第22話 崩壊確率99.7%
旧税関倉庫の机の上に、王都の地図が広げられた。
南門。
職人宿。
王宮前広場。
王立病院。
治癒院。
水場。
荷下ろし場。
教会の祈祷堂。
それぞれに、ミナが赤い印をつけていく。
「発熱者が出ている場所は、今のところこの5か所。重症者は東職人宿に2人、南門荷下ろし場に1人。王立病院には74人。ただし、治癒院は推定で30人以上」
「推定ではなく、実数が欲しい」
俺が言うと、ミナはむっとした顔をした。
「分かってるわよ。でも、教会が出さないの。今は外側から数えるしかないでしょう」
「責めていない」
「顔が責めてる」
「顔の統計は専門外だ」
「なら、その顔をやめて」
王女が小さく咳払いをした。
笑いを隠したのか、場を戻したのかは分からない。
リュカは地図の中央に座っている。
邪魔だ。
だが、どかない。
リュカの尾が、地図の上をゆっくり動く。
南門から王宮前広場へ。
王宮前広場から治癒院へ。
治癒院から教会の祈祷堂へ。
そして、祈祷堂から王宮地下へ。
王宮地下。
地図には何も描かれていない場所だ。
「そこに何がある」
俺が聞くと、王女の表情が変わった。
「どこですか」
リュカの尾が示した場所を指す。
王女はしばらく黙った。
イリスも同じ場所を見る。
2人の間に、短い沈黙が落ちた。
「王宮の地下には、古い祭祀場があります」
王女が言った。
「建国以前の遺構を、王宮が取り込んだものです。今は使われていないと聞いています」
「今は?」
「少なくとも、表向きは」
表向き。
その言葉は、王都に来てから何度も聞いた。
表向きは治癒院。
表向きは神託。
表向きは建国祭。
表向きは混乱を避けるため。
表向きが多すぎる場所は、たいてい裏側が腐っている。
リュカが地図の上で低く唸った。
王女はイリスへ目を向ける。
「禁書庫の古地図を」
「はい」
イリスが革筒から古い写しを取り出した。
黄ばんだ紙に描かれているのは、現在の王都ではない。
建国以前の古代都市の地図だった。
ただし、川の位置と丘の形は、今の王都とほとんど同じだ。
イリスが現代の地図の横に古地図を置く。
俺は2枚を見比べた。
南門の水場。
王宮前広場。
治癒院。
祈祷堂。
王宮地下。
それらの場所が、古地図の上では別の名で記されている。
水の門。
集いの広場。
癒やしの塔。
観測堂。
中枢祭壇。
俺の視界に、線が浮かんだ。
青黒い水の線ではない。
赤でもない。
もっと薄い、銀色に近い線。
それが古地図と現代地図の上で重なり合う。
線は王都全体を囲み、最後に王宮地下へ集まっている。
未来予測術式との一致率、不明。
王都水路網との一致率、83%。
神託儀式地点との一致率、78%。
感染拡大線との重複率、64%。
頭の奥が軋んだ。
「……同じだ」
俺は言った。
ミナが顔を上げる。
「何が?」
「古代都市の線と、今の王都の人流と水の線が重なっている」
王女は地図を見つめた。
「つまり、王都は古代都市の上に建っているだけではなく、その仕組みを使い続けている、ということですか」
「可能性はある」
「仕組みって何よ」
ミナが聞いた。
俺は答えようとして、言葉を探した。
水路。
人流。
祭祀場。
観測堂。
神託。
災厄記録。
数を見る者。
災厄探知獣。
それらが、ばらばらではなく1つの仕組みに見え始めている。
「未来を読むための都市構造」
そう口にした瞬間、倉庫の空気が冷えた。
自分でも馬鹿げた言い方だと思った。
だが、ほかに言いようがなかった。
「都市そのものを使って、人の流れ、水の流れ、病、飢え、暴動の兆しを集める。神託と呼ばれてきたものは、その集計結果だったのかもしれない」
「集計結果」
ミナが呟く。
「でも、それならなぜ教会が隠すの」
「神託として扱った方が、権威になるからです」
王女が言った。
「災害予測なら、外れることもある。説明責任も生まれる。けれど神託なら、解釈する者が力を持ちます」
イリスが静かに頷いた。
トビアスは青い顔で地図を見ている。
ラウルは腕を組み、低く言った。
「つまり、王都の病と祭りは、その古い仕組みに乗って広がっているということですか」
「病そのものは仕組みのせいではない」
俺は言った。
「ただ、人と水を集める構造が、病を広げる道にもなっている。そして、建国祭はその流れを最大にする」
王女の顔色がわずかに変わった。
「建国祭では、王宮地下の祭祀場を使います」
倉庫の中が静かになった。
俺は王女を見た。
「使われていないと聞いていると言っていたはずだ」
「表向きは、です。建国祭当日の夜、王家と教会だけで行う祈祷があります。私は儀式に出たことはありません。王太子と国王、教会の上層部だけが参加します」
「それは何のための儀式だ」
「王国の未来を占うため、と聞いています」
リュカが強く唸った。
初めて聞くほど低い声だった。
王女も、ミナも、ラウルも動きを止める。
白い獣の毛が逆立っている。
怒っている。
いや、怯えているのかもしれない。
