第24話 神託ではなく、予測である
神託という言葉は、便利だった。
神が告げた、と言えば、人は理由を求めにくくなる。
当たれば信仰になる。
外れれば、解釈が足りなかったと言える。
誰かが死んでも、神の御心だと言える。
それは、あまりにも便利すぎた。
旧税関倉庫の机には、王都の地図と古代都市の地図が並んでいる。
南門、職人宿、仮設厨房、王立病院、治癒院、教会の祈祷堂、王宮地下。
現在の王都の危険な交点と、古代都市の観測施設らしき場所が、ほとんど重なっていた。
偶然ではない。
そう思うには、線が合いすぎている。
王都水路網との一致率、83%。
神託儀式地点との一致率、78%。
感染拡大線との重複率、64%。
王宮地下祭祀場を通じた情報集約率、不明。
また不明だ。
見えないわけではない。
見えないことだけが、形になって浮かぶ。
それが一番気持ち悪い。
俺は地図の王宮地下に印をつけた。
「これは神託ではない」
誰に向けたわけでもなく、そう言った。
だが、倉庫にいた全員がこちらを見た。
王女エレオノーラ。
イリス。
ミナ。
ラウル副隊長。
トビアス。
そして、地図の上に座るリュカ。
「神託ではない。少なくとも、俺にはそう見える」
王女が静かに聞いた。
「では、何だと?」
「予測です」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が少し軽くなった。
たぶん、ずっとそれを言いたかったのだと思う。
「水の流れ、人の流れ、穀物の量、病人の数、死亡者の数、暴動の兆し。古代都市は、それを集めていた。神の言葉ではなく、観測された情報をもとに未来を推定していたんです」
ミナが古代地図を見つめる。
「つまり、都市全体が災害記録部みたいなものだったってこと?」
「もっと大きく、もっと危険なものだと思う」
「危険?」
「記録するだけならいい。だが、それを神託として出せば、人が動く」
俺は地図の上に指を置いた。
「たとえば、王都南区で暴動が起きる、と神託が出る。すると兵が南区へ集まり、商人が逃げ、物資が止まり、住民は不安になる。結果として、本当に暴動が起きるかもしれない」
ラウルが低く唸った。
「予測が原因になるということですね」
「可能性があります」
ミナが小さく言った。
「自己成就予測」
「そうだ」
研究院でなら、その言葉だけで済んだかもしれない。
だが、ここでは違う。
これは紙の上の理屈ではない。
王都全体が、その理屈の上に乗っているかもしれない。
王女はゆっくり息を吐いた。
「教会は、それを神託として扱ってきた」
「そして、王家はそれを利用してきた」
言ってから、少し踏み込みすぎたと思った。
だが、王女は目をそらさなかった。
「ええ。否定しません。王家は教会の神託を政治に利用してきました。吉兆なら祭りを行い、凶兆なら敵対者を遠ざけ、都合のよい解釈を広める。私は、それを知っていました」
イリスがわずかに目を伏せる。
トビアスは言葉を失っている。
王女は続けた。
「ただ、それが単なる儀式ではなく、古代の予測装置とつながっているとは思いませんでした」
「予測装置かどうかも、まだ確定ではない」
「あなたがそう言うなら、かなり近いのですね」
「嫌な信頼だな」
「必要な信頼です」
王女は地図の王宮地下に目を落とした。
「建国祭当夜、王家と教会は地下祭祀場で神託祈祷を行います。そこで何かが起きると?」
「分からない」
俺は正直に言った。
「ただ、王国崩壊確率99.7%は、その儀式が行われる前提で出ている可能性が高い」
倉庫の空気が沈む。
99.7%。
何度見ても、慣れる数字ではない。
「儀式を止めれば、数字は下がりますか」
イリスが聞いた。
「下がると思う。だが、儀式だけ止めても不十分だろう。疫病と水場と人流はもう動いている。王宮地下は、最後の集約点だ」
ミナがペンを走らせる。
「つまり、やることは3つ。王都内の感染拡大を抑える。建国祭の人流を減らす。王宮地下の神託祈祷を止める」
「4つだ」
