7.人間の街へ
……私の冒険、いきなり終わるかもしれない。
出発から三日間は順調だった。
もともとグレイウルフの哨戒範囲で、安全なルートと注意すべき相手は調べ上げていた。
東から登る太陽を見て感謝し、西に沈む際は寂寥を感じる余裕すらあった。
状況が変わったのは四日目。
これまでダンジョンに来たことがない敵に襲われるようになった。
安全策をとり、グレイウルフを一匹ずつ囮に出してしのいでいくが、あっという間に伴走組はいなくなってしまう。
そして彼らが帰ってくることはなかった。
移動用のグレイウルフ二匹と私だけになったとき、さらなる新手に襲われる。
頭上に気配を感じて見上げると、前足が長く毛むくじゃらのモンスターが木々の上から我らを囲み始めた。
あれもダンジョンには来たことはないが、リシュトの記憶に存在した。
レッサーコンガ。
比較的知能が高く、集団で襲ってくる厄介な相手だ。
今も並走しながら徐々に数を増やしていく。
そして十分な戦力がそろったと判断したのか、一斉に襲い掛かってきた。
一匹一匹の戦闘力はグレイウルフに及ばない。
迫るコンガを返り討ちにするが、そのうち一匹がグレイウルフにしがみつく。
動きが鈍った隙を逃さず、群れが殺到して圧殺してしまう。
私は体力温存のため戦闘には加わらず見守っていたが、加わっても結果を少し先延ばしにする程度だっただろう。
騎乗する最後のグレイウルフが私から離れ、レッサーコンガの集団に突撃し、場をひっかき回す。
去り際、彼と目が合った。
種の壁があり直接意思疎通はできないが、確かなコミュニケーションができた気がする。
――ここは任せて、先に進め。
逡巡すら贅沢な状況で、それでも後ろめたく感じたが、私は脱兎のごとくその場から離脱した。
心の奥がざわつく、不思議な感情だった。
最後のグレイウルフが奮戦したようで、レッサーコンガの追撃はなかった。
レッサーコンガの襲撃から三日が過ぎた。
リシュトの生まれた街アイゼンエルツに到着してもおかしくない時が過ぎたが、それはグレイウルフの足で走った場合だ。
しかも私だけになった今、周囲を警戒しながら進んでいるため、さらに時間を要している。
それでも、もう目と鼻の先ほどの距離しかないはずだ。
あの丘の向こうに出れば、次こそ街が見えるはずだと希望と挫折を繰り返しながら進むが、ついに体力の限界が訪れた。
いつ意識を失ってもおかしくない。
大木の根元で腰を下ろすと、もう動くことができなかった。
無念である。
人間の街を眺められなかったこと。人間の文化に触れられなかったこと。
そして旅の目的が果たせなかったことが、残念で仕方ない。
何が敗因だったのか。どんな編成にするか。
私はすでに次の攻略に向けて、計画を考え始めていた。
そんな私を観察する視線に気が付く。
目を凝らして森の奥を探ると、一匹のフォレストウルフが、姿勢を低くし、こちらにじり寄っていた。
もちろん私が生み出した仲間ではない。
私が気づいたことを察知した森狼が飛び出して、距離をぐんぐん詰めてくる。
……終わった。
森狼が目の前に迫り、必殺の間合いに入る。
捉えたと確信した敵が鋭い牙を、私の喉元につき立てようと口を開く。
死を覚悟したが、不思議なことが起きた。
鉛のように重たいはずの体が、とっさに動いて森狼の攻撃を避けたのだ。
その勢いのまま大木にぶつかる森狼。
私は避けた先でよろけて再び尻餅をつきかけたが、何かが支えになって転ぶことを許さない。
視線を向けると、無意識のまま握っていたメイスを杖代わりに踏ん張っていた。
なんだ?
すでに私の体力は限界のはずだ。なぜまだ動ける?
