第23話 王都封鎖計画
王都を封鎖する。
口にすれば簡単だった。
だが、地図の上で実際に線を引くと、それがどれほど無茶な話かすぐに分かった。
王都には門が4つある。
南門は商人と職人の入口。
東門は貴族街と王宮へ向かう客の入口。
西門は王立病院と教会関係者の出入り口。
北門は軍と王宮の補給路。
そのすべてを閉じれば、王都は確かに止まる。
だが、止まりすぎる。
食糧も薬草も入らず、病人も運べず、兵も動けず、怒った商人と貴族と神官が同時に騒ぎ出す。
全面封鎖時の暴動発生率、78%。
王都内部の食糧不足発生率、5日以内で44%。
王太子府による封鎖解除命令発生率、91%。
駄目だ。
全面封鎖は、数字の上でも現実の上でも悪い。
「全面封鎖ではない」
俺は地図に細い線を引いた。
「流れの交点だけを閉じる」
ミナが身を乗り出す。
「交点?」
「人と水と発熱者が重なる場所だ。南門水場、東職人宿、王宮前仮設厨房、王立病院裏手の洗い場、治癒院周辺。この5か所を、それぞれ別の理由で止める」
「別の理由?」
「同じ理由で全部止めると、反発が1つにまとまる。南門は水場整理。職人宿は発熱者確認。仮設厨房は献立変更と衛生確認。病院裏は洗濯動線の分離。治癒院周辺は患者搬送路の整理。目的を分ける」
ラウルが腕を組んだ。
「封鎖ではなく整理と言うわけですね」
「言葉で反発が少し下がるなら使うべきだ」
「珍しく言葉を選びましたね」
「最近、何度も怒られたので」
ミナが小さく笑った。
リュカは地図の上で、南門から王宮前広場へ伸びる線を前足で押さえている。
そこから何度も視線を治癒院へ向ける。
やはり、あの場所が問題なのだ。
王女エレオノーラは地図を見ながら言った。
「南門と仮設厨房は、王女宮の命令で動かせます。王立病院は、病院長に私から文書を出します。職人宿は王太子府の儀典官が抵抗するでしょう」
「なぜです」
トビアスが聞いた。
王女は淡々と答える。
「観覧席の完成が遅れるからです。建国祭の席次は、王都では命より重く扱われることがあります」
「最悪ですね」
ミナが思わず言った。
「ええ。最悪です」
王女は即答した。
俺は職人宿の上に線を引く。
東職人宿、24時間以内の死亡者発生率、34%。
発熱者確認と水場分離後、18%。
作業班移動停止後、12%。
「職人宿は止める」
「どうやって」
ラウルが聞く。
「発熱者を理由にする。作業遅延ではなく、労働力保護と言う。倒れた職人を放置すれば、観覧席はもっと遅れる」
「それなら儀典官も聞くかもしれません」
イリスが言った。
「王太子府は建国祭を止めたくない。なら、祭りを続けるために一部作業班を止める、という形にする」
「詭弁ですね」
ミナが言う。
「政治では、詭弁も道具だろう」
王女が静かに返した。
その横で、リュカが俺の靴を踏んだ。
「俺は今、嘘をついていない」
リュカはじっと俺を見る。
「……詭弁ではあるが、嘘ではない」
リュカは足を離した。
面倒な判定役だ。
だが、今は助かる。
嘘と詭弁の境目が、この王都では命に関わる。
「治癒院周辺はどうしますか」
イリスが聞いた。
倉庫の空気が少し重くなった。
数字が見えない場所。
白い獣が嫌がる場所。
教会が実数を出さない場所。
「治癒院そのものには、まだ入らない」
俺は言った。
「入れない、ではなく?」
王女が聞く。
「入るには材料が足りない。教会と正面衝突すれば、封鎖計画全体が止まる。まず周囲を分ける。搬送馬車の入口、薬草搬入口、洗濯物の出口、食事搬入口。4つに分けて記録する」
「中は見えなくても、外側の流れは見える」
ミナが頷く。
「そうです」
「記録係が必要ね。災害記録部から出せる人間は少ないけど、私が手配する」
「研究院に気づかれる」
「もう気づかれてるわよ、たぶん」