俺は言った。
「治癒院の実数を出す」
ミナが顔をしかめた。
「そうだった。そこが一番嫌」
「一番見えない」
リュカが小さく唸った。
治癒院の話になると、必ず反応する。
あそこに何があるのか。
リュカが何を嫌がっているのか。
まだ分からない。
だが、少なくとも無視していい場所ではない。
王女は決断するように背筋を伸ばした。
「王都封鎖計画は進めます。南門、職人宿、仮設厨房、病院裏、治癒院周辺。これらの動線整理は今日中に始めます」
ラウルが頷く。
「衛兵を出します。ただし、職人宿と治癒院周辺では揉めることが予測されます」
「揉めるでしょうね」
「暴動になった場合は?」
王女は少しだけ沈黙した。
「剣を抜く前に、記録を見せます」
ラウルが眉を上げた。
「記録で止まりますか」
「止まらない者もいるでしょう。でも、剣より先に出すものが必要です」
その言葉に、俺は少しだけ驚いた。
王女は、数字や記録を盾として使おうとしている。
俺が研究院でできなかったことを、政治の場でやろうとしている。
正しいかどうかは分からない。
だが、剣より先に記録を出す、という考え方は嫌いではなかった。
「では、記録を作ります」
ミナが言った。
「王立病院の発熱者数、職人宿の重症者、南門水場の接触者、仮設厨房の発熱料理人、治癒院の外部推定。全部、1枚にまとめる」
「大げさに書くな」
俺が言うと、ミナは鼻で笑った。
「あなたじゃないんだから、数字を雑に扱わないわよ」
「俺も雑には扱っていない」
「でも、人に見せる形にするのは下手」
「否定しづらい」
リュカが俺の靴を踏んだ。
「今のは認めた」
リュカは足を離さない。
「かなり下手だと自覚している」
ようやく離した。
ミナが笑った。
その笑いは短かったが、少しだけ空気を軽くした。
だが、長くは続かなかった。
倉庫の扉がまた開いた。
今度入ってきたのは、王女宮の若い使いだった。
彼は顔を青くしている。
「殿下。王太子府より通達です」
王女は書状を受け取った。
封蝋は王太子府のものだ。
彼女は中身を読み、目を細めた。
「王宮前広場の一部整理は認める。ただし、建国祭本祭の縮小、中止、延期に関する発言は禁ずる。王女宮が独断で民心を乱すことを禁じる、と」
予想通りだ。
王太子府は、祭りを止めない。
王女は書状を机に置いた。
「もう1通あります」
使いが言った。
「教会からです」
空気が変わった。
王女が封を切る。
今度の文面は、さらに短かった。
治癒院に対する不当な干渉を慎むこと。
神託祈祷は建国祭の根幹であり、妨げる者は王国の安寧を乱す者とみなすこと。
ベルグラン大司教の署名。
俺は読み終えて、思わず息を吐いた。
「分かりやすく敵対してくれて助かるな」
ミナが頭を抱えた。
「ユリウス、声に出てる」
「出した」
「出さないで」
王女は書状を見つめたまま言った。
「教会は神託祈祷を止める気がありません」
「王太子府も建国祭を止めない」
イリスが続けた。
ラウルが腕を組む。
「つまり、上は全部動かないということですね」
「全部ではありません」
王女が言った。
「私がいます」
その声は静かだった。
自分を大きく見せるための言葉ではない。
ただ、自分の立ち位置を確認する声だった。
「王女殿下」
イリスが心配そうに呼ぶ。
「分かっています。私1人では足りません。ですが、私は王族です。王女宮の印は使える。王女宮の使用人も、侍医も、私に従う衛兵もいる。国王陛下に直接書状を出す権利もある」
「通るのか」
俺は聞いた。
「通らないかもしれません」
王女は地図に手を置いた。
「封鎖計画は進めます。国王陛下への書状も出し、王太子府には、祭りを守るための整理だと報告します。教会には、治癒院の周辺整理に留めると伝え、その間に神託祈祷の中止理由を作ります」
「中止理由?」
トビアスが聞く。
王女は俺を見た。
「神託ではなく、予測であると証明する」
その言葉に、倉庫の中が静まった。
王女は続ける。
