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“役立たずの統計士”と追放された俺、死亡率が見える能力で王国崩壊を回避していたら、白い聖獣に懐かれました  作者: くるみ


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17/31

第17話 王女の密使

 宿場町から先触れを出した翌朝、俺たちは王都へ向かった。


 トビアスは昨日より口数が少なかった。

 彼が隠していた王立病院の記録は、俺の荷袋の奥にある。召喚状とは別に持たされ、俺には見せるなと言われていた紙束だ。

 その紙束があるだけで、トビアスの背中は少し小さく見えた。

 責める気はなかった。

 だが、同情だけで状況がよくなるわけでもない。

 王都の発熱患者は、すでに増えすぎている。


 発熱患者、推定64人。

 王立病院収容余力、残り22床。

 薬草在庫、通常時の31%。

 建国祭強行時の大規模感染発生率、74%。


 この数字が正しいなら、王都はもう警告の段階を過ぎている。

 処置の段階だ。

 それなのに、研究院は召喚状に「専門的知見を求める」などと書いた。

 知見。

 便利な言葉だ。

 責任を渡さず、作業だけさせたいときに使う。

 俺は馬上で手帳を開き、王都到着後の順序を書いた。


 南門の井戸。

 職人宿。

 王宮前広場の仮設厨房。

 王立病院裏手の洗い場。

 薬草倉庫。

 祭りの観覧席。

 どこから見るべきか。

 全部は見られない。

 全部を同時に止めることもできない。

 だから、最も広がる場所から止める。

 人の流れと水の流れが交わる場所。

 そこを切る。


「レイン殿」


 前を行くトビアスが声をかけてきた。


「王都へ入ったら、まず研究院へ向かいます。ヴェルナー様が待っていますので」


「先に南門の井戸を見る」


「ですが」


「王都に入る人間と荷が最初に触れる水場だ。そこを見ずに研究院へ行く意味は薄い」


「召喚状では、研究院へ出頭と」


「俺は研究院の人間ではない」


 同じことを、もう何度も言っている。

 トビアスは困った顔をしたが、言い返さなかった。

 肩の上でリュカが尾を揺らす。

 王都が近づくにつれ、リュカは落ち着かなくなっていた。

 何度も空気の匂いを嗅ぎ、王都の方角を睨む。

 白い毛はまだ逆立っていない。

 しかし、耳がずっと伏せられている。


「嫌な匂いでもするのか」


 俺が小さく聞くと、リュカは俺の襟を前足で押さえた。

 逃げるな、という意味にも見える。

 行くな、ではない。

 少なくとも、今は。

 昼前、王都の城壁が見えた。

 高い石壁と、青い屋根の尖塔。

 遠くから見る王都は、相変わらず立派だった。

 建国祭を控えた旗が風に揺れている。南門の外には荷馬車が列を作り、商人や職人、旅芸人たちが入都の順番を待っていた。

 これだけの人が、一つの門から入っていく。

 それだけで、数字が浮かぶ。


 南門周辺、24時間以内の接触者数、推定1,200人。

 水場共有者、推定460人。

 発熱者混入率、3.8%。

 発熱者がそのまま入都した場合の二次感染発生率、61%。

 低くない。

 いや、高い。

 俺は手綱を握り直した。

 その時、門へ続く列の横から、1台の荷馬車がゆっくり近づいてきた。

 野菜を積んだ、ごく普通の荷馬車に見える。


 だが、リュカが反応した。

 白い毛がふわりと膨らむ。

 敵意ではない。

 警戒。

 荷馬車の御者台に座っていたのは、灰色の外套を着た女だった。

 年は30前後。栗色の髪を布で隠し、商人の妻のような格好をしている。

 だが、手綱を持つ手が商人のものではない。

 指先にペンだこがある。

 馬の扱いにも慣れているが、荷を運ぶ者の粗さがない。

 俺の視界に数字が浮かぶ。


 身分偽装率、92%。

 敵対率、9%。

 接触目的、情報伝達、78%。

 俺は馬を止めた。

 トビアスが不安そうに振り返る。


「どうされました」


「客だ」


「客?」


 荷馬車が俺たちの横で止まった。

 女は御者台から降りると、深くはないが礼儀正しく頭を下げた。


「ユリウス・レイン様でいらっしゃいますか」


「様はいらない。あなたは?」


「イリス・ヴァルトと申します」


 その名に、トビアスが小さく息をのんだ。

 知っている名らしい。

 俺は彼を見た。


「知り合いか」


「いえ、直接は。ただ、王宮書記官の名簿に」


 イリスは静かに微笑んだ。


「元、王宮書記官です。現在は、エレオノーラ王女殿下の私室付きで働いております」


 王女。

 トビアスの顔がさらに青くなった。

 俺は少しだけ警戒を強めた。


「王女殿下が、追放された統計士に何の用だ」


 イリスは一瞬だけ目を細めた。

 俺の言い方に驚いたわけではない。

 むしろ、少し面白がっているようだった。


「殿下は、あなたを追放された統計士とは呼んでおられません」


「では?」


「王国で最も早く崩壊の数字を出した方、と」


 それはそれで嫌だった。


「誉め言葉ではないな」


「殿下なりの最大級の評価かと」


「王宮の評価は分かりにくい」


「その点は同意いたしますわ」


 イリスは荷台から封書を取り出した。

 封蝋には、王立研究院ではなく、細い銀の百合が押されている。

 王女エレオノーラの私印だろう。

 トビアスが慌てて馬から降りた。


「王女殿下の書状であれば、まず研究院へ」