その時、倉庫の外で足音がした。
ラウルがすぐに手を上げ、衛兵たちが扉の前へ動く。
扉が開き、若い衛兵が顔を出した。
「副隊長。王太子府の儀典官が、王女殿下をお探しです」
王女は表情を変えなかった。
「予想より早いですね」
「南門と仮設厨房の件が伝わったようです」
ラウルが苦い顔をする。
王女は地図から目を離し、俺を見た。
「来ます」
「だろうな」
「あなたを表に出すと、研究院と王太子府が同時に反発します」
「隠れた方がいいと?」
「いいえ。隠れれば、あなたが怪しい陰謀の中心にされます」
「では」
「表に出ます。ただし、話す順番を決めます」
王女はすぐに指示を出した。
「ラウル副隊長は、南門の水場整理を治安維持の問題として説明してください。イリスは命令書の写しを。ミナは王立病院の発熱者記録を持って。ユリウス殿は、最初は黙っていてください」
「なんでだ」
「あなたが最初に話すと、相手が怒るからです」
誰も否定しなかった。
ひどいが、正しい。
「必要な時だけ話してください。短く」
「努力する」
リュカが俺の靴を踏んだ。
「……短く話す」
王女は少しだけ笑った。
倉庫の扉が大きく開いた。
入ってきたのは、細身の男だった。
豪華な緑の上衣に、儀典官の金の飾り。髪は油で整えられ、香水の匂いがする。
王太子府儀典官、アルノルト・フェルゼン。
俺は名前を知らなかった。
だが、彼の立ち方だけで、こちらを下に見ていることは分かった。
アルノルトは王女に深く礼をした。
「エレオノーラ殿下。南門と仮設厨房で、何やら混乱が起きていると聞きました」
「混乱ではありません。感染拡大を防ぐための整理です」
「感染拡大、ですか。まだ正式な発表はございませんが」
「正式な発表を待ってからでは遅いのです」
「建国祭を目前に、不確かな情報で人心を乱すのは危険です」
不確かな情報。
人心を乱す。
また同じ言葉だ。
王女は静かに言った。
「発熱者は王立病院の記録にあります」
ミナが書類を差し出す。
アルノルトはそれをちらりと見ただけだった。
「医療の詳細は、王太子府ではなく衛生局と教会が判断することです」
「では、衛生局を呼びます」
「今は祭礼準備が優先です」
矛盾している。
判断するのは衛生局だと言いながら、衛生局を呼ぶことは優先しない。
ミナが何か言いかけたが、王女が目で制した。
アルノルトの視線が、ようやく俺に向く。
「そちらが、噂の統計士ですか」
「ユリウス・レインだ」
「研究院を解任されたとか」
アルノルトは薄く笑った。
「そのような方の助言で、王都の水場を動かしているのですか」
王女が答える前に、リュカが低く唸った。
倉庫の中の空気が変わる。
アルノルトはリュカを見て、眉をひそめた。
「その獣は何です」
「同行者です」
「王都に得体の知れない獣を入れるとは」
「得体の知れない記録を神託として扱うよりはましだろ」
言ってしまった。
短く話す、とは言った。
短くはあった。
王女が額に手を当てた。
ミナは目を閉じた。
ラウルは少し笑いそうになっている。
アルノルトの顔が赤くなった。
「神託を侮辱するのか」
「発熱者数を確認すべきだと言ってるだけだ」
「その口の利き方で、王太子府に意見が通るとでも?」
「通す相手を選んでいるだけだ」
「何?」
王女が一歩前へ出た。
「アルノルト卿。南門水場の整理と仮設厨房の水桶分離は継続します。東職人宿の発熱確認も行います」
「殿下、それは王太子殿下の儀典計画に」
「職人が倒れれば、観覧席は完成しません」
アルノルトは口を閉じた。
王女は続ける。
「祭りを続けたいなら、職人を守りなさい。水を分けるなと言うなら、その名で反対文を残します」
反対文。
その言葉に、アルノルトの顔色が変わった。
記録に残る。
王都で何か起きた時、自分が反対した証拠が残る。