混乱する私をよそに、体勢を立て直した森狼が迫る。
……次があるじゃないか。
森狼の前足による攻撃をメイスでさばき、すかさず柄尻で強かに相手の横っ腹を突く。
思わぬ反撃に一瞬警戒するが、私が虫の息であることを確認し、再攻撃のため身を屈めて「ため」を始めた。
私は踏ん張りがきかず足を滑らせ、片膝立ちになる。
……次の攻略は、もっと上手くやってみせる。
飛ぶように迫る森狼の牙を、寸での間合いで避ける。
その際、後ろ足の爪が私の太ももに引っ掛かり、切り裂いていく。
視界がかすむ。本当に限界だ。
押せば倒れるような状態の私を見て、もはや全力は必要ないと判断したのか、森狼は少し離れると、左右に体をゆすりながら正確な距離を把握する。
そして再び身を屈めて飛びつくための「ため」を始める。
……今回はここまでだ。
何度目かのあきらめを心のなかで呟こうとしたが、私の口から出たのは
「諦めて、たまるかぁぁぁあ!」
私の叫びに呼応するかのように、口を大きく広げて襲い掛かかってくる。
奴の牙は私の喉元を正確に狙っている。
私はメイスを短く持ち直し、奴の開いた顎門めがけてねじ込んだ。
「うわあぁぁぁぁあ!」
そのまま倒れるように体重を乗せて森狼を持ち上げると、脳天から地面に打ち付けた。
か弱い悲鳴をあげて失神する森狼。
私は立つこともままならない状態で、メイスを何度も何度も振り上げ絶命させた。
最後に不思議な体験をしたが、もはやここまでだ。
息絶えた森狼の横で、もはや微動だにできない私は、今度こそ意思を手放す。
失神する直前、何か近づいてくる気配がしたが、どうでもよかった。
覚醒。
視界に映ったのは、薄暗く無機質な岩肌に囲まれたダンジョン……ではなく、日が傾き闇が混じり始めた部屋の見知らぬ天井だった。
重たい体をひねり周りをうかがうと、どうやらベッドの上に寝かされているようだ。
カーテンで仕切られていて、それ以上のことは分からない。
なぜ今も生きているのか。なぜ保護されているのか。不思議に思ったが答えは出ない。
起き上がろうにも思うように動かない体で目だけを動かしていると、気配がしてカーテンが開いた。
若い人間の女性だ。
白を基調とした防具のような服に身を包んでいる。看護師というやつだろうか。
慌てて部屋から出て行ったかと思うと、すぐに老齢の女性と共に戻ってくる。
老齢の方は医者のようだ。いろいろと質問をされたが、頭がうまく回らず答えられない。
途中で何か与えられたが、体の調子は変わらない。
コミュニケーションは取れなかったが、私を森で見つけてここまで運んでくれたのは冒険者の兄妹で、ここが目指していたアイゼンエルツの街だということは理解できた。
私の状態をどこまで把握できたかは知らないが、質問を早々に打ち切り、医師と看護師は私の寝姿勢を正すと部屋から出て行った。
そして去り際、看護師がランプに小さな火を灯していった。
――!?
私はその光にくぎ付けとなる。
なんだかとても美味しそうに見えたのだ。
言うことを聞かない体を無理させてランプに手を伸ばす。
二度三度空を切り、さらに三度四度つかみ損ねながら、なんとか自分のもとに手繰り寄せた。
やはりとても美味しそうだ。匂いはしないが、その光は甘そうな気がした。
どうにかして火を取り出せないかとランプをいじっていると、下の出っ張りから何かこぼれ落ちてきた。
くすんだ紅色の欠片、魔鉱石のクズだ。
見るのは初めてだが、リシュトの記憶にあった。ランプをはじめとした日用品でよく使われる燃料である。
ためらうことなくクズ魔鉱石を口に含む。
んー、おいしい!
私は夢中で、ランプに詰められていた魔鉱石をかき出しては口に入れることを繰り返す。
あっという間に魔鉱石はなくなり、ランプの灯が消える。
まだまだ食べ足りないが、体がずいぶん軽くなったことに気づいた。
安堵のため息とともに、両目から涙があふれ出す。
あれ?
体はまだ痛いが治療されている。苦しくはない。
なのになぜ涙があふれ出すのか。意味が分からなかったが、不思議と気分は良かった。




