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“役立たずの統計士”と追放された俺、死亡率が見える能力で王国崩壊を回避していたら、白い聖獣に懐かれました  作者: くるみ


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18/31

第18話 神託の記録

 旧税関倉庫は、南門の東にあった。


 王都へ入る荷から税を取っていた古い建物で、今はほとんど使われていないらしい。石造りの壁には蔦が這い、入口の看板は半分腐っている。建国祭の華やかな旗が揺れる大通りから少し外れただけで、空気が急に湿っぽくなった。


 隠れて話すには、都合がいい場所だ。

 だからこそ、嫌な場所でもある。

 王都の南門では、今日も人が流れ込んでいる。

 商人、職人、旅芸人、貴族の従者、神殿の巡礼者。

 その誰もが、同じ水場を使い、同じ門を通り、同じ祭りへ向かっている。

 俺の視界には、いくつもの線が浮かんでいた。

 水の線。

 人の線。

 発熱の線。

 嘘の線。


 そのどれもが、南門の内側で絡まり合っている。

 南門周辺、24時間以内の接触者数、推定1,400人。

 発熱者混入率、4.6%。

 水場共有者、推定520人。

 建国祭強行時の大規模感染発生率、76%。

 昨日より、少し悪い。

 たった1日で悪くなる。

 だから、待てない。


「こちらです」


 イリスが倉庫の裏口を開けた。

 中は薄暗かった。

 埃の匂いと、古い木箱の匂いがする。窓には布がかけられ、外から中の様子は見えない。入口付近に南門衛兵隊の男が2人立っている。どちらも若くはない。飾りの兵ではなく、実務を知っている顔だった。

 倉庫の奥に、簡素な机が置かれていた。


 その前に、1人の女性が立っている。

 年は20代半ばだろうか。

 深い青の外套を羽織り、金色の髪を低い位置でまとめている。宝石はほとんど身につけていない。だが、姿勢と視線だけで、ただの貴族ではないと分かる。

 エレオノーラ・アルデリア王女。

 王位継承順位は高くないが、王宮内では記録と外交に強い王女として知られている。

 少なくとも、俺の記憶の中ではそうだった。

 王女は俺を見ると、軽く頭を下げた。


「ユリウス・レイン殿。追放した上、急な呼び立てをお許しください」


 王族に頭を下げられると、反応に困る。

 こちらも礼をするべきなのだろうが、どの深さが正解なのか分からない。

 俺は少しだけ頭を下げた。


「王女殿下が、追放された統計士に頭を下げる必要はありません」


 トビアスが横で小さく息をのんだ。

 イリスは無表情だったが、目だけが少し笑っている。

 王女は驚かなかった。


「追放したのは研究院であって,王女殿下ではないはずです」


「ですが王国の機関です。王族の一人として謝罪いたします」


 まっすぐな言葉だった。

 まっすぐすぎて、疑いたくなる。

 俺の視界に数字が浮かぶ。

 エレオノーラ王女、情報隠匿率、41%。

 敵対率、6%。

 協力意図、73%。

 政治的利用意図、52%。


 正直だが、無垢ではない。

 当然だ。

 王族が無垢で生きていけるはずがない。

 リュカが俺の肩の上から王女を見ている。

 唸らない。

 ただ、じっと見ている。

 王女もまた、リュカを見た。

 その目が、ほんの一瞬だけ揺れる。


「その子が、白い獣ですね」


「リュカです」


「リュカ」


 王女は小さく名を繰り返した。

 リュカの耳が動く。

 王女は手を伸ばさなかった。

 それは賢明だった。


「古い記録に、その姿に似た獣が出てきます」


「王宮禁書庫の災厄記録ですね」


 王女はイリスを見た。

 イリスがわずかに頭を下げる。


「お伝えしました」


「そう」


 王女は机の上に置かれた革表紙の冊子へ手を置いた。


「では、話が早いですね」


「早い話ほど、たいてい既に遅れています」


「耳が痛い言葉です」


「事実です」


「ええ」


 王女は頷いた。

 ここまで簡単に頷かれると、逆にやりづらい。

 研究院の人間なら、まず反論する。

 王太子府なら、体面の話をする。

 王女は、事実です、と言った。

 その言葉に嘘の匂いはなかった。

 リュカも反応しない。


「まず王都の状況を確認したい」


 俺は言った。


「南門の水場、職人宿、仮設厨房、王立病院裏の洗い場。この4つを今すぐ分ける必要があります。建国祭の人流を減らすか、少なくとも発熱者と南部荷扱い者を会場準備から外すべきです」