王女はよく分かっている。
人は正しさでは動かないことがある。
だが、責任の所在では動く。
アルノルトはしばらく黙っていた。
やがて、硬い声で言った。
「……職人宿の確認に限り、認めます。ただし、建国祭の中止や延期はあり得ません」
「今はそれで結構です」
王女は一歩も引かなかった。
アルノルトは俺を睨んだ。
「統計士殿。あなたの数字遊びで王都が混乱したら、責任は誰が取るのです」
「混乱を避けるために何もしなかった場合の責任者を先に決めるか」
アルノルトの顔がさらに赤くなる。
ミナが小さく「短く」と呟いた。
短かった。
だが、確かに余計だったかもしれない。
王女が話を切った。
「アルノルト卿。王太子殿下には、私から報告します」
「……承知しました」
儀典官は深く礼をし、怒りを隠しきれない足取りで倉庫を出ていった。
扉が閉まる。
倉庫の中に、重い沈黙が残った。
ミナが最初に口を開いた。
「あなた、昔からああだったけど、少しは丸くなったと思ってた」
「短く話した」
「刺さるものを短く投げたら、余計に痛いのよ」
「勉強になる」
リュカが俺の靴を踏んだ。
「反省している」
リュカは足を離さない。
「少しは」
ようやく離した。
王女は小さく息を吐いた。
「ですが、これで職人宿の確認は進められます」
「その代わり、王太子府に警戒されたな」
「いずれ警戒されます。早いか遅いかの違いです」
王女は地図を見た。
「次に来るのは研究院でしょう」
その予測は当たった。
まだ倉庫の空気が落ち着かないうちに、外から別の使者が来た。
王立研究院からだった。
手紙には、オスカー・ヴェルナーの署名がある。
内容は短い。
ユリウス・レインは、速やかに王立研究院へ出頭せよ。
王都における無許可の指示、王女宮との独断接触、および不確かな予測による混乱誘発について、説明を求める。
俺は読み終えて、手紙を机に置いた。
「戻る理由がまた減ったな」
ミナが頭を抱えた。
「お願いだから、研究院ではその言い方をしないで」
「行く必要はありますか」
イリスが聞いた。
俺は地図を見た。
研究院へ行った場合の拘束リスク、46%。
王都封鎖計画遅延率、62%。
研究院の記録入手率、58%。
オスカー説得成功率、12%。
低い。
だが、研究院の記録は必要だ。
教会の神託記録、王立病院の実数、薬草流通、過去の死亡記録。
それらは研究院にもある。
俺は息を吐いた。
「今は行かない。封鎖計画を先に動かす」
「では、研究院は敵に回ります」
トビアスが言った。
「もう半分回っている」
「残り半分は?」
「ミナがいる」
ミナが驚いたように俺を見た。
「私?」
「災害記録部の記録を守ってくれ。俺が研究院に戻る前に、必要な写しを取る。薬草流通、死亡記録、過去の神託関連災害、建国祭時の病院記録」
「できるけど……見つかったら、たぶん怒られるわね」
「怒られるだけで済むか」
「あなたほどではないと思う」
「それは安心だ」
「安心しないで」
ミナは呆れた顔をしたが、書類をまとめ始めた。
ラウルは職人宿へ向かう準備を整える。
イリスは王女宮への連絡文を書く。
王女は国王への接触経路を確認している。
封鎖計画は、動き始めた。
全面封鎖ではない。
部分封鎖。
流れの交点を切る。
未来を1本に固定しないために、複数の線を同時に細くする。
リュカは地図の上で、王宮地下の印をまだ押さえていた。
そこが最終的な交点だと、言っているようだった。
俺はその小さな前足を見た。
王都封鎖計画は始まった。
だが、本当に封じなければならないものは、病だけではない。
神託と呼ばれてきた古い仕組み。
未来を固定しようとする人間の欲。
そして、俺自身が見てしまう数字。
そのすべてを相手にするには、まだ線が細すぎた。