「トビアス様」


 イリスの声は穏やかだった。

 だが、トビアスの動きは止まった。


「この書状は、ユリウス・レイン様個人に宛てられたものです。研究院を経由する必要はございません」


「しかし」


「研究院を経由したために、届かなかった書類がいくつあるか、殿下は把握しておられます」


 トビアスは黙った。

 イリスは俺へ封書を差し出した。

 リュカが肩の上から身を乗り出し、封蝋の匂いを嗅ぐ。

 唸らない。

 少なくとも、嘘の匂いはしないらしい。

 俺は封を切った。

 書状は短かった。


 ユリウス・レイン殿。

 あなたの先触れの一部は、王都南門で止められました。

 しかし、災害記録部のミナ・クレイルより、同内容の写しが王女宮へ届いています。

 王立研究院は、建国祭の縮小に反対しています。

 王太子府も、現時点では祭りの継続を望んでいます。

 私は、あなたの報告を直接聞きたい。

 研究院に入る前に、南門東の旧税関倉庫へ来てください。

 エレオノーラ・アルデリア。


 最後まで読んで、俺は少しだけ息を吐いた。

 先触れの一部は止められた。

 予想はしていた。

 だが、実際に書かれると腹が立つ。

 先触れ到達率、69%。

 到達時に一部対策が始まる率、34%。

 その34%は、さらに削られているらしい。


「南門で止めたのは誰だ」


 俺が聞くと、イリスはすぐに答えた。


「衛生局の一部職員と、王太子府の儀典官です。建国祭前の混乱を避けるため、とのことでした」


「混乱を避けるために、混乱の原因を残すのか」


「王宮では、よくあることです」


「嫌な場所だな」


「ええ」


 即答だった。

 俺は少しだけイリスを見直した。

 少なくとも、王宮を美しく語る人間ではないらしい。

 トビアスが不安げに言った。


「レイン殿。研究院への召喚もございます。先に王女宮へ向かうと、ヴェルナー様が」


「怒るだろうな」


「はい」


「それは王都の発熱拡大率を下げるか」


 トビアスは口を閉じた。

 答えはない。


「イリス。旧税関倉庫には誰がいる」


「エレオノーラ王女殿下、私、王女宮の侍医1人、南門衛兵隊の副隊長、それから災害記録部のクレイル様が来られる予定です」


「ミナが?」


「はい。研究院には内密に動いておられます」


 ミナ。

 あの地下室で、記録を積み上げていた同僚。

 俺の報告書を全部信じたわけではないが、全部を笑うこともしなかった人間。

 彼女が動いているなら、まだ少し可能性はある。

 俺の視界に数字が浮かぶ。

 王女側と協力した場合の初動対策成立率、48%。

 研究院のみと協力した場合、27%。

 王太子府承認を待つ場合、14%。

 南門水場を即時分離した場合の感染拡大抑制率、36%。

 数字は、迷う余地をあまり残さなかった。


「旧税関倉庫へ行く」


 俺が言うと、トビアスが顔を強張らせた。


「レイン殿」


「あなたは研究院へ先に戻ってもいい」


「それでは、私は任務を」


「あなたの任務は俺を王都へ連れてくることだろう。王都には着いた」


「しかし」


 トビアスは何か言いかけて、リュカを見た。

 リュカは彼をじっと見ている。

 嘘をつくな。

 たぶん、そういう目だ。

 トビアスは肩を落とした。


「……私も同行します」


「研究院に怒られるぞ」


「どちらにしても怒られます」


「それはそうだ」


「なら、せめて人が死なない方で怒られたい」


 その言葉は、悪くなかった。

 リュカがトビアスの靴を軽く踏んだ。

 トビアスは苦笑した。


「また踏まれました」


「褒められている」


「本当にそうなのでしょうか」


「俺にも分からない」


 イリスがそのやり取りを見て、小さく笑った。


「その白い獣についても、殿下はお話を聞きたいと」


 リュカの耳が動いた。

 俺はイリスを見た。


「王女殿下は、リュカを知っているのか」


「名前までは存じません。ただ、古い記録に似た獣が出てくるそうです」


「古い記録?」


「王宮禁書庫の、建国以前の災厄記録です」


 その言葉で、リュカの体が固くなった。

 ほんの一瞬。

 だが、俺には分かった。

 リュカは反応した。

 王宮禁書庫。

 建国以前。

 災厄記録。

 白い獣。

 俺の視界に数字は浮かばなかった。

 代わりに、不明、という文字だけが薄く出た。

 まただ。

 見えないものが、見える形で現れ始めている。


「……旧税関倉庫へ案内してくれ」


 俺は言った。

 イリスが頷き、荷馬車へ戻る。

 南門の列は相変わらず長い。

 人々は笑い、話し、荷を運び、祭りの旗を見上げている。

 誰も、自分たちが危険な線の上に立っているとは思っていない。

 その足元に、俺にはいくつもの線が見える。

 水の線。

 人の線。

 発熱の線。

 責任逃れの線。

 嘘の線。

 そのすべてが、王都の中心へ向かって絡み合っている。

 リュカが俺の肩の上で、小さく身震いした。

 俺はその背を軽く押さえた。


「行くぞ」


 白い獣は答えない。

 ただ、王都の城壁をじっと見ていた。

 王都への入門は、王女の密使から始まった。

 そして、俺はまだ知らなかった。


 王都に隠されているのは、疫病の記録だけではない。

 俺が見ている数字と、リュカの正体に関わる記録もまた、王宮の奥に眠っているのだと。

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