「あなたの先触れは読みました」


「一部は止められたと聞きました」


「止めた者の名も把握しています」


「なら適切な対応を」


「後でします」


 王女の声は静かだった。


「今は、人を動かす方が先です」


 俺は少しだけ黙った。

 その判断は正しい。

 腹立たしさを処理しても、発熱者は減らない。


「あなたも慣れないなら口調を崩してもらって構いませんわ」


「じゃあ、遠慮なく」


「南門衛兵隊の副隊長を呼んでいます」


 王女が言うと、奥にいた壮年の男が一歩前へ出た。


「副隊長のラウル・ベックです」


 日焼けした顔に、短く刈った髪。肩幅が広く、声が低い。

 ラウル、命令実行率、82%。

 政治的忖度率、18%。

 現場判断力、76%。

 悪くない。


「南門の水場を分けられるか」


 俺が聞くと、ラウルはすぐに答えた。


「命令があれば可能です。ただし、商人が騒ぎます」


「騒がせていい。水桶を共有させるな。飲用、洗浄、馬用を分ける。発熱者は門内へ入れず、別の場所へ」


「発熱者を見分ける人手が足りません」


「職人宿と荷下ろし場から優先して見る。全員を完全に見る必要はない。広がる場所から手を入れる」


 ラウルは眉を寄せたが、反論はしなかった。


「分かりました」


 王女がイリスへ目を向ける。


「私の印で命令書を出します。衛生局を待たずに動かして」


「はい」


 イリスはすぐに紙を広げた。

 動きが速い。

 王宮の人間にしては、無駄な確認が少ない。

 王女は俺へ向き直った。


「あなたには、このあと南門の水場を直接見ていただきたい。ただ、その前に見せたい記録があります」


「今か」


「今です」


「発熱者は増えている」


「その発熱者が増えている理由に、関係するかもしれません」


 その言葉で、リュカが初めて王女に向かって小さく唸った。

 敵意ではない。

 警戒。

 王女は動かなかった。


「白い獣は、嘘を嫌うと聞いています」


「誰から」


「イリスから。正確には、あなたの先触れを運んだ者たちの噂から」


「噂は速いな」


「王都では、特に」


 王女は革表紙の冊子を開いた。

 古い紙の匂いが広がる。

 文字は現在の王国文字ではない。古語に近い。俺も研究院で少しだけ読んだことがあるが、すらすら読めるほどではない。

 王女はその中の一節を指で示した。


「これは建国以前の記録です。王国が成立する前、古代都市群が崩壊した時代のものとされています」


「なぜ禁書庫に」


「王家と教会が、長く管理してきたからです」


「管理というより隠蔽では」


 トビアスがまた小さく息をのむ。

 王女は気にしなかった。


「ここに、こうあります。白き小獣、災いの前に現る。井戸に伏し、穀に牙を向け、虚言の者を避く。人の目には獣なれど、数を見る者の傍を離れず」


 数を見る者。

 俺の手が止まった。

 リュカが肩の上で体を硬くする。


「続きは」


 俺の声は、自分でも分かるほど低かった。

 王女はページをめくった。


「数を見る者、王を救うにあらず。数を用い、数に縛られ、やがて数に呑まる。白き小獣、その者の傍にありて、災いの線を嗅ぐ」


 倉庫の中が静まり返った。

 ラウルも、イリスも、トビアスも、何も言わない。

 俺は笑おうとした。

 無理だった。


「古い比喩だろう」


 リュカが俺の頬を尾で叩いた。

 痛くはない。

 だが、嘘をつくな、と言われた気がした。

 王女は静かに俺を見ている。


「私も、最初は比喩だと思いました。ですが、あなたの報告書には、崩壊確率という言葉がありました」


「統計的推測だ」


「南部の疫病を止めた」


「井戸の汚染を見つけただけだ」


「麦倉の損失を予測した」


「湿気と鼠を見た」


「魔物の進路を読んだ」


「地形を見れば」


「そして、その白い獣はあなたから離れない」


 反論が止まった。

 リュカは肩の上で動かない。

