002話 剣よりも強し
「私はただの女です!!!!」
狂剣の先は、令嬢の喉元まで砂一粒の距離で止まった。
「はぁ……はぁ……」
令嬢の真っ黒な瞳が、丸い鏡のようになって月を映している。
その中にアゼルは、悪魔のように憎悪に引きつる自分の顔を見た。
星々を溶かしたような白い肌。穢れを知らぬ漆黒の髪を、夜風で雲を振り払った月光が描き出す。
不毛な砂漠の真ん中で、まるでそこだけが絵画のように浮き上がって見えた。
美しい。
美しいのだ。
まるで魔術にかかったように、アゼルは動けなかった。
「自由になりたいだけの、ただの、女です。あなたの恨みを買った覚えはありませんわ」
「……ああ」
数秒の沈黙の後。アゼルはゆっくりと短剣を引っ込めた。
「私はリアーナと申します」
自らを貫かんとした刃が鞘に納まるより早く、令嬢は次々と言葉を並べ立てる。
その妙にしゃんとした態度に、アゼルは気圧された。
「この石の事なら、教えて差し上げますわ」
「あ、ああ……」
ペンダントの石は冥月石。
日光の影響を軽減する魔力がある。
彼女は肌が弱いので、幼少期からそれをつけて外出するようにしている。
そんな説明を、アゼルはおっかなびっくり聞いていた。
「お分かりいただけましたか?」
「……わかった」
絞りカスのような声で、アゼルは答える。
さっきまで膨れ上がっていた殺意が嘘のように、心は萎みきっていた。
それはただ、令嬢が美しかったから、というだけではない。
曰く、リアーナと名乗る彼女は”ただの女”。
身なりから察するに本当にただの平民の町娘などということはないだろうが、少なくとも自分には、父らを失ったあの事件には関係ないのだ。
彼女の”言葉”、殺刃の間際にあってもそれを伝えようとする”意志”が、魔法じみた説得力を以てアゼルを留めたのである。
「はあ……。ったく」
自分の弱さが嫌になる。
こんな事だから、貧民街の連中からは「アマちゃん」とからかわれるんだ。
心の中で自分に毒づきながら、アゼルは目を閉じる。
その瞬間、術が解けたように全身の筋肉がほぐれた。
「あの……あなたは」
「アゼル」
それだけ言うと、アゼルはおそるおそる目を開けて彼女の顔を見た。
雪肌に映える、黒く湿った瞳。
月に照らされたモノクロの世界で、彼の目はもう一度釘付けになった。
アゼルが次の言葉に迷っていた時。
二人の足元が、波打つように大きく揺れた。
「なんですの!?」
「地震か?」
ほんの一、二秒の内に、揺れは激しくなった。
アゼルは岩に飛び乗ると、慌ててリアーナの右腕を掴んだ。
「岩に乗れ!」
液状化や地割れで足場を失わないための避難行動。
アゼルに引き上げられ、彼女は岩肌へとよじ登る。
その瞬間。
目の前の砂地が突然、小山ほどの大きさに盛り上がった。
ドッパーン!!
地震などではなかった。
津波が打ち寄せるような音と共に砂岩を撒き散らしながら、ソイツは現れた。