その両方かもしれない。
俺の視界に数字が浮かぶ。
建国祭当夜の神託祈祷実施率、91%。
王宮地下祭祀場使用率、88%。
王都全域の人流集中率、最大。
治癒院未記録患者の移動可能性、36%。
感染拡大率、84%。
暴動発生率、43%。
王都機能不全発生率、68%。
数字が連鎖する。
止まらない。
疫病。
薬草不足。
水場混乱。
職人宿の重症者。
治癒院の隠し記録。
教会の神託。
王宮地下の祭祀場。
建国祭の人流。
王太子府の体面。
研究院の遅れ。
それらが1本の太い線になって、王国全体へ伸びていく。
王国崩壊確率、99.7%。
最初に見た数字が、再び浮かんだ。
黒いほど濃く。
紙に書いた数字ではない。
俺の視界の中央に、はっきりと。
99.7%。
息が止まった。
膝が揺れる。
リュカが机から飛び降り、俺の胸元に前足をかけた。
見すぎるな。
そう言っている。
だが、見えてしまった。
「ユリウス!」
ミナの声が遠い。
王女が何かを言っている。
イリスが水を持ってくる。
ラウルが周囲を警戒する。
トビアスが椅子を引く。
全部が遠かった。
99.7%。
見たくない。
だが、視界の中央から消えない。
その数字が、まるで未来を閉じる蓋のように重くのしかかる。
「……これだ」
俺はかすれた声で言った。
「最初に見た数字」
「王国崩壊確率」
ミナが呟いた。
「99.7%」
王女の顔が白くなる。
トビアスは言葉を失った。
ラウルですら、表情を硬くした。
ミナは震える手でペンを握った。
「原因は、疫病だけじゃないのね」
「ああ」
俺は椅子に座らされながら答えた。
「疫病は入口だ。薬草不足も、水場も、建国祭も、教会も、研究院も、全部つながっている。王都の古い仕組みが、人と水と記録を集めている。そこに病が乗った」
「神託祈祷が行われたら?」
王女が聞いた。
俺は王宮地下の印を見た。
数字が濃くなる。
見たくない。
だが、言わなければならない。
「王都全体の流れが、そこへ集まる。人も、情報も、病も。不安も。教会が神託を出せば、人はその言葉に従って動く」
「未来が固定される」
ミナが言った。
俺は頷いた。
「そうかもしれない」
王女は地図に手を置いた。
「建国祭を止める必要があります」
「止めるだけでは足りないかもしれない」
俺は言った。
「人流を分散する。水場を分ける。職人宿を封じる。治癒院の実数を取る。王宮地下の儀式を止める。神託を出させない」
「それは、王太子府と教会の両方を敵に回します」
「もう十分敵のようなものだ」
ラウルが低く笑った。
「乱暴な言い方だが、分かりやすいですね」
王女は笑わなかった。
彼女は地図を見つめていた。
「国王陛下を動かすには、証拠が足りません」
「証拠を集める」
「時間がありません」
「知っている」
「王太子府は建国祭を止めません」
「止める理由を作るしかない」
ミナが顔を上げた。
「職人宿の重症者、南門の発熱者、治癒院の推定患者、水場の汚染、薬草不足。全部まとめれば、少なくとも縮小の根拠にはなる」
「縮小では足りない」
俺は言った。
「封鎖が必要だ」
言った瞬間、倉庫の中が静まり返った。
「王都を?」
トビアスが震える声で聞く。
「全体ではない。まず南門と王宮前広場。発熱者の出た職人宿。仮設厨房。治癒院周辺。流れの交点を封じる」
ラウルの目が細くなる。
「部分封鎖ですか」
「ああ」
「暴動が起きるでしょう」
「そうだろうな。暴動発生率は43%。何もしなければ、もっと悪いことが起きる」
ラウルはしばらく黙り、やがて頷いた。
「必要なら、衛兵を動かします。ただし、王女殿下の命令だけでは限界があると考えてください」
王女は静かに言った。
「国王陛下の署名を取りに行きます」
イリスが顔を上げた。
「殿下。それは」
「王太子府を通せば止められます。なら、直接行くしかありません」
「通してくれると思いますか」
「思いません」
王女は俺を見た。
「ですから、別の道を用意します」
未来を1本に絞らない。
王女はもう、それを理解している。
俺は地図を見た。
99.7%の数字は、まだ薄く残っている。
だが、その周囲に小さな線がいくつか現れ始めた。
南門封鎖。
職人宿隔離。
治癒院外部調査。
王宮地下儀式停止。
建国祭縮小。
どれも細い。
成功率は高くない。
だが、線は1本ではない。
未来は、まだ完全には閉じていない。
リュカが地図の上に乗り、王宮地下の印を前足で押さえた。
そこだ。
そう言っているようだった。
俺は頷いた。
「まずは王都封鎖計画を作る」
誰も反対しなかった。
外では、建国祭の鐘が試しに鳴らされていた。
明るく、澄んだ音だった。
王都の人々は、祭りが近づいていると思っている。
俺たちは、その鐘の下で、王都の一部を閉じる計画を立て始めた。
王国崩壊確率、99.7%。
その数字はまだ消えない。
だが、初めて俺は、その数字をただ見つめるのではなく、切り崩すべき壁として見た。




