマが場外へ弾き出された。
「あぁぁ~~惜しかった!」
「たまには負けてやれ、ナジム!」
「大人げないぞナジム!!」
落胆と罵声の入り混じる中、ナジムは誇らしげに自分のコマを拾い上げてみせた。
「回転のキレが違ェんだよォ! 俺に勝とうなんざァ百年速ェってこったな! ひゃーっひゃっひゃっ」
高笑いに興じるナジムへの罵倒が激しくなる中、「もう一回! もう一回ですわ!」とじだんだを踏む令嬢を見て、アゼルは胸を撫でおろした。
「やっと起きてきたな、色男」
アゼルを見つけたナジムは、琥珀色の瞳をいたずらっぽく細めて笑った。
お読みいただきありがとうございます
ブックマークと評価☆を頂けると、更新の励みになります!