 王女は冊子を閉じた。


「私は、あなたを神託の人間として扱うつもりはありません」


「神託などではない」


「ええ。私もそう思います」


 俺は王女を見た。


「どういう意味だ」


「この記録は、長く神託と呼ばれてきました。けれど、私には違うものに見えます」


 王女は机の上に、もう1枚の紙を広げた。

 それは古い記録の写しではない。

 現代語で整理された表だった。

 古代都市の井戸の異常。

 穀物庫の損失。

 人口移動。

 獣の移動。

 発熱者数。

 暴動。

 崩壊。

 それらが、年ごと、地域ごとに並べられている。


 俺はその表を見た瞬間、息をのんだ。

 これは神話ではない。

 記録だ。

 災害記録。

 それも、かなり精密な。


「神託ではありません」


 王女が言った。


「これは、おそらく予測の記録です」


 視界の端に数字が浮かぶ。

 王宮災厄記録、現在の王都危機との一致率、64%。

 白い獣との関連性、不明。

 数を見る者との関連性、71%。

 古代都市群崩壊との構造的類似、58%。

 頭の奥が痛む。

 俺は机に手をついた。

 リュカが肩から机へ降り、冊子の上に前足を置いた。

 王女もイリスも動かなかった。

 リュカは古い文字の一節を押さえている。

 白き小獣。

 数を見る者。

 災いの線。

 俺はリュカを見た。


「お前、知っているのか」


 リュカは答えない。

 答えられないのか、答えないのか。

 それすら分からない。

 ただ、薄い金色の目が、こちらを見上げていた。

 今までで一番、人間のような目だった。

 王女が静かに言った。


「王家と教会は、この記録を神託として扱ってきました。未来を知るためのものとして」


「未来を知るため」


「ええ。そして、その神託の管理を担ってきたのが教会です」


 教会。

 治癒魔法の実施件数。

 実数の不明な発熱者記録。

 神託。

 王宮禁書庫。

 白い獣。

 線が増える。

 水の線ではない。

 人の線でもない。

 もっと古い線だ。

 王都の地下深くから、王宮と教会と研究院へ伸びているような、見えない線。

 俺は目を閉じた。

 見すぎるな。

 リュカの前足が、俺の手に触れた。

 小さい。

 温かい。

 少しだけ、呼吸が戻る。


「王女殿下」


 俺は目を開けた。


「今すぐ神託の話を深掘りする余裕はない」


「分かっています」


「南門の水場を止める。職人宿を分ける。仮設厨房を確認する。発熱者を会場から外す。まずそれだ」


「ええ」


「ただし、そのあとで、この記録を全部見せてください」


 王女は頷いた。


「そのつもりです」


「教会には」


「知らせません」


 リュカは唸らなかった。

 王女は少なくとも、その点では本気らしい。

 ラウルが命令書を受け取り、衛兵たちを連れて外へ出た。

 イリスはさらに数枚の書類を書き始める。

 トビアスは隅で青い顔をしていたが、逃げなかった。


 俺は古い冊子をもう一度見た。

 神託の記録。

 そう呼ばれてきたもの。

 だが、そこに並んでいたのは、井戸、穀物、人口移動、病、暴動、崩壊だった。

 神ではない。

 少なくとも、俺にはそう見えた。

 それは、誰かが世界を観察し、記録し、予測しようとした痕跡だ。

 そして、その先に何があったのか。

 古代都市群は崩壊した。

 数を見る者は、数に呑まれる。

 白い小獣は、その傍を離れない。

 俺はリュカを見た。

 リュカは何も言わない。

 だが、俺から目をそらさなかった。

 倉庫の外では、南門の人波がまだ動いている。

 王都は祭りの準備を続けている。


 俺は、神託の記録を閉じた。

 今はまず、水を分けなければならない。

 未来が何であれ、人は今日の水で倒れるのだから。

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