「神託が神の言葉なら、止めることは難しいでしょう。ですが、それが古代都市の予測装置なら、病と混乱の中で使うこと自体が危険だと言えます」
「証拠が要ります」
ミナが言った。
「禁書庫の記録だけでは弱い。教会は写しだと言って否定するでしょう」
「原本に近いものは治癒院にある」
俺は言った。
リュカが治癒院の方角を見た。
また毛が逆立つ。
王女は頷いた。
「治癒院へ入る必要があります」
「今のままでは危険です」
「ええ。だから、入る前に外側の記録を固めます。患者数、薬草、洗濯物、食事、馬車。それをもとに、治癒院が実数を隠していることを示す。そこから、治癒院内の神託記録にも調査を入れる」
計画としては、筋が通っている。
だが、時間がない。
建国祭本祭まで、残り2日。
神託祈祷までは、おそらく2日後の夜。
48時間もない。
俺の視界に数字が浮かぶ。
王都封鎖計画初動成功率、37%。
治癒院外部記録取得率、52%。
神託祈祷中止成功率、18%。
建国祭縮小成功率、24%。
王国崩壊確率、99.7%。
最後の数字だけが、やはり重い。
だが、それ以外の数字は0ではない。
いや。
またその言葉に戻りそうになって、俺は少しだけ考えた。
0ではないから動くのではない。
動くことで、0ではない線を太くする。
リーベル村を出る時に、そう思ったはずだ。
俺は地図の上に、4本の線を引いた。
封鎖。
記録。
証拠。
儀式停止。
「1本ずつでは間に合わない。同時に進めます」
ラウルが頷く。
「封鎖は私が」
ミナが言う。
「記録は私が」
イリスが続ける。
「証拠の文書化と命令書は私が」
王女が言った。
「国王陛下と王太子府への対応は私が」
トビアスが小さく手を上げた。
「私は……研究院の動きを見ます。ヴェルナー様が何をするか、少しは分かるかもしれません」
俺は彼を見た。
トビアスは震えていたが、逃げるつもりはなさそうだった。
リュカが近づき、彼の靴を軽く踏んだ。
今度は、トビアスも少し笑った。
「ありがとうございます、でいいのですね」
「たぶんな」
残るのは俺だ。
俺は何をするべきか。
数字を見る。
だが、見すぎない。
判断する。
だが、1人で決めない。
線を引く。
だが、未来を1本に固定しない。
面倒だ。
非常に面倒だ。
それでも、やるしかない。
「俺は全体の線を見る。ただし、決める前に必ず記録で確認する。俺の数字だけで命令は出さない」
王女が頷いた。
「それがいいと思います」
ミナも頷く。
「あなたの数字は強すぎる。だから、私たちが横で紙を見せる」
ラウルが言った。
「現場で無理なら、無理と言う」
イリスも続ける。
「政治的に通らないものは、別案を作ります」
トビアスが小さく言った。
「研究院の妨害は、できる範囲で知らせます」
俺は少しだけ息を吐いた。
自分1人ではない。
その事実を、何度も確認しなければならない。
油断するとすぐ、全部を自分で決めようとする。
そのたびに、誰かに止められる。
セラにも、ミナにも、リュカにも。
たぶん、それでいいのだろう。
神託ではなく、予測である。
予測なら、外れることがある。
予測なら、変えられることがある。
予測なら、誰か1人のものにしてはいけない。
俺は地図の中央に書いた。
神託ではない。
予測である。
ミナがその文字を見て、少しだけ笑った。
「字、汚い」
「読めればいい」
「こういうのは、人に見せるんだから綺麗に書いて」
彼女は俺の横から同じ言葉をきれいに書き直した。
神託ではなく、予測である。
その文字は、俺のものよりずっと読みやすかった。
リュカがその上に前足を置いた。
まるで承認するように。
外では、建国祭の準備の音が続いている。
人々はまだ、祭りが予定通り行われると思っている。
王太子府は止めない。
教会も止めない。
研究院は俺を呼びつけている。
だが、こちらも止まるつもりはなかった。
王国崩壊確率99.7%。
その数字はまだ消えない。
だが、神託ではない。
予測であるなら、まだ覆せる。
俺たちは、そう信じるしかなかった